第28話 擦過傷

「ひでぇ目にあったわ」


 砂まみれの姿となった東海林が、体中の砂を払い落としながらゆっくりと立ち上がった。彼の腕の中には既に迷宮兎の姿は無く、遥か遠くを凄まじい速度で逃げてゆく後ろ姿が見えるだけだ。アーデルハイトもそんな人畜無害な魔物を追いかけるつもりはないらしく、一瞬の隙を突いて逃走した迷宮兎をただクリスが寂しそうな瞳で見つめていた。


「無事に捕まえられて良かったですわ!」


「良くねぇよ!見ろ!ちょっと擦りむいてるだろ!」


 そう言って東海林が見せつけた肘、そこには確かに擦過傷の痕が見られた。とはいえ、探索者としてダンジョンに潜っていればこの程度の傷は日常茶飯事だ。むしろもっと酷い大怪我を負うことだって珍しくはないのだから、怪我のうちにも入らないだろう。半ば引退している東海林とてそれは承知の上で潜っているし、何も本気で怒っているわけではない。


 しかしそれはそれ、これはこれ、だ。

 クレームはしっかりと入れておくに限る。そうしなければまたいつ飛翔することになるかわかったものではない。


「まぁまぁ。結果的に作戦は成功したんですし、良いではありませんの。終わり良ければ全て良し、ですわ」


 東海林からのクレームに対応するアーデルハイトは、説明もなしにいきなり東海林を投擲したことを流石に悪いと思っているのか、眉尻を下げながらも苦笑いをしていた。まるで悪戯を咎められているかのような気まずい表情だ。

 しかしあの場では即断即決が求められていた事は事実で、東海林にも代案は無かった。それ故、なにも投げなくてもいいだろうと思いつつも強く攻められずにいる。


「まぁ……いい、のか……?とにかく、せめて先に言ってくれ」


「あら、また投げてもよろしいんですの?それなら任せて欲しいですわ!」


「そういう意味じゃねぇよ!!」


 にっこりと、誰もが目を奪われるような眩い笑顔で答えるアーデルハイト。


『草』

『守りたい、この笑顔』

『なんだ、美人にぶん投げられて何か不満なのかね?』

『我々の業界ではご褒美ですけどねぇ?』

『中年業界では褒美ではない、と?』

『中年業界……?』

『唐突に謎のクソデカ業界作るのやめろ』

『俺をそんな怪しい業界に入れるな!』

『そんなことよりポーションはぁ?ねぇねぇ』


 そんな視聴者達のコメントを横目にしたアーデルハイトが、思い出したかのように声を上げる。そう、本来の目的は東海林を投げることではない。彼女が東海林を投擲したその理由は、300万円のためである。


「はっ!そうですわ!!おじ様、ポーションは!?」


「ああ、そっちは問題ない。ホレ」


 そう言って東海林が差し出したのは、小さな手の平サイズの小瓶だった。特に何の装飾もない簡素なガラス瓶で、中には赤い液体が入っている。粘性もないサラサラとしたそれは、アーデルハイトがあちらの世界で見ていたポーションとまさに同じものだった。


「ナイスですわ!!これでこのクソみたいな蟹さんの目玉以外もお金に換えられますわ!」


「おぅ……実はその目玉気に入ってなかったんだな……」


「当然ですわ!!探索は遊びではありませんのよ!?」


『クソみたいな目玉は草』

『お嬢様!口が汚くってよ!?』

『遊んでたよなぁ?』

『蟹投げたり爆破したりしてたよなぁ?』

『オッサンも投げてたよなぁ?』

『おまいう』

『遊びが何だって??』

『真面目っぽかったのは階層主だけという事実に震える』

『お散歩気分で10階層往復してるのもそれはそれで』


 大喜びのアーデルハイトだが、コメント欄にはツッコミが飛び交う。誰がどう見ても遊んでいた上に、アーデルハイト自身も先程『遊んでいた』と口を滑らせていたのだから、それも当然だった。彼女はそんなツッコミを全て無視し、東海林が差し出す小瓶をそっと受け取った。


(……同じ、ですわよね?)


