第23話 最後の希望

 伊豆ダンジョン第七階層。

 そこは先程までの砂浜とは打って変わって、仄暗い洞穴と化していた。薄っすらと濡れた岩肌はよく滑り、気を抜けば足を取られて転倒してしまうだろう。また岩だけではなく、岩壁の所々が珊瑚らしきもので彩られている。地面の所々には小さな水溜りが見られ、覗き込めば怪しげな藻草が小さく揺れている。階層内をあれほど照らしていた明かりはすっかりと鳴りを潜め、怪しく光りを放つ苔が洞穴内を仄かに照らす程度だった。


 一般的に知られるヒカリゴケとは、苔自身が発光するわけではない。周囲の僅かな光を反射し、光っているように見えるだけだ。周囲に光が一切存在しなければ、彼等は輝くことが出来ない。つまり今ここで自ら光を放ち洞穴内を照らしている苔は、一般的なヒカリゴケとは別種のものである。


「オイ!別嬪の嬢ちゃん!マジで行くのか!?」


「マジもマジの大マジですわよ?」


 洞穴とはいえ、道幅自体は広く天井も高い。

 そんな滑る岩肌をものともせずに、アーデルハイトはずんずんと進んでゆく。クリスがその背中を黙々と撮影し、そして最後に困惑した様子の東海林が続く。自らの忠告などまるで聞く様子のないアーデルハイトを、しかしそれでも心配し、渋々ながらもその背中を追いかける。道案内としては立ち位置が違う気もするが。


「少なくとも、階層主とやらを倒すところまでは進みますわ!」


「正気かよ!?」


『ところがどっこい、正気です』

『気持ちはわかるぞおっちゃん……』

『前回を知ってる俺から見ても、若干の不安はある』

『安心感と不安が入り交じるのが異世界配信よ』

『前回のゴーレムとワーグもなんだかんだで怖かったしなぁ』

『せめて装備さえ、と思うけど手ぶらだしなぁ』

『装備ならあるだろ?』

『蟹じゃねーか!!』


 薄暗い洞穴の雰囲気がそうさせるのか、視聴者達からも若干の緊張感が感じられる。つい先程までは大騒ぎしていたというのに、今ではコメント欄もすっかりと勢いを失っていた。一部の視聴者は、アーデルハイトの抱えた蟹に絶大な信頼を置いている様子だったが。


「京都でも10階層までは進みましたもの。二回目の配信だというのにそれ以下となれば、視聴者が楽しめないではありませんの。撮れ高は全てに優先する、これがダンジョン配信の鉄則ですわ」


「命の方が大事だろ!!いやマジなら凄ぇけどよ!」


『考え方が迷惑系配信者のそれと同じで草』

『意味合いはだいぶ違うけどなw』

『だからこの撮れ高への執着はどっから来てるんだよw』

『視てる側からすればありがたい限りではあるな』

『そもそも一階層あたりの難度はダンジョンによって変わるんですがそれは』

『怪我だけはしないでくれよな……』


 東海林の言葉は、善意からくる本心だった。彼もいい歳であるし、まるで無茶をする娘を見守る父親のような、そんな心境なのかもしれない。しかし当のアーデルハイトはといえば、そんな彼の心情などどこ吹く風。歩調こそ多少東海林に合わせているものの、一切の危なげもない足取りでただ歩き続ける。


 そうしてしばらく、アーデルハイトは遂に蟹以外の魔物と遭遇した。

 大きさは2m程だろうか。平均的な人間よりも少し大きい程度だった。円筒状のスライムとでも言えばいいのだろうか。その体は粘性の高い組織で出来ており、目や口などの部位は存在せず、濃緑色の頭部───らしき部位───が動く度にぶよぶよと弾んでいる。そして最も目を引くのは、足元から伸びる無数の触手だ。一本一本が別の意思を持っているかのように、まるで虚空をねぶるかのように揺れている。


「あら、ローパーですわ」


『ガタッ!!』

『知っているのかアデ公!!』

『っしゃあああ!!待ってたぜェ!この瞬間をよぉ!!』

『転生したい魔物ランキング、オークに次ぐ第二位の、あの!?』

『草』

『そうなの?w』

『言うほどなりたいか?w』

『一瞬だけ良い思いして次のシーンで死んでそう』


「アレはあちらの世界でも何度か見ましたわ。危険度が低くて弱い癖に、やたらと生命力だけは高い。動きが遅い割に触手だけは素早くて気持ちが悪い、放置すると増えて面倒、等など。基本的にいい話を聞かない魔物ですわね。そして確か────」


