第33話 あ、ッス……

「はぁー……考えることが多いッス」


 深呼吸をするかのような大きな吐息。

 いつもと変わらぬクリスの部屋で、みぎわが頭を悩ませていた。そんな彼女の向かいにはクリスが座り何かを書いている。ちなみにアーデルハイトは部屋の隅で日課の正拳突きを行っていた。


 先日の伊豆ダンジョン探索において、異世界方面軍は臨時の活動資金を手に入れることが出来た。これは彼女達にとって非常に大きな助けとなった。

 ほぼほぼ間違いなく審査は通るであろうが、チャンネルの収益化には大凡一週間~一ヶ月ほどかかる。サブスク登録者も順調に増えてはいるものの、振込は一月ごとだ。長く配信を続けていてある程度安定している配信者ならば問題ないだろうが、異世界方面軍にとってはこの一週間~一ヶ月というタイムラグが苦しかった。

 配信部屋や機材、衣装等の配信業に必要な諸々。改めて数えてみれば必要な物はまだまだ多い。クリスとみぎわの蓄えは当面の生活資金なのだから、これ以上無駄遣いは出来ない。出来るだけ素早く動きたい彼女達からすれば、即金が欲しかったのだ。


 一方で、あれからまだ三日しか経っていないというのに、回復薬の売却金と変異ローパーの報酬金は既に振り込まれていた。東海林と折半した回復薬分が600万円、ローパーの討伐報酬が75万円。合計で675万円の臨時収入だ。

 これだけでも当面の活動に困ることは無くなったといえる程の大金だが、それが迅速に振り込まれていることが何よりも有り難かった。


 この資金の使い道を考えているのがクリスとみぎわであり、みぎわの頭を悩ませている要因の一つである。では何故クリスのみならずみぎわまでもが悩んでいるのか。それは単純に手が足りないからである。

 本来ならばマネジメント担当のクリスに全て任せてしまいたいのだが、実際にはそうはいかない。クリスはクリスで各種SNSに於ける情報発信やDMのやり取り等に忙しく、また次回の配信に利用するダンジョンの選定と雑談枠の企画等も行っている。

 将来的にはクリスの持つ仕事のうち、SNS周りをアーデルハイト本人に任せたいのだが、いかんせん今のアーデルハイトでは、こちらの世界の知識が足りない為に任せられない。故にメカ担当のみぎわが手伝っているというわけだ。


 とはいえ、これは新規参入した新人配信者にはありがちな状況でもある。配信というものはやはり初めが肝心だ。これが例えば、ライブ配信を行わない動画投稿中心のチャンネルであればもう少し余裕もあるだろうが。彼女達はライブ配信も動画投稿も行うつもりでいるので、この忙しさはある意味仕方がないと言える。

 それに今は手が不足気味だが、部屋や機材等々は一度準備してしまえば後は楽になる。故に今さえ凌げれば問題はないのだ。


 そしてみぎわの頭を悩ませているもう一つの要因。


「そんなに悩むことですか?素直になればいいのに」


「いやぁ……確かにウチもオタクッスから、『魔法が使えるかも』とか言われたらそりゃ興奮はするんスけど。なんというか、荷が重いと言うか」


 そう、魔法である。

 先日の伊豆ダンジョン配信後、旅館にてアーデルハイトから聞かされた魔法の話。当然ながら、話を聞いた直後みぎわは耳を疑った。

 クリスが魔法を使っているところは度々目にしていたし、聞けばアーデルハイトもクリス程得意ではないにしろ、一応は使えるらしい。

 故にみぎわは魔法の存在自体はすっかり受け入れていた。そもそもアーデルハイトとクリスの両名が異世界出身だという話を信じた以上は、魔法など今更のような話でもある。


 しかし彼女達が魔法を使えるのは、二人が異世界出身だからだと思っていたのだ。この世界の理から外れた、謂わば常識外の二人。彼女達のみに許された理外の力、それが魔法だと思っていた。

 この世界では魔法などただの妄想、創作、或いはお伽噺の中でのみ出てくる不思議パワーの代表だ。当然『使えたら』と思ったことは幾度となくあった。こんなことに使いたい、自分ならこう使うのに、何度そう考えたことだろうか。果ては自分だけの魔法を妄想してみたり。そんな経験は、誰もが一度はしているだろう。

