第26話 世知辛いですわね

 魔蟹カルキノスの瞳から光が失われた事を確認したアーデルハイトが、その巨大な甲羅の上からひょいと地面へ飛び降りる。脚を切り落とされてなお、数メートルほどの高さがあるというのに、まるで気にした様子もない。常人離れした彼女の身体能力をもってすれば、この程度の高さなど大した障害にもならないらしい。

 尤も、これは彼女のみならず、レベルアップを何度か経験した探索者であれば大抵の者がそうなのだが。

 そんなアーデルハイトの元へと、見学していた東海林が歩み寄ってきた。


「おう、お疲れさん。滅茶苦茶強いじゃねぇかよ、嬢ちゃん。あんなの今まで見たこと無いぜ……目ん玉飛び出るかと思ったよ。つーか実際に腰は抜けたしな」


「だから大丈夫だと言ったではありませんの────それよりもおじ様、コレ……」


 ゴミだなんだと言っては居たものの、やはり他人の持ち物を壊してしまったことに罪悪感を抱いているのか、アーデルハイトはどこか気まずそうな表情で、刀身を失って握りだけとなった片手剣を二本の指で摘んでいる。先程は投げ捨てたものの、やはり一部だけでも持ち主に返そうと思ったのだ。ちなみに、まるで汚いものでも触るような持ち方だったが、彼女には特にそういった意図は無い。


「ああ、別に構いやしねぇよ。あっちで見てたから経緯は知ってるしな。それに、手入れを怠っていたのは俺だ。弁償しろなんて言わねぇし、そいつのせいで嬢ちゃんが怪我しなくてよかったよ」


 東海林もまた、己の武器の状態が悪かったことは理解している。日頃は腰にぶら下げているだけで出番のなかった片手剣だ。仮にアーデルハイトに貸さなかったとしても、遅かれ早かれこうなっていただろう。彼は武器を壊された事を責めるようなことはせず、ただバツが悪そうに後頭部をかきながらそう答えた。


「むしろ俺こそ悪かったな。こんな粗末な────」


「あら、そうですの?ではコレはポイですわ」


 その言葉を待っていた、とでもいわんばかりに、右手の人差し指と親指で摘んでいた剣の柄を、無造作に投げ捨てるアーデルハイト。


「オイ……いや、まぁ……いいんだけどよ……」


『草』

『これは草』

『オッサン元気だして……』

『最期にアデ公に使ってもらえて剣も本望だろうぜ』

『それにしたってポイは草なんよ』

『オッサン……』

『哀愁がすごい』

『これこそオッサンの醍醐味よ』

『オッサンの醍醐味ってなんだよw』


 コメント欄では東海林に同情する声も多かった。どうやら彼はここまでの道中でそれなりに好印象を持たれていたらしい。アーデルハイトに振り回され続け、剣の手入れをしていないことがバレ、爆風に晒され腰を抜かしたりと、お世辞にもいいところがあったとは言えない。無駄に知識をひけらかしたりせず、いい格好をしようともせず、ただただ普通にくたびれた姿を見せただけ。しかし、視聴者の言葉を借りるならば、それこそがオッサンの醍醐味である。


 コメントを見ることが出来ない彼は、まさか自分がそのように怪しげな評価のされ方をしているなどとは夢にも思っていなかった。

 そんな彼はすぐに気を取り直し、魔蟹の死体へと目を向ける。既に内部が魔力へと変換され、ダンジョンに接収され始めているのだろう。魔蟹の死体からは黒い霧のようなものが漂っていた。


「さて、死体コレはどうするんだ?持って帰るのか?もしそうなら、解体しなきゃならんが」


『剥ぎ取りタイムや!!』

『そういえば初だな』

『ゴーレムは見たまま、ただの岩しか採れんしな』

『ワーグの時も、救助でそれどころじゃなかったもんなぁ』

『あれだけ魔物倒しておいてコレが初の回収か……』

『これだけデカいんだからそらもうウハウハやろ!!』


 東海林の告げた提案に、漸くかと視聴者達が沸き立つ。探索者にとって、倒した魔物から収穫を得る瞬間というのは最も心が踊る瞬間の一つだろう。それは視聴者達も同じだった。ゲーム配信でもそうだが、ドロップアイテムの確認や手に入れた装備の性能を見ている時が一番楽しいものなのだ。