「女の敵、とか言われているな」


「そう、それですわ。まぁそういうわけで、あちらでも大層嫌われていた魔物だったと記憶しておりますわ」


 自らの記憶を遡り、そうして辿り着いたローパーに関する情報を、視聴者達に聴かせるようにして口にするアーデルハイト。彼女の言うように、ローパーとはあちらの世界でも、こちらの世界でも、何処へ行っても嫌われている魔物である。そういった嫌われ者の魔物は数多く存在するが、とりわけローパーは、女性探索者達から低評価の嵐を頂戴している。

 ローパーは触手の射程内に入った者を獲物と認識し、それが何であれ見境なく巻き取り、捕らえてしまう。そしてそれが女性だった場合、それはもうあられも無い姿にされてしまうのだ。

 そんなローパーと遭遇したというのに、アーデルハイトは嫌悪感を顔に出すようなことはなかった。その表情は今までと変わらず至って平静で、蟹を見た時と何ら変わることはない。


「これがおじ様の忠告の理由ですの?」


「全てってワケじゃねぇが、まぁそのうちの一つだな。嫌だろ?コレと戦うの」


「ご心配は痛み入りますけど、特に嫌でもありませんわよ?」


「……戦ったことがあるのか?」


「それなりには、ですけど。まぁおじ様はそこでゆっくりしていて下さいな」


「……マジで一人でやる気か?なんかあっても助けらんねぇぞ?」


「心配ご無用ですわ」


 東海林の方へと、背中越しにひらひらと手を降りながら、アーデルハイトが前に進み出る。まるで気負う様子もなく、ちょっとそこらのコンビニへ買い物をしに行くかのような態度である。


『それを倒すだなんてとんでもない!』

『水着回を奪われた俺達にとって、彼は最後の希望なんだぞ!!』

『勝つのは希望か、それとも絶望か』

『ろーぱーがんばえ~』

『頼んだぞローパー君……ッ!!』

『急に緊張感無くなってきたなw』


 視聴者達が気持ちを束ね、あろうことかアーデルハイトではなくローパーの応援をし始めた、まさにその時だった。

 足を踏み出したアーデルハイトの気配に気づいたのか、眼前のローパーが身体を震わせ始める。振動は徐々に大きくなり、遂には半液体状の身体が泡を立て始める。そうして数秒後、突如としてローパーが爆発した。


「……え、一体何ですの?流石にキモいですわ」


 ローパーと遭遇しても不快感を見せることのなかったアーデルハイトだが、急変したローパーの様子には流石に堪えたのか、眉を顰めて口元をひくひくと震わせた。

 爆発四散して動かなくなったローパーの残骸に、アーデルハイトが困惑していた時だった。背後から警告が齎される。


「嬢ちゃん!!ただのローパーじゃねぇ!!変異種だ!!」


 東海林がそう叫んだ直後、アーデルハイトの眼前に散らばっていたローパーの肉片が、地面を這いながら一箇所へと集まり始めた。一つ一つの肉片がまるで意志を持っているかのように、ゆっくりと元いた場所へと戻ってゆく。濃緑色だった肉片は徐々に変色し、より濃く、黒く染まってゆく。

 恐らくは黙って見ている場合ではないのだろうが、しかしアーデルハイトは様子を見ることにした。小脇に抱えた蟹がもぞもぞと身じろぎするが、指先で甲羅を軽く叩けば再び大人しくなった。


 そうして数十秒が経った時、アーデルハイトの眼前には、先程までとは異なる姿形をしたローパーが現れていた。大きさは優に3mを越え、或いは4m近くまで巨大化しているかもしれない。身体は漆黒に染まり、その身に纏う粘液も心なしか多く感じられる。滴る液体の粘度もねっとりと濃く、なにやら湯気まで漂わせる始末である。触手の数は先程までと比べて凡そ二倍近くに増えている。それに加えて長さも増し、より一層不快な動きで獲物を求め虚空を彷徨っていた。


