元剣聖悪役令嬢の異世界配信〜パーティを追放され、気がつけば現代でした。仕方がないのでダンジョン配信でお金を稼ぎつつ、スローライフを目指して頑張りますがもう遅い〜

しけもく

初配信編

第1話 職質

 鬱蒼とした樹々、苔生した岩。

 足の踏み場もない程に広がるのは、名前すら理解らないような湿った蔦。湿っぽい空気と水の匂い。陽の光さえも届かない、そんな鬱々とした森の中を、一人の女が歩いていた。


 良く整った柳眉に、羽二重肌はぶたえはだ。鼻筋の通った綺麗な顔立ち。まるで獅子の鬣を思わせるような輝く金の髪は、縦に巻かれていた。切れ長の目に、髪と同じ黄金の瞳。目元の泣き黒子がえも言われぬ色気を感じさせる。

 ちらと見ただけで、その見目の麗しさに誰もが目を奪われる、そんな女だった。


 しかし、満身創痍であった。

 歩みは牛歩の如く。覚束ない足取りは、彼女が何時倒れてもおかしくない事を如実に物語っている。額からは血を流し、右腕は骨が折れているのか、だらりと力なく垂れ下がっている。右脚も同じように、自らの身体を支える役割を放棄しており、ただ左脚のなすがままに引き摺られるばかり。

 陶器のように美しい肌は土と砂、泥に塗れて見る影もない。


「・・・あの女ッ・・・絶ッ対、ブチ殺してやりますわ・・・っ」


 喉から出るのは怨嗟の声。

 立っているのがやっと、ともすればそれすらも怪しい。そんな瀕死の状態でありながら、憎しみだけは腹の底から無尽蔵に湧いて出る。


「っ・・・何が聖女ッ!何が女神の使徒ッ!あんなもの、色欲に塗れたただの売女ですわッ!」


 彼女は思い返す。思い返す度に、腸が煮えくり返る。

 あの時の、あの女の、あの表情。仮にも、同じパーティの仲間であったあの女。

 目指す理想は違えども、平和を望む気持ちだけは同じであると信じていたのに。



 連戦に次ぐ連戦、疲れ果てた勇者一行は崖を背に束の間の休息をとっていた。彼女もまた、地面に突き立てた剣を杖代わりに一息ついていた。魔族領に近づくにつれ、立ちはだかる魔物はより強く、より狡猾になってゆく。さしもの彼女とて、涼しい顔をしては居られなかった。


 よりにもよって、そんな時だった。

 神妙な顔をして近づいてきた勇者は、疲れ果てた彼女に向かって、事もあろうにこう言った。


 ───申し訳ないが、君はクビだ。ここでお別れだよ。


 ───君の独断専行は目に余る。僕のパーティに、和を乱す者は要らないんだ。


 刹那、何を言われたのか脳が理解を拒んだ。

 私が要らないクビ?このイカレた男は何を言っているんだろうか。私抜きで、一体どうして魔族領まで征くつもりなのか、と。


 先の戦闘もそうだった。

 そこの聖女バカが余計な事をしたばかりにパーティは危機に陥った。私が敵陣に穴を開けなければ、離脱すらままならなかっただろう。こうして今、息をしていられるのは、偏に私が血路を開いたが故だ。そう声高に主張したかった。


 更に言えば、彼女単身であればこんな場所とうに抜けているのだ。一体誰が足手まといを抱え、ここまで引率せしめたと思っているのか。勇者の持つ聖剣が無ければ魔王は倒せない。その為だけに、彼女はこの男をここまで連れてきているのだ。

 聖女や魔法使いに手を出しているのは彼女も知っていたが、さりとてこれほどまでに馬鹿では無かった筈だった。


 そう考えた彼女は、勇者の横に立つ聖女へと視線を向ける。

 聖女の表情を見た時、彼女は苦虫を百匹以上噛み潰したかのような顔になってしまった。そこにあったのは淫欲と冒涜、嘲りと嘲笑。これが仮にも『聖女』などと呼ばれる女のする顔だろうか。


 畢竟、この女は彼女が邪魔で仕方なかったのだろう。

 彼女は一度たりとも、この勇者マヌケをそういった目で見たことは無かった。想像するだけで怖気の奔る思いだ。彼女からすれば有り得ない話だが、しかし聖女はそれで満足しなかったのだ。