 小瓶の蓋部分をそっと指先で摘み、しげしげと眺める。やはり何処からどう見ても、彼女が慣れ親しんだ回復薬ポーションそのものだった。あちらの世界では回復薬ポーションの入手方法がいくつかあったが、人間が製造したものは当然、製造者によって全て容器が違う。それらのものと今回手に入れたものは当然違うが、しかしあちらの世界のダンジョンから見つかる回復薬ポーションには酷似している。


 先程の魔石に関してもそうだが、あちらの世界のダンジョンとこちらの世界のダンジョンには共通点が多い。無論、迷宮兎のようにアーデルハイトの知らない魔物も存在するし、そういった細かな違いはある。しかし大まかなシステムで言えば、殆ど同じものだと言えるだろう。


 何もかもが異なる世界で、ダンジョンだけが2つの世界で共通している。これが意味することは何なのか、今のアーデルハイトには分からない。ただ、2つの世界を結ぶ鍵はダンジョンにあるような、そんな気がした。


 いつかはあの憎き聖女ビッチに制裁を下すため、あちらの世界へと戻る手段を見つけておきたい彼女としては、これはとても重要なことだ。スローライフを目指す傍らでダンジョンの謎についても調べていこうと、アーデルハイトは心の片隅で新たな目的を設定する。


 ともあれ、今はあれこれ考えても仕方がない。まずは目先のことから片付けようと考え、アーデルハイトは東海林に問いかける。いまここにある回復薬ポーションは一体何等級なのか。あちらの世界基準で言えば、赤色の回復薬ポーションは最下級だ。先程の東海林の話によれば、300万円といったところだろうか?


「それで、これはいくらで買い取ってもらえますの?」


「……それなんだがな。嬢ちゃんはぜ」


「……と、いうと?」


「俺も実物を見たのは初めてだが……赤色は中級回復薬だ。300万どころか、桁が変わるかもしれん」


「!!」


 口角を上げ、興奮を抑えられないとでもいうように、笑みを浮かべながらそう告げる東海林。彼の長い探索者人生の中でも見たことがないような、そんなお宝を前にすれば落ち着いてなど居られる筈もない。

 彼は既に引退しており、毎日惰性だけでダンジョンに潜っていたのだ。そんな彼がいつものように一人で探索を行い、そうしてアーデルハイトと出会い、彼女の実力に驚愕し、極めつけに豪運まで見せつけられた。人生の転機というわけではないが、燃え尽きかけていた彼の心に再び火をつけるには、十分過ぎるほどの一日だった。


『い、いっせんまんえんですかぁ!?』

『うぉぉぉぉ!!』

『おめでとう!』

『これでウィンナーが買えるゥゥゥゥ!!』

『おかわりもいいぞ!!』

『やっぱ探索者は夢あるなぁ』

『いや、宝くじレベルだろ』

『二回目で引き当てたアデ公が異常ってワケ』

『そもそも、見つけても実力がないと手に入らないワケで』


 下級かと思っていた回復薬は、こちらの世界では中級として扱われているらしい。300万円でも十分だと考えていたアーデルハイトだったが、望外の結果に喜び飛び跳ねるアーデルハイト。そしてそれを祝福する視聴者達。二回目のダンジョン探索でコレなのだから、彼女は確かに何かをと言えるだろう。


「やりましたわー!!最低でも500万円の収入になりますわ!!スローライフへの大きな一歩ですわ!!」


 京都では収入になるようなものは一つも無く、ここ伊豆では蟹の眼球しか換金出来そうな物が無かった。配信を始めるにあたり、撮影用カメラや移動の費用等、それなりに大金を消費している異世界方面軍としては、このまま収入無しが続けば徐々に苦しくなっていただろう。

 それもクリスとみぎわが身銭を切って出した資金だ。漸く彼女達の期待に応えられたことを喜ぶアーデルハイトだが、しかし東海林には気になった点があった。


「……ん?オイ、嬢ちゃん」


「なんですの!?今は大変気分がよいですし、投げて差し上げてもよろしくてよ!!」


「やめろ!!……じゃなくて、500万っつーのは?」


「……?おじ様と折半したら500万円ですわよね?」


「……あ?俺にも分けるつもりか?」


「二人で手に入れたのだから、当然ではなくて?」


 さも当たり前のようにそう言い放つアーデルハイト。

 東海林の感覚で言えば、今回の回復薬ポーションを手にする資格があるのはアーデルハイトだ。東海林では迷宮兎に気づくことすら出来なかっただろうし、よしんば見つけられたとしても捕獲する手段が無い。つまりこの回復薬ポーションは、アーデルハイトが居なければ手に入れられなかった物だ。

 確かに自分も空を飛んだとはいえ、言ってしまえばただそれだけだ。謂わば最後にそっと手を添えただけであり、恐らくは東海林が居なかったとしてもアーデルハイトならばなんとかしていただろう。階層主との戦いで見せた彼女の実力を考えれば、そんな光景が容易に想像が出来た。