「えぇ……?流石にコレは触りたくないですわ……」


『オイオイオイオイ、キモいわコレ』

『まさか俺達の思いが…?』

『俺達の煩悩がローパー君に届いた……?』

『キモいのはさっきから定期』

『冗談言ってる場合かコレ?』

『コレは殴って倒せるんか……?』


「何やってんだ嬢ちゃん!!逃げるぞ!!」


 想定外の遭遇となった変異種のローパーに、慌てた東海林がすぐさま引き返すように提言する。ローパーは動きも遅く、触手の射程内に入らなければ逃げることは容易だ。逃げるだけならば今からでも十分に間に合う。そもそも彼は最初から進みたくは無かったのだから、当然と言えば当然の主張と言えるだろう。

 アーデルハイトは知る由もないことだが、この変異種のローパーは探索者協会からも警告が出されている魔物である。遭遇した場合は交戦を避け、協会へと報告するように呼びかけが行われている。なんとなれば10階の階層主よりも危険な魔物として扱われている程である。

 アーデルハイトは大きく溜息をついた後、踵を返してカメラの方へと近づいてゆく。しかし彼女は、東海林の警告に従って後退しようとした訳ではなかった。


「流石にアレは気持ち悪くて触りたくありませんので、少しズルをさせて頂きますわ。皆様には申し訳ないですけど」


『くッ……ズルいぞ!!』

『いうて戦いはするんだなw』

『正々堂々勝負しろー!!』

『俺達の煩悩が勝つのか、それともアデ公のズルが勝つのか』

『俺達が伊豆に行った時も警告出てたよコイツ』

『さっきの経験者ニキじゃないか!!』

『心配な反面、どうせアデ公があっさり勝つという信頼もある』


 この階層にやってきた当初、洞穴の雰囲気に呑まれて勢いを失っていた視聴者達。しかし彼等も徐々に慣れてきたのか、やいのやいのとコメントで野次を飛ばし始めた。

 そんな調子の良い視聴者達の野次を無視しつつ、アーデルハイトが小脇に抱えた蟹を持ち上げる。そうしてカメラにも聞こえないほどの小声でクリスに何かを伝え、クリスがそれに応じる。クリスが小声で何かを呟き、指で蟹の甲羅を何度か叩く。視聴者達に見えぬよう、カメラの画角外で行われている何事かの準備は、ものの十秒もしないうちに完了していた。


「では、今回はこちらの『聖女ちゃん』に活躍していただきますわ」


 そういってアーデルハイトが両手で持ち上げた巨大な蟹は、足を丸めて大人しくしていた。心なしか甲羅が、というよりも体全体が薄っすらと白く発光しているようにも見える。


『草』

『名前草』

『草 名前つけてたんか』

『聖女ちゃんは草なんよ』

『まさか聖女ちゃんを囮に…!?』

『ははぁん……読めたぞ?』

『ローパーが蟹に気を取られている隙に脇を抜ける作戦か』

『鬼畜過ぎるだろその作戦』

『聖女ちゃん、ちょっと光ってね?w』


「おい、一体何する気だ嬢ちゃん達」


「まぁまぁ。悪いようには致しませんわ」


 アーデルハイトが『聖女ちゃん』を地面に下ろし、甲羅をそっと押さえる。そうして一度ローパーを見やり、『聖女ちゃん』の甲羅を撫でる。その間にクリスと、そして事態を飲み込めないままでいる東海林が後退する。


「まだですわよ……クリス!!よろしくて!?」


 距離にして凡そ50m程離れたクリスが、カメラを保持していない左手でアーデルハイトへとサインを送る。それを確認したアーデルハイトが、『聖女ちゃん』の甲羅を軽く叩いた。


「聖女ちゃん!お行きなさいな!!」


 次の瞬間、『聖女ちゃん』が持ち前の逃げ足を遺憾なく発揮して飛び出した。これまでアーデルハイトという圧倒的な強者に捕らわれ、為す術もなく連れてこられた巨大蟹だ。漸く訪れた逃走の機会を逃すような事はしない。勢いよく瞬発した『聖女ちゃん』は、アーデルハイトから逃げるよう、脇目も振らず───元より蟹歩きではあるが───前方へと駆け抜ける。

 そうして『聖女ちゃんが』ローパーの射程圏内に入った時、無数の触手が襲いかかった。如何に『聖女ちゃん』が素早いとはいえ、流石にローパーの触手を掻い潜ることは叶わず、そのまま捕らわれてしまう。


