第27話 金の亡者

 それは帰り道で起こった。

 伊豆ダンジョンの五階層。本配信時間の大半を過ごした、もはや見慣れた場所と言っても過言ではない砂浜で、アーデルハイトが何かを見つけたのだ。


「……あら?おじ様、アレは何ですの?」


『何か見つけたか』

『お?なんやなんや?』

『撮れ高のかほり』

『俺達のアデ公がこのまま素直に帰ると思うなよ!!』

『俺は分かってるよ。どうせまた蟹だってことはね』

『大いに有り得るんだよなぁ……』


 アーデルハイトが指差したのは遥か遠くの海岸沿い。波が白く輝いては消える波打ち際で、何かが動いたのを彼女の眼が捉えていた。目算でおよそ400~500m程先になるだろうか。あれは何か、などと聞かれたところで、当然ながら東海林しょうじの衰えた視力では到底見える筈もない。


「……いや、何も見えねぇよ」


『それはそうよね』

『チッ……老眼がよぉ!!』

『無茶言うなww』

『遠すぎるってか全部同じ光景にしかみえん』

『ただの砂浜が続いてるだけだよね』


 特にカメラをズームにしている訳ではないため、視聴者達の目でも確認は出来ない。


「なんというか……白くて丸い、小さな動物のような魔物?が見えますわ」


 日差しを遮るように、アーデルハイトが自らの手で影を作り、瞳の上にかざす。そんな彼女の言葉を聞いた東海林が、慌てたようにアーデルハイトへと問いただし始めた。


「おい嬢ちゃん!そいつは白い毛玉みてぇな、なんつーか、大福みてぇなヤツか!?尻尾は?首元に何か見えねぇか!?」


「何ですの急に……尻尾、のようなものは見えますわね。それと、何か赤い小瓶のようなものを首……?にぶら下げていますわ。ぴょんぴょん跳ねて可愛らしいですわ」


 そんなアーデルハイトの言葉と共に、配信画面もまたズームしてゆく。クリスが撮影倍率を変えたのだろう。常人では見えない小さな目標も、彼女の持つ高性能カメラであれば難なく撮影することが可能だ。そうしてカメラが捉えたその姿は、アーデルハイトの言う通り、丸々とした毛玉とでも呼ぶべき生き物であった。


『お、見える見える』

『かわええw』

『なんアレ』

『ウサギか?』

『激レア』

『すげぇ、初めて見た』


「そりゃ迷宮兎ダンジョンラビットだ!捕まえるぞ!!」


 アーデルハイトの報告を聞いた東海林は、どこか嬉しそうな高揚した声を上げた。手をわきわきとさせ、目つきを一層狡猾なものに変える。元の目つきの悪さも相まってか、非常に人相が悪くなっていた。


『迷宮兎』とは、その名の通りダンジョンに現れる兎型の魔物だ。

 魔物であるにも関わらず人畜無害。発見報告はごく稀ながらも、伊豆に限らず世界中のどのダンジョンでも現れ、ただダンジョン内を飛び跳ねているだけで襲ってくることはない。それどころか、人間が近づく気配を感じるとすぐに逃げ出してしまう。こちらを向いていなくとも気づかれてしまうために、一説によれば、人間の歩く音や地面のごく僅かな揺れを感知しているのではないか?などと言われている。

 その逃走スピードは尋常ではなく、今回の探索で嫌というほど健脚を見せつけられた、あのカルキノスの幼体よりもよほど早い。


 そもそも発見例が極端に少なく、見つけたとしてもすぐに逃げてしまう所為で、探索者界隈では迷宮兎を見つけたら幸運が訪れる、などと言われる始末である。

 そして迷宮兎の価値を最も高めているのが、その首───らしき部位───からぶら下げられた赤い小瓶だった。


「な、なんですの?急にやる気を出して……」


迷宮兎ダンジョンラビットってのは滅多に現れない希少な魔物なんだ。小瓶をぶら下げてるって言ったろ?それが所謂、回復薬ポーションってやつだ」


 回復薬ポーションとは、アーデルハイトにとっては聞き慣れた単語だ。読んで字の如く、身体に負った怪我や傷の治療に使うものであり、等級によっては病にさえ効果がある。現代の医療ではどうやっても完治しないような大きな傷も、遥か昔に負った古傷の痕も、果ては失った四肢でさえも治してしまう、まさしく魔法のようなアイテムだ。

