第25話 ゴミ

 京都で魔狼ワーグを見た時と同様に、その場所は窪地のような形をしていた。高さは大凡4m程だろうか。壁を成す岩肌は相変わらずじっとりと濡れており、一度降りればそう簡単には登ることが出来ない、まさに天然の闘技場である。

 そんな開けた空間を、アーデルハイトが見つめていた。


「……ええ、分かっていますわ。あなた方の言いたい事は」


 その瞳はどこか辟易としており、先程までのテンションの高さなど何処かへと飛んでいってしまっていた。そんな彼女の見つめる先には、『聖女ちゃん』とは比べ物にもならないほどの、巨大な甲殻類が鎮座している。全体的に黒みを帯びた甲羅には大きな棘が生えており、明らかに戦闘に特化したフォルムをしている。


『やっぱ蟹じゃねーか!!!』

『まぁ予想はしてた』

『俺も』

『俺もなんとなく分かってたよ』

『俺はボス蟹かボスローパーの二択だと思ってた』

『なら後者だろ常識的に考えて』

『残念、蟹(大)でした!!』


「伊豆の最初の階層主、大蟹カルキノスの成体だ。さっき嬢ちゃんらが爆破して遊んでた奴の、もうちょい成長したやつだな」


「……ここには蟹と触手しかいませんの?やる気はありまして?だから人気が出ませんのよ?」


「俺に言うなよ……ちなみに20階層になると、コレの更にデカいのが出るぞ」


 現役時代、仲間達と共に20階層まで辿り着いていた東海林。彼曰く、次の階層主も同系統の魔物らしい。恐らくは母体か、それに準ずる存在なのだろう。

 カルキノスとは、基本的には力任せで攻撃してくるタイプの魔物だ。ここまでの道中で見てきた幼体からも分かる通り、動きは素早く外殻は強固。幼体の頃は小さかった左腕も、すっかり成長して立派なサイズになっている。


 これがシオマネキならば、巨大化するのは片方だけだ。一定の大きさまで成長したシオマネキは、片方の鋏を自切する。そうして残ったほうの腕だけが大きくなる。体温調節や威嚇等、理由は様々に言われているが、しかし目の前の魔蟹にはそういった理由は関係が無さそうだった。


 さも『両方大きいほうが強そうでしょ?』とでも言わんばかりに、左右共に巨大化しているその鋏は、人間程度であれば簡単に両断出来てしまうのではないだろうか。たった一目見ただけで、そんな光景が容易に想像出来る。


 通常、探索者達がこの魔物を倒す際には遠距離攻撃を主体とする。

 強固な外殻の所為で攻撃が通り難く、鋏を含めれば十本もある脚を使った攻撃は、回避が非常に難しい。前衛が大盾を構えようとも、鋏の前では無力だ。故に探索者達は皆、弓や投槍などによって頭部を狙うことでダメージを与えてゆく。故にカルキノスと戦う場合は長期戦になりやすい。集中力を長時間保たなければならず、経験者である東海林も、過去に苦労させられた相手だ。


 先程までアーデルハイトが幼体で遊んでいた為に、巨大化しただけで実は弱いのではないか等と考える視聴者も居るだろう。

 しかし前述の通り、その考えは誤りだ。国内に数多く存在するダンジョンの中でも、最初の階層主として見た魔蟹は強い部類だ。京都のゴーレムと比べてみても、その討伐難度の違いは一目瞭然だろう。そんな魔物が浅い階層でいきなり現れるのが、伊豆ダンジョンの不人気に拍車をかけていた。


 東海林による解説を要約すれば、概ねこんなところであった。

 とはいえそれは、何処まで行っても普通の探索者が戦う場合の話に過ぎない。


「正直に言わせてもらえば、蟹は少し飽きているのですけど────」


 そう言って、アーデルハイトはまるで気負った様子も無く、眼下の広場へと飛び降りる。クリスもカメラを構えたままそれに続き、その場に残されたのは東海林だけとなった。当然、彼は慌てた様子で二人を静止する。


「オイ!話聞いてなかったのかよ!?」


「正直、途中から聴き流していましたわ。あの程度ならば余裕ですもの」


『草』

『慢心か?』

『実際の所どうなの?教えて有識者』

『お散歩フェイズの延長に過ぎない』

『俺が行った時はここで引き返した。火力不足で』

『見るからに硬そうだもんな』

『流石に分が悪いか?』

『おっ、異世界は初めてか?』

『木の棒で岩が切れる女やぞ?』

『そうだった……』


 辛うじて錆びていないだけの剣を片手に、アーデルハイトが蟹へと歩み寄る。足場は悪く、濡れている上に凹凸が酷い。ただでさえ手強い相手だというのに、環境までもが劣悪。故にこの伊豆ダンジョンにおいて、十階層というのは一つの壁と言われている。殆どのパーティーがここで引き返す羽目になり、それは視聴者の中にいる伊豆D経験者、彼のパーティーもそうであった。