 ゲームのように、倒した魔物の体内から金銭や装備が出てくる、などということは当然無いが、しかし鉱物のみならず、魔物の外皮や外殻は、持ち戻って協会に提出すれば買い取ってもらえる。価値が高ければ高いほど当然値段は上がり、その額は物によれば数十万~数百万、更に桁が増えるものまであるのだ。探索者が命を賭けてダンジョンに潜るのも理解出来る、そんな夢のある瞬間がこの『剥ぎ取りタイム』というわけだ。


 京都では、倒した敵の数の割に一切の収穫がなかったアーデルハイトだったが、今回は果たして。


「ん……コレ、いくらで売れますの?」


「そうだな……まず、全部を持ち戻るのは当然無理だ。で、コイツの売れる部位っつったら甲殻と眼球、あとは鋏とかになるんだが……まぁ、安い。どの部位も装飾品としてはイマイチだし、加工もし難いからな。要するに需要が無いんだ。嬢ちゃんが必要最低限の攻撃で倒したから状態は抜群だが、それでも精々5万行くかどうかってところじゃねぇか?」


「……命を賭けて戦った割には、安すぎませんこと?」


「まぁな。これも伊豆ココが不人気な理由の一つだろうよ。強い癖に金にならんのが一発目の階層主っつーんだからな」


 もしもこれがゲームや漫画の世界ならば、いきなりレアアイテムを引き当てて大金持ちになれるのかもしれない。テストで満点もとれるだろうし、部活のレギュラーにも選ばれて、あまつさえ恋人さえ出来ることだろう。実際に、視聴者の中にはそんな期待をしていたものも居たかも知れない。

 しかし当然、そう上手くは行かないのが現実だ。命を賭けた対価としては渋すぎる東海林の査定に、アーデルハイトはげんなりとした表情を見せた。


『やすぅい!!』

『下手すりゃ死ぬことを考えたら割に合わないどころの話じゃないな』

『まぁこのへんは倒す魔物次第ではある』

『渋谷の十層ならもうちょいマシだったろうよ』

『実際他の配信だと、階層主クラス倒したらそこそこの稼ぎになってるもんな』

『リスクと天秤にかけたらマジでそれなり、って感じの金額だけどな』

『剥ぎ取りと鉱物採取、投げ銭とか全部ひっくるめて漸くプラスって感じ』


「こちらの世界は世知辛いですわね……」


 染み染みと、アーデルハイトが肩を落として呟いた時だった。彼女の視線の先に、有るものが転がっていた。それは拳大の球体だった。ガラスのように透明で、中を覗けばその中心部では鈍い輝きを放つ漆黒が渦を巻いている。


「あら?コレは……」


 手にとって見れば、それは間違いなくアーデルハイトもよく知る物体であった。クリスの方へと顔を向ければ、彼女もまた黙して頷いている。


「『魔石』、ですわよね」


 魔石とは、その名の通り魔力の塊である。それは魔物の死体から採れるものであり、あちらの世界では良く知られたアイテムだ。魔導具の稼働に使用されたり、或いは、即席の魔力回復薬としても使われたり、その用途は幅広い。帝国のみならず、世界中の至る所で広く使われている、人間の生活と切っても切り離せない物。それが魔石だった。


 アーデルハイトの頭が回転を始める。


 まさか、こちらの世界にも魔石が存在するなどとはアーデルハイトは思ってもみなかった。こちらの世界に来た当初にクリスから聞かされた話によれば、こちらの世界には魔法を使える者がいないとのことだった。故に、魔法や魔力と密接な関係にある『魔石』も、存在しないのではないかと思っていたのだ。

 しかしよくよく考えてみれば、元から魔法を習得していたクリスは、こちらの世界でも魔法を行使することが出来ている。つまり魔法の行使に必要な魔力それ自体は、こちらの世界にも存在するということだ。

 これまでは、異世界からやって来た自分達だけが、自分達だからこそ、こちらの世界でも魔法を使えるのだと思っていた。謂わば特例であると。

 魔法のない世界だと思っていたからこそ、魔石も無いのだろうと思っていた。しかし今ここに『魔石』があるということは。


 こちらの世界には魔法が存在しないのではなく、ただ『魔法』という技術が認識されていないだけなのではないか。何故気づかなかったのだろうか。死んだ魔物が魔力に変換されてダンジョンに接収されているのも、魔力が存在することの証明に他ならないではないか。そしてそれは、アーデルハイト達にとっては見慣れた光景であったが、視聴者や東海林は魔力について何も知らない様子であった。それどころか、未だ解明されていない謎の一つだと言っていた。つまり魔力という存在をこちらの世界の人間が知らないだけなのだ。