 ゲームにアニメ、ライトノベルにも精通しているみぎわだが、しかしそれが現実のものではないともう知っている。否、みぎわでなくとも、誰もが夢見つつも諦めていることだろう。もう自分達は子供ではないのだから、と。


 そうして現実を見て生きていた彼女の前に、突如としてぶら下げられた『魔法』という名の人参。本音を言えばみぎわもすぐに飛びつきたかった。しかし彼女の脚は、身体は、既の所で踏みとどまった。すっかり子供ではなくなってしまったみぎわは、純粋に喜ぶよりも先に、懸念が浮かんでしまったのだ。

 つまりは、『この世界で最初の魔法使いになる』という事実が齎す影響を考えてしまったのだ。


「考え過ぎですよ。そもそもお嬢様や私が、既にギリギリのラインに居ると思いませんか?みぎわは今のところ演者としてカメラの前に立つ予定はありませんし、今回はある意味実験です。要するにバレなければいいんですよ、バレなければ」


「いやまぁそうなんスけど……ウチはただの一般市民ッスよ?二人みたいな度胸がねーんスよねぇ」


「遅かれ早かれ、だと思いますけどね」


 みぎわの苦悩を他所に、クリスは随分あっさりとした様子だった。

 アーデルハイトとクリスは、この先もずっと魔法を隠し通せるとは思っていなかった。ダンジョンを攻略していくのであれば、恐らくはアーデルハイトも全力を出すことになるだろう。装備についても、ジャージではなく聖剣と聖鎧を使うことになる。クリスもそれに追従するのであれば、カメラの前で魔法を使うことになる筈だ。前回の様に画角の外で魔法を行使するなど、常にそんな余裕があるとは思えない。

 今はうやむやにして誤魔化してはいるが、アンキレーとローエングリーフの着脱に至っては既にカメラの前で何度か見せている。つまり、いつかは必ずバレるのだ。その時にどうなるのかは分からないが、今は考えた所で仕方がないだろうと異世界組は開き直っていた。


「それもそうなんスけどねー……ていうか、内心ではもう決まってるんスよ?ただ心の準備というか、一種のモラトリアムみたいな感じッス……ていうかそもそも、そんな簡単に使えるモノなんスか?」


「あちらの世界では一般的な技術ですからね。それこそ、簡単なものならば子供でも使えますよ。高度な魔法は相応に難度が高いですが」


「へぇー……」


「それに魔法は戦闘用が全てではありません。身体強化のような能力向上系バフ系の魔法にも色々ありますし、錬金魔法のような専門的な魔法もあります。後者に関しては適正が必要になりますが。つまり何が言いたいのかというと────」


「言うと?」


「使えると何かと便利ですよ、魔法」


「ッスっよねぇー!!っしゃー!!やってやるッス!!」


 クリスの誘惑に、大声で叫びながらその場で仰向けに倒れ込むみぎわ。投げやりになったわけではない。こんな話をする前から、彼女の心のうちは既に決まっていた。ただ最後に背中を押す、きっかけとなる何かが欲しかっただけだ。

 やると決めた瞬間、みぎわの胸の中にあったのは期待と喜びだけだった。幼い頃から夢に見た魔法を、本当に使えるようになるかもしれないというのだから当たり前だ。自分にどの程度魔法の才能があるのかは分からない。しかしクリスの話を聞く限り、魔法には多くの種類があるらしい。ならばきっと、自分にも何か得意なものが見つかるはずだ。


 これまでの葛藤など何処へやら。

 勢いよく身体を起こしたみぎわは、まるで幼少の頃に戻ったかのように目を輝かせていた。興奮した様子で鼻息荒く、テーブルに手をついて顔をクリスへと近づける。


「そうと決まれば早速教えて欲しいッス!!」


「いえ、その前に決めなければならない今後の予定があるので」


「あ、ッス……」


 まさかのお預けであった。

 出鼻を挫かれたみぎわは力無く、しおしおとテーブルに突っ伏した。そんな二人のやりとりを、日課をこなしながら一部始終見ていたアーデルハイトが、あちらの世界で度々見られた光景を思い出しながらひっそりと呟いた。


「聖教会の勧誘を見ている気分ですわ……」




 * * *




「というわけで、まずは部屋を借りましょう」


 クリスがそう言って、ぽん、と手を叩いた。

 この先必要なものは何か、後回しにしても問題無いものはどれか。それぞれが提案し、それらに優先度を割り振ってゆく。そうして予算の使い道を相談すること一時間。喫緊の課題としてクリスとみぎわの両名が挙げたのが、この部屋問題であった。