 それを考えれば、現役時代の東海林がしっかりと鍛え込んでいたことがよく分かるだろう。こう見えても数年前の彼は、ここ伊豆において最先端を走る探索者の一人だったのだから。


「さて……そろそろ剣聖らしいところも、ご覧に入れなければなりませんわね。ゴミのような品とはいえ、折角剣───のようなものを握ったわけですし」


 アーデルハイトが借り物の片手剣を、ゆっくりと鞘から引き抜く。

 歪んでしまった刃は、ただ抜くだけもすんなりとはいかない。欠けた刀身が鞘に干渉し、内部でざりざりと嫌な音を立てている。そんな酷く状態の悪い剣に、アーデルハイトが眉根を寄せる。鞘を握る手に伝わってくる耐え難い不快感に、口の端をひくひくと震わせていた。


「はぁ……最低ですわ。借りている立場なのであまり贅沢は言えないですけど……これを剣だなどと呼びたくはないですわね……ゴミのような、ではなく、ゴミですわ」


『待ってたぜぇ!!』

『ここまで長かったな……』

『俺はこの時のためにズボン脱いで待ってたんだからよぉ』

『何でだよw履けやw』

『いうてまだ配信二回目なんですけどね』

『戦闘回数で考えるとやっぱり長いよ……』

『ゴミみたいな剣で草』

『贅沢は言わない(ボロクソには言う)』


 磨きの足りない、曇りに曇った東海林の愛剣。

 恐らくは、アーデルハイトが全力で振るえば一太刀と保たないだろう。このゴミを使って敵の甲殻を切り捨てるなど、並大抵の事ではない。なまじ半端に剣の形をしている所為で余計に使いづらい。これならば、最初から木の棒として使える分、京都で拾った例の戦友木の棒のほうが余程マシだったとさえ言えるだろう。


「まぁ、やるだけやってみましょうか。武器の不足は技術でカバーしてみせますわ」


 鉛刀一割えんとういっかつなどという言葉があるが、手にした片手剣はまさにそれだ。如何に切れ味の悪いなまくらでも、一度きりであればどうにかなるだろう。否、仮にも剣聖と呼ばれていた自分だ。一度ならず何度でも、少なくともこの戦闘中は保たせて見せる。すっかりやる気になったアーデルハイトの表情を見れば、そう考えているであろうことが分かる。


 アーデルハイトは、地面に向けた切先を揺らしながら、気負うこと無く敵へと歩み寄る。何かの構えという風には見えない。ただ無造作に剣を握り、まっすぐに敵の元へと歩いているだけにしか見えない。しかしそれでも、アーデルハイトという少女が握っているだけで、不思議と威圧感を感じさせる。


『雰囲気あるな』

『さっきまで蟹で遊んでたのが嘘のようだ』

『ちゃんと武器の手入れをしていた界人の評価が相対的に上がった』

『……まてよ?もしかしてまた爆発するんじゃないだろうな?』

『もし爆発したら多分俺笑い死ぬよ』


「しませんわよ……わたくしを何だと思っていますの?」


『乳デカ蟹使い』

『尻デカ縦ロール』

『異世界アスリート』

『ゴブリン轢殺用異世界トラック(なろう運転』

『リアルではモンクタイプ』

『令嬢の皮を被った脳筋』


「あなた方、わたくしのファンなのかアンチなのか、一体どっちなんですの……」


『ファンに決まってるやろ!』

『もちろんファンです(サブスク済』

『アデ×クリス推し厄介ファンです』

『わしが育てた』

『どうでもいいけどもう蟹動いてるんすわ』

『緊張感ねぇw』


 アーデルハイトがコメント欄に呆れていた時、視聴者の指摘通りに敵が動き始めていた。洞穴を僅かに揺らしながら、折り畳まれていた太く大きな脚を広げてゆく。既にその瞳にはアーデルハイトを捉えており、すっかり彼女を獲物として認識している様子だった。


 次の瞬間、巨大な鋏がアーデルハイトに迫っていた。目にも止まらぬ速さとまでは言わずとも、そこらの探索者では回避することも難しいであろう速度だった。完全に虚を突いた、所謂奇襲だった。現に視聴者達のコメントはまだ追いついていない。

 その身に迫る殺意の塊を前に、アーデルハイトが右腕を振るう。ゴーレムと戦った際もそうであったように、やはり腕の動きは見えない。剣が一瞬ブレたかとおもった次の瞬間にはアーデルハイトの腕は振り抜かれ、気がついた時には既に静止していた。そんな剣の切先、その延長線上でくるくると宙を舞う魔蟹カルキノスの大鋏。

