第97話 都落ち

 伊豆ダンジョン20階層。

 過去に東海林達のパーティーが幾度となく挑み、終ぞ攻略出来なかった階層だ。そして、現在の最高到達記録でもある。階層主として出現するのは魔蟹カルキノスの母体、つまりはこれまでに見てきた蟹達の大元である。


 その大きさは、10階層で現れた成体の倍ほどもあり、脚を伸ばせば更に巨大になる。その巨体に似合わぬ素早い動きと、大岩でさえも斬り裂いてしまう鋭利な鋏。それらが挑戦者達を苦しめる。そして最も特徴的なのは、その強固な甲殻からくる圧倒的な防御力だろう。


 斬撃は当然、刺突でさえも、その分厚い殻に阻まれてしまいダメージが殆ど通らない。一点を集中攻撃しようとしても、無駄に高い機動力のおかげで狙いをつけるのが難しい。遠距離からの攻撃も同様で、弓矢では防御を貫くことが出来ない。各脚の関節のように、装甲の薄い部分を狙えば分からないが、そこでもやはり高い機動力がネックになる。


 最も効果があると言われているのは戦鎚ハンマーなどの打撃武器による攻撃だが、当然ながらそれらの武器種は非常に重い。破壊力こそあるものの、それら鈍重な武器では敵の動きについて行けず、結果として有効打を与えることが難しい。


 ある程度の実力を持つ探索者であれば、敵の攻撃を躱すこと自体はそう難しくはない。所詮は両の鋏を用いた直線的な攻撃しかないのだから。だが相手は魔物で、相対するのは人間だ。どれだけ鍛えようとも体力に限界がある以上、避け続けているだけではいずれ確実に体力は尽きる。そしてその結果、敢え無く敗走するのだ。


 東海林達のパーティーがここで詰まったのも、これが原因だった。単純な火力不足である。爆薬等の道具や、専用武器とも言えるような装備を用いて挑んだこともある。だが、それでも結果は変わらない。彼らではどうあがいても敵の甲殻を貫くことが出来ず、結局最後まで突破することは叶わなかった。


 そんな魔蟹の討伐難度はA+とされている。過去に討伐例が無いことも含め、強敵と名高いグリフォンと同じ等級である。

 入手出来る素材は渋く、階層主はやたらと強い。立地も微妙で、各フロアが無駄に広い。おまけに足場はどこもかしこも悪い。伊豆ダンジョンが不人気となった理由とは、概ねこれが全てであった。


 渋谷ダンジョンの30階層の主であるグリフォンと同じ等級の魔物───ダンジョンによって階層主の現れる階層は異なるため、強さも同等とは一概には言えないが───が、ここ伊豆では20階層という早い段階で姿を見せる。誰が好き好んでこのようなクソダンジョンに挑むというのだろうか。


 つまりカルキノスの母体とは、それほどまでに厄介な存在────の、筈だった。


「ん……こんな感じですの?」


 アーデルハイトが腰に佩いたローエングリーフ。

 左手では鞘を握り、柄を握った右手は瞬時に振り抜かれる。それは月姫かぐやの行っていた日本刀による抜刀術を、アーデルハイトが見様見真似で行ったものだった。そもそも月姫かぐやの抜刀術が、独学による見様見真似だったりするのだが。


 アーデルハイトの眼前まで迫っていた、鋭く強固なことで有名なカルキノスの鋏。だが、それが彼女に届くことはない。視聴者達の耳にまで届いた澄み渡る音色は、ローエングリーフが鞘を滑る音か、それとも空気の上げる悲鳴か。誰が見ても見事な一閃、否、誰にも見えない一閃であった。アーデルハイトは宙を舞う巨大な鋏には一瞥もくれず、振り抜いた先で静止するローエングリーフの刃をじっと眺めている。その表情はどこか不満そうであった。


「……成程。長剣で行うものではありませんわね」


 昨今のイメージから誤解されやすいが、居合や抜刀術などと呼ばれるものは、鞘の中で刃を滑らせることによって剣の速度を上げる、などというような代物ではない。納刀した状態から始まり、抜刀、斬撃、血振るい、残心、そして納刀。これら一連の動作を『型』のようにしたものが、所謂居合術である。強いて言うならば、抜刀から斬撃までの二手を、居合では一手に集約しているという点が、通常の剣術とは異なる部分だろうか。