 彼女の常人離れした異質の美しさは、聖女を嫉妬させ、聖女の不安を掻き立てた。

 人は自らの領域を侵す危険性のある者を排除したくなる、自らの心の安寧の為ならば、平気で友人を殺す。そういう生き物だ。


 だから勇者を唆した。

 だから私は今、解雇クビを突きつけられている。

 事ここに至り、彼女は何もかもがどうでもよくなってしまった。これまでの旅路も、これからの試練も。無為に気づいてしまったのだ。


 項垂れるように俯き、諦めてしまった。だから気づかなかった。

 気づいたときには、彼女の身体は既に宙空へ放り出されていた。虚空を彷徨う右手と、何かを掴もうと藻掻く左腕。その伸ばした手の先にあった聖女の顔は、満身創痍となった今でも、彼女の脳裏から離れなかった。


 目を覚ました時に感じたのは、全身を苛む激痛。

 痛い、などというものではない。痛みを通り越して熱い。まるで焼鏝で骨の髄を抉られているかのような、耐え難い痛みであった。

 右腕は使い物にならない。右脚も同じだ。頭は割れるような痛みを絶えず伝えてくるし、内臓がねじ切られるようにギリギリと悲鳴を上げている。

 それでも彼女は歯を食いしばり、軋む身体で歩き出す。怨嗟と諦観と焦燥を胸に。



 アーデルハイト・シュルツェ・フォン・エスターライヒは、帝国公爵家の一人娘であった。幼少の頃より、蝶よ花よと育てられていた彼女は、しかしある日を境に剣を握る。

 それは彼女がまだ6歳になったばかりの頃だ。

 彼女の家からすればどうということはないが、しかし決して少なくない金額を支払い、公爵家が私兵の調練を『剣聖』に依頼した。

 そこで見学をしていた彼女は『剣聖』に才を見出された。彼女の才を誰よりも喜んだのは他でもない、己の後継を探し旅を続けていた『剣聖』だった。


 それからずっと、ただ剣だけを振り続けてきた。剣を振ることは楽しかった。

 真綿が水を吸うように、彼女は受けた教えを直ぐに自分の物にした。

 努力も怠らなかった。毎日朝から晩まで、手の豆が潰れて血が滲む手でひたすら剣を振ってきた。おかげで年頃の女とは思えないような、ごつごつとした手になってしまったが、彼女はそれもどこか誇らしかった。


 公爵家の令嬢としてデビュタントを終えてからは、社交の場にも顔を出した。彼女の美貌に、多くの令息達が声をかけたが、しかし剣の修業で忙しい彼女はその全てを素気すげなく袖にした。

 それが悪かったのか、どこをどう捏ね回したのか。いつの間にか、男を取っ替え引っ替えする悪女と呼ばれるようになっていた。


 それでも彼女は脇目も振らず、剣の道を邁進してきた。その甲斐あってか、あれから十年。彼女が十六になった頃には、二代目『剣聖』として師から認められたのだ。

 ダンジョンを踏破したこともあった。街を襲撃した魔族を単身滅ぼしたこともあった。実力を示せば示すほど、彼女の名は世界中に広まっていった。


 そうして力が認められ、勇者マヌケの伴をすることになった。それが彼女の運の尽きだったといえるだろう。

 その結果がこのボロ布状態だというのだから、恨み言の一つや二つくらいは口を衝くというものだ。


「そう・・・一度程度ではわたくしの気が晴れませんわ。十、いいえ、百はブチ殺さなければ、割に合いませんわ・・・」


 今の彼女では、もはや剣を振ることなど叶わない。こんな魔族領にほど近い田舎に神官など居るはずもない。常備していたエリクサーも、落下の際に瓶ごと粉々になってしまった。公爵家から連れてきた、回復魔法に長けた侍女は一年前に死んでしまった。よく仕えてくれた、出来る侍女だった。


 そういえば彼女が死んだ理由も、崖から転落してのことだったと、ふと思い至る。そうしてまたも歯を軋る。侍女の為にも、必ずあの女の首と胴を泣き別れにしてやらねばならない、と。


「・・・次があれば、ですけれど」


 血を流し、遅々とした歩みで進む彼女は、魔物にとっては格好の餌だ。

 魔物は通常の獣に比べ何倍も鼻が良い。このままでは早晩、血の匂いに惹かれた奴等に見つかるだろう。故に先ずは血の匂いをどうにかして落とさなければと、彼女は水場を探し求めた。


