第2話 豚小屋

「まぁもう今回は良いですけど、今後は気をつけて下さいよ」


「はい、すみませんでした」


 自らをかつての侍女、クリスであると名乗る女性に庇われ、漸くアーデルハイトへの職務質問が終わろうとしていた。その代償としてクリスの住所と名前が差し出された。ひとまずは保護者扱いで乗り切ったというわけだ。


「何様ですの?態度がデカ過ぎますわ」


「わぁぁぁあ!すみません!すみません!」


 警官に対してペコペコと頭を下げ、腰に手を当て仁王立ちするアーデルハイトを、急かすようにしてその場を離れようとするクリス。無論アーデルハイトは頭など下げない。それどころか警官を睨みつける始末であった。漸く開放されたというのに、また要らぬ問題を起こされては堪ったものではない。その上、アーデルハイトの優美な容姿は周囲の目を引く。オフィスビルや飲食店の立ち並ぶ、この雑踏には場違いなドレスアーマーも相まって尚更である。

 何はともあれ、クリスはこの場から離れたいのだ。


 積もる話もあったが、このような場所では落ち着いて話も出来はしない。しかしそこらの店に入ろうものならまたしても注目を浴びてしまう。クリスに許された選択肢など、あってないようなものだった。

 クリスがタクシーを捕まえようとすれば、ものの十秒ほどで、彼女の目の前に一台のタクシーが停まった。訝しむアーデルハイトを座席へ押し込み、運転手へと行き先を告げ。そうして漸く、クリスは一息つくことが出来た。


「貴女、本当にあのクリスですの?」


「はい、お久しぶりですお嬢様」


 しかしアーデルハイトは目を細め、じっとクリスを睨みつける。

 自らの記憶を遡行しているのか、時折眉を潜めては顎に手をやり、何かを思案するような表情を見せる。


「・・・クリスは青髪だったと記憶していますわよ?」


「あ、これは染めてます」


「・・・クリスは死んだ筈ですわ」


「それは私にも、どういうわけか分かりません。一年前のあの日、崖から落ちたと思った次の瞬間には、この世界に居ました」


「・・・わたくしとクリスしか知らない話をしてみなさい」


「お嬢様は十六になっても生えて来ないことを悩んで───」


「死にたいんですの?」


 そう、彼女もまたアーデルハイトと同じように、何も理解らぬままにこの世界へとやって来た。降り立った場所はここではなかったが、それ以外はアーデルハイトと同じだ。聖女に突き落とされ、目を開ければ夜の雑踏の中であった。当然クリスは困惑した。

 見たことのない景色、聞いたことのない言語、嗅いだことのない匂い。

 見ず知らずの場所へ単身放り込まれるというのは、恐怖以外の何物でもなかった。そういう意味では、早々にクリスと出会えたアーデルハイトは幸運だったと言えるだろう。


「・・・それを知っているということは、本物のクリスのようですわね・・・いいでしょう、信じますわ」


「顔で信じて欲しかったです・・・」


「それで、ここは何処ですの?この乗り物はなんですの?馬車とは比べ物にならない速度ですわね。我が公爵家にも一台欲しいですわ」


「お嬢様、積もる話は後ほど。今私の家に向かって居ますから、私を信じて着いてきて下さい」


 どこか気落ちするクリスを他所に、矢継ぎ早に投げかけられるアーデルハイトからの問い。しかしクリスは静かに首を振る。困惑するアーデルハイトの気持ちは、クリスにはよく分かる。彼女もこの世界に来た当時、今のアーデルハイトと同じ様な状態であった。しかしここには運転手も居るのだ。故に、詳しい話は後でまとめて行うつもりであった。聞かれては不味い話も多々あるのだ。


 己が最も信を置く侍女が、神妙な面持ちでそう言うのであれば、という理由で、アーデルハイトは口を噤んだ。聞きたいことは山程あったが、そんなクリスの態度を見ても尚騒ぎ立てるような、そんな聞き分けの無さは持ち合わせていなかった。

 そしてクリスの『この世界』という言葉から、見たことも聞いたこともない光景や乗り物から、今居る此処が、元いた世界とは別の場所であろうことも薄々理解し始めていた。微妙に機嫌は悪そうであったが。


 短い間に彼女が見せた尊大な態度から忘れがちだが、アーデルハイトは淑女としての教育も確りと受けている。無論教養もある上に、礼儀作法も完璧だ。公爵家令嬢なのだから地位もある。更に言えば剣術は勿論のこと、魔法に関しても優れた技術と才能を持っている。

