第253話 最悪バックレてるかも

 アーデルハイトが椅子の上で足を組み替え、如何にもお嬢様といった優雅な仕草で。切れ長の瞳を怪しく細めつつ、現れた訪問者へと用件を問う。口元に扇子でも当てていれば、立派に悪役令嬢の風格を漂わせていたことだろう。


「それで、ヘッポコさんは一体何をしにいらしたんですの?」


「いや、うん。だから楽屋挨拶だよ……です」


「そういえばそうでしたわ」


 思いがけない認知のされ方をしていた大和は、すっかり意気消沈といった様子。サークル列に並んでいた事ではなく、同じ戦場で戦った事でもなく、まさかのアーカイブ視聴からヘッポコ呼ばわりだ。仮に大和がアーデルハイトのファンでなくとも、これほどの美人から貶されれば凹みもするというもの。一部の特殊な訓練を受けた者達からは『ご褒美』などと言われたりもするが、生憎と大和はノーマルだった。


 しかし大和も流石というべきだろうか。

 この数年間、トップ探索者として君臨し続けている彼だ。探索者活動はもちろんのこと、協会主催の催しやオフイベなどに呼ばれることも多い。そうして鍛え抜かれた鋼のコミュ力が、折れそうになった彼を既のところで奮い立たせた。


「あ、これお土産です。パーティーのみんなで食べて下さい」


 どうにか気持ちを持ち直した大和は、そう言って紙袋を差し出した。もちろん下心などある筈もなく、単純な楽屋挨拶のお供として持参したものだ。何故か威張っているアーデルハイトに代わり、クリスが恭しく紙袋を受け取る。中にはクリスでさえも聞いたことのある、有名菓子店の箱が入っていた。


「これはまたご丁寧に……ありがとうございます。ほら、お嬢様もお礼をして下さい。お高いお菓子を頂きましたよ」


「苦しゅうないですわ!」


 探索者業界の頂点たる大和に対して、ど偉い態度である。とはいえ、大和は気分を害した様子もない。むしろ普段通りのアーデルハイトを見られて、僅かに喜んでいるようにさえ見えた。


「ではわたくしからはお返しに、このお肉ちゃんキーホルダーを下賜かし致しますわ。お菓子だけに」


「は?」


「の、ノーブルジョークですわ」


 一体どこから取り出したのか、アーデルハイトはいつの間にか手にしていた可愛らしいキーホルダーを差し出す。しかし、同時に放ったしょうもない発言をクリスに見咎められ、デカかった態度から一転して萎んでいた。一方、キーホルダーをもらった大和はといえば、少々大げさな程に喜んでいた。


「ホントに!? やった! ありがとう! 実は買おうと思ったときにはもう売り切れてて───あ、いや、その、なんでもなくて」


 どうやら自分がファンだということは知られたくないらしい。失言に気づいた大和は、瞬時に真顔へと戻りどうにか誤魔化した。


「ちょいキモでしたわね」


「ちょいキモでしたね」


 楽屋の中、そんな下らないやり取りをしていたその時。再び楽屋のドアがノックされた。今度は三回、こちらの世界では一般的な入室の合図であった。短い間だというのに、二度目の来訪者である。三人ともが怪訝そうに顔を見合わせ、クリスが入室を促す。


「どうぞ」


「失礼するわ───あら? 大和くんも居たのね。挨拶かしら?」


 少しの驚きと共にやってきたのは、大人の色香をたっぷりと漂わせるスーツ姿の女。探索者協会渋谷支部長の花ヶ崎刹羅であった。


「あら、支部長ですわ」


「こんにちは、アーデルハイトさん。それにクリスさんも。直接会うのは久しぶりかしらね? 今回は講師のオファーを受けてくれてありがとう」


 どうやら彼女もまた、挨拶がてらに様子を見に来たといった様子であった。今回の件が異世界方面軍に伝えられたのは、くるる莉々愛りりあによる間接的なオファーと、そして確認のメールだった。魔女と水精ルサールカが受けたオファーとは異なり、刹羅が自ら本拠地へと尋ねてきたわけではない。


