第24話 鈍
「おじ様、剣の手入れはきちんとした方がよろしくてよ?」
東海林から借り受けた安物の鉄剣を、アーデルハイトが胡乱げな表情でじっとりと眺めていた。彼が腰に下げていたのはショートソードと呼ばれる、所謂片手剣だった。
アーデルハイトが剣の
「現役の時はちゃんとやってたんだけどな……半分引退した今となっちゃ、すっかり手入れすることはなくなっちまった。6階層までなら、殆ど使うことはねぇからよ」
何処か気まずそうに頭を掻きながら、言い訳がましくそう語る東海林。
彼の言うように、ここ伊豆ダンジョンの6階層までならばそれでもよかったのだろう。アーデルハイトも見てきた通り、そこまではやたらと逃げ足の早い蟹しか居ないのだから。
直截に言ってしまえば、東海林は既に燃え尽きた探索者なのだ。現役時代はどうだったか知らないが、まるでゴミ拾いでもするかのように砂浜を漁る今の彼は、まさしく燃えカス。夢も希望も、かつて持っていた筈の熱意も、今では燻るどころかすっかり消えてしまった。
そんな彼が腰に佩いていた剣は過去の名残。或いは、惰性。
使いもしないのに、ただ何となく手放せなくて装備しているだけに過ぎない。使う予定がない故に、手入れなど行っている筈もなかった。
しかしアーデルハイトにとって剣とは、正に自らの分身、もう一人の自分自身とも言える存在だ。幼い頃から休む間もなく剣を振り、血の滲む修練の果てに剣聖と呼ばれるに至ったアーデルハイトからすれば、例え引退しているからといって、自身の手入れを怠るその神経は理解出来なかった。
思えば、あちらの世界でもそうだった。アーデルハイトの知る限りでは、騎士や兵士は武器を大切に扱う者が多い。しかし一方で、粗野な者が多い探索者達は、武器や防具を粗雑に扱うものが殆どであった。流石に最上位の探索者ともなれば、武具の大切さを身をもって体感しているからか、そういった者は少なかったが。
職業毎の気風と言ってしまえばそれまでなのだろうが、そんな探索者達の考えがアーデルハイトには感心できなかった。
それは彼女の愛剣、ローエングリーフを見ればよく分かる。常より手入れをされている彼女の剣は、刃が欠けるどころか、その磨き抜かれた刀身には汚れの一つも無い。僅かな灯りでさえもその身に反射し、切先から奔る緋色の光条は美しくも気高く。まさしく、アーデルハイトの分身と呼ぶに相応しいだろう。
とはいえ、そんな考えを他人にまで押し付けるつもりは毛頭なかった。考え方は人それぞれだと理解しているし、どちらかといえば自分の考え方が少数派であることも理解している。故に東海林に対しても、ほんの少しのアドバイスをするのみに留め、特別何か苦言を呈するようなことはなかった。そもそも手ぶらでダンジョンに来ておいて、挙げ句に武器を借りているのだから文句など言える立場ではない、というだけの話ではあるのだが。
ローエングリーフよりも短く、しかし短剣と呼ぶには少し長い。そんな借り物の片手剣をざっくりと観察し、試すように右手を振るう。京都ダンジョンにて木の棒を手に入れた時と同じく、アーデルハイトの右手がブレて消えた。
『ヒェっ……』
『やっぱすげぇわ』
『腕の動きが見えん』
『遂に刃物を持ったアデ公が見られるのか……』
『なんか感慨深いな……』
『界人の剣があっただろ!!』
『あの時も結局拳骨だったじゃんね』
「あの時は『剣が折れる』だなんてあなた方が言うからではありませんの。わたくしだって、好きで拳や蟹で戦っている訳ではありませんわよ?」
『ほんとぉ?』
『楽しんでなぁい?』
『さっきの蟹爆弾の後の笑顔、もう一回自分で見て欲しい』
『蟹で戦うはパワーワードでしょ』
『ていうか今回も借り物だし、前よりよっぽど折れそうだけど?』
「そうですわね……歪みも酷いですし、刃も
『あ、じゃあ大丈夫だな』
『あぶねぇ、まだ使うやつかと思ったわ』
『勝手に決めてて草』
『フリマに出す服みたいに言うなw』
