第88話 トレーニングですので(閑話

「んー……んー?」


 いつものバルコニーで、アーデルハイトがうんうんと唸っていた。監督用の椅子に腰掛け、膝の上には肉を乗せ、小首を傾げて何かを思案している様子だ。

 彼女は現在、買い出しに出かけたクリスに代わって、みぎわの魔法修練を監督していたところであった。監督と言っても基本的にはすることがなく、分からない部分があった際のアドバイス要員としての側面が強い。つまりみぎわからの質問が無い限りは暇であり、時間を持て余していたのだ。


「師匠、どうしたんですか?」


 そんなアーデルハイトの様子を不思議に思ったのか、みぎわの隣で胡座をかき、見様見真似でなんとなくそれっぽい雰囲気を出していた月姫かぐやがアーデルハイトに問いかけた。ちなみに、月姫かぐやには魔力についての話はしているが、だからといって魔法を教えているわけではない。月姫かぐやを鍛えると決めた以上、いずれは魔法についても教えるつもりでいるが、しかしまずはみぎわの修練を終えてからである。


 アーデルハイトが頭を悩ませていたのは、ウーヴェから聞き出した、彼がこちらにやって来た経緯いきさつについてだった。あの修行馬鹿が、より過酷な環境を求めて───少なくとも彼は過酷だと信じていた───こちらに来たのは別に不思議な話でもない。普段から人里離れた山奥などにモリモリ突撃するような男だと聞いていたし、さもありなんといったところだろう。


 だが、それを手引きしたのがあの聖女ドぐされだと聞かされれば話は変わってくる。そもそもアーデルハイトは自身がこちらにやって来た、その原因を知らない。更にはどうやって他人を別世界へ送っているのか、その手段も目的も分からないのだ。しかし自分とクリスがこちらへやってきた状況を鑑みれば、恐らく原因は聖女にあるのではないか、といった程度には考えていた。


 何か特殊な魔法なのか、それとも神器によるものなのか。崖から突き落とすのがトリガーなのか、それともただ対象を弱らせる必要があるのか。人を送り込んで何をしようとしているのか、そうすることで聖女に一体何のメリットがあるのか。


 そんな何一つ分からない状況の中で、ウーヴェだけが合意の元で送り込まれてきたのだ。これによって仮説のいくつかは消滅したが、犯人が聖女であることだけは確定した。より詳しい話を聞きたいところではあったが、しかし、ウーヴェは聖女から仔細を聞くこともなく、殆ど二つ返事でこちらの世界へと飛ばされてきたらしい。そんな彼に聞いたところで、これ以上は何も分からないだろう。


 結局のところただ謎が増しただけであり、情報不足には変わりなかった。


「んー……いえ、なんでもありませんわ」


「そうですか?」


「よくよく考えれば、現時点で悩んでも仕方のないことでしたわ」


 アーデルハイトは悩むことをすっぱりと止めて、思考を切り替えることにした。あちらの世界の状況も気にはなるが、こちらへ来た方法も、そしてあちらへ戻る手段も分からない。つまりは頭を悩ませたところで、今より話が進むことはないということだ。故に、今はこの世界で出来ることをやるしかないのだ。


「ところで貴女、最近は随分とうちに入り浸ってますわね」


「それはそうですよ!私は師匠の弟子ですからね!!」


 そう、月姫かぐやは先日始めてここに来て以降、何かにつけては訪問して来て、そしてそのまま入り浸っていた。律儀にも毎度おいしいお菓子や食材を持参してくるので、アーデルハイトとしては大歓迎であったのだが。流石は人気配信者、年齢には到底釣り合わないほどのお金持ちである。とはいえ、こうも連日押しかけて来ればそれなりに心配にもなるというものだ。『漆黒』の配信は不定期だと以前に聞いていたが、本当に大丈夫なのだろうか。


「そう言う割に、先日は一日中肉と遊んでいるだけでしたけど?」


「あれはトレーニングですので!!」


 アーデルハイトがそう尋ねてみれば、自信満々かつ食い気味に月姫かぐやが答える。彼女の言うトレーニングとは、肉との餌の取り合いである。先日は肉の突進を食らって月姫かぐやが悶絶、そのまま敗北していたが、回を重ねる毎にいい勝負をするようになってきている。そんなトレーニングがあるものか、とばっさり斬って捨てたいところではあるが、月姫かぐやの動きが少しづつ良くなっているのは事実なのだ。もしかすると、アーデルハイトが少しずつ月姫かぐやに仕込んでいる戦闘歩法、その丁度いい実践の場になっているのかもしれない。


「まぁ、肉も楽しそうなので構いませんけれど」


「それより師匠!魅せる者アトラクティヴの人達と会って来たんですよね?どうでした!?」


「どう───ということもないですわ。ただ会って話して、ゴリラにゴリラをぶつけただけですわ」


「えっ!なんですかその面白そうな響きは!!」


 怪しげな説明に月姫かぐやが瞳を輝かせる。

 ウーヴェの件に関しては別に隠しているわけでもないため、アーデルハイトが語って聞かせてやろうと思った、その時だった。


「さっきからうるせぇんスけどぉー!?集中出来ねーんスけどぉ!?」


 アーデルハイトと月姫かぐや、話に夢中となっていた二人はすっかり忘れていた。今こうしてバルコニーにいる、その本来の目的を。そうして、魔力の操作に集中していたみぎわから怒られた二人は、肩を落とし反省した様子で、すごすごと室内へ戻っていくのだった。


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