第292話 糸目男ですわ

 出雲市部の下見を中止した一行は、その後やたらと推してくるクリスの熱意に負け、有名な出雲そばの店を数軒ほど梯子した。クリスは店選びからルートまで、下調べは万端整っていた様子であった。異世界方面軍と愉快な仲間たちは全員女性であるが、しかしその大半が探索者だ。ちょっとやそっとでは満腹になることもなく、一般人であるみぎわとヘタレエルフを除き、全ての店で全員がおいしく平らげたという。そんなクリスの隙の無さが如何なく発揮された蕎麦屋巡りは、たっぷり夕刻まで続いた。


 そうして翌日。つまりは一行が出雲に到着してから三日目の朝。

 愉快な仲間たちは先日に引き続き、再び探索者協会出雲支部を訪れていた。昨日はあったはずのクソダサ横断幕は既に掲げられておらず、本日の出雲支部は平常運転であった。


「たのもー!」


 まるで道場破りのような掛け声と共に、くるるが先陣を切った。カラカラと小気味の良い音を立てながら、正面入口の和風自動ドアが開く。出雲支部のエントランス部分は、やはり外観同様、どこか神社仏閣を彷彿とさせるデザインだ。さすがは出雲大社のお膝元というべきか、支部内の至る所には小さな兎の石像が見られた。


 探索者協会といえば、大抵の場合はどこも似たような雰囲気を持つものだ。最新のダンジョン情報を交換する探索者達の声や、受付カウンターで手続きを行っている者などなど。あちらの世界の冒険者ギルドほどではないが、しかしそうした声が幾つも重なり合い、ある程度の喧騒はあるのが普通なのだ。


 しかし出雲支部は静かで、ひどく落ち着きのある空間となっていた。探索者が居ないわけではない。まだ朝も早いというのに、既にホール内には数組のパーティが見られる。加えて出雲ダンジョンは、京都や神戸と違い不人気ダンジョンというわけでもない。ダンジョン内部が少々特殊な構造をしていることで有名ではあるが、ここをホームとしている探索者はそれなりに多い。であるにもかかわらず、この静けさ。土地柄、或いは地域性とでも呼ぶべきか。とにかく、これまでにアーデルハイト達が訪れたことのある支部とは、随分と異なる雰囲気であった。


「……ぐすん」


「初手で大スベリとは、なかなかやりますわね!」


 元気よく挨拶したはいいが、どこか場違いな空気を感じたのだろうか。気まずくなり、スベリを嘘泣きで誤魔化そうとするくるる。彼女は見事に、出雲デビューに失敗したのだ。といっても、注目自体はしっかりと浴びている。ノリと勢いを信条とするくるるだが、これでも有名配信者なのだ。当然、その名声はここ出雲の地まで届いて────ダンジョン配信に物理的な距離など関係ないのだが────いる。こんな朝早くから支部を訪れているような、どう見てもやる気満々のパーティが、彼女のことを知らぬ、などということがあるだろうか。


「あれ、もしかして魔女と水精ルサールカくるるさんじゃない?」


「うっそマジ? なんで出雲ウチに?」


「遠征? そんな告知あったっけ? っていうか他のメンバー居なくね?」


「っていうか────ウソ! 後ろに居るのアデ公じゃない!?」


「は? オイオイオイオイ、死んだわ俺」


 などなど。

 支部で支度を整えていた者の一人がくるるに気づき、情報が徐々に伝播する。次いで注目はアーデルハイトへと移り、支部を満たしていた静けさが突如として霧散する。


「なんかもしかして、もう私よりアーちゃんの方が人気ある?」


「そんなことはありませんわ。実際、チャンネル登録者数もまだまだ及びませんし。ですが! 生のわたくしの高貴度は誰にも負けておりませんわよー!」


「それは確かに! 私も初めて生でアーちゃんに会った時、滅茶苦茶感動したもんね。っていうかそもそも、私ら貴族じゃなかったや」


 アーデルハイト達も随分と有名になったもので、近頃は支部に顔を出すだけでもこの通りだ。特に、比較的よく顔を出す伊豆支部などには、異世界方面軍待ちのファンすら居るほどだ。そんな俄にどよめく観衆を他所に、アーデルハイトとくるるは呑気な雑談に花を咲かせる。くるるも当然、地元京都では似たような扱いを受けている。こうした反応はすっかり慣れっこなのだ。