『オッサン……』
『他人の剣没収してもう使わないは流石に草』
状態が悪いのは確かだが、それにしても随分な言いようであった。
「オイ!!それ俺のだぞ!!まだ使うんだが!?」
「まぁまぁ。悪いようには致しませんわ」
「さっきもそう言って、信じて送り出した蟹は爆発してたぞ!」
「ふふ」
「オイ!!笑って誤魔化せると思うなよ!!」
そんな冗句とも思えるやり取りを繰り広げながら、アーデルハイトと東海林、そしてカメラ係のクリスがダンジョン内を進んでゆく。先程までは尻込みしていた東海林も、彼女達に付いていくことには何時の間にか不満を漏らさなくなっていた。先のローパーの一件で考えを変えたのか、それともただ流され易い性格なのか。ローパーはただ爆破しただけであることを考えれば、恐らくは後者なのだろうが。
そうして歩くこと暫く。
木の棒ではなく、剣を使ったアーデルハイトの戦いが漸く見られると期待していた視聴者達は、大いに裏切られることとなった。理由は不明だが、一向に魔物が現れないのである。視聴者達と同じく、疑問に思ったアーデルハイトが東海林に尋ねてみた所、『恐らくだが』という前置きをして、彼は自らの予想を語った。
曰く、『変異種のローパーがこの一帯を支配していたのではないか』とのことである。それ故に下位の魔物が姿を見せないのだろう、と。
これは伊豆ダンジョンに限った話ではなく、ダンジョンならば何処でもある話の一つであった。変異種や階層主等、特別力の強い個体が居る階層では他の魔物が姿を見せないことがある。縄張り争いなのか、それともただ恐れをなして逃げているのか。仔細は不明だが、その両方なのではないかと噂されている。
そんな、姿を見せない魔物達に焦ること無く、アーデルハイトは気ままにダンジョン探索を楽しんでいた。いつもならば『撮れ高が』などと言い出しそうなものだが、先程『聖女』を爆破したおかげですっかり気分が良いらしい。
「これは何ですの?とても綺麗な……何ですの?」
「ここのダンジョンにしか居ねぇ
しっとりと濡れた地面に浅く溜まった水。その底に張り付いた、キラキラと燐光を放つ石のようなもの。アーデルハイトがその場にかがみ込み、物珍しそうに眺めていたそれは、東海林によるとどうやらヒトデの一種らしい。
「えい、ですわ」
アーデルハイトが手に持った東海林の片手剣で、ヒトデをぷすりと突き刺した。すると件のヒトデが、まるで風船のように水中で弾け、何やら黒い液体のようなものを撒き散らしたではないか。液体は瞬く間に水溜りの中に広がり、その全てを暗く染め上げてしまう。
「うぉぉぉ!何してんだ!!俺の!!それ俺の剣だからな!!」
「もう使わないやつだから大丈夫ですわ」
「使うっつってんだろ!!」
『草』
『おハーブ生えましてよ』
『かわいい』
『ほっこりする』
『アデ公たまにめっちゃIQ下がるよな』
『だがそれがいい』
結局魔物は現れず、このような下らないやり取りが延々と続けられたのだった。
* * *
「結局何も起こらないまま、ここまで来てしまいましたわ……」
つい先程までの楽しそうな表情はどこへやら。絶望を顔に貼り付けたアーデルハイトがそう呟いた。
『マジで何も出てこなかったな』
『他の探索者とも会わなかったなー』
『これが不人気ダンジョンの力かよ……』
『剣技も見たかったけど、まぁこれはこれで良かった』
『お散歩フェイズってワケ』
そんなアーデルハイトとは違い、視聴者達の反応はそう悪いものではなかった。否、むしろ良かったとさえ言えるだろう。アーデルハイトのお散歩が見られたことで、彼等もすっかりご満悦である。
今アーデルハイト達がやってきたここは、伊豆ダンジョンに於ける最初の節目。階層主が居るとされている第十階層であった。見たことのない海の生き物に興味津々であったアーデルハイトも、七、八、九と、階層を進むにつれ徐々に焦り始めた。そうして再び撮れ高に飢えた彼女は、感覚を頼りに必死に魔物を探し続けた。その結果、彼女の言葉通り何も起きずにここまで辿り着いてしまった、というわけである。