 これは偏に、異世界方面軍が家の住所を更新していない所為である。登録時はクリスの部屋の住所を伝えていたのだが、その後バタバタとしていた為にすっかり更新を忘れていたのだ。その結果、現在のアーデルハイト達は、住所不定の異世界出身者という怪しすぎる扱いと化していた。そもそも身分証からして偽造なため、もう今更といった感もあるのだが。


「構いませんわ。新兵の教育は上に立つものの責務でしてよ。まぁ、そう言うわたくしたちも新人なのですけれど」


「それは今更ね。もう誰もあなた達を新人だなんて思ってないわよ。ところで大和くん?」


 簡単な挨拶を交わした後、ふと思い出したかのように刹羅が大和へ水を向ける。なにやら優しげな瞳でキーホルダーを眺めていた大和は、はっと我に返り慌てて返事をした。


「はっ、はい!」


「準備はいいのかしら。そろそろ出番よ?」


「えっ、嘘っ!? もうそんな時間でした!? やばいやばい! 行ってきます! アーデルハイトさん、また機会があればコラボしましょう! それでは!」


 楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。時計を見てみれば、大和の出番の五分前であった。大急ぎで荷物を回収し、風のように去ってゆく大和。完璧超人とは程遠いが、しかし彼はどこか愛嬌のある、親しみやすいイケメンであった。


「騒がしいヘッポコでしたわねー」


「好青年過ぎて怪しかったですね」


 どうやら従者たるクリスに言わせれば、あまり爽やかすぎても駄目らしい。無論、怪しい者は即排除である。一体どうすればいいのやら。


「それで、支部長は一体どうしましたの?」


「私はお礼と挨拶がてら、あなた達の様子を見に来ただけよ。最悪バックレてるかもしれないし」


「なっ!? わたくしたちを何だと───ん、心当たりはありますわね」


「でしょ。お肉ちゃんを連れてくるって約束も破るし。っていうか一回も来てないじゃない。口約束とはいえ、形くらいは整えて頂戴」


 そう言って大きく溜め息を吐き出す刹羅。検査と言っても所詮は形式上のこと。加えて、現在は本部より正式に『余計な手出し無用アンタッチャブル』のお触れが出ている。つまり、形だけの報告書ですら必要ないのだ。立場上どうにもならないと考えていた刹羅であったが、しかしそうなれば大手を振って肉と遊べるというもの。アーデルハイト達は知る由もないことだが、実は彼女は肉の来訪を心待ちにしていたのだ。肉が遊んでくれるかは別問題だが。


「……まぁいいわ。それであなた、今日の講習はどうするつもりなの?』


「新兵の方達を適当に焚き付けて、あとはさくっと実技に移行しますわ」


「……座学のほうは大和くんがやってくれるだろうから、それでも別にいいけれど。というより、そっちを期待してオファーしたわけだし。でも一応言っておくけれど、今日集まってるのは本当の素人なんだからね? くれぐれも無茶はしないでよ?」


 アーデルハイトから怪しい予定を聞き、一抹の不安を覚えた刹羅がやんわりと釘を刺す。確かに実技指導を期待してのオファーだが、やりすぎる可能性は否定出来ない。なにしろつい先日、どこぞの異世界友達───アーデルハイトが聞けば全力で否定するだろうが───と凄まじい模擬戦を繰り広げたのだ。その様子は刹羅も配信で見ていたし、そのあまりの内容に、途中からはぼけっと他人事の様に眺めていた。そんな戦闘力お化けが行う実技とは、果たしてどのようなものなのか。


「心配ご無用ですわ。これがわたくしの騎士団の入団試験というのならば、話も違ってきますけれど。そもそも剣を握ったこともない素人に、技術がどうだのと語るのはナンセンスでしてよ」


「あら、急にまともなことを言い出したわね」


どうやらアーデルハイトは、相手が素人だということをしっかりと認識しているらしい。であるならば、それほど無茶なこともしないだろう。そんなアーデルハイトの答えに満足したのか、刹羅がほぅ、と安堵の息を吐く。しかしその直後に続いた言葉に、再び不安を抱えることになったのだった。


「怪我をするようなことはありませんわ! ただ少し───そう、ほんの少しだけ、怖い思いをして頂くだけですわ!」

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