 こちらの世界にも、『魔力』と『魔法』は存在するというのであれば。もしかするとこちらの世界の人間も、『魔法』を使えるようになるのでは────。


 アーデルハイトがそう思索に耽っている時、彼女が手にとった『魔石』に気づいた東海林が声をかけてきた。


「お、そりゃ『魔核コア』じゃねぇか」


「……魔核コア?」


「おう。全部ってわけじゃねぇが、たまに魔物の死体から出てくるんだよ。それが一体何なのか、どういう物質なのかは解明されてなくてな。未だに誰も、それが何なのかは知らねぇ。噂によれば魔物の心臓、或いは脳みてーな役割を果たしてるんじゃねーかとか言われてるな。つっても、それだと魔核が無い魔物はどうやって動いてんだっつって、色々揉めてるみてーだが……要するに正体不明の謎の玉ってこった」


「……成程。ちなみにおじ様、これは売れますの?」


「いんや、一円にもならねぇ。使い道がねぇからなぁ」


「そう、ですの」


「なんだ、気に入ったのか?確かに見た目は結構綺麗だけどよ」


「ん……まぁそんなところですわ。コレは持って帰りますわ。あとは荷物にならなさそうな、蟹さんの目玉だけ貰って帰りましょうか」


「了解だ。剥ぎ取りはやったことねぇんだろ?俺がやっといてやるよ」


「ありがとう存じますわ」


 先程の考えは、所詮アーデルハイトの仮説に過ぎない。

 東海林に説明した所で意味はないだろうし、それに恐らくは、簡単に話してもよい内容では無い気がした。ともすれば、この世界の常識を覆しかねないものだろうとも。そうしてアーデルハイトは、魔石に関しては、一先ず頭の片隅へと追いやることにした。


 時間を確認すれば、現在は19時を少し回った所だ。のんびりと遊びながら進んできたとはいえ、既に開始から二時間ほどが経過している。帰りの道のりを考えれば、今回の探索はここまでだろう。結局は京都の時と同じく、十階層までしか進めなかったことが心残りではあった。しかし前回の記録を下回るようなことにはならなかったのだから、二回目の配信としては上々と言えるだろう。


「さて、皆さん。本日はそろそろ撤収にかかりますわよ」


『いいわよ』

『もうこんなに時間経ってたんだな……』

『見どころしか無くて一瞬に感じたわ』

『前回と同じ記録になってちょっと不服そうなアデ公かわいい』

『今回も撮れ高だらけで良かったな』

『今回も十でストップかぁ……とか一瞬思ったけどよく考えたらこれまだダンジョン二回目なんだよな……』

『そういえばそうだった』

『既に百回以上ダンジョンクリアしてそうな勢いだもんな』

『次はキャンプも準備しよう!』


「そういえば、帰りはもう完全に武器がありませんわね……」


『オッサン』

『オッサンがおるやん』

『投げるなり振り回すなりしてもらって』

『爆破もあるぞ!!』

『どうにかして七色に光らせられないか?』

『お前らオッサンの事好き過ぎだろw』

『今どき珍しいシブおじだったからな』

『くたびれ感がよかったよ』


「あなた方、コメントが見られないからって好き放題言いますわね……」


『知らなかったのか?ここが最強のポジションだと』

『ゲームでも動画勢は無敵だろ?』

『演者は煽る、コメントは盛り上げる、両方やらなくちゃあならないってのが、視聴者の辛いところだな』


「全く……この国では『帰るまでが遠足』だと聞きましたわよ。帰りも油断せず撮れ高を探しますわよ!!」


 思い思いにコメントを飛ばす視聴者達を焚き付け、アーデルハイトはクリスと東海林を連れてダンジョンを引き返す。前回は駆け足での帰路となったが、今回はそれほど急ぐ必要もない。撮れ高を求めて多少うろうろした所で、時間的にはまだまだ余裕があるだろう。そうして気持ちを切り替えたアーデルハイトが、ポケットにしまった魔石をそっと撫でる。


「……とりあえずみぎわあたりで試してみましょうか」


 カメラに届かない程の小さな声で、アーデルハイトが独り呟く。

 そんなアーデルハイトの思惑などまるで知る由もない、地上で配信を確認しつつアイスコーヒーを啜っていたみぎわは、背中に嫌な気配を感じたのだった。

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