第67話 あぁ、臭い
ダンジョン内で死人が出るというのは、それほど頻繁に起こる事態ではない。誰だってその前に撤退するし、危険を感じれば逃げもする。以前にアーデルハイトが引っかかった転移トラップなども、そうそう現れるものではない。つまりダンジョン内で死人が出るということは、大きく分ければ『逃げることすら許されなかった』か『危険を感じる前に死んだ』かのどちらかである場合が殆どだ。
そこにたどり着くまでの間、アーデルハイト達は3つのパーティとすれ違った。その誰もが有名配信者である
とはいえ、現在はダンジョン配信全盛期である。その魔物を目にした者たちが配信をしていたかどうかはわからないが、少なくとも非常事態であることは既に伝わっているだろう。
渋谷ダンジョンの最高到達階層は30階層であり、階層主はグリフォンだ。現在配信者ランキングのトップを走っている『勇者と愉快な仲間たち』によるものであり、当時の様子は配信もされていた。その配信はアーデルハイトも見たことがあったし、そもそも彼女達が配信を始めたきっかけとも言える動画だ。
彼らが30階層に初めて足を踏み入れたのは一年以上も前のことであり、今となっては、30階層近くまで到達しているパーティはいくつか存在している。そのおかげか、20~30階層までの情報はこの一年間で随分と充実し、出現する魔物やアイテムの情報などは、探索者協会でその大凡が記録されている。
そんな中で、恐らくは渋谷をホームとしているであろうパーティが『見たことがない魔物』と呼ぶそれ。先の『聖女の匂い』と合わせれば、何ともきな臭い話ではないか。
すれ違った彼らのように、本来ならばダンジョンから撤退するのが正解なのだろう。しかし、アーデルハイト達にそのつもりは微塵もなかった。聖女の件もそうだが、それ以上に『見たことがない魔物』とやらを放置しておくわけにはいかなかったからだ。ダンジョン内に長時間取り残されるということは、疲労や物資の問題からして非常に危険なのだ。
その魔物とやらの正体が一体何なのかは分からなかったが、しかしアーデルハイトにとっては、グリフォン程度であれば何の問題にもならない。いつぞやの『砂猫』の時のように、助けられるのならば助けてやらねばならない。何より、現在彼女達の配信に不足している───とアーデルハイトは思っている───撮れ高は抜群だろうから。
そうして辿り着いた20階層で、アーデルハイト達は信じられないものを見た。
道すがら聞いた
次に目に入ったのは大量の血痕と装備品。考えるまでもなく、それらは犠牲になった探索者達のものだ。恐らくは既に塵となってダンジョンに吸い上げられたのだろう。死体は一つも残っていなかった。
そんな惨状とも呼べる光景の先で、唸り声と共に巨体が佇んでいた。全身は燃えるように逆だった厚い毛皮に覆われ、丸太どころではない太さの四本脚で地を踏みしめている。腕は毛皮に覆われておらず、その膨れ上がった筋肉が圧倒的な力を持っているであろうことは一目で分かる。人間など簡単に引き裂いてしまいそうな鋭利な牙と、額の両端には真っすぐ伸びた、長く大きな二本角。そして最も目を引くのはその長く伸びた鼻。
「……
「なん……ですか、あれ……」
「これは……少々骨が折れそうですね」
アーデルハイトとクリスはその魔物を知っていた。あちらの世界では有名で、かつこちらの世界でも、名前だけは酷く知られたそれ。グリフォン程度ならば、などという二人の想定を遥かに越えた、恐らくはこの世界の人間では太刀打ち出来ないであろう魔物。
『なにあれ』
『見ただけで分かる。アレはヤバい』
『クリスの反応的に相当ヤバい』
『画面越しに伝わるヤバさ』
『ここまで来た中級パーティが全滅してるっぽい時点でお察し』
『アデ公でもヤバい相手か?』
『撤退を進言します』
『今まででもダンチで洒落にならなさそう』
画面越しにでも伝わる威圧感の所為なのか、視聴者達は誰もが呑まれ、コメントの数も一気に減っていた。彼らはいつものように、馬鹿げた異世界殺法での蹂躙劇を期待していたのだ。事実、アーデルハイトの配信を見るまでは脅威とされていた数々の魔物が、信じられないような手法によって彼女に屠られてきたのだ。どうせ今回もそうなるのだろうと、彼らは勝手に思っていた。
「ま、
「どのベヒモスかは知りませんけど、あれはベヒモスで間違いありませんわ」
「それは、その……やっぱり強いんですか?」
「素手でどうこう出来る相手ではありませんわね。それに……あぁ、臭い。鼻が曲がりそうですわ」
いつになく真剣な顔でアーデルハイトが巨獣を睨みつける。実際に匂いがするわけでもないだろうに、鼻をすんすんとならし、ここには居ない誰かへと悪態を吐きだして。陸の王ともよばれるこの魔物は、本来ならばダンジョン内には存在しない筈である。少なくとも、アーデルハイトはそのような話を聞いたことがなかった。人間領と魔族領の丁度境目に位置する山の主。それがベヒモスと呼ばれる唯一の個体であった筈だ。
一体何をどうすれば、それがこんなところに現れるのか。色濃く感じるあの女の気配と、なにか関係があるのだろうか。
「お嬢様、私も───」
「お馬鹿。理解っているでしょう?気持ちだけ頂いておきますわ」
「っ……はい」
クリスが助力を申し出るが、しかしアーデルハイトはその提案を一蹴する。確かにクリスの実力は高いが、それでもあちらの世界では上の下といったところ。今回の戦いでは大した戦力にはならない。
「あのー……師匠、私は……?」
「クリスと
「で、ですよねー……どうみても戦力にならなさそうですし……」
「実を言うとわたくし、アレとは一度戦ってみたかったんですの」
かつては先代も戦ったというその相手。アーデルハイトにとっての師匠である彼が、倒しきれなかった数少ない魔物。それが今目の前に居るのは、考えようによっては僥倖だったのかもしれない。あちらの世界では様々なしがらみに邪魔をされ、きっと戦うことなど出来なかっただろうから。
「では……
そう言って、アーデルハイトは駆け出した。
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