第86話 謀ったな剣聖
レベッカが選んだのは上段からの振り下ろしだった。
横薙ぎが駄目なら今度は振り下ろし。そんな単純な考えではない。彼女の戦闘に関するセンスは一級品であるし、勘や嗅覚も鋭い。気配や殺気にも敏感で、身体能力も申し分ない。戦闘を好む混じりっけ無しの脳筋ではあるが、だからといってただの馬鹿というわけではないのだ。
レベッカは先のやり取りを思い返していた。仮に攻撃自体が通用しないのであれば、わざわざ剣を踏みつけ、抑える必要などなかった筈なのだ。ただその身で受け止め、動きの止まったところを殴るなりすればいいだけだ。だがウーヴェは『防いだ』。
如何に拳聖と呼ばれる男といえど、剣撃をまともに受けることが出来るというわけではないのだろう。つまり、問題は如何にして刃を届かせるかであり、当てさえすれば攻撃自体は通用する。彼女はそのように考えたのだ。そのように勘違いしたのだ。
彼女の剣撃は、ほんの少しだけ軌道を右にズラしてあった。本当に少しだけのズレだ。常人には何度見ても分からないであろうその僅かなズレは、しかしウーヴェならばしっかり見えているとレベッカは確信していた。そして受けることが出来ない以上は、左右のどちらかに回避するはずだ、と。
軌道をズラすことで回避の方向を誘導し、続く二撃目でウーヴェを捉える。つまりレベッカの振り下ろしはフェイントだった。全力の一太刀にしか見えない一閃だが、その実、スムーズに二撃目へと繋げるために、彼女は最初から身体の重心を残していた。
「うぉりゃぁぁぁッ!!」
フェイントの一撃とはいえ、彼女の放ったそれには十分な威力があった。そもそも彼女の得物は大剣なのだ。軽く振るっただけでも、人間を斬るには事足りる。そうしておきながらも、彼女の両の瞳はウーヴェを観察し続けていた。
対するウーヴェは拳を構えることもなく、ただじっと
(はァ!?こりゃどういうこった?避けねぇのかよ!?)
内心で困惑しつつも、しかしレベッカは剣を止めない。相手の意図が読めないからといって、今更プランを変えるのはそれこそ悪手だった。全力の一撃ではないにしろ、今剣を止めれば硬直するのはレベッカの方だ。たとえ僅かな硬直であったとしても、目の前の男は見逃してはくれないだろう。そんなレベッカの逡巡を他所に、風切り音というよりも、むしろ空気を圧し潰すような鈍い音を上げながら、刃はウーヴェの鼻先へと到達する。
「半端だ」
次の瞬間、大剣を保持していたレベッカの両腕が側方へと吹き飛んだ。修練場内に鳴り響いたのは、まるで分厚い鉄板を巨大な鉄球で殴りつけたような、重い、重い音だった。
肩から先が無くなったかのような、それほどの衝撃だった。一挙手一投足をも見逃すまいと、彼女は鋭い眼差しをウーヴェに向けていた。瞬きの一つすらもせず、一瞬たりとも目を離していない筈だった。それでも、何をされたのかまるで分からなかった。彼女が剣を手放さなかったのは殆ど奇跡と言えるだろう。
「ぐッ!?」
重心を残していたのが幸いしたのか、爆発にも似た衝撃にどうにか踏みとどまるレベッカ。腕に伝わる猛烈な痛みに耐え、顔を顰めつつ前方を見てみれば。そこにはただの一歩も動くこと無く、左腕を振り抜いた体勢でじっと佇むウーヴェの姿があった。
ウーヴェが行ったのは左拳による裏拳だった。高速で迫る剣撃に対して、真横から剣の腹を殴りつけたのだ。剣撃とは側面からの力に弱いものだ。ほんの少しの衝撃であっても、側面から力を加えれば簡単に威力が霧散してしまう。もっといえば、これが刀や細身の長剣であれば武器自体が圧し折れていただろう。今回はウーヴェが手加減したのか、或いは耐久に優れる大剣だったが故に無事であったが。
これは技ではない。
相手の力を受け流すアーデルハイトの『
「発想自体は否定しないが───」
振り抜いた拳を元の位置へと戻し、真っ直ぐな瞳でレベッカを見つめる。
「力量の離れた相手に対して、二度目の機会など訪れはしない」
酷く平坦な声色でそう告げるウーヴェ。レベッカの思惑はどうやら筒抜けであったらしい。フェイントの効果自体は認めつつも、余裕を持って対処されるような初撃であれば意味がない。これが実戦であれば中途半端な一撃を放った時点で死んでいると、ウーヴェは恐らくそう言いたいのだろう。そうでなくとも、『劫眼』を持つ彼に対してはフェイントなど通用しないのだが。
