第30話 天邪鬼

 回復薬とローパーの討伐報酬、その振込方法や時期等の説明を終えた饗が肩を落として去ってゆく。アーデルハイト達は知る由もないことだが、彼は協会の都合などは別として、単純にいちファンとして彼自身が、アーデルハイト達と共に仕事が出来ることを喜んでいたのだ。


 が、どこまでいってもそれは彼の都合に過ぎない。

 アーデルハイト達としても将来に関わる問題だ。この先ずっと契約が続くなどということはないだろうが、しかし今は彼女達にとって、走り出した最初の一歩とでも言うべき時期だ。目をつけてもらえたことそれ自体は有り難い話だが、そんな重要な時期にある彼女達が今、一処ひとところに縛られるのはデメリットでしかない。


「あー……なんつーか、よかったのか?」


 後頭部を掻きながら、どこか気まずそうな表情で問いかける東海林。一般的な企業案件とは違い、国営である協会からの報酬はそう高額ではないだろう。しかし契約を結べば、少なくとも食うには困らないだけの収入は約束される。話の一部始終を傍で聞いていた彼からすれば、あまりにも勿体ない事だと思えてしまうのだ。この考え方の差は、彼とアーデルハイト達の認識の差、要するに目指すところの違いが原因だった。


 すっかり打ち解けたとはいえ、彼はアーデルハイト達のことを殆ど何も知らない。知っていることと言えば、配信者としてダンジョンに潜っていること、長年探索者をやっている彼でさえも見たことがない程の異常な強さを持ち、魔物で遊んだりどこか浮世離れしている、ということくらいだ。つまり現時点ではこの考え方の差は埋まらない。


「申し訳ないとは思いますけど、こちらにも都合がありますもの」


 つまりはそういうことだ。

 契約とは双方のメリットがあって初めて成立するもの。正直に言ってしまえば、アーデルハイトが本気でダンジョンに潜れば、容易いとまでは言わずとも恐らくは攻略出来てしまうだろう。そうなればチャンネルの話題性はもちろんのこと、この世界では未だ発見されていないアイテム等も持ち戻ることが出来るだろう。饗の出した条件で伊豆に張り付いてしまったら、これから先で得られる物に釣り合わない。


 では何故アーデルハイトが本腰を入れていないのかといえば、答えは単純だ。現時点ではまだ探り探り、様子見の段階であるからだ。

 アーデルハイトの埒外の実力で以てダンジョンを攻略、或いは未踏破階層を更新してしまったとして、一体どのような影響が出るか分からない。単純に実力ある新人が現れたと話題になるだけならばまだ良いが、それを越えて騒ぎが大きくなってしまえば身動きが取れなくなってしまう。或いは今日の様に、協会関係の上役が接触してくる、なんてことも考えられなくはない。そうなってしまえば、彼女達の目的であるスローライフからは遠ざかる一方だ。いずれは様子を見つつダンジョンを攻略する予定ではいるが、それはまだ少し先の話となるだろう。彼女達は当初の目標を忘れてなど居ないのだ。


「ん、まぁそれはそうか……それに嬢ちゃんの実力なら、もっと上も目指せるだろうしな」


「一先ずの目標はトップ配信者の仲間入り、といったところですわね」


「俺も今日会ったばっかだけどよ……嬢ちゃんほどのモンが新人配信者ってのが信じらんねぇぜ」


「誰しも最初は新人ですわ!!すぐに駆け上がってみせますわよ!」


 そんな東海林の言葉に、拳を握ってやる気を見せるアーデルハイト。回復薬という高額収入に釣られたわけではないが、ダンジョンで初めて得た成果らしい成果に、モチベーションが上がっているのは確かな様子だった。


「オゥ、嬢ちゃんならきっとすぐだぜ。俺が保証する」


「燃えカスのドロップアウト中年に保証されても複雑ですわね……おじ様こそ、今回手に入れたお金で装備を新調してはいかがですの?」


「俺今、結構シブい台詞吐いたよな?急に辛辣すぎんだろ……まぁなんだ。確かに俺も嬢ちゃんを見て、久しぶりになんかこう、熱みてーなもんが湧いてきたぜ」


 惰性でダンジョンに潜り、先に進むでもなく、危険の少ない階層でただ資源を漁っていた、そんなこれまでの自分を嘲笑するかのように東海林が言う。

 彼がアーデルハイトという『転機』に出会ったのはただの偶然だ。道案内など、断ろうと思えば断れた。しかし文句を言いつつもアーデルハイトについて行ったのは彼自身が決めた事。彼にとっての『転機』は、紛れもなく彼自身が掴んだものだ。


「これからはもうちっと、昔みてーに真剣に探索者としてやっていこうと思い直したよ。回復薬の金は借りとくぜ。見てろ、いつか絶対に返すからな」


「ですからそれは二人で手に入れたものだと……まぁいいですわ。それでおじ様のやる気に繋がるのなら、期待せず待っていることにしますわ」


「おぅ、待ってろ」


 そう言って東海林は、歯を見せながらニカッと笑って見せた。本人からすればさっぱりとした良い笑顔のつもりだったのだが、しかし若干強面な渋めの中年顔である東海林だ。有り体に言って不自然というか、非常に不気味な笑顔だった。


「……キモいですわよ?」


「キツいですね」


「渋おじからキモおじにランクアップしたッス」


「お前らな……」


 一回りどころか二回り、ともすれば親子ほども年の離れた三人から口々に罵られる東海林。彼の精一杯の笑顔はみるみるうちに引き攣り、哀愁が漂っていた。

 そうして暫く下らない談笑をしていたところで、みぎわの撤収準備が終わった。大量の機材を詰め込んだリュックからは、押すと変な声で鳴く黄色い鳥の玩具がはみ出していた。どうやら一応車からは持ち出していたらしい。