 あちらの世界ではダンジョン内からも産出される他、下級程度のものであれば普通に薬師ギルドで製造もされていたし、材料さえあればクリスの錬金魔法でも精製することが出来る。多少値は張るものの取り立てて高価というわけでもない、ごくごく一般的な薬のような存在だった。少なくともアーデルハイトは、魔物が所持している等という話は聞いたことがなかった。


「何かと思えば、ただの回復薬ポーションですの?別にそんなもの珍しくも何とも────」


「オイオイ、もしかして知らねぇのか?回復薬は現状、迷宮兎がぶら下げてるアレか、もしくは、誰が設置してんのかさっぱり分からん謎の箱からしか入手出来ないんだよ。少なくとも俺は他に聞いたことが無ぇ。迷宮兎が激レアな以上、回復薬ポーションもまた超希少アイテムなんだよ」


「ふぅん……こちらではそうなんですのね……ちなみにですけど、売るといくらになりますの?」


「等級にもよるが、最低の下級回復薬ポーションでも300万は確実に超える。これまでに見つかったことのある最高等級だと、上級回復薬ポーションがイギリスのオークションで1億以上で落札されたって話だ」


「何を呆けていますの!?捕まえますわよ!!」


 その金額を聞いた途端、先程まではどこか興味なさそうにしていたアーデルハイトが突如として手のひらを返した。

 それもそのはず、なにしろ最低でも300万円である。大してスローライフへの足しにもならないような蟹の目玉など、大事に握りしめている場合ではないのだ。


 何故あちらの世界ではありふれた物であるはずの回復薬ポーションが、こちらの世界ではそれほどまでに高額なのか。先程の東海林の説明を聞いたおかげで、アーデルハイトにはその理由がある程度想像出来た。

 この世界には魔法という概念が無い。すなわち治癒魔法も存在しないということだ。故に怪我をした際の現代医学を超える治療方法として、回復薬ポーションが最上のものとなっているのだろう。


 病院の数こそあちらの世界とは比べ物にもならない数が存在するが、しかしその代わりに教会で魔法治療を受けることが出来ない。こちらの医療技術は素晴らしいものの、魔法の力で瞬時に傷を癒やしてくれる回復薬ポーションには及ばないのだ。

 そんな世界であれば回復薬ポーションが高額なのも頷ける。金持ちは万が一の保険にいくつか確保しておきたいだろう。そうでなくても、現代の医学では治すことの出来ない難病や、大怪我で苦しむ患者を救うのに大きく役立つ。そんな誰もが欲する薬が希少価値付きともなれば、もしかすると1億でも安いくらいなのかもしれない。


『っしゃあああツキが回ってきたぜぇえ!!』

『追い撮れ高キタァァァァァ!!』

『野郎共準備はいいかァ!!』

『今日は兎鍋じゃコラァ!!』

『アデ公が良いウィンナーを買えますように……』

『ヒュー!さすが撮れ高モンスターだぜ。蟹の目玉だけじゃ足りねぇらしい』

『もうお腹いっぱいになるほど見惚れたし笑ったんだが』

『捕まえてスローライフへの貯蓄にすんぞ!!』


 今日の配信はこのまま地上へ戻って終わりだと、そう思っていた視聴者達も大いに盛り上がっていた。アーデルハイトは初回配信と変わらず、これまででも十分な活躍を見せてくれた。階層主との戦いなど、皆彼女の剣捌きに見とれていた程だった。

 しかしそれはそれ、これはこれだ。

 甘いものは別腹などというが、帰り際に遭遇した思わぬ幸運は、アーデルハイトにとっても視聴者達にとっても、正に別腹のデザートと言えるだろう。


「ふふふ!わたくしの養分にして差し上げますわ……!!」


『金の亡者令嬢』

『つっても実際どうすんの?』

『近づいたら逃げるんしょ?』

『何か協会のサイトによると、地面の振動とかでバレるんやとさ』

『じゃあ無理じゃん。何か?飛べとでも?』

『これまでにあった報告だと、遠距離からの攻撃で仕留めるらしい』

『なお距離が距離なので当然激ムズ』

『アデ公の健脚なら余裕よ』

『ダッといってガッとしてギュッ!』

『ありえるけど、流石にこの距離はなぁ……』


 ああでもないこうでもないと、視聴者達が案を出す。

 そう、捕まえるにしても一体どうやって捕まえるのか。その手段が問題だった。何かを投擲しようにも、ゲーミング木魚も蟹ミサイルも、今は手元に無い。蟹よりも脚が早い迷宮兎に対して自律機動型蟹爆弾は無力だ。東海林の折れた剣の破片でも持っていれば別だったかも知れないが、生憎と10階層でアーデルハイトがポイしてしまった。