 蟹には痛覚が存在するというが、しかし眼前の敵は、自分の身に一体何が起こったのか理解出来ていないように見えた。


『あ』

『え』

『やば』

『はっや』

『うぉおおおおお!!』

『斬ったぁぁぁぁ!!』

『だからコメント追いつかねぇって!』

『異世界ではコメントが追いつかないのは日常茶飯事』


 鋏を一本切り落としたところで、アーデルハイトの動きは止まらない。流麗な動きでステップを踏み、まるで地面を滑るように敵へと肉薄する。そのまま動きを止めること無く、二度三度と剣を振るう。そうしてアーデルハイトが剣を振るう度、カルキノスの脚が斬り飛ばされてゆく。

 強固な甲殻も、ゴミのような得物も、アーデルハイトにとっては障害にならなかった。一般的な探索者では到底刃を通すことなど出来ない敵の鎧を、まるで紙を切り裂くかのように。


 ものの十秒も経たない内に、カルキノスは全ての脚を失っていた。遠くには八本の脚と鋏が転がり、アーデルハイトの眼前には頭部だけとなった哀れな敵の姿。視聴者達がぽかん、と阿呆のように口を開けてモニターを見つめる中で、既に勝敗は決していた。


「ふぅ……まぁ、こんなものですわね」


『っしゃぁぁぁぁぁ楽勝!!』

『完 全 勝 利』

『これが異世界の裁きよ!』

『やったぜ!』

『ゴーレムの時も思ったけど、凄すぎてもう何もわからんw』

『いや、君らもうそういうもんだと思ってそうだけど、マジで凄いんだぞコレ』

『は!?凄いことくらい分かるが!?むしろそれしかわからんが!?』

『確かに殆ど分からんかったけど、乳と尻が凄いのは分かった』

『ありがたやー』


 一息ついたアーデルハイトが、俎板まないたの鯉と化した蟹を無視して後方を振り返る。彼女の視線の先には、腰を抜かした中年の姿があった。


「……マジかよ。一体何モンなんだよ、あの嬢ちゃん」


 そんな東海林の声がアーデルハイトに届くことはなかったが、しかし東海林の驚愕仕切った表情を見て、アーデルハイトは彼の心中を察した。

『余裕と言ったでしょう?』とでも言いたげに、アーデルハイトが右手でゴミを弄びながらドヤ顔を披露する。整った顔立ちも相まってか、堂に入った非常に腹立たしい表情だった。


『アッ、しゅき』

『ドヤ顔かわいい』

『ドヤ顔上手すぎるんだよな』

『あかん、腹立つけど可愛いが勝つわ』

『ドヤ顔全一』

『20世紀最大のドヤ顔思い出した』

『あれとはタイプが違うだろw』


「褒めるのか貶すのか、どっちかにして欲しいですわ……」


 そうして脚を失い、もぞもぞと身動ぐことしか出来なくなった敵へ止めを刺すべく、アーデルハイトが近づいてゆく。彼女の身体よりも余程大きな背甲に飛び乗り、剣を向ける。


「と、いうわけでお別れですわ。次はもっと頑丈になってからお出でなさいな」


 アーデルハイトが甲羅の中心に突き立てるべく剣を振り上げた、その時だった。突如として軽くなった右手の感覚に、アーデルハイトが違和感を覚える。


「……あら?」


 東海林から借り受けていた片手剣、その握り部分の少し上。刀身の根本から先が、いつのまにやら消えて無くなっていた。後方を振り返ってみれば、鈍色の物体がくるくると回転しながら、中空を泳いでいた。


『草』

『折れたァ!』

『よう飛んどる』

『あぁ……限界だったか……』

『オッサンの剣が!』

『大丈夫だよ、もう使わないやつだから』

『ああ、そうだったわ。あぶねー』


 くるくると回転し続ける刀身は、アーデルハイトとクリスカメラの見つめる先、なにやら喧しく喚いている様子の東海林の真横の壁へと突き刺さった。


「……」


 そんな後方の様子を無視し、右手に残る剣の柄を見つめて何事かを思案するアーデルハイト。しかし直ぐに頭を振って、剣の残骸を『もはや用はない』とでも言わんばかりに、そこらへと投げ捨てた。そうしてそのまま右拳を握り込み、自らの立つ敵の背へと叩きつける。


「ふんぬ!!」


 何かを誤魔化すかのように繰り出されたアーデルハイトの拳は、カルキノスの甲殻をあっさりと突き破る。まるで苦痛に喘ぐかのようにカルキノスがもぞもぞと藻掻いたあと、それきり二度と動かなくなった。


「……し、仕留めましたわ!!」


『お、おう……』

『憤怒』

『やっぱ拳聖じゃないか』

『最後まで剣で決めて欲しいんだよなぁ……』

『なんかでも、らしいっちゃらしい気もしてきたわ』

『アデ公はこうでなくっちゃな』

『締まらねぇなぁw』


 ワーグの時に引き続きどこか締まりの悪い、そんな幕切れではあったものの。

 こうしてアーデルハイトは、伊豆ダンジョンの十階層を突破したのだった。

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