 何時間歩いただろうか。気の遠くなるような時間を必死に進んだつもりであったが、しかし距離にすれば大して移動していないだろう。

 幸運にもこれまで魔物と遭遇しなかった彼女だが、しかし遂にその時がやって来た。


 普段の彼女であればどうということもない、雑多な魔物の群れ。しかし今の彼女には、それらが死神の使いに見えた。


「ふ・・・まぁ、死ぬ時はこんなものですわ。あの女の、絶望に染まる顔を見られなかったことだけが、唯一心残りですわね」


 諦観と共に瞳を閉じる。

 瞼の裏に蘇るのは、楽しかった幼少の日々と、マヌケ共の子守をしていた時の記憶が半々であった。


「ごめんなさい・・・もしも生まれ変わる事があるのなら、次は田舎でのんびり暮らそうかしら。そこにクリスも居てくれれば上々ね」


 今は亡き侍女を思う。仇を討つことが出来なかった己の力不足を詫びるばかりであった。しかしほんの数瞬後には、アーデルハイトも同じ場所へと征くだろう。誰に言うでもなく呟いた言葉は、樹海の中へ消えていった。


 そうして瞳を閉じたまま、魔物の牙に身を委ねようと待つこと数分。

 その身を引き裂くはずの、やって来るはずの痛みは、待てど暮らせど来なかった。もはや痛みを感じることすら出来なくなったのかと、アーデルハイトはゆっくりと瞳を開いた。


 最初に飛び込んできたのは眩い光だった。

 綺羅びやかに周囲を彩るのは千紫万紅の灯り。魔物よりも、余程早い速度で駆ける怪しげな箱。濁った匂いに、不味い空気。


 彼女の瞳に映っていたのは摩天楼だった。

 天を衝くほどの巨大な塔が所狭しと並び、そのどれもが卑俗に光り煌めいている。道を征くのは人間だろうか。見たこともない服を来て、或いは、見たこともない乗り物に乗り。誰もが足早に過ぎ去ってゆく。


「・・・コレは一体、どういう事ですの?」


 夢でも見ているのだろうか。或いは、ここが死後の世界とでも言うのだろうか。周りを見回してみても、まるで見覚えのないものばかりで。彼女の胸中はただ困惑にのみ支配されていた。


 ふと、先程までぴくりとも動かせなかった右腕と右脚が動くことに気がついた。見れば血は止まり、折れた骨も見事に治っていた。破けたドレスアーマーも、砕けた胸当ても、伝線したストッキングも。全てが元通りであった。


「・・・なんですの?意味が分かりませんわ。ここは何処ですの?」


 道行く人々の会話も、何故か理解出来ていた。聞いたこともない言語であるというのに、だ。耳をすませば、やれ仕事がどうだの、酒がどうだのと。彼女が常から身をおいていた戦場のものとはとても思えない、平和なものばかりであった。


 そうして呆気に取られて立ち竦むこと数分。

 周囲から浮きに浮いたドレスアーマー姿の彼女に声をかける者が居た。


「こんばんわ。お姉さん、ちょっとお話いいですか?」


「・・・?わたくしに話しかけていますの?」


「そうそう。お姉さん外国の方?日本語上手だね。ほんの数分で終わるから、ちょっと協力お願いします」


 青いシャツに黒ベスト。何かしらの紋章が入った帽子を被った、そんな男だった。

 警官である。それは紛うことなき職務質問であった。

 今のアーデルハイトは、夜の都会に一人佇むドレスアーマーフル装備の金髪縦ロール美女だ。当然目立っており、職質されるのも至極当然のことと言えるだろう。

 しかしそんなことはまるで知らない彼女は、当然のようにこう言った。


「お断りしますわ。貴方はどなたですの?私が誰だか分かりませんの?貴方のような下男が軽々に話しかけていい相手ではありませんのよ?」


「・・・げ、下男?あーっと・・・ははは。面白い方ですね・・・」


 突如初対面の怪しい女から下僕扱いを受けた警官は、ヒクヒクと頬を引き攣らせていた。任意とはいえ、非協力的な態度を取り続ければ非常に宜しくない事になるのだが、アーデルハイトは普段の調子で言いたいことを全て言ってしまっていた。