『帝国の宝石』と称された容姿に関してはもはや言わずもがなだ。当に文武両道、才色兼備のスーパーお嬢様である。天は二物どころか、与えられるだけの目一杯を彼女に与えた。強いていうならば、最後の最後で運だけが唯一欠けていただろうか。


 アーデルハイトがムスっとした顔で腕と脚を組み、後部座席で大人しくタクシーに揺られていた時だった。一見して理解るほどに善良そうな運転手が、後ろの二人へと声をかけた。


「お嬢さんたち、探索者かい?」


 お嬢さん。探索者。言われ慣れない言葉と、聞き慣れないその言葉に、アーデルハイトは眉を顰めた。そも、アーデルハイトは今年で十九になる。帝国では成人年齢が男女共に十四であることを考えれば、この年になってお嬢さんなどと呼ばれるのは心外であった。訂正させようと、つい言葉が喉元まで登ってきたが、隣に座るクリスがアーデルハイトの方を見ながら勢いよく首を振っていた。

 既所すんでのところで言葉を飲み込んだアーデルハイトは、鼻で息を吐き出しながらシートへと背中を預け直す。そうしてもう片方の聞き慣れない言葉へと思考を移した。


 探索者。アーデルハイトの元いた世界には、冒険者と呼ばれる者達が居た。言葉の響きは似ているが、字面から察するに恐らくそれぞれ別物だ。何故自分が見たこともない、この世界の文字を知っているのかは甚だ疑問ではあったが、それはひとまず脇に置いておくことにした。


 冒険者とは、読んで字のごとく冒険するものだ。危険を冒す者とも言える。

 未知を求め、リスクを承知で未知を切り拓く。彼等の仕事は主に、依頼を受けて魔物の討伐を行ったり、ダンジョンの攻略、資源の回収から地質調査まで。ありとあらゆる事を請け負う謂わば何でも屋といった所だ。随分と名前負けしているな、とアーデルハイトは思ったものだ。


 一方で探索者とは。

 恐らくは知識、或いは何かしら物品を探し求める者なのだろう。冒険者とは似て非なるものではあるが、仔細を抜きにすればそう大差ないと言える。何れにせよ、現時点で予測を立てるには情報に欠ける。


「いやぁ、私の娘がよくダンジョン配信を見てるんですよ。その影響で、年甲斐もなくすっかり私もハマってしまいましてね」


 そんな運転手の言葉を聞いたクリスは、まるで雷にでも打たれたかのようにはっとした表情を見せた。隣に座るアーデルハイトでさえも気づかない程の小さな声で、『その手があったか』などと呟いていた。


 実のところ、クリスは悩んでいた。現在このタクシーはクリスの自宅へ向かっているのだが、アーデルハイトを自宅まで連れて帰ったところで、その先の展望が無かったのだ。


 クリスは現在、この世界の全ての言語が理解出来る、という全く原因の理解らない能力を活かし、通訳のようなアルバイトをしていた。その傍ら、こちらに来てからすっかり趣味となってしまった『薄い本』を描き、販売することで生計を立てている。しかし趣味の方は、コアなファンこそ居れど人気作家というほどではない。故に、二人分の生活費ともなれば些か心許ない稼ぎしかなかった。

 どうにかしてアーデルハイトにも生活費を稼いでもらわなければならなかったが、戸籍も無く、住所も無く、身分を証明する物など何もないアーデルハイトには荷が重い。そもそもこちらの世界に来て一日と経っていない彼女だ。本人に言えば烈火の如く怒り出しそうだが、出来ることなど何もないというのが現実だった。


 そんな彼女にかけられた運転手の言葉は、当に天啓であった。


「はい、そんなところです。どうして理解ったんですか?」


「そりゃあ、そんな鎧を着てたらね。信じられないくらい別嬪さんだし。レイヤーさんかなとも思ったけど、それにしては衣装のクオリティが高すぎる」


「成程・・・」


 妙にオタク文化に詳しい中年運転手の、その指摘は尤もだった。先程は咄嗟に、彼女はレイヤーだと嘘をついてしまったが、探索者と答えれば良かったか。そう考えた所でクリスは思い直す。それでは探索者IDの提示を求められてしまう。そうなれば嘘がバレた時点で詰んでいた。

