第85話 まだ何も言ってないわよ

 その質量と重さを利用することで、圧倒的な破壊力を叩き出す武器。『斬る』というよりも『圧し潰す』、半ば鈍器のような武器。重量故に扱いが難しいという弱点を、一撃の重さでカバーする。一般的な大剣のイメージとは、概ねこのようなものではないだろうか。


 そのイメージも間違ってはいない。

 だが実際に戦いで使うとなれば、そんなロマン武器が役に立つだろうか。鈍重で取り回しが悪く、過剰気味な破壊力。そんな信頼の置けない武器を誰が選ぶだろうか。


 つまり本来の大剣とは、創作物に於けるそれとは異なるのだ。アーデルハイトの持つローエングランツ然り、レベッカの持つ怒りの剣グラム然り。その長大なリーチで以て槍と渡り合い、巨大な魔物でさえも切り裂く威力を持つ。重量に関しても同じことだ。重心を工夫すれば取り回し自体は悪くない。確かに防御には向かないが、それを言ってしまえば大半の刃物がそうだ。刃毀れはこぼれという弱点がある以上、そもそも剣という武器種自体が防御を前提としていない。


 つまり比率こそ攻撃に偏ってはいるものの、大剣とは本来、もっとバランスのいい武器なのだ。


 試合開始の合図と共に、レベッカは瞬発した。少なくとも、アーデルハイトがこちらの世界で見てきた探索者の中では一二を争う速度だった。単純な速度だけに焦点を当てるのならば、月姫かぐやのほうが僅かに勝っているかもしれない。得物の違いがある故に、一概に月姫かぐやの身体能力がレベッカを上回っているとは言えないが。


 とはいえ、だ。

 如何に彼女が速かろうと、それはこちらの世界での話。レベッカをあちらの世界の冒険者に当てはめるのならば、その実力は恐らくA級下位から中位といったところだろうか。つまり、彼女はあちらの世界でもそれなり以上に戦えるということだ。それ自体は驚嘆に値することであり、アーデルハイトでさえも感心するほどだ。


 だがそれでは、その程度では。

 世界の頂点たる六聖には、ほんの僅かすらも届かない。


 一秒もかからずに彼我の距離を詰めたレベッカは、裂帛の気合と共に大剣を振り抜いた。距離を詰めたといっても、それは自分の間合いに入れたという意味だ。間違ってもウーヴェに肉薄した訳では無い。格闘家を相手に間合いをゼロにするなどと、そんな愚行を犯すほどレベッカは考え無しではない。


「ぅオラァァァッ!!」


 それは模擬戦とは到底思えないような、一撃必殺の横薙ぎだった。彼女が握っているのは自前の大剣グラムであり、模造剣などでは断じて無い。当然ながら刃が潰されているなどということもなく、人間が触れでもすれば即座に真っ二つである。

 初手が横薙ぎの一閃なのも悪くない。横薙ぎの攻撃は躱しづらいのだ。振り下ろすよりも威力に劣るが、攻撃範囲では勝っている。そもそも大剣で人を斬るのに威力など必要ないのだから、彼女の選択は間違っていない。


 そんな彼女の横薙ぎは、振り下ろされたウーヴェの左足によって床へと叩きつけられた。振り抜かれた大剣のその腹、つまり刀でいうところの鎬部分を、上から踏み抜かれたのだ。間合いの外に出て躱すでもなく、下に潜った訳でもない。言うまでもないことだが、これは馬鹿げた芸当だ。ピッチャーが投げた球を、真上からバットで叩きつけるのと同じことだ。常人に出来ることではない。


「チッ!!」


 とはいえ、レベッカもこの程度のことは想定していた。そもそも彼女はアーデルハイトとの戦いを希望していたのだ。動画は何度も見返したし、巨獣との戦いは特に繰り返し視聴した。そんなアーデルハイトと同レベルの相手というのだから、このくらいの馬鹿げた芸当は当たり前のようにしてくるだろうと、しっかり心の準備は済ませていた。


 そんな準備万端整えていたレベッカであっても、実際に目の当たりにすればやはり動揺はあった。だがそれでも、それは彼女の動きを鈍らせる程のものではなかった。


 剣に左足を乗せたまま、ウーヴェが右足を軽く振り上げる。彼に取ってはほんの小手調べであり、当てるつもりも殆どない蹴りだった。これが躱せない程度の実力ならば、さっさと終わらせてしまおうとさえ思っていた。逆を言えば、これを躱せる程度には使えるのであれば、多少は相手をしてやってもいいと彼は思っていた。


 ウーヴェの攻撃には殆ど予備動作がない。否、実際にはちゃんと予備動作が存在しているのだが、そのあまりの攻撃速度のせいで視認することが出来ないのだ。制止した状態からほんの一瞬で最高速へと到達するその技のキレは、実力の足りないものからすればまるでコマ送りのようにも見えるだろう。