 クリスとアーデルハイトが生活しているこの部屋。配信を初めてからこちら、三人で集まるのは常にここだった。三人のうち二人が住んでいるのだから、みぎわがこちらに来るのがもっとも効率が良いというだけの理由だ。

 しかし元々この部屋は一人暮らし用のワンルームマンションだ。一人用にしては多少広めであるものの、三人で集まれば流石に狭いのだ。先の雑談枠での配信時もそうであったように、カメラを回し始めればもはや空きスペースなど無いも同然である。

 故に彼女達は配信用の部屋と各々の部屋、そのどちらも確保出来るような広い家へと引っ越すことにしたのだ。最終的には大きな家を買って田舎でスローライフを楽しむという目標を持つ彼女達からすれば、謂わば目標までの中継地点のようなものだろうか。


「賛成ですわ!これでこの豚小屋ともお別れですわ!!」


「……」


「実はわたくし、狭いとぐっすり眠れないんですの。毎晩寝苦しくて辛い思いをしましたけど、ついにゆっくり休む事が出来────痛っ!痛いですわ!ちょっと!無言で氷を飛ばすのはやめなさい!!」


 クリスが魔法で作り出した小さな氷の飛礫を、喜び飛び跳ねるアーデルハイトの尻へと連続で飛ばしていた。数発当たったところでアーデルハイトが迎撃モードに入り、その全てを手刀で叩き落とす。狭い室内でそのような攻防を繰り広げた所為で、弾き飛ばされた飛礫はみぎわの方へ。


「ちょっ!痛っ!ちょっと!!こっちに飛んで来てるんスよ!!やめろ馬鹿主従コンビ!!痛っ─────分かったから話進めるッスよ!」


 みぎわのクレームを受け、主従コンビが大人しく着席する。ちなみに眠れないなどと言っているが、アーデルハイトは毎晩スヤスヤである。たまに寝苦しそうにしている時もあるが、それは大抵聖女ビッチの夢を見ているときだ。断じて、部屋の狭さは関係がない。


「今は資金が潤沢にあるので、折角ですから広い部屋を借りましょう。敷金も問題ないですし、サブスクや収益化の事を考えれば家賃も十分に払えるでしょう。いっそそのままクランハウスにしても良いですね」


「ウチのオタク友達が不動産屋なんで、ツテでいけるッスよ。口も固くて信頼出来る子なんで、多少の無茶も利く筈ッス。もしかしたら引き渡しも早いかも」


「それは助かりますね。ではみぎわに連絡を任せて、今度みんなで内見に行きましょうか」


「庭!お庭か広いベランダが欲しいですわ!!日課用に!」


「確かに、お嬢様の日課はともかく、配信の事を考えれば戸建てもアリかもしれませんね」


「はいはい。とりあえず伝えておくッスよ」


 こうして、特に条件で揉めることもなくスムーズに話が纏まった。

 引っ越しと言えば部屋を決めている時が一番楽しいものであるが、三人とも住む場所にはそれほどこだわりがない。公爵令嬢であるアーデルハイトは一見こだわりが強そうにも見えるが、彼女が希望したのは日課用のスペースだけであった。公爵家所属の騎士でもある彼女は、遠征中に野外で眠ることも多かったが故である。

 クリスとみぎわもまた、同人活動用スペースがあればといったところで、それさえあれば後は割とどうでもいいというスタンスだった。


 下らない争いで時間を使わなければ、基本的に賢く要領のいい三人だ。

 そうして話は今後の配信活動と方針、企画等の話へと進み、一時間もしない内に決めておかなければならない全ての相談が終了していた。


「じゃあいよいよ、魔法の練習ッスよね!?」


 折角決意したというのに、先程お預けを食らった魔法に関する話題を出すみぎわ。しかしそれに対するアーデルハイトの答えは、やはりお預けだった。


「こんな所で出来る筈もないですわ。豚小屋を瓦礫の山に変える気ですの?」


「……」


「魔法は操作を誤れば、結構な被害が周りに及びますのよ?つまりこんな狭い豚───ふんッ!!」


「くッ……!」


「ふふん!!」


 言葉を遮るように顔に向かって飛んできた氷を、アーデルハイトが弾き飛ばした。二度も同じ手は食わないとばかりに、ドヤ顔を披露するアーデルハイトとクリスの戦いが再び始まり、その日の相談はお開きとなったのだった。

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