第212話 見学余裕ですわー!

 霊亀を実戦テストに使うと決めた理由は、クロエからの依頼や、莉々愛りりあからのオファーがあったからというだけではない。


 敵意がないノンアクティブ


 これが最も大きな理由だ。


 無論、霊亀が厄介なのは初撃以後の話だ。この強固な魔物を一撃で倒すことなど誰にも出来ない。故に探索者達は狂乱状態に陥った霊亀と戦う必要があり、そのリスクに見合った成果が得られないからこそ、誰も進んで倒そうとはしないのだ。


 だがもしも、厚い装甲を破って一撃で仕留める事が出来るなら。程よく硬く───あくまでも異世界を基準にした場合だ───、かつ群れを成すタイプの魔物ではない。試し斬りの相手としてこれほど適した魔物も居ないだろう。


 そう、一撃で倒せるなら。

 如何に『蛟丸』と謂えど、4メートルもある巨大な亀を両断出来る筈もない。甲羅の強度がどうとかそれ以前の問題だ。漫画ではないのだ。ファンタジーではないのだ。刀は刃渡り以上のものを斬ることなど出来はしない。それが普通で、それが常識だ。大地を抉るような斬撃だとか、斬撃そのものを飛ばすだとか、そんなことはあり得ない。身体能力が強化されているとはいえ、探索者も所詮は人の身なのだから。


「ふぅ……」


 月姫かぐやがゆっくりと息を吐き出す。魔物を前に緊張し乱れる精神など、彼女は今更持ち合わせていない。ただ練習のとおりにやればいい。それさえ出来れば必ず上手くいくと、そうお墨付きをもらっているのだから。


 月姫かぐやらしいというべきか、うっすらと明滅する黒い魔力の燐光が、彼女の身体を取り巻いてゆく。やがて光は大太刀『蛟丸』へと伝わる。純白の刀身はそのままに、棟区むねまちから切っ先まで、鎬地の部分だけが黒く染まってゆく。それまで刀が持っていた神秘的な雰囲気が一転───否、豹変するかのように。


 及第点をもらったとはいえ、まだまだ見習いであることには違いない。当然ながら、戦いの中で自然に魔力を操作するなどまだ出来はしない。月姫かぐやの額には前髪が張り付き、うっすらと汗が光っていた。そんなただならぬ空気を放っている月姫かぐやを見て、視聴者達も大盛りあがりである。経緯を知らない茨の城ファンと、経緯を知っている異世界方面軍ファン。それぞれの反応は対極的であったが。


 一方の霊亀はといえば、月姫かぐやに対して何の興味も抱いていなかった。視線を向けることもなく、まるでそこに誰も居ないかのように、地鳴りを上げながらゆっくりと歩いている。なんと呑気な魔物だろうか、異世界出身のアーデルハイトやクリスに言わせれば、この巨大な亀には危機感が足りない。今の月姫かぐやを見て何も感じないようでは話にならない。


 こちらの世界ではどうだか知らないが、これがもしも異世界であったなら。この霊亀とやらは皆須らく、これほどの大きさへと成長する前に他の魔物の餌となっていることだろう。偉そうに腕を組みながら、アーデルハイトがそんな風に考えていた頃。準備が整った月姫かぐやが、前傾姿勢のままいよいよ飛び出す。


「っ───行きますッ!」


 月姫かぐやの持つ『蛟丸』は、見た目の神々しさとは裏腹に凄まじい重量と長さを誇っている。故に、肩に担いだ大太刀の切っ先が地面を撫で、彼女の疾走った道に痕を残してゆく。アーデルハイトが普段そうするように、月姫かぐやもまた敵へと向かって一直線に。彼女の抱いた憧憬は、しっかりとその身に息衝いていた、




 * * *




「ちょっと、ホントに大丈夫なんでしょうね?」


「んぅー……わたくしの見立てでは、五分五分といったところですわね」


「えっ」


「五分と五分ですわ」


「聞こえてなかった時の『えっ』じゃないわよ!! そんな『見学余裕ですわー!』見たいな顔しておいて五分なの!?」


「わたくし、どんな顔してますの……?」


 心の何処かでは訝しみつつも、これだけ余裕を見せているのだから大丈夫なのだろう。そう思っていた莉々愛りりあにとって、この答えは想定外だった。どうやら月姫かぐやが成功する確立は五分らしい。つまり二分の一の確率で、暴れまわる霊亀の処理をしなければならないということ。茨城ダンジョンは不人気ダンジョンというわけではなく、それなりに探索者が出入りしている場所だ。実際これまでにもいくつかの探索者パーティと遭遇し、その全てから奇異の目で───主に異世界勢の所為で───見られている。そんな人出のあるここで、霊亀を刺激するだけしておいてそのまま放置は出来ない。


 莉々愛りりあは横目で、荷台に乗せていたレーヴァテインへと視線を送る。見れば莉瑠りるもまた同じことを考えていたのか、いつでも使えるよう準備を始めていた。試射を終えた以上、今日はもう使うつもりはなかったが───


「必要ありませんよ」


 黙したまま月姫かぐやを眺めていたクリスが、戦闘準備を始めた双子へ向かってそう言った。振り返ったわけでもないのに、何故準備を始めたことが分かったのだろうか。そんな些細な疑問を頭の片隅へと追いやり、莉々愛りりあはクリスに反論する。


「そう……なの? いや、でも五分五分なんでしょ? あの子が強いのは───強くなったのはよく分かったけど、五分は信頼出来るような確率じゃないわよ?」


「仮に莉々愛りりあさんの言うように、私が教え鍛えたというのに、それでも彼女が情けなくも失敗し、恥を晒しておめおめと逃げ帰ってきたとしましょう」


「そこまでは言ってないわよ!?」


「その時は責任を持って、魔物はこちらで処理致します。まぁ、そんなことにはならないと思いますが」


 それは魔法の師としての信頼からくる言葉か。月姫かぐやの成功を疑ってもいないような、自信に満ちた声色であった。戦闘に関する事柄にはシビアな一面を見せる主人は、一切の忖度なく五分五分だと評したが。しかしクリスの考えは少し違う。クリスは彼女が失敗するとは微塵も思っていない。そう、何故なら───


お嬢様あこがれの前で情けない姿は見せられない。そうでしょう?」


「もう大体見ましたわー」

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