 対するレベッカの反応は、傍から見ていたアーデルハイトをも感心させた。このままでは回避出来ないと判断した彼女は、なんと自ら大剣を手放したのだ。そうして剣を振り抜いた姿勢から、身体を強引に捻ってウーヴェの蹴りを既のところで回避、そのまま床を転がって間合いを取った。


 剣士が剣を手放すということは、それすなわち命を手放したのとほぼ同義だ。仮にこれが実戦であれば、レベッカが得物を失った時点で勝敗は決したといえるだろう。だがこれは実戦ではなく、あくまでも模擬試合である。故に、レベッカが剣を手放してでも蹴りを回避したことは間違いではないのだ。もしも剣に固執して蹴りを食らっていれば、ここから先の戦いは存在しなかったのだから。


 彼女は試合前にアーデルハイトから告げられた『全力を賭して戦え』という言葉の意味をしっかりと理解出来ていたらしい。


 蹴りを回避されたウーヴェが、少しだけ意外そうな顔をして大剣を拾い上げる。そうしてレベッカの方へと大剣を放り投げ、彼女が拾うのをじっと待っていた。どうやらウーヴェも、多少はレベッカに興味が湧いたらしい。

 これはアーデルハイトにとっても意外なことだった。自らの力と勝敗のみに固執するタイプだと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。思い返せば、アーデルハイトが始めてウーヴェと遭遇した際も、彼は騎士団員達とそれなりに長い時間遊んでいた。調練というわけではないだろうが、一瞬で終わらすのは味気ないとでも考えているのだろうか。


 整ったおとがいに手を当て、アーデルハイトがそんな風に考えを巡らせていた時だった。修練場内に漂っていた緊迫した空気が、ほんの僅かに弛緩する。最初の関門を潜り抜けた安堵からだろうか、レベッカが大きく息を吐き出した。


「ふぅぅぅ……思ってたより百倍やべェわコレ。下手すりゃ今ので終わってたよな?……ククッ、マジかよ。どうすんだこれ、めちゃくちゃ楽しいんだが」


「……胆力は良し。ただの凡愚というわけでもないらしい」


「お褒めに預かり恐悦至極、ってなァ」


「……とはいえ、あの女に挑むにはまるで足りん」


「ぶっちゃけアンタと戦えただけでも十分っちゃ十分なんだが……やっぱ途中で目標を変えるのはダセェだろ?」


 彼我の実力差など、誰よりもレベッカ本人がよく理解していた。しかし彼女は挑発的な笑みを浮かべ、床に転がる大剣を手に立ち上がる。そのまま大剣を器用に振り回し、切先をウーヴェへと突きつけた。レベッカにとって、今の状況はまたとない機会なのだ。勝つにしろ負けるにしろ、得難い経験になることは疑いようもない。故に、彼女は最後まで戦うつもりだった。


「折角の機会なんだ。悪ィがもうちょっと相手してくれよ」


「……それは貴様次第だろう。さっさと掛かってこい、加減はしてやる」


「そりゃまたお優しいことで。んじゃ、第二ラウンドといこうぜ」


 妖しい笑みをそのままに、レベッカは再び修練場を駆け抜けた。




 * * *




 レベッカとウーヴェの戦いが再開されるその隣で、アーデルハイトは呑気にも雑談に興じていた。目の前の戦いに興味がない訳では無いが、しかし二人の技量には明らかな差があった。故に、アーデルハイトほどの実力者ともなれば、観戦することで得られるものなど大してないのだ。


「ところで貴女、どうしてここに居ますの?」


「あなたたちの所為なのよ?」


そんなアーデルハイトの言葉に対し、ぷりぷりと怒って見せたのは花ヶ崎刹羅。帰ってのんびりしようと思った矢先、居残りが決定してしまった哀れな支部長である。


「あら?修練場を借りるのに、支部長の監視が必要ですの?」


「違いますぅ!必要ないですぅ!!」


「……?ではどうしてですの?」


「……本当に不思議そうな顔はやめて頂戴。可愛いだけに余計腹立たしいわ」


花ヶ崎のそれはただの八つ当たりでしかない。協会側の事情を知らないアーデルハイトからすれば、支部長がわざわざ監視に来る意味が分からないのは当然のことだった。


「ところで……あのレベッカさんと戦っている男の子?あれはどちら様なのかしら?なんだかとっても嫌な予感がするけれど、聞いておかないといけない気がするのよね」


「知らない方ですわ。わたくしとは無関係ですの」


当然の様に、表情一つ変えること無く白を切るアーデルハイト。


「……」


「嘘ではありませんのよ?」


「まだ何も言ってないわよ……はぁ」


誰がどうみたって嘘なのだが、しかし何を聞いても答えてくれそうにないアーデルハイト。そんな彼女を前に、花ヶ崎は溜息を一つ吐き出した。

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