ウーヴェはそう評したものの。
実際には、レベッカの一撃はあちらの世界基準で言っても、そう簡単に対処出来るようなものではなかった。余裕を持って策を叩き潰せたのはウーヴェの実力あってこその話であり、彼の言い分は些か乱暴だと言える。もしもあちらの世界のA級冒険者達が聞けば、『ならばどうしろというのか』などと文句の一つも垂れていたことだろう。しかしそれこそが彼の基準であり、『六聖』の基準なのだ。『六聖』と戦うということはつまり、理不尽と戦うことに他ならないのだから。
所詮はただ一度のやり取りである。先の第一ラウンドとやらをを合わせてもたったの二手だ。それでもレベッカにとってみれば、そこらの探索者達と手合わせする数百、数千のやりとりよりもよほど濃密な時間であった。
一方、不安になって様子を見に来ていた花ヶ崎は、空いた口を塞ぐことが出来ずに居た。レベッカほどではないにしても、引退する以前は彼女とて高い実力を持つ探索者であった。そんな彼女の目を持ってしても、先のやりとりはまるで見えなかったのだ。世界でもトップクラスの実力を持つレベッカを、まるで子供の相手でもするかのようにあしらう男。得体の知れない怪しい男の出現に、自分の胃がキリキリと悲鳴を上げるのを彼女は感じた。
「……見えたか?」
「いや……想像はつくが、だが……」
そしてそれは
そんな彼らを他所に、すぐ隣では呑気なやり取りが繰り広げられていた。
「一般通過女性のウチには何がなにやら……なんとなく凄いことだけは分かるんスけど」
「安心してください。他の方々も困惑されているようですし、
半分白目になりながらそう感想を述べた
「えー……そこで本日は、解説にアーデルハイトさんをお呼びしてるッス。お嬢?」
「どうもですわ!」
「早速ですが、今のは一体……?」
「ベッキーの剣を、横から思い切り殴りつけたんですの。ごく単純な力技ですわね。あぁ野蛮ですこと!!」
「ゴブリンの頭でサッカーする人の台詞とは思えないッスね……」
* * *
それから五分ほどの時間が経った。
戦いの展開は依然として同じまま、何も変わることはなかった。レベッカが攻撃を仕掛け、ウーヴェがそれを軽くあしらう。言ってしまえばただそれだけの内容だが、見ているものからすれば退屈とは程遠い光景だった。
薙ぎ払っても駄目、振り下ろしても駄目。緩急をつけ、硬軟織り交ぜた多彩な攻撃の数々も。そのどれもが届かない。そうしていよいよ手に窮したレベッカは、次いで突きを選択した。突きは斬撃に比べて攻撃の到達が早い。重い大剣で行うのには些か不向きな攻撃方法ではあるが、彼女の膂力であれば重量は大した問題にはならない。右手一本で大剣を保持し、体重を乗せ、腕を限界まで伸ばし繰り出された刺突は、大剣の長大なリーチも相まって一瞬でウーヴェへと襲いかかった。
「しィッ!!」
狙いは胸部だ。頭部は的が小さく狙いづらい上に、反応されれば少し頭をズラすだけで避けられてしまう。しかし胸部や腹部であれば多少ズレたところで身体の何処かには当たる上、回避するためにはどうしても大きく動かざるを得ない。
「遅い」
だが当然のように、彼女の突きは下方から思い切り蹴り上げられた。
とはいえ、レベッカも防がれることは想定していた。というよりも確信していた。この数分間で何度も見せられた光景であったし、もはや驚くこともない。頭上から振り下ろされる剣を、殴って吹き飛ばすような男が相手なのだ。如何に全力で放った突きといえど、届かないことは理解っていた。
故にレベッカは前に出た。重心を後ろに残していたが為に中途半端だと評された、そんな先程の一撃とは真逆の行為だ。上方へと吹き飛ばされた大剣に引っ張られるように、逆らうこと無く足を一歩踏み出す。そうして踏み出した足に力を込め、修練場の床を思い切り踏みしめる。そのままぐるりと回転するように身体を捻り、伸び切った腕を力任せに引っこ抜く。足に込めた力を腕へと伝えて膂力に変えて、全力で剣を振り下ろす。
要領でいえば後ろ回し蹴りに近い。回転斬りとでも言えばいいのだろうか。直前に一度背を向けているが故に、剣の出処も分かりづらい筈だ。当然ながら、背を向ける都合で大きな隙を見せることにはなるが、ウーヴェがその隙を突いて来ることはない。彼は最初に見せた試金石代わりの一撃以降、ひたすら受けに徹していた。それを理解っていたからこそ、レベッカはこの攻撃に出たのだ。
バランスを崩した状態から一転、流れるように放たれたそれは、遠心力を利用している故か異常なまでの剣速を有していた。大剣の上げる音とは思えない、まるで空気を切り裂くかのように高く澄んだ剣の音。それはレベッカの身体能力と技量が優れていることの証左だ。紛れもなく、今のレベッカに出来る最高の攻撃だった。
演習場内に轟音が鳴り響き、衝撃によって砕けた床の破片と埃が舞い上がる。観客の方まで飛んできたその礫は、
そうして観客たちが見たものは。
剣を振り抜いた体勢で静止するレベッカと、そんなレベッカの渾身の一撃を、素手でしっかりと受け止めるウーヴェの姿であった。
これこそがレベッカの勘違いであり、ウーヴェが理不尽の権化、『六聖』の一人たるその証だ。当たれば攻撃自体は通用するという、その考え自体が誤りだった。彼に傷をつけるには、レベッカの実力ではまだまだ足りないということなのだろう。
「……くくっ、あっはっは!!いやァ参った、降参だ。今の一撃で無傷なら、今のアタシにはどうしようもねェよ」
「……いや、最後の一撃は悪くなかった。だが単純に威力が足りん。肉を食え、筋トレをしろ」
「筋トレでどうにかなるレベルかよ。素手で剣を受け止めるなんざ、人間に出来る芸当か?アンタ実は魔物だったりするんじゃねェの?」
「馬鹿を言うな。魔物には俺より硬いヤツも多い」
「そういう意味で言ってんじゃねェよ。呆れながら褒めてんだ」
「……頑丈さは俺の方が上かも知れんが、そこの剣聖もそう変わらんぞ」
ともすれば熱くなりがちな探索者同士の模擬戦であるが、この二人に関しては、互いに遺恨のようなものは一切残っていないらしい。レベッカからすれば殆ど稽古を付けられたような感覚であり、ウーヴェからすれば『本番』に向けての、ただの余興に過ぎないのだ。争いは同じレベルの者同士でしか発生しないというが、まさにその通りだといえるだろう。ウーヴェほどに実力が突出していれば、そのような相手はそうそう居るものではない。
とはいえ、ウーヴェからしても今回の模擬戦はそう悪いものではなかった。そのむっつりとした表情からは理解りづらいが、この時点でウーヴェは、既にこちらの生活が楽しみになっていた。
彼はこちらの世界に来てまだ日が浅く、特にこちらの人間の実力に関してはその一切が不明だった。だが、今回の戦いではその大凡が判明した。ざっと街を見渡してみても、人口は明らかにこちらの世界のほうが多く見える。食事処でくだを巻いていた一般の女ですらこれなのだ。同レベルの相手がそこらを歩いているのであれば、成程、それなりに楽しめそうだった。中には自分と同レベルの者も居ることだろう。
彼はそう考えていた。
ともあれ、まずはここに来た目的を果たさなければならない。その為に、柄にもなく教導のような真似までしてみせたのだ。
「……さて、待たせたな剣聖」
そうしてウーヴェが振り向き、観客たちの方へと視線を向ける。そこにはなにやらタブレットを高速で叩いているレナードと、レベッカに渡すためのタオルと飲み物を用意するウィリアム。そして砕けた修練場の床を見つめながら腕を組み、困ったような顔で南方と会話をする花ヶ崎の姿があった。肝心の女の姿が、見当たらなかった。
「……ん?」
修練場の真ん中にて、不思議そうに佇むウーヴェ。そんな彼の様子に気づいた花ヶ崎が、大きな声で遠くから呼びかける。
「さっきこっそり出ていったわよー!」
あれほどの実力を持つ者の動きを、まさか見逃すとは思っていなかった。どうやらこちらの世界に来て以来、思っていたよりも気が抜けていたらしい。彼がこちらの世界に来てから既に何日かが経っている。戦いから身をおいて久しい故に、感覚が鈍っていたのかも知れない。
「チッ……謀ったな剣聖」
自省せねばならないだろう。
そう考えを新たにしつつ、ウーヴェは誰も居なくなったベンチの一角を見つめ、行き場を失った拳をぐっと握りしめた。
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