第96話 マズっ!!臭ッ!!

 伊豆ダンジョンの11階層。

 そこはまるで遺跡のような造りであった。綺麗に積み上げられた石壁は、どこからどうみても、人の手が加わっているようにしか見えない。地面も同様で、まるで石畳のように成形された石が敷き詰められている。


 そして10階層以前と異なる最大の特徴は、フロアの全てが足首程の高さの水に沈んでいるということ。川や浜辺でもそうであるように、たった数センチ程度の浅瀬であったとしても、人は簡単に足を取られてしまう。当然ながら今まで以上に体力を消耗し、動きも鈍る。


 レベルアップを何度か経験した探索者であれば、それほど苦には感じないかも知れない。だが、疲労や集中力の欠如というものはそろりそろりと忍び寄り、本人の気づかない内に背後までやってくるもの。条件にもよるが、人は足首ほどの水深があれば十分に溺れうるのだ。それを考えれば、この場所のいやらしさがよく分かるというものだろう。

 ただでさえ実入りの少なさで有名な伊豆ダンジョンだ。その上で、地味な嫌がらせじみたフロアが比較的早い段階でやってくる。人気が出るはずもなかった。


「お嬢様、分かれ道ですよ」


「おじ様ー?次はどちらですのー?」


 そんな遺跡の中を、ただの一度の足を止めることなく主従が駆ける。二人の速度は一般的な探索者の比ではない。それはつまり、オペレーターにも相応の判断力が求められるということだ。


【待て待て待て!!進行が速過ぎんだよ!!こっちはカメラ越しなんだぞ!!】


 東海林の慌てた声が耳に届くが、アーデルハイトとクリスの二人はお構いなしに疾走する。クリスはメイド服から伸びる二本の長紐、その先端に取り付けられた刃を踊らせる。彼女の意志によって複雑な軌道を描いたそれが、宙に浮かぶ海月を細切れにする。一方では、現れた二足歩行の魚類オアンネスをアーデルハイトが切り捨てる。感慨など欠片もなく、倒した魔物が崩折れる姿も一顧だにしない。


 全力で戦っている訳では無いが、手を抜くわけでもない。自重をしないと言ったその言葉通り、尋常ではない進行速度だった。


『クリス強っ!!』

『漸くクリスの戦いが、と思ったら死ぬほどテクニカルだったでござる』

『まさか一般通過道案内中年を用意しているとはたまげたなぁ』

『声は聞こえないけど、おっさんが慌ててる姿が容易に想像出来るな』

『アデ公と知り合ったのが運の尽きよ』

『現場にいたら肉弾索敵に使われてた可能性も……?』

『いやこの速度、おっちゃんじゃなくても無理だろw』

『クリスの戦い方がめっちゃカッコいい』

『あの海月、本当はもっと厄介なんだけどなぁ……』

『やっぱり真似は出来ないタイプの人だったか……』

『この主にして従者ありって感じ』

『ていうかおっさんもちゃんと有名な実力者だからな!?』


 カメラの前で初めて見せるクリスの戦闘に、視聴者達も大喜びである。だが先を急いでいるアーデルハイト達は、コメント欄を気にすること無くひたすらに進んでゆく。流れ作業で蹴散らされてゆく魔物が哀れなほどで、もはや行きがけの駄賃状態であった。

 なお、視聴者達はアーデルハイトが紹介するよりも前に、東海林の存在に気づいていた。この伊豆ダンジョンに於いて、10階以降の道案内が出来る者など限られているのだ。その上でアーデルハイトと関わりのある者といえば、もはや答えは明白だ。


 カメラ越しに高速で流れてゆくダンジョンの様子を見つめながら、東海林が愚痴を零す。しかし、なんだかんだと言いながらもオペレーターとしての形にはなっていた。


「おじ様なら出来ますわ!!それにおじ様も、やれる自信があったから引き受けて下さったのでしょう?」


【んぐ……!】


「部下の能力に見合わない仕事を任せる上司と、出来ない仕事を出来ると言い張る部下は、共に無能ですわ。ですが、わたくしたちはそうではない。まったく素晴らしいことですわね!まぁ、わたくしはおじ様の上司ではありませんけど」


【くそッ!急にまともなこと言いやがって……あ!おい!そこ右だ!】


「よくってよー!!」


 およそ戦場には不似合いな台詞を吐きながら、アーデルハイト達は走り続ける。

 こんな有様で何故、急造のチームワークが成立しているのか。それは現地組の圧倒的な戦力の所為もあるが、東海林の能力による部分もまた大きい。

 身軽で取り回しやすい短刀ゴミを所持していたことからも分かるように、彼はパーティ時代には斥候役として活躍していた。故に一度通った道は忘れないし、それなりに年を食った今でも、その記憶は褪せていない。ダンジョンや魔物の知識も豊富であるが故に、この数年間、曲がりなりにも一人で活動を続けられたのだ。

 前回に引き続き、配信主が異常に高性能な所為で目立たないが、彼もまた類稀なスキルの持ち主であることは疑いようもないだろう。


『おっちゃん名うての探索者だったのか……』

『前回の空飛ぶオッサンを見てるからか、違和感がすげぇ』

『探索者界隈ではそこそこ有名よ』

『団長がなんか含蓄あること言ってる』

『騎士団長時代をうかがい知れるな』

『よくいる主人公を助けるチュートリアル系の中年冒険者的な』

『言うほどよく居るか?』

『ラノベとかゲームでは良く見るよね』

『リアル世話焼きおじさん』

『ちなみに娘がいるらしい(ウィキペより』


「あ、そうそう。娘も地上で待機中ですわよ。後ほど紹介致しますわ」


 曲がり角の先から飛び出してきた魔物を難なく斬り伏せ、ついでの様にアーデルハイトがそう告げる。異世界方面軍チャンネルに於いて、東海林はすっかり世話焼き苦労人男としての地位を確立しつつある。視聴者達の付けたチュートリアルおじさんという呼び名は、言い得て妙だった。

