第66話 聖女の匂い
アーデルハイトは嘆いていた。
いつの間に拾ったのか、手元ではなにやら怪しげな土色の球体を、手慰みに弄んでいる。彼女の視線の先には、休憩を除けば既に三時間以上もトレントと戦っている
指導をする立場のアーデルハイトからすれば、喜びこそすれ、嘆くようなことなどなにもない筈だった。しかし
「撮れ高がありませんわ……」
『草』
『この言い草である』
『言えたじゃねぇか』
『見てる分には別に飽きないけどw』
『内容めっちゃ濃いしなぁ』
『まぁそろそろ異世界殺法が恋しくはある』
視聴者達はそう言うものの、しかし撮れ高の獣たるアーデルハイトにとって、これは由々しき事態である。何より、こうも見ているだけではつまらないのだ。要するに、言い出しっぺである本人が若干飽き始めていたというだけのこと。
アーデルハイトが弟子──のようなもの───をとったのは、あちらの世界も含めてこれが初めてのことである。そもそもアーデルハイト自身が剣聖を継いでまだ数年しか経っていないのだ。もっといえば、アーデルハイト自身が発展途上である。先代からは『既に私を越えている』などと言われた彼女ではあるが、しかし驚くべきことに未だ天井が見えていない。本人の年齢を考えても、弟子をとるような時期ではなかった。
剣聖として誰かを指導することは初めてとはいえ、指導の方向性が間違っているとは思わない。今
だが、配信と並行して行うには絵面が地味過ぎた。視聴者達はそれなりに楽しめているようだが、少なくともアーデルハイトにとっては退屈で仕方がなかった。修行とは得てしてそういうものではあるが、配信者として活動している今、本来の趣旨を忘れてはならないのだ。必死に戦っている
そうと決まれば話は早い。撮れ高が無いのなら、先に進めばいいだけのことだ。
「はいそこまで!終わり終わり!!終了ですわーっ!!」
「っ!?」
アーデルハイトの声に敏感な反応を見せ、
彼女が手元で弄んでいたもの。それはアーマーラットと呼ばれるほぼほぼ無害な魔物である。端的に言えば手のひらサイズの
見事な投球フォームから放たれたそれは、空気を切り裂き、狙い過たずにトレントの口内へと突き刺さる。そして、恐らくはしっかりと核を捉えたのだろう。次の瞬間、トレントは悶え苦しむようにその巨体を揺らし、丁度幹の中心部辺りから圧し折れた。枝に生っていた果実をいくつか残し、
「うわっ……」
『あのさぁ……』
『くっそw油断してたww』
『今日は平和(?)に終わると思ってたのに!!』
『あかんw蟹を思い出して腹筋が壊れた』
『(一応階層主です』
『アデ公に捕まるってことは、つまりこういうことなんよ』
『えぇ……ワイ初見、あまりの光景に困惑』
『Welcome to ISEKAI』
『おう、異世界は初めてか?ゆっくりしてけよな』
『異世界ってISEKAI表記なんですか……?』
『HENTAIみたいなもんや』
本気で倒しにかかっていたわけではないにしろ、
一方の視聴者達は皆大喜びであった。
「
「え、あ……えっ?」
「クリス!実の回収は任せましたわ!!」
「既に終わっています。売れるとは思えませんが、『アレ』の素材になりますからね。これだけでは足りませんが、もし上手く行けば相当ボロいですよ」
いつの間に回収を済ませたのか、クリスが肩に担いたバッグははち切れんばかりに膨れ上がっていた。彼女の言う通り、トレントの樹の実は協会に持ち戻ったところで大した金額にはならない。謂わばただの討伐証明扱いであり、それ以外の使い道など何もない為である。しかし、それはこちらの世界の人間にとっての話だ。異世界出身者であり、錬金魔法が得意なクリスにとって、トレントの樹の実は『ある用途』に欠かせないアイテムの一つであった。
「敵よーし!ドロップ回収よーし!それでは、20階層に向けて出発ですわー!」
「お、おー!」
意気込みを声に出し、その場を足早に去ってゆくジャージ姿の金髪美少女。それに少し遅れて、ぱんぱんに膨らんだバッグを肩に担いだメイド。最後に、大急ぎで眼帯と上着を装着した黒髪の少女が続く。そんな怪しすぎる三人の後ろ姿を、先程から観戦していた数人の探索者達が、すっかり呆けた顔をしながらずっと眺めていた。
* * *
歩き始めて暫く。
そういえば、といった風な口調で、
「急にすみません。ふと気になったんですけど、師匠って異世界ではどのくらい強かったんですか?やっぱりあっちでも、世界一強かったんですか?」
「本当に急ですわね……」
それはアーデルハイトも予想していなかった問いだった。彼女から何かを聞かれるとすれば、剣の事か、或いは訓練方法の話だと思っていたのだ。しかし、
「だって気になるじゃないですか。異世界ですよ、異世界。現代人なら誰もが一度は憧れた、あの異世界ですよ」
「それは知りませんけど……というよりも、貴女は私が異世界出身だという事を疑っていませんの?」
「そりゃ、疑う理由も特に無いですし!!今私達が居るこのダンジョンだって、言ってしまえばほとんど異世界みたいなものじゃないですか。異世界人だって似たようなものