第3話 ビッチ

「致し方ありませんわね」


「はい、そう言うと思ってました。でも───え?宜しいのですか?」


 クリスは当然、アーデルハイトは嫌がるだろうと考えていた。しかし、そんなクリスの予想に反して、アーデルハイトの答えは『了承』であった。

 わけも分からぬまま見知らぬ世界に放り込まれ、仔細の説明もなく、右も左も理解らぬうちから『働け』などと言われれば、誰だって困惑し拒否することだろう。少なくともクリスはそう考えていた。

 しかし、アーデルハイトは了承した。それも二つ返事で、だ。


「宜しいも何も、お金が足りないのなら仕方ないですわ。勿論、ちゃんと説明はして貰いますわよ?」


「あ、それはもちろん・・・」


 どうアーデルハイトを説得しようかと悩んでいたクリスからすれば、アーデルハイトのこの姿勢は非常に有り難かった。彼女を説得する、それが一番の難関だと思っていたのだから。しかし、こうして問題はクリアされた。ならばクリスが思い描いていた展望も、現実味を帯びるというものだ。だがそこで、アーデルハイトから待ったがかかった。


「でもその前に一つだけ、クリスに聞いておきたいことがありますわ」


「あ、はい。どうぞ」


 先程までジャージを着てはしゃいでいた女と同一人物とは思えない、そんなアーデルハイトの真面目な表情に、一体何事かとクリスは身構えた。


「今更ですけどわたくし、ここに居ても良いんですの?」


「・・・えっ?」


「えっ?ではありませんわ。わたくしも当然、此処で暮らすような話しぶりでしたけれど、貴女はそれで構いませんの?」


「え、あ・・・えっと、嫌でした?」


「そういう意味ではありませんわ。ここは異世界なのでしょう、それはもう理解しましたわ。そして何も知らないわたくしには、頼れる相手が貴女しかいませんわ。でも貴女は違う。この一年で、貴女は貴女の生活を見つけているのではなくて?」


 ここでクリスは漸く、アーデルハイトが何を言わんとしているのかを理解した。


「もちろんわたくしは、死んでしまったと思っていた貴女と、再びこうして会えたことが何よりも嬉しいですわ。けれど帝国も、公爵家も、もう有りませんわ。貴女がわたくしの世話をする理由は、もう無いのではなくて?」


 つまりアーデルハイトはこう言っているのだ。

『折角異世界で自分の生活を見つけたのに、そこに私が居てもいいのか』と。そんな彼女の言葉に、クリスは衝撃を受けた。まるで考えもしていなかったのだ。アーデルハイトの言葉は、クリスにとって当に青天の霹靂であった。


 つい何時間か前に、一年ぶりの再会を果たした二人。また二人で暮らしてゆくことになると、クリスはそう信じて疑っていなかった。自宅へ連れ帰ったことに、何の違和感も覚えていなかった。

 ただの今まで、思考の片隅にすら無かった。仕事を終えて駅に向かうまでの道で、警官に職務質問をされているアーデルハイトを見つけたあの時。驚愕と歓喜で、身体が勝手に動き出していた。故に。


「・・・お嬢様」


「なんですの?」


「私はお嬢様が幼少の頃より、お嬢様のお世話をしてきました」


「そうですわね」


「不遜ながら、私はお嬢様を家族、妹のように思っております」


「・・・・・・」


 過去を懐かしむように、記憶を遡行しながら語るクリス。

 再会してからこちら、これからのことばかりを考えていた所為だろうか。最も大事な事を、疎かにしてしまっていたのかもしれない。これはクリスのミスだ。


「公爵家なんて関係ありません。私は、私の意志でお嬢様にお仕えしていました。私がそうしたくて、お嬢様にお仕えしていたんです。この世界に来てからも、もしかしたらまた、お嬢様が私のもとに帰ってきてくれるんじゃないかって、不思議とそう思っていました。私がお嬢様を見つけた時、どんな気持ちだったか理解りますか?」


「・・・理解りませんわ」


「私に有ったのは唯一つ、もう二度と会えないと思っていた妹に、また会うことが出来た喜び、ただそれだけです」


「・・・そうですの」


「ですから───、お嬢様。また一緒に頑張りましょうね!」




 * * *




「ごほん。では改めまして───作戦の概要を説明します」


「よくってよ!わたくしに全て任せておけば、何の問題ありませんわ!!」


 そう前置きしたクリスは、先程軽く話した現状を交えて、丁寧に説明をし始めた。

 ここが『地球』と呼ばれる世界の『日本』という比較的平和な国であること。魔法ではなく科学技術が発展した世界であること。自分達は近いうちに資金難に陥るであろうこと。故に金を稼がなければならないが、貴族の娘と育てられ、幼い頃より武芸に打ち込んできた異端者のアーデルハイトには、満足に出来る仕事など一般的には存在しないこと。この世界にやって来て日の浅いアーデルハイトでは、知識や常識等も不足しており、尚更選択肢は少なくなること。等々。


「ここまでは良いですか?」


「そこはかとなく、言葉の端々に棘を感じる事以外は、概ね理解しましたわ」


「気の所為です───さて、ではここで質問です。そんな無能なお嬢様の長所は何ですか?」


「強いですわ!」


「はい。他には?」


「美人ですわ!」


「はい。他には?」


「強いですわ!」


「というわけで、強くて美人な事だけが取り柄なお嬢様に、うってつけの仕事があります」


 ぷぅ、と頬を膨らましたアーデルハイトを無視し、クリスが見せたのは、ノートパソコンであった。当然アーデルハイトがノートパソコンなどという物を知っている筈もなく、小首をかしげて頭の上に疑問符を浮かべている。そんな彼女をクリスは尚も無視し、キーボードを叩きながら説明を続けてゆく。


「確認になりますけど、お嬢様、『ダンジョン』はご存知ですよね」


「ダンジョン?あのダンジョンですの?勿論知っていますわよ」


 ダンジョンとは、彼女らが元いた世界に存在した、一種の危険地域のようなものである。どうやって出来たのか、いつ出来たのか、何のために出来たのか。地下洞窟であったり、森の中であったり、古代遺跡であったり。何もかもが謎に包まれたそこには、魔物が蔓延り、一度足を踏み入れれば常に生命の危険に晒される。しかしその一方で、貴重な資源やアイテムが眠っていたりもする、当にハイリスク・ハイリターンな地域。それがダンジョンだ。


 専ら、資源を手に入れ、それを売却することで生計を立てている冒険者達がダンジョンに挑み、またある時は強さを求める騎士等が修行の為にダンジョンへ潜ることもあった。無論その結果命を落とすものも多かったが、生還して富を得るものも居た。彼女達の居た世界では、ダンジョンと生活は切っても切れない存在と言っても過言ではない。


 何を隠そう、アーデルハイトもダンジョン攻略を行ったことがあった。その際彼女は見事に単身でダンジョンの攻略を果たした。最深部に巣食う強力な魔物を倒し、多くの貴重なアイテムを持ち帰ったことは帝国では有名な話だ。


「はい、そのダンジョンです。あれ、どういう訳かこっちの世界にもあるんです」


「・・・成程。なんとなく話が見えてきましたわ。私にそれを攻略しろと、そういうことですわね?」


「まぁ大雑把に言えばそうなんですけど───はい、これを見て下さい」


 クリスがノートパソコンの画面をアーデルハイトへと向ける。そこに映っていたのは『ToVitchトゥ・ヴィッチ』、通称"ビッチ"と呼ばれる動画配信サイトであった。"ビッチ"では多くの探索者がダンジョン配信者としてライブ配信を行っており、クリスがアーデルハイトに見せたのは、そんな数多いる配信者の中でも特に人気の高いトップ配信であった。


「あら?録画ですの?こちらでは魔法は発達していないと言ってましたわよね?」


「これは魔法ではなく『カメラ』という、誰にでも使用できる装置を使って撮影されたものです。あと、これは録画ではありません。『配信』と言って、今現在ダンジョン内で行われている攻略の様子を、離れた場所でもリアルタイムで見られるようにしたものです」


「・・・なんですって?」


 アーデルハイトにとって、それは相当な衝撃であった。

 彼女たちの居た世界でも、似たものはあった。魔法を利用して作られた『魔導具』によるもので、それは録画や写真と比べても遜色のない物である。しかし『配信』に相当するものは無かった。遠く離れた地の光景を、その場から動くこと無く見られるなどと、アーデルハイトは俄には信じられなかった。そのような物があれば、作戦の指示は正確かつ迅速に伝えられるし、街の様子なども瞬時に把握することが出来る。貿易や軍事的な観点から言っても、恐ろしい発明だった。


「・・・凄いですわね、コレ」


「ですね。私も初めてみた時は目が飛び出るかと思いましたよ。しかもコレ、この世界では一般的に使用されている技術なんです」


「・・・私の家にも、欲しかったですわ・・・」


 情報の伝達が遅れ、敵の奇襲を受けた仲間は数知れず。川の氾濫から逃げられずに飲み込まれた民は星の数ほど居た。これがあればどれほどの命が救えただろうか。

 今更言っても詮無き事ではあるが、そう思わずにはいられなかった。

 アーデルハイトがどこか遠い目をしながら追想に耽っていると、画面の中に映る探索者が丁度、魔物と戦闘を始めたところであった。


「さて、ここからが本題です───お嬢様には、コレと同じことをして頂きます」


「・・・コレが『ダンジョン配信』ですの?わたくしはてっきり、ダンジョンを攻略して資源を持ち帰るものだと思っていましたわよ?」


「もちろんそれもあります。でも本筋はこっちです」


「・・・これがお金になる、と?まさか見物料でも取るんですの?」


「そのまさかです。厳密には少し違いますが、概ねその認識で大丈夫です。システム的には闘技場のようなものだとお考え下さい」


 他人のダンジョン攻略を見て何が楽しいのか、アーデルハイトにはまるで理解が出来なかった。資源を得られる訳でもなく、経験を得られる訳でもない。そんなもの誰も見るわけがない、見物料など取れる筈もない、と。

 しかしクリスの言った『闘技場』という言葉で、漸くアーデルハイトにも得心がいった。


 闘技場とは、戦技を修めた闘士達が、互いの誇りと命を賭けて戦う場だ。磨き抜かれた技術は観客を魅了し、その戦いを一目見るために各地から観客たちが集う。闘技場に入るには入場料が必要で、闘技場側の利益はそれだけでかなりのものになる。

 中では主催者側が賭けを持ちかけるのが常であったし、贔屓にしている闘士の試合が終われば、差し入れや祝儀といったおひねりが投げ込まれる光景も多々見られた。


 つまりこの『ダンジョン配信』とはなのだろう。確かに、そこに自ら持ち帰った資源等の売却も含めれば、得られる利益はなかなかの金額となるだろう。


「『配信』では、観客がコメントを出すことが出来るんです。配信上でのコミュニケーションの一種ですね。あ、見て下さい。丁度投げ銭が飛びました」


「投げ銭・・・?」


「闘技場でもお気に入りの闘士にお金を投げたりしますよね?あんな感じです。応援している配信者に支援をすることが出来るんです」


「・・・ますます闘技場じみてきましたわね」


「つまりお嬢様がダンジョンを攻略しつつ、視聴者からの投げ銭と、自ら持ち帰った資源の売却でお金を稼ぐ、というのが我々の作戦です。他にも色々と派生を考えていますが、今のところはコレで行こうかと」


 そう話を締めくくったクリスだが、アーデルハイトには一つ気になる点があった。それはライブ配信の多さだ。ちら、と見ただけでも、数えきれない程の人間が配信を行っている。つまり競合他社が無数に存在しているということだ。新規参入者というのは、何処の世界でも最初が一番苦しいのだ。公爵領の領主、その娘であるアーデルハイトは、多少なりとも経営学を学んでいる。人気のある市場に新規参入することの難しさ程度は、よく理解っているつもりであった。