 実用的な技であるかどうかは置いておくとしても、少なくとも、ローエングリーフのような直剣で行うような技術ではない。今しがたアーデルハイトが見せたように、不可能というわけではないのだが───。


『かっけぇぇぇぇぇ!!』

『めっちゃ不満そうで草』

『ほっぺたふくらませてる団長かわいい』

『なんでや!!グレートやんけ!!』

『恐ろしく速い抜刀、俺じゃなくても見逃しちゃうね』

『やっぱり見えてなくて草』

『抜刀はロマン』

『カルキノスは硬い(大嘘』

『嘘じゃねぇから!!異世界産のバケモンと比べんなw』


 視聴者達の反応は上々だが、やはりアーデルハイトの表情は優れない。


「単に抜きにくいだけで、これでは意味がありませんわ。月姫かぐやの持っていた───日本刀ですの?あれならば、まだ理解らなくもないですけど」


 『反り』の有無は関係なく、抜刀斬り自体はローエングリーフでも可能である。だが、わざわざ納刀から始めるメリットがなかった。何か無理矢理メリットを探すのならば、視聴者達の言うように『カッコいい』というくらいだろうか。アーデルハイトの技量を以てしてもそうなのだから、他の者が行った場合など推して知るべしだ。


 アーデルハイトがそんな無駄話をしている間にも、カルキノスは激昂し迫りくる。甲殻類にも痛覚はあるというが、そうであるならば、鋏を斬り飛ばされたカルキノスが怒り狂わない筈がない。


 とはいえ、所詮は『技術』も知らぬ魔物の攻撃に過ぎない。身体のスペックこそ人間を圧倒しているものの、怒りに身を任せた単調な攻撃では、アーデルハイトを害することなど叶わない。それこそ、巨獣クラスの圧倒的な能力を有していなければ。

 甲殻の持つ圧倒的な硬度が最大の特徴であるカルキノスではあるが、それを除けば10階層に現れた成体とそう変わりはない。アーデルハイトにとっては、双方等しく有象無象である。


 まるでハンマーを叩きつけるかの如く、アーデルハイトの頭上高くから振り下ろされる鋏の一撃。アーデルハイトはゆっくりと二歩ほど後ろへ下がり、その一撃をあっさりと回避する。一瞬で敵の攻撃射程を見極め、間合いを完璧に掌握しなければ不可能な、地味だが人外じみた回避方法であった。

 目の前の地面にめり込んだ巨大な鋏、それにそっと足をかける。アーデルハイトがそのままカルキノスの腕を駆け上がり、彼女はあっという間に頭部へと到達した。そして頭部から更に跳躍し、カルキノスの両目の狭間、つまりは眉間らしき箇所へと手にしたローエングリーフを振り下ろす。


「垂直落下式────高貴斬りですわー!!」


『新技来た!!』

『はやい!!もうきたのか!これで勝つる!!』

『相変わらず名前がダッセぇw』

『……没落ってこと?』

『都落ち的なw』

『適当過ぎて最悪な技名になってんだよなぁ……』

『怒涛の勢いで没落してそうw』

『不祥事一発、没落一瞬』

『注意一秒、怪我一生みたいにいうなw』

『縁起でもねぇけど楽しそうだからヨシ!!』


 そんな視聴者達のツッコミを他所に、アーデルハイトが空中から放った斬撃はそのままカルキノスへと到達する。前後の流れは若干コミカルではあるものの、アーデルハイトの動き自体は非常に流麗だ。攻撃の回避は最小限、腕を駆け上がる際の歩法には淀みがない。その勢いのまま跳躍、そして攻撃。攻撃を受けるカルキノスからすれば、一瞬の出来事のように感じられただろう。


 強固な甲殻などまるで無かったかのように、ローエングリーフの刃がするりと眉間へ沈み込む。アーデルハイトが地面へと着地した時、そこには身じろぎ一つすることなく、綺麗に割断されたカルキノスの姿があるのみであった。数瞬後、自らが絶命していることに漸く気づいたかのように、二つに分かれた巨体がゆっくりと崩れ落ちる。