 とはいえ東海林本人が配信者ではないためか、基本的に彼はここでしか見られない。故に、まだ二回目の登場であるにも拘わらず、彼は不思議な人気を誇っていたりする。そんな彼の娘と言われれば、視聴者が興味を持つのも無理はないだろう。


『マ?楽しみなんだけど?』

『可愛い?』

『映らねぇよ!!地上班だっつってんだろ!!』

『楽しみにするくらい良いじゃないですか!!』

『そのうち登場ありますか?』

『世間話のついでに魔物を倒すなw』

『魔物がゴミのようになぎ倒される姿を見れるのは異世界方面軍だけ!』

『実際、ここの配信見るとダンジョンのイメージ変わるんだよな』

『普通はもっと慎重に動くし、魔物との戦闘も緊迫感あるからな』

『ゴーレム君でドキドキしてた俺達が懐かしいぜ……』


「彼女には今、ミギーの魔力回復に努めてもらっていますわ。ちなみにですけど、異世界方面軍の配信に映ったこともありますわよ?あ、やっと次の階層ですわね」


「先行します」


 雑談と戦闘、完全な流れ作業で攻略は進んでゆく。

 もっと奥まで進めば分からないが、このあたりは東海林達のパーティーですら突破出来た階層なのだ。当然ながら、アーデルハイト達が苦戦するような場所ではない。このような低階層で、一戦毎に時間を取られているようであれば、今日中の攻略など到底不可能と言える。


 視聴者達の相手をしているアーデルハイトに先駆け、クリスが次の階層へと飛び込んでゆく。20階層へ辿り着く前にみぎわが復活出来るかどうか、それが今回の鍵となるだろう。




 * * *




 その頃の地上。

 強すぎる自軍ユニットのナビに苦労する東海林の背後で、件の娘がわちゃわちゃと騒いでいた。出陣前にアーデルハイトから預かった、いくつかの魔核を手に持って。


みぎわさん!!これどうやって使うんですか!?」


「んぇー……んぉ?」


 月姫かぐやは、ああでもないこうでもないと呟きながら、魔核と格闘していた。『万が一、ミギーの魔力が切れたらコレを使ってくださいまし』などと言われた時は、二つ返事で承諾したのだが───使い方を聞くのを忘れていたのだ。


「くっ……!!よくある感じだと多分……封印されし闇の僕よ───覚醒せめざめよ!!はあっ!!」


 すやすやと眠るみぎわの方へと魔核を突き出し、怪しげな言葉と共に気合を入れる。テンプレで言えば、大体こんな感じでどうにかなるはずなのだ。酷く曖昧でふわふわとした使用法だったが、少なくとも月姫かぐやの好む漫画ではこうであった。


「……にゅふふ……ふごっ」


「だ、駄目ですかッ!!」


 が、どうやら使い方が違ったらしい。

 魔力についての説明は受けたものの、魔力の運用に関するレクチャーを受けていない月姫かぐやには、他の手段が思う浮かばなかった。

 その後も彼女は『合言葉が違うのかも』などと言いながら、様々な言葉と共にみぎわへ向かって魔核を突き出し、そして失敗を繰り返す。


 タイムリミットは攻略班が20階層の階層主を倒すまでであり、そしてそれは、そう遠くない内にやってくる。クリスのカメラから送られてくる配信映像を見る限りでは、下手をすると一時間もかからないかもしれない。


 そうして手段に窮した月姫かぐやは、最終手段とも言える手に打って出た。


「かくなる上は……えい」


 眠っているみぎわの口内へと、小さめの魔核を放り込んだのだ。不思議な現象での魔力回復が出来ないのであれば、もはや経口摂取しかないだろうという安直な考えであった。みぎわの小さな口へと放り込まれた魔核は、まるで飴でも舐めるかのように口内で転がされる。


「……」


 そうして月姫かぐやみぎわを眺めること数秒。

 先程まで幸せそうな顔で眠っていたみぎわの顔が、若干ではあるが顰められた。その直後、みぎわの身体から淡い光が溢れ出す。


「や、やった!!成功したっぽい!!そうと分かれば、どんどん行きますよ!!」


 手探りによる消去法(二択)によって、見事正解を引き当てた月姫かぐや。彼女はみぎわの口内へと、まるでわんこそばのようにテンポよく魔核を放り込んでゆく。そしてその度に、みぎわの身体から淡い光が溢れ出す。それと同時に、なにやらみぎわの身体がびくびくと痙攣しているようにも見えた。


「まさか経口摂取とは……もしかすると、私も食べたら魔力が増えるんでしょうか?」


 そうひとりごち、逡巡の後に月姫かぐやが魔核を一つ口に含む。その直後、月姫かぐやの整った顔が猛烈に歪んだ。


「……マズっ!!臭ッ!!おえっ!!」


 アーデルハイトから以前に聞いた話によれば、あちらの世界では魔石による魔力回復は一般的な手段とされているらしい。つまりあちらの住人は誰もが行っている作業であり、老若男女を問わないものである筈なのだ。だが今、月姫かぐやの舌を襲っているこの最低な味を考えると───。


「……どうやら正攻法ではなかったみたいですね」


 口に含んだ魔核を取り出し、そっとポケットに仕舞う月姫かぐや

 とはいえ結果的にみぎわの魔力は回復している様子なので、彼女は気にしないでおくことにした。

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