 アーデルハイトとクリスもそれぞれ荷物を分担して手に持ち、あとは協会を後にするだけとなった。


「さて、それではわたくしたちはお暇しますわ。おじ様、今日はありがとう。お世話になりましたわ」


「オウ、またな!……ところで、伊豆にはまた来るのか?」


 なにやら言い淀みながらもアーデルハイトに尋ねる東海林。いつものように後頭部を掻きながら、落ち着かない様子であちこちに視線を飛ばしている。恐らくは何か言いたいことでもあるのだろうと、彼の意図を察したアーデルハイトが問いに答える。


「んー……先の予定はまだ分かりませんわね。それがどうかしまして?」


「……あぁいや、その、なんだ。あー……恥ずかしい話なんだがよ……もしもまた伊豆に来ることがあったら、そん時は……俺に稽古でも付けてくれねぇか?」


「あら。稽古ですの?」


「あぁ。その、嬢ちゃんの戦いを間近で見てて、こう……」


「はっきり喋りなさいな」


「あぁ、クソッ!わかった!正直に言う!!嬢ちゃんの剣に見惚れたっつーか、憧れちまったんだよ!!だから弟子ってワケじゃねぇけど、偶にでいいから剣術でも教えてくれねぇかと思ったんだよ!!」


「あら」


 もごもごと口ごもっていた東海林であったが、アーデルハイトに叱られたことでついに吹っ切れたらしい。その勢いだけを頼りに彼が放った言葉は、アーデルハイトにとっては思いもよらぬ言葉であった。

 あちらの世界に於いては、こういった台詞は幾度となく聞いてきた。軍部の部下や公爵家所有の騎士団員、魔物の襲撃から救った村の子供からも言われたことがある。アーデルハイトの剣に魅了されるものは多く、それは剣の頂点に立つ者としての誇りでもあった。

 しかしそれはあくまでも、こちらの世界よりもずっと命の価値が軽かったあちらの世界での話だ。魔物がそこら中に存在し、魔族との戦いが身近にあったあちらの世界。専らダンジョン探索でしか使用されないこちらの世界とは、剣術というものの在り方が根本から違うのだ。


 故にアーデルハイトは驚いていた。まさかこちらの世界の人間から、このような申し出があるとは思わなかったのだ。レベルアップなどという怪しげな現象による身体能力の上昇。それに任せて基本的に力押ししかしないこちらの探索者達。彼等が技術を疎かにしているのか、それともただ鍛える術を知らないのか、それは分からない。しかし剣術が発達していないのは紛れもない事実で。

 こちらの世界の人間である東海林が、あちらの世界の子供達のように、自分の剣術を見て『憧れた』などと口にするとは思っていなかったのだ。


 アーデルハイトは知らなかった。今でこそ平和に見えるが、こちらの世界もまた、戦いの歴史から生み出された世界だということを。いざ戦争が始まってしまえば、人の命などゴミのように消えてゆく。それこそ、アーデルハイト達のいた世界の比ではない。もっと過去に遡ってもそうだ。この国にも武士と呼ばれる戦士が存在し、覇を競って全国至るところで刀を振るい、槍を振るい、戦い、そして死んでいった。


 そういった武士の魂が現代にまで語り継がれているというわけではないし、東海林の身体にも武士の血が流れているというわけではない───遠い祖先まで遡ればその可能性もあるかもしれないが───だろう。しかしそれでも、彼がアーデルハイトの剣に見惚れ、憧れたという事だけは事実であった。

 そんなこちらの世界の過去を知らないアーデルハイトでも、東海林の眼を見れば彼が嘘をついている訳ではないことくらいは理解出来た。


 二周りも年下の少女へ教えを乞おうとして、恥ずかしさから顔を真赤にしている眼の前の中年男性。そんな彼の様子に、魔物に村を荒らされた子供達の姿を重ね、アーデルハイトは微笑みながらこう告げた。



「─────お断りしますわ!!」




 * * *




 みぎわが運転する、旅館へと向かう車内。

 こちらの世界へ来て初めてとなる小さな旅行に、アーデルハイトの気分は昂ぶっていた。車の窓を開け、海辺の夜風に髪を靡かせている。行きの道中では『ベトついて気持ち悪い』などと言っていたというのに、上機嫌な今はまるで気にならないらしい。


「よかったんスか?あのオジサン白目向いてたッスけど」


「仕方ありませんわ!面倒ですもの!!」


 みぎわの問いかけにはっきりと言い切るアーデルハイト。

 元気の良いその返事は、そんなことよりも旅館はまだかとでも言いたげだった。


「お嬢様は昔から、あの手の申し出は断っていましたからね」


「教えること自体が嫌な訳ではありませんわよ?ただなんとなく、『教えて』と乞われれば『ノー』と言いたくなるだけですわ」


「あ、ただの天邪鬼なんスね……」


「人聞きが悪いですわよミギー。それに折角教えるのなら、可愛らしい女の子のほうが楽しそうですわ!!そんなことよりもミギー!まだ宿には着きませんの!?」


「ふふ。お嬢様、個室に露天風呂がついているそうですよ?」


「楽しみですわー!!」


「もうちょっとで着くんで落ち着いて欲しいッス。あと揺らすのやめろ」


 今のアーデルハイトを見て、彼女が高貴な身分の令嬢だと一体誰が気づくだろうか。ダンジョン探索の疲れなどまるで見せず、後部座席からみぎわの座る運転席をゆさゆさと揺するアーデルハイト。

 そうして一行の乗る車は、ぐらぐらと車体を揺らしながら夜の海岸沿いを走り抜けていったのだった。

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