『うぉぉぉぉ!!名前とは裏腹にぃ!!』

『カルキノスは硬い(大嘘(今期二度目(異世界の力を見よ』

『マジで紙みたいに斬れるんだな……』

『これはパワーのゴリ押しなんか?それとも技術なんか?』

『ワイ探索者、最初の叩きつけでぺちゃんこになる自信しかない』

『そもそもあのギリギリ回避がないと次の駆け上がりが無理よね?』

『技名の所為でブレがちだけど、内容は毎回ヤバいことしてるんだよな』

『名前以外は完璧なんだよな』

『つまり参考にはならないってこと??』

『参考にしてもいいけど真似だけはするなよ』

『海外ニキ達もWwhatTtheFfuckボットと化しとるわ』


 ちなみに、この跳躍からの上段切下ろしには『炯然けいぜん』という名前がついている。防御を捨て真正面から放つ斬撃である故か、『燦然と輝く光』というような意味合いで付けられた名前である。だが例によって例のごとく、アーデルハイトは技の名前などすっかり忘れている。

 少なくとも『垂直落下式高貴斬り』よりは余程それらしい技名だが、やはり前後の隙の大きさがネックとなって使い所が難しい。故に、そもそもアーデルハイトはこの技を殆ど使用しないのだ。忘れていても仕方がないのかもしれない。


【……一応、俺が超えられなかった壁なんだがなぁ】


 呆れるような、感心するような、そんな複雑な色を含んだ東海林の声がアーデルハイトの耳へと聞こえてくる。東海林にとっては終ぞ超えられなかった壁であるが故に、多少の感慨もあるのだろう。


「わたくしの前では無力でしてよ!!」


 そうこうしている間にも、クリスが素材の回収を始めていた。死骸を放置するとすぐに魔力となってダンジョンに吸収されてしまうため、手早く素材の回収を済まさなければならない。彼女は『結果の分かりきった戦いには興味がない』とでも言わんばかりに、戦闘中から既にいろいろと動き回っていたのだ。

 だが、如何に階層主とはいえやはり蟹は蟹である。大した素材もないために、魔核を回収出来ればそれで最低限の仕事はお終いだ。両断された蟹の断面をほじくり返すクリスの足元では、いつの間に目を覚ましたのか肉が元気よく死骸を貪っていた。


「ところでおじ様、ミギーの様子はどうですの?」


【あ?あー、ちょっと待ってくれ。月姫かぐや、どうだ?】


 アーデルハイトの問いに、イヤホン越しに聞こえる東海林の声が少し遠くなる。恐らくは背後でみぎわの復活を試みている娘へと、現状の確認をしているのだろう。その後なにやらバタバタとした物音が聞こえ、次いで小さく『ウッ』という東海林のうめき声が聞こえた。


「お、おじ様?」


【お父さ───父はトイレに行きました!!というわけで私が代わります!!】


 様子を窺うアーデルハイトの声に、元気よくそう返事をしたのは月姫かぐやであった。本当はここまでのナビも自分が担当したかったのだが、伊豆Dの知識が無いために泣く泣く東海林に譲った彼女だ。漸く師匠と会話が出来たことに、月姫かぐや大喜びであった。随分と懐かれたものである。


「それは構いませんけれど、ミギーはまだ動けませんの?」


【一応、復活はしてますよ!!ただなんだかちょっと気持ち悪いとのことで、今はトイレでゲロ吐いてます!!】


「ゲ……あぁ、きっと魔力酔いですわね。貴女、魔石を直接口に放り込んだのではなくって?」


【はい!使い方を聞き忘れていたのでいろいろと試行錯誤したんですけど……マズかったでしょうか?いえ、不味かったんですけども】


「あぁ、それはわたくしの落ち度ですわね。申し訳ありませんわ。使い方としては正しくはありませんけど、問題はありませんわ」


【よかった!それじゃあここから先、みぎわさんが戻ってくるまでの間は私が適当にナビをしますよ!!】


 何故かそう自信満々に言い放つ月姫かぐや。伊豆ダンジョンには一度も来たことがない筈の彼女だが、その自信は一体どこからくるのだろうか。

 などと言っている内に、作業を終えたクリスがアーデルハイトの元へと戻ってきていた。口元どころか、顔面を盛大に汚して大満足の表情を浮かべる肉も一緒だ。


「お嬢様、終わりました」


「……まぁどのみち進むつもりではありましたし、いいでしょう!では、進軍再開ですわー!」


 そうして一行は次の階層へと向かう。

 10階層からここまでにかかった時間は56分。合計して2時間弱といったところだ。概ね当初の予定通り、一行は順調に伊豆のダンジョンを攻略していた。

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