「くッ……斯くなる上は、階層主とやらをボコボコにブチのめして新規視聴者をゲットしますわ!」
『飢えてる飢えてる』
『いかん!撮れ高に狂ってやがる!!』
『さっきからちょいちょいサブスク登録されてるけど』
『この撮れ高モンスターがそんなもんで満足するだろうか?』
『いいや、しない(反語』
『同接も登録者数もちゃんと伸びてるぞ!』
「この程度では、スローライフなんて夢のまた夢ですわ!」
『それはそう』
『どうだろうな。まだ収益化通って無くてコレだろ?』
『少なくともサブスクだけで当面は生活出来そう』
『新人としては凄い数字なんだけどな』
『早く俺に養わせろ』
「というわけで早速、わたくしの剣の錆となる魔物を見に行きますわよ!!」
『行くぞコラァ!!』
『ヒャッハー!!』
『いよいよアデ公と剣の初コラボじゃあ!!』
『オラオラァ!どかんかいワレェ!コラァ!!』
『轢き殺されんぞコラァ!!おん!?』
『突如低下する治安』
そう言い放ったアーデルハイトが、勢いよくダンジョンの奥へと突進してゆく。慌てたように後を追う東海林だが、彼は彼で複雑な心持ちであった。
彼が瞳に希望を宿し、ダンジョンへと立ち向かい、そうして仲間たちと喜びを分かち合っていたのも今は昔。チームが解散してからここまで、彼はまるで抜け殻のような毎日を送ってきた。何かに熱中することもなく、ただ惰性で日銭を稼ぐ毎日。
そんな彼が、この十階層に足を踏み入れたのは何年ぶりのことだろうか。かつては何度と無く訪れていたこの場所が、それこそ初めて足を踏み入れたかのように酷く懐かしかった。
そんな、初めは文句を言っていた東海林も、アーデルハイトに道を案内する内に、なんだかんだと楽しくなっていた。ただただ奥へと突き進む、一見無茶にも見える、そんな恐れを知らないアーデルハイトの姿に感化されたのかもしれない。或いは、過去の自分を重ねて見ているのかもしれない。
すっかり忘れていた、ダンジョン探索への思い。
それが再び燃え上がるとは、今更思っていない。けれど少しだけ。ほんの少しだけ、踏み出す一歩。その足が幾分軽くなったのは事実だった。
そんな自分を馬鹿にするかのように、東海林は一人嘲笑する。すっかり燃え尽きていた自分が、一人の新たな探索者に期待と羨望を覚えている事を。
「……なんつーか。あんま詳しくねぇけど、これが所謂、ファンの気持ちってヤツなんかね?」
そう独りごち、急ぎアーデルハイトの背中を追う。カメラにも届かないような小さな声は、しかしクリスにだけは聞こえていた。彼女は何も語らない。ただそんな中年の姿を見て、その遥か前方を突き進む自らの主を見て、そうしてただ微笑むだけだった。
「つーか足早えぇって!!おい嬢ちゃん!!もうちょっとゆっくり歩いてくれや!!そもそも場所分かってんのか!?階層主の情報は!?」
「それほど早く歩いていませんわ!!鍛え直したほうがよろしいのではなくて!?場所は知りませんわ!!敵は何でもよくってよ!!」
「脳筋過ぎるだろ!!つかマジでその剣だけで戦う気か!?せめて蟹を捕まえろ!さっきのアレならやれるぞ!!」
「お断りですわー!!」
撮れ高を目前にしてテンションを上げるアーデルハイトと、それに同調して世紀末化する視聴者達。そして小言を言いつつもついて行く中年男と、それら全てを撮影するクリス。そんなバランスの悪すぎる即席チームが、階層主の元へと駆けてゆく。
この時点で同接数は3500を越え、登録者数も1000人程増え、3000人と少しになっている。
それはまだまだ木っ端の配信者といった数ではあるが、それでも彼女達は着々とファンを増やし続けていた。
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