 ならばアーデルハイトが走って捕まえれば良いのでは?という案も勿論あったが、しかしそれは最後の手段だろうと反論される。確度が低い方法は最後の最後にしておくべきだ、という至極真っ当な言であった。

 呑気に海辺を跳ねる迷宮兎を眺めながら、そうして一同が作戦を考えている時だった。アーデルハイトがまるでウォーミングアップでもするかのように、右腕をぐるぐると回していた。そうして東海林の背後から、彼の両肩に手を置いた。


「つっても方法がなぁ……嬢ちゃん、走って追いつけそう────ん?」


「おじ様、昔は鍛えていたと言っていましたわよね?身体は頑丈でして?」


「あん?あぁ、まぁ探索者としてはそれなりに……おい」


「それは良かったですわ。では、後は任せますわ──────ふんッ!!」


 アーデルハイトが東海林の二の腕を引っ掴み、力を込めて彼を振り回し始める。脚は宙に浮かび、風を切り裂きながら徐々に速度を増してゆく中年は、既にこれから何が起こるかを察していた。


「オイ!馬鹿か!!待て!やめろ!!おいコラ待─────」


「───ッ!!いっけぇッ!!」


「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛────────────ッ!!」


 アーデルハイトの手から離れた中年は、蟹の幼体などまるで話にもならない速度で砂浜を飛翔した。山なりなどという生易しいものではなく、その軌道はまるで弾丸そのもの。速さは時速300kmを越え、件の迷宮兎へと一直線に向かってゆく。

 そんな彼の姿を、アーデルハイトが満足気に見送っていた。


「ふー……我ながらいい投擲ですわ」


『草』

『大草原』

『その手があったか!!(ガタッ』

『クッソwwしかもめっちゃ早ぇw』

『いつかやるんじゃねぇかって思ってた』

『中年ミサイル←New!!』

『軌道が美しすぎる 100点』

『成程なぁ。飛べばいいのかぁ』

『鍛えていた事が仇となったか……』

『ありのままを話すぜ……巨乳美女の配信を見に来たらオッサンが飛んでいった』

『頭おかしなるでコレ』

『飛べと?とは確かに言ったけど、別にいいアイデアを出したわけじゃないんだよなぁ』


「あ、着弾しましたわ。早速見に行きますわよ!!」


 見れば視界の遥か先で、大きな大きな土煙が巻き起こっていた。波打ち際で水を吸った重い土が、空高く打ち上げられている。流石にアーデルハイトも加減はしているだろうが、もしも砲弾が新人探索者や一般人であれば間違いなく死んでいるだろう。なんだかんだと言いつつも、しっかりと過去に研鑽を詰んでいた東海林を信じている、といえば幾分聞こえは良いだろうか。

 そうしてアーデルハイトとそれに続くクリスが小走りで着弾地点へと向かえば、そこには盛大に砂浜を滑走した東海林のわだちが残っていた。その轍の先には、まるでヘッドスライディングを敢行したかのような姿勢で砂浜に倒れている東海林の姿があった。


「おじ様ー?どうでしたの?」


『お、おう……』

『最近どう?みたいな気軽さで草』

『アデ公と一緒に探索できて羨ましい、そう思っていた時期が俺にもありました』

『なんかちょっとカッコよくね?』

『人使いの荒さで悪役令嬢感を出してきたな』

『現代アートみを感じる』

『南無』


 アーデルハイトの言葉に、東海林が右腕を掲げて親指を立てた。サムズアップだ。

 ピクピクと小刻みに震える東海林の、その左腕の中には小さな毛玉が抱え込まれていた。迷宮兎は死んではいないようだったが、驚いて気を失っているのか、東海林と同じように小刻みに振るえていた。


「流石ですわおじ様!!やはりこういう時は年の功ですわね!あぁ、屋敷に住んでいた頃の爺を思い出しますわね……」


『回想始まったw』

『待てぇぃ!』

『おっちゃん助けてあげてww』

『いやでも見た感じ怪我してねぇなコレ』

『おっさんが頑丈だったのか、アデ公の加減が完璧だったのか』

『探索者って結構大変なんやなって』

『なにはともあれ、300万ゲットだぜ!!』


 その五分後、漸く東海林も起き上がることが出来たが、しかし怒っているかと思われた彼の顔には、意外にも喜色が浮かんでいたのであった。

 そんな様子を淡々と撮影していたクリスだが、その瞳には何処か熱を帯び、視線はカメラの先ではなく東海林が抱えている毛玉へと注がれ続けていた。

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