 茉日まひるにしてもそうだ。地元に魔女と水精ルサールカという絶対的な存在が居るおかげで、こうした光景はもはや日常茶飯事である。いちいち取り乱したりはしない。加えて彼女もダンジョン配信者であり、カメラの前に立つことを生業としているのだ。配信者に最も必要なのは度胸。この程度で狼狽えているようでは、カメラの前で戦うなど、とてもとても。


 と、そんな折。

 一行の下へと歩み寄ってくる一人の協会職員が居た。


 制服が映える、スラリと伸びた長い足。180センチはありそうな長身に、ぴんと伸びた背筋。その動きは洗練されており、スーツ姿と相まってか、『執事です』と言われても違和感のない出で立ち。僅かに微笑みながら近づいてきたのは、糸目の男であった。


「異世界方面軍の皆様、そして魔女と水精ルサールカくるる様に、そちらは砂猫の茉日まひる様ですね? お初にお目にかかります。私は協会本部より当支部の支部長を拝命しております、名を神代かみしろ潤香うるかと申します。以後、お見知りおき下さい」


 そう言って恭しくお辞儀をする、自称支部長の男。厭らしさのようなものは感じられないが、しかしなんとも胡散臭い男であった。


「お酒に合いそうな名前ッスね」


 後ろめに待機していたみぎわがぼそりと呟く。すると神代は『待っていました』と言わんばかりに、その一言に食いついた。因みに『潤香』とは、鮎のはらわたや卵などを塩漬けにした料理である。専ら、酒の肴として珍重されている。


「ふっふっふ、よく言われますよ。実際、両親がそこから取ったらしいです」


「あ、そうなんスね。趣味が合いそうッス」


 つかみは上々と見たのか、或いは好感度の稼ぎ時だとでも思ったのだろうか。神代はそのまま世間話を続けようとした。しかしアーデルハイトとクリスは、別の話題で盛り上がっていた。


「クリス、糸目男ですわ。アレは絶対に物語中盤で裏切りますわよ」


「ですね。古来より糸目の優男は裏切ると相場が決まっております。我々も注意しておきましょう」


 もちろんただの偏見ではあるのだが、しかしその場に居た誰もが否定できず、むしろ『確かに』と納得してしまった。なんとも可哀想な男である。そんな悲しい偏見を聞かなかったことにしつつ、気を取り直した神代は話を続ける。


「実は本部より、異世界方面軍の皆様が出雲支部ここに向かっているという情報を頂きまして。是非歓迎の挨拶をと思いまして、職員一同皆様の到着を心よりお待ちしていたのです」


 そんな神代の言葉に、一行は不思議そうに顔を見合わせた。旅行前にあかりへ行き先を伝えたのだから、行き先が知られているのは特に不思議な事ではない。だがわざわざ支部長自らが出迎えるとは、一体どういうことなのか。

 一番偉い人物が直接会いに来る。成程確かに、ファンタジーではありがちな展開ではある。だがここは現実だ。いくら名の知れた探索者がやって来たといえど、支部の責任者がわざわざ待っているなどと、支部長はそれほど暇な役職ではない。招聘されたのならいざ知らず、アーデルハイト達は旅行のついで、不思議パワーを獲得するため勝手にやって来ただけなのだから。


 故に、なんとも言えない嫌な予感が一行を襲う。それを彼女らの表情から見て取ったのか、神代は慌てた様子で言葉を続けた。


「あぁ、いえ。違います。何か面倒事を頼みたいだとか、そういった類の話ではありません。ただ皆様は世界初の『制覇者』ですから……否応なく期待してしまう、とでもいいましょうか」


「あら、一体わたくし達に何を期待していますの?」


 頼み事ではない。では、支部長自らが出迎えて、一体何を期待しているというのか。そう問いかけたアーデルハイトへと、神代はやはり胡散臭い笑顔でこう言った。


「それはもちろん、ダンジョンの攻略を────ですよ」

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