 しかし警官も、アーデルハイトの傾城と言っても過言ではない容姿のせいか、辛抱強く職務質問を続けようとする。


「えっと、これから何処か行かれます?」


「しつこいですわね・・・知りませんわ、そんなこと。わたくしはここが何処かも分かっていないんですもの」


「あ、道に迷っちゃった感じですかね?お名前教えてもらえます?」


「わたくしに名乗れと?貴方のような下男に?」


「い、いやぁ。ホント、大人しく答えてくれれば悪いようにはしませんから」


「仮に私が名乗るとしても、先ずは貴方が先ではありませんの?」


 恐れを知らぬアーデルハイトは徐々に苛立ち、ヒートアップしてゆく。

 通常の職務質問であれば、この時点で小競り合いが発生していてもおかしくはない状況であったが、やはり美人は何かと便利である。


「ああ、すみませんね。私は佐藤と言います。見ての通り警官ですね」


「・・・警官?察するに、衛兵のようなものですの?」


「ああ、まぁそんな感じです」


「『まぁ』だとか『そんな感じ』だとか。ハッキリと話しなさいな」


「あはは・・・それでですね、その腰の・・・ソレ、剣ですよね?見せてもらって良いですか?」


 アーデルハイトの腰には、先代剣聖から受け継いだ細身の剣が提げられて居た。幼い頃より剣を振り続けてきた彼女にとって、それは己の分身であり魂そのもの。見ず知らずの、彼女曰く下男である佐藤某に見せる謂れなどなかった。


「お断りですわ。分を弁えなさい」


 その一言で、遂に美人パワーが決壊した。

 ここまで、如何に柔和な態度で接し続けた佐藤とは言え、失礼に失礼を積み重ねた挙げ句、それを蹴り飛ばしてぶち撒けるアーデルハイトの態度は、さすがに我慢の限界であった。


「あのねぇ!そっちがそういう態度取り続けるなら、こっちも考えがありますよ!?」


「あら、ではどうすると言うんですの?さぁ、やってご覧なさい。ブチのめして差し上げますわ」


「この・・・ッ!」


 青筋を立て、佐藤がアーデルハイトに詰め寄ろうとしたその時であった。アーデルハイトから見て前方、佐藤の後方から女性の声が聞こえて来た。


「お嬢様!?」


 アーデルハイトを驚愕の表情で見つめ、彼女の事を『お嬢様』と呼んだ女性は、息を切らせて、何事か叫びながら大急ぎで二人の元へと駆け寄った。二人の眼前で前かがみになりながら息を整えた女性は、アーデルハイトを庇うように警官との間に割って入った。


「あのっ!すいません、彼女が何か失礼なことを言いましたか!?」


「ああ、いえ・・・どちら様でしょうか?彼女のお知り合いですか?」


「は、はいっ!」


「そうですか。いえ、二~三質問をしていたんですが、非協力的な態度でしたので署でお話を伺おうかと思っていたところでして・・・」


「す、すみません、彼女はその・・・少し残念な方でして」


「そう・・・ですか?この格好は?本物の鎧に見えますけど」


「あ、えっとこれは、その・・・レイヤー!!そう、彼女コスプレが趣味なんですよ!ほら、彼女美人じゃないですか!それでその、人気があって!」


 しどろもどろになりながらも、なんとかアーデルハイトを庇おうとする女性。その言い分は少々無理があるように思われたが、どうみても日本人ではないアーデルハイトをちらりと見た佐藤は、もはや面倒になったのか、それで納得することにしたらしい。


「・・・って彼女は言ってますけど?本当ですか?」


 しかし、ここまで黙って女性と警官のやり取りを眺めていたアーデルハイトは、事もあろうにこう言った。


「そんな端女はしため、知りませんわ。誰ですの貴女?」


 当然訝しむ佐藤であったが、差し伸べた手を素気なく振り払われた女性からすれば、たまったものではなかった。確かにこの一年で、多少なりとも彼女の外見は変わっていた。こちらの世界では、元の青髪では目立つからと暗いブラウンに染めている。

 しかし、しかしだ。顔を見れば分かるだろう、と。

 女性は涙目になりながら、背後のアーデルハイトへと抗議の声を上げた。


「ええ!?酷っ!?私、私ですよ!クリスです!クリスティーナ・リンデマンです!」


 目の前の女性が告げた名前。

 それは一年前、あの憎き売女に殺された筈の、アーデルハイトが最も親しかった侍女の名前であった。

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