 しかし逆を言えば、探索者登録さえ済ませてしまえば、大抵の事には誤魔化しが効くということだ。探索者登録に必要な物は身分を証明できる資料と、登録費用だけ。身分証はネットで画像を探して、錬金魔法を使えばどうとでもなる。クリスは幸いにもその手の錬金魔法が得意であった。自身が戸籍を取るときも、偽造まみれの書類でどうにか乗り切ったのだから。


「実は私達、近々配信を始めるつもりなんですよ」


「そうなのかい?それじゃあオジサンがファン第一号かな?ハハハ。もし始まったら絶対に娘と見に行くよ。自慢じゃないけど、オジサンは超投げるよ」


「ホントですか?期待してますね!」


 和気藹々と盛り上がる二人の会話が、アーデルハイトには何一つ理解出来なかった。


 そうして暫く、タクシーから降りたアーデルハイトが目にしたものは、比較的築年数の浅い五階建てのマンションであった。この一室がクリスの部屋なのだが、マンションなどという物を知らないアーデルハイトは『随分と大きな家に住んでいるな』などと考えていた。


 オートロック等という上等な物は無かったが、こちらに来て一年程度で住むにしては十分過ぎる程のマンションであった。

 廊下を照らす照明には虫が集っていたが、元いた世界では野営も経験しているアーデルハイトだ。殊更騒ぎ立てるようなこともなく、きょろきょろと、物珍しそうに周囲を窺いながらではあったが、静かにクリスの後に続いていた。


「ここが私の住んでいる部屋です!」


「狭・・・え、豚小屋?」


 鍵を開け、この一年の健闘を誇るかのように扉を開くクリス。そんなクリスの部屋を見たアーデルハイトの一言がコレであった。彼女の部屋は一般的なワンルームマンションだ。特別狭くはないし、なんとなれば少し広い方ですらある。公爵家でメイドをしていた際に与えられていた部屋と大差のない広さだ。

 しかし超お嬢様であるアーデルハイトにしてみれば、こんな物はおよそ人が住む部屋とは思えなかった。


「酷ッ!!」


「わたくしもね、通路を歩いている時から、ここは寮のようなもので、この一室が貴女の部屋なのだろうとは予想していましたわ。けれど流石にこれは・・・」


「こっちの世界ではこれが普通なんです!この部屋を借りるのだってどれほど苦労したか・・・」


「借りる?では貴女の部屋ですら無いんですの?」


「あっちでもお部屋は公爵家の貸出でしたよッ!」


「クリス、貴女・・・奴隷根性が滲み出ていますわよ」


「わぁぁぁぁ!!宿なし金なしの癖にぃぃぃ!!あッ!お嬢様、靴!」


 文句を言いながらも部屋に足を踏み入れるアーデルハイト。当然のように土足、あちらの世界から履きっぱなしのブーツである。慌ててクリスがアーデルハイトの脚にしがみつき、なんとか一歩分の汚れだけで済ませることに成功する。


「家に入るときは靴を脱いで下さい!」


「・・・?まぁ構いませんけれど、おかしなしきたりですわね」


 怪訝そうにしながらも大人しく靴を脱ぎ、アーデルハイトがいよいよ入ったその部屋は、きちんと整理されており、それでいて彼女が見たことのない物に溢れていた。部屋の中央にはローテーブルが設置され、その上にはノートパソコンと液タブが置かれている。シングルベッドに、二人掛けの小さなソファ。部屋の隅には積み上げられた大量の書籍。それらはクリスの趣味、つまりは同人活動に使用されるものだ。


「ふぅん・・・これがこの世界の・・・知らない物ばかりですわね」


「私も最初はそうでしたよ───と、それよりもお嬢様」


「なんですの?」


「とりあえずシャワーを浴びて下さい。臭いです」


「・・・」


「臭いです」


 アーデルハイトの感覚では、つい先程まで戦闘をしていたのだから仕方ないだろう。それも勇者マヌケ聖女アバズレの所為で最悪の状況からの脱出、謂わば死闘であった。汗臭いのも当然である。とはいえ淑女としては自らの不潔は見過ごせる筈もなかったし、その上で従者から二度も『臭い』などと言われれば否応もない。それにアーデルハイトは入浴好きだった。湯に浸かる風習のない元の世界でも、彼女は湯に浸かって何時間も出てこない程だ。


 クリスに案内されるがままに、すごすごとシャワーへ向かうアーデルハイト。クリスの拘り故、ユニットバスではなく風呂とトイレが分けられたセパレート形式だ。それほど広くはないが、女性の一人暮らしと考えれば十分な浴室であった。


