第161話 民を守るのは貴族の義務でしてよ

 それは、ほんの数十秒程度の蹂躙劇だった。


「危ないところでしたわね」


 走り去ってゆくグラススティードに手を振りながら、アーデルハイトは危機に瀕していた三人の探索者達へと声をかける。一時はこれまでかと諦めていた三人だったが、今は涙を薄く湛えつつも、どうにか笑うことが出来ていた。


 ダンジョンで他のパーティと遭遇することはままあることだが、それは人気ダンジョンに限った話だ。こんな過疎ダンジョンで助けが来るなど、彼らは万に一つも考えていなかったのだ。助かった安堵と、直前までの恐怖。それらが混じり合った複雑な感情が、三人の胸中へと去来する。草原に腰を下ろし足を震わせているのを見るに、どちらかといえば恐怖が勝っているのだろうか。


 突如として現れた救援───本人達にそんなつもりはなかったが───がそのまま通り過ぎて行った時など、三人はただただ困惑するばかりであった。グラススティードに跨り、ぎゃあぎゃあと騒がしく喚きながら通り過ぎて行った一団は、しかしあっという間に後方のグラスウルフを殲滅して戻ってきた。そうして蓋を開けてみればこの通り、三人はまだ無傷で生き長らえている。


 ツバメが周囲を見渡せば、そこには無数のグラスウルフの残骸が横たわっていた。首の無いものや、胴体で両断されているもの。怪しげなポーズの彫像に押しつぶされているものや、地面から突き出した鋭利な棘に貫かれているもの。死体の状態は様々であるが、それらはすべてアーデルハイトとオルガンの手によって行われたものだ。

 恐らく相当な距離を追従して走ったのだろう。流石のクリスも少しだけ息を切らしていた。死体が黒霧となって霧散するには今暫くの時間がかかるだろうが、今の彼女は素材の回収をするつもりなどない様子である。


 誰がどう見ても撮れ高のためにふざけて魔物に乗っていただけだが、ともあれ、結果として三人の命は救われたのだ。


「ぐすっ……助かりましたッ!本当に、ありがとうございます!もう駄目だと……」


 ツバメが鼻声で感謝を告げる。三人は異世界方面軍のファンであったが、今はそれよりも、ただ命があることに感謝するばかりであった。


「民を守るのは貴族の義務でしてよ!」


「わたしも手伝った。えらい」


「えぇ……今のでどうしてそんなに威張れるんですかねぇ……」


 風に髪を靡かせながら、胸を張ってそう言い放つアーデルハイト。そんなアーデルハイトの肩の上に乗るエルフもまた、ドヤ顔で無い胸を張っていた。ジャージ姿ではなくアンキレーを装備していれば、もう少し格好がついたのかもしれない。暴走する彼女達をひたすら追いかけていたクリスにしてみれば、その厚かましすぎる態度には呆れる他なかった。


『嘘つけ!たまたまだろ!!』

『馬に乗って遊んでただけだろ!いい加減にしろ!』

『いやぁ、結果オーライでしょ』

『ドヤ顔助かる』

『一応言っとくけど、肩車状態で威厳も何も無いからねキミら』

『また民を救っちまったな……』

『民衆が、公爵令嬢の御前だぞ!ひれ伏せ!!』

『どうでもいいけど討伐が速すぎるんよ』

『どうでもよくねぇよ!!こんなのイカれてるよ!!』

『何にせよ、良かった良かった』


 アーデルハイトとオルガンを乗せたグラススティードが走り去った時などは、ゲラゲラと腹を抱えて笑い転げていた視聴者達。だが危機に瀕した探索者がカメラに映った時、彼らは随分と心配するコメントを投稿していた。それどころか、急げ急げとアーデルハイト達を急かしていた程だ。だというのに、いざ事が終わればこの手のひら返しである。


 異世界沼にどっぷりと嵌った彼らの態度は、最早あちらの世界の騎士団員のそれと近いものになりつつあった。だが彼らの言うように、三人を救助出来たのは本当に偶然だった。故にアーデルハイトとしてもそう強く言い返す事が出来ず、ぐぬぬと口を結ぶことしか出来なかった。


 今回のダンジョン探索はただの小手調べ、ダンジョンの傾向と実際の感覚を調べるためにやってきたに過ぎない。壁に嵌ったり馬に乗ったりと、その目的が達成されたのかどうかはかなり怪しかったが───ともあれ、十階層に居るらしい階層主を倒して今回の下見を終えるつもりでいた。故に、アーデルハイト達は三人に別れを告げた。


「さて、それではわたくし達はこれで失礼致しますわ」


「あばよー」


「では、帰りはお気をつけて」


 窮地を救ったことなど忘れ、まるで何事も無かったかのように立ち去ろうとするアーデルハイト達。ツバメ達三人の外傷は大したこともなく、いつぞやのように護衛せずとも、地上までは戻れるだろうと判断した為だ。