 捕らえた『聖女ちゃん』をローパーが引き寄せたその瞬間、『聖女ちゃん』が大爆発を起こした。轟く爆破音は洞穴内を反響し、アーデルハイトはもちろんのこと、遠く離れていたクリスや東海林の鼓膜をも震わせる。

 爆発に伴う熱波が通路を吹き抜け、アーデルハイトの髪を激しく靡かせる。後方からは何やら東海林の叫び声が聞こえるが、クリスが傍にいる以上は問題無いだろうと判断。そのまま目を僅かに細め、爆炎の中をじっと見つめる。


『うぉおおおおお!!?』

『どういうことなんですかぁ!!?』

『大音量視聴者ワイ、耳が死にました』

『聖女ちゃぁあぁぁぁあん!!!』

『聖女逝ったw』

『なんでやねんwww』

『クソw腹痛いw』

『原理は分からんがとにかく笑った』

『誰だよ囮にするとか言ったやつ!!鉄砲玉やないかい!!』

『木魚雷→故意死球→蟹ミサイル→自律機動型蟹爆弾←New!!』

『情報量が俺の脳の許容量を越えた』


 激しく揺れる洞穴通路と、天井から落ちる岩の欠片。その中には、いくつもの粘質な肉片が混ざっていた。飛び散る肉片を、アーデルハイトは自らに降りかかる分だけ回避する。煙と炎、そして揺れが収まった頃、そこにはの残骸が地面や壁に張り付いていた。


「仕留めましたわ!!」


 ぐっ、と拳を握りしめ、笑顔でガッツポーズを見せるアーデルハイト。


『草』

『いや草』

『なんか分からんけど明日も頑張ろうって気持ちになったわ』

『何わろてんねん!!』

『突っ込みどころが多すぎる』

『俺達の希望が木っ端微塵に爆破された』

『煩悩退散!!』


 敵の消滅を確認したアーデルハイトは、クリス達の待つ後方へとゆっくり戻ってゆく。クリスは相変わらず無言であったが、その目線からはアーデルハイトを労うような態度が感じられる。今回働いたのは『聖女ちゃん』とクリスで、アーデルハイトは特に何もしていないのだが。


 そしてそんなクリスの後方には、腰を抜かして床に尻もちをついた東海林の姿があった。彼は目を丸くし、大口を開け、お手本のような驚きを顔に浮かべている。戻ってきたアーデルハイトを見つめ、まるで鯉のように口をぱくぱくと開閉しながら、しかし声は出せない様子である。


「怪我はありませんの?」


「え……あぁ、だ、大丈夫……」


「そうですの。それなら先に進みますわよ」


「い、え、あ……いやいや!?今のは何だよ!?」


「内緒ですわ」


「ぐ……いや、まぁそうだろうけどよ……」


 探索者はそう簡単に、他人に手の内を見せたりはしない。それは配信者であっても同じことだ。普段から視聴者に向けて、自分達の戦闘を見せつけてはいるものの、本当の奥の手といったものは秘めたままの者が多い。その理由は様々ではあるが、最も多い理由としてはやはり同業者への牽制だろうか。


 飲食店がレシピを公開しつつも、ソースや出汁等の配分を秘匿するように。同業者は同類であり仲間であると共にライバルでもあるのだ。戦闘に拘わらず、ダンジョンの構造や隠し部屋、見つけづらい通路や近道。本当に大事な情報は自分達で握っておくのが普通で、それがダンジョン攻略に一役買う情報であれば尚更だろう。故に東海林もまた、先程の蟹爆弾が一体どういう物なのか深くは追求出来なかった。


『これから先、聖女と名付けられた者は爆散する』

『悲しい事件だったな……』

『鬼畜戦法だと思ってた筈の、囮にして脇抜け作戦の方がよっぽど健全だった』

『罪のない蟹さんが犠牲になっただけで済んだわ』

『聖女故致し方なし』

『協会に伝えて懸賞金もらおうぜ!!』


「あー!スッキリしましたわ!この調子でどんどん進みますわよ!」


 こうしてアーデルハイトは再び歩き始めた。

 さも当然と言わんばかりに顔色一つ変えることがないクリスと、この数分ですっかり老け込んだように見える東海林を引き連れて。



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