「”解除”」


 アーデルハイトが一言呟けば、彼女の纏っていた鎧は光の粒子となって霧散する。あとに残ったのは下着とストッキング、それと最低限のインナーを纏っただけの、アーデルハイトの豊満な肢体であった。

 流麗な曲線を描き、長く美しくも、筋肉と脂肪が程よく付いた魅惑的な脚。すらりと細い腕は、女性的な柔らかさを確りと残している。身じろぎするだけで弾む尻と豊満な胸は、同性であるクリスから見ても劣情を抱いてしまいそうになる。


「お嬢様、また大きくなりました?」


「ええ。測ってはいないけど、貴女の知らないこの一年で幾分成長しましたわね」


 そう言いながらアーデルハイトは、鏡に映る自らの身体を眺める。彼女は自分のスタイルに自信を持っている。無論体型を維持するための努力も怠っては居ない。公爵令嬢たるもの、常に自信と誇りを持ち、誰に見られても恥ずかしくないよう常から気を配りなさい、とは彼女の母の言である。


「ところで、どうして貴女も服を脱いでいますの?」


「だってお嬢様、使い方理解らないでしょう?シャンプーとか」


「しゃんぷー・・・?確かに聞き覚えがありませんわね」


「良いですか?これがシャンプー、こっちがトリートメント。最後にコンディショナーです。今言った順に、髪に使うんですよ」


「・・・全部同じではありませんの」


「私がやってあげますから、ほら入った入った!」


 クリスに背中を押され、浴室の椅子に座らされるアーデルハイト。元より洗体や洗髪も含め、入浴中の全てを彼女は自分で行う。貴族や王族にありがちな、従者に全てを任せるタイプではない。しかしその後のアーデルハイトはクリスの為すがままであった。

 それからおよそ一時間。浴室での一から十までをクリスに叩き込まれたアーデルハイトは、すっかり上機嫌で入浴を終えた。


「すべすべですわ!!こちらの世界は素晴らしいですわ!!連戦で傷んでいた髪も、元通りどころか更に輝きを増していますわ!!」


「お気に召したようで何よりです。はい、腕上げて下さい」


「苦しゅうないですわ!」


「はい、じゃあとりあえずこれ着て下さい。下着は明日買いにいきましょう」


 クリスがアーデルハイトに手渡したのは、近くの衣料量販店で購入したジャージであった。上下共にシンプルな黒色で、側面には白ライン。ごく一般的なジャージだ。


「なんですのコレ!どう見ても入らない筈なのに、生地が伸びますわ!楽ですわ!動きやすいですわ!胸だけキツいですわ!」


「はいはい。良かったですねー・・・え、最後のは要らなくないですか?」


 クリスのサイズなので当然ではあったが、少し小さめのジャージに袖を通したアーデルハイトの姿はそこはかとなく犯罪臭のする装いであった。本人は初めて見る素材にえらく上機嫌であったが、はち切れんばかりに服を押し上げる胸部は、健全とは言い難い。

 普段は巻いている分、少し長さの伸びた髪を揺らしながらソファへと腰掛けるアーデルハイト。その横にはクリスが座り、二人で水を飲みながら一息入れる。そうして数分休んだところで、クリスがこれからの話を始めた。


「さて、お嬢様。色々あってお疲れの事とは思いますが、早急にやっていただかなければならないことがあります」


「なんですの?改まって。初めは馬鹿にしていましたが、ここも存外居心地は悪くありませんわよ?」


 アーデルハイトがクリスと別れて、否、喪ってからこれまでの一年間。何があったのか、どうしていたのか。お互いに話したいことは多くあったが、しかしそれらを置いても、先ずは決めなければならないことがあった。それは当然クリスの家の感想等ではなく、もっと重要なことである。


「この世界でも、生きていくにはお金が必要になります」


「まぁ当然ですわね」


「当面は私の貯蓄でどうにかなりますが、二人で生活するとなると、そう遠くない内に尽きるでしょう」


「あら、それは困りますわね」


「はい。ですので───」


 すぅ、と大きく息をすったクリスが、神妙な面持ちで告げる。


「お嬢様には、ダンジョン配信でお金を稼いで頂きます」


 こうして、訳の分からぬままに異世界へとやってきたアーデルハイトの、新たな物語が幕を開けた。





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