「コレ、私達が割って入る余地はありますの?こんなに多くの『配信者』が居る中へ飛び込んだところで、鳴かず飛ばずで終わりそうですわよ?」


 アーデルハイトは素直に疑義を呈した。

 一方クリスは、その疑問は想定済みだと言わんばかりに、眉をひそめるどころか口角を上げてみせた。


「お嬢様の懸念は理解ります。ですが問題ないと考えます。さっきの配信者の戦いを見て下さい。率直に言って、どう思います?」


「・・・お粗末ですわね。身体は鍛えているように見えるけれど、剣技の方は目も当てられませんわ。素人が見様見真似で剣を振っている、といったところですわね。程度の低い魔物ならともかく、魔族が相手では一秒と保ちませんわよ?」


 そう、パソコンに映る彼等の戦いは、常に命を賭して戦ってきたアーデルハイトから見れば、まるでお話にもならない稚拙なものであった。所構わず剣を振り回し、無闇矢鱈に力いっぱい叩きつけ。魔物と言えど駆け引きは出来るのに、それすら無かった。挙げ句、かすり傷とはいえ無駄な傷を負っている。膂力や瞬発力等はそれなりであるように見えるのに、緩急やフェイントも無いため酷く直線的。先のアーデルハイトの言葉通り『お粗末』としか言いようのないものだった。


「その通りです。ですがこんな戦いでも、彼等は配信者として成功を収めています。こんな彼らでさえ人気なのですから、お嬢様の流麗な剣技であれば、見るもの全てを一瞬で魅了してしまうことでしょう。もちろん視聴者を楽しませる話術等も重要ですが」


「・・・そう簡単にはいきませんわ。先ずは見てもらわなければなりませんのよ?見向きもされなければ、剣技も何もあったものではありませんわ」


「そこでお嬢様の武器が役に立つんです。お嬢様の圧倒的な美貌であれば、目の端に一瞬映っただけでも焼き付いて離れないでしょう。適当におっぱい揺らしながら戦っておけば、少なくとも初動は余裕です。なんならダンジョン内を散歩してるだけでも、一定数は視聴者を確保出来ます」


 クリスの戦略は、清々しい程のエロ釣りであった。

 しかしその戦略は間違いなく有効だ。それは他の配信者を見ても実証済みである。そして初期の視聴者をある程度稼げてしまえば、あとはアーデルハイトの実力でどうにでもなる。全くのノープランではない、クリスなりに勝ちへの導線が確りと見えている。そんな戦略であった。


「まぁ失敗しても死ぬわけじゃありませんから、試すだけ試してみましょうよ。もし駄目だったその時は、また別の手段を考えるとしましょう」


「そう、ですわね。あちらと違って、失敗しても次がある。とても素晴らしいことですわ!」


「そういうことです───さて!今日は沢山お話しましたから、もう寝ましょうか。明日から、本格的に動くとしましょう。機材なんかも揃えないといけませんし」


 そんなクリスの台詞が終わる前には、既にアーデルハイトはベッドを占領していた。器用に半分だけスペースを開けて。

 クリスのシングルベットは当然だが一人用だ。如何に女が二人とはいえ狭いものは狭い。しかしその狭さも、クリスにとっては懐かしく、そして安心するものだった。

 なんだかんだと言ってもやはり疲れていたのだろう。直ぐに寝息を立て始めたアーデルハイトの横で、クリスはそっと呟いた。


「おやすみなさい、お嬢様」



 * * *




 深夜。


「─────ッ。─────ぅ」


 すぐ隣で寝ているクリスにすら、聞こえるか聞こえないかといった小さな声。うめき声のようにも、泣いているようにも聞こえる苦しそうなその声。クリスはアーデルハイトの寝言で目を覚ました。

 気丈に振る舞っていても、やはり見知らぬ世界にやって来た不安があったのだろうか。そんなアーデルハイトをそっと抱きしめようと、クリスが体勢を変えた時だった。


「ぜ・・・たぃ・・・ころすッ・・・せい・・・じょ・・・ころすぅ・・・むにゃ」


 その夜クリスは、怪しげな呪詛を聞きながら眠る羽目になった。




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