「あ、あのっ!!」


 だが、そんなアーデルハイトの背中に待ったがかかる。呼び止めたのは勿論、先ほど助けたばかりの三人であった。


「あら?まだ何かありまして?」


「あ、いや、その……助けてもらっておいて、こんなこと頼むのがアレだってことは重々承知の上なんですけど!!えっと、そのぉ……」


「何ですの?」


 なにやら言い出しづらそうにモジモジと言い淀むツバメ。そのハッキリとしない物言いに、アーデルハイトの表情が胡乱げなものへと変化する。だがどうやらツバメ達三人の言いたいことは一致しているらしく、そんな彼女に代わって、シモンが頭を下げつつツバメの言葉を引き継いだ。


「お願いします。自分達も、連れて行ってはもらえないでしょうか」


「……どうしてですの?」


「自分達は殆ど新人同然ですが、それでもそれなりにはやれるつもりでした。ですが結果はご覧の通り、あと少しで命を落としていました」


「まぁ、そうかもしれませんわね」


「考えが甘かったことを痛感しました。ですが探索者を志した以上、自分達はもっと強くなりたい。ですので、後学のためにも、是非みなさんの戦いぶりを見学させて頂きたいのです」


 アーデルハイトの目も眩むような美貌にも物怖じせず、真っ直ぐに瞳を見つめてそう心中を吐露するシモン。なんということはない。つまり彼らはアーデルハイト達の戦いをその眼で見、学びたいと言っているのだ。謂わばかつての魔女と水精ルサールカの面々と同じだ。彼女達もまた、アーデルハイトの戦いぶりから多くを学んだ。


 アーデルハイト達の圧倒的な実力は既に広まりつつある。そうでなくとも三人は異世界方面軍のリスナーであり、かつその戦いぶりを、つい今しがた直接目にしたのだ。如何に駆け出しといえど、協会からも将来を嘱望されている三人だ。向上心は人一倍あったし、何より、画面越しでは得られない何かをアーデルハイトから感じ取っていた。


 だが神出鬼没の異世界方面軍と出くわすことなど、願ってもそうあることではない。加えてまだそれほど知名度もない三人では、コラボ配信の依頼など到底出来ないほどに、今の異世界方面軍は成長していた。故に、この機を逃せば次はないと考えたのだ。


「必要以上に他のパーティーと関わることがマナー違反だというのは理解していますが、どうか曲げてお願いします」


「お願いします!」


「お願いします!!」


 シモンの真摯な言葉は、そんな彼らの向上心が表れているかのようだった。ツバメとイチカもまた、シモンと同じ様に深々と頭を下げる。探索者とは実力主義の世界であり、そんな世界に飛び込んでくる新人といえば気が大きいか、或いは擦れた者が少なくない。だがこの三人はそうではなく、随分と素直な性格をしているらしかった。彼らがアーデルハイトのファンだということも、もしかすると関係していたのかも知れないが。


 そんな『お願い』を聞かされたアーデルハイトは、ほんの少しだけ悩む素振りを見せた。そうして唇に指をあて、三人をじっと見つめる。普段であれば直ぐに『お断りですわ!』などと言って立ち去ることが多いアーデルハイトだが、意外にも、この時はそうではなかった。


「んー……よくってよ!!」


「お、ちょっと意外。どして?」


「わたくしは向上心のある方が嫌いではありませんわ」


「ほーん」


「興味がないなら最初から聞かないで欲しいですわね!!」


 魔女と水精ルサールカ然り、月姫かぐや然り。

 こと戦闘に関して、アーデルハイトは強くなる為に自分を頼る相手が嫌いではなかった。天は自ら助くる者を助く、などと言うが、どうやらこの場の天もそうであるらしい。


「!!……ありがとうございます」


 ダンジョン内では不安要素を極力排除するものだ。そしてこの場に於いて、三人の新人は不安要素でしかない。シモン達もそれが分かっていたが故に、半ば断られると思っていたのだろう。そんな予想に反し、許諾を得られたことに三人は笑顔を見せていた。


『また民を魅了しちまったな……』

『足を引っ張るなよ若造共』

『ちっ、しゃあねぇなぁ!』

『こ、今回だけなんだからね!!』

『べ、別にあんたたちの為に連れて行くんじゃないんだから!』

『ふん、いいだろう』

『しっかり学ぶんだな』


「一体どこから目線ですの……?」


「ノリだけでコメントしてそうですよね……」


 もはや恒例となった視聴者達のコメント芸を横目に、呆れを零すアーデルハイトとクリスの二人。オルガンに至っては、アーデルハイトの肩の上で既に船を漕いでいた。


 ともあれ、こうしてダンジョンの下見旅に、新たなメンバーが同行することになったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る