 一方アーデルハイトからすれば、東海林の言葉の意味が理解らなかった。

 あちらの世界では、迷宮探索で手に入れたものは基本的に山分けだ。そうでなければ角が立つし、何より貢献度がどうだのと一体誰が決めるというのか。そもそも彼女は、二人で協力して迷宮兎を捕まえたのだと本心で考えている。

 無論、手に入れたアイテムを必要としている者が仲間内に居るのならば、優先して回したりといったことはある。しかしそうでない場合は、トラブルを避ける為にも均等に配分するのが暗黙のルールとなっていた。本業が冒険者ではなかった彼女とて、それくらいは知っている。アーデルハイトはそのルールに則っただけである。


「わたくしが投げて、おじ様が捕まえた。簡単な作業でしたわね」


「いや、だが……」


「まさか半分では足りませんの!?」


「違ぇよ!!俺は嬢ちゃんの全取りでも文句ねぇって話だよ!」


「あら、それこそ有り得ませんわね。パーティで手に入れたアイテムは全て山分け。これはダンジョン探索のルールですわ。というわけで折半でよろしいですわね?では、これでこの話はお終いですわ。分配で揉めると面倒ですのよ?」


「……そう、か……いや、分かった……ありがとよ、嬢ちゃん」


「こちらこそ、ですわ」


 迷宮兎を捕まえてから何度目かになる、アーデルハイトの笑顔。そのあまりにも美しい表情に、視聴者達もコメントを忘れてしまう。笑顔を向けられた東海林が今更ときめいたりするようなことはなかったが、しかしアーデルハイトがファンを一人増やした瞬間でもあった。そしてそれを誤魔化すかのように、東海林はこれからのことへと話題を変える。


「それじゃあ……ああ、そうだ。コイツは直接オークションに出すんじゃなくて、協会に売却でいいんだよな?」


「あら?それは何か違いがありますの?」


 こちらの世界に疎いアーデルハイトには、その違いが理解らなかった。どうやらクリスもアーデルハイトと同様らしく、彼女の方を見てもただ黙して首を振るだけであった。クリスとて配信活動をするにあたって色々と下調べはしていたが、流石にベテランの東海林と比べれば知識量では劣るらしい。


「協会主催のオークションに個人が出品するのは、結構な時間がかかるんだよ。出品費用や各種手続きなんかで金もかなり取られるし、物が売れたあとも手数料で売値の10%ほど持っていかれる。あとは……高く売れる場合もあれば、予想より安くなる場合もある。メリットは楽なところだな、全部任せて後は待つだけでいい」


「まぁ、競売とはそういうものですわね」


「協会に売った場合は、売値自体が多少落ちる。その代わり面倒な手続きは無いし、金になるまでが早い。よっぽどのことがなきゃ即日だな。あとは売値も安定してる。オークションだと予想より安くなる場合もあるから、そこはメリットとも言えるしデメリットとも言えるだろうな」


 東海林の話によれば、どちらを選んでもメリットとデメリットがあるようだ。

 オークションの場合、凄まじい高額で売れることもあれば、あまりにも安い値が付く場合もある。手数料のことも考えれば、ある意味でギャンブルのようなものだろう。

 一方協会で換金した場合、期待の最大値としてはオークションを下回るものの、大きく崩れることもない。謂わば安全策と言えるだろう。何よりも、即金で手に入るというのは大きい。


「協会で換金するなら俺に任せてくれ。これでもそこそこ顔が効くんでな、多少は値を上げられる」


「では、おまかせしますわ!」


「おし!!決まりだ!んじゃ、さっさと帰ろうぜ!」


 特に迷うこともなく、アーデルハイトは東海林に任せることにした。短い時間とはいえ、出会ってからここまで、共にした道中の様子を見れば彼が悪人だとは思えなかったし、そもそも悪人であればアーデルハイトは直ぐに見抜く自信があった。あの聖女アバズレにしても、出会った当初から嫌な気配は感じ取っていたのだから。任務でなければ、誰があんな悍ましい女と旅路を共になどするものか。


『途中でおっちゃん拾って良かったな』

『こういうとこはベテランの強みやなぁ』

『飛翔以外にも見せ場があって良かった』

『飛翔(弾丸ライナー)』

『擦りむいただけの見返りはあったな』

『もしかしたら分配で揉めるかもとか思ったけど杞憂で良かったわ』

『あとは高値がつくことを祈るのみよ』

『たのんだぞオッサン……!!』


 そうして思わぬ収穫を手に、アーデルハイトとクリス、そして東海林が歩き出す。その足取りは、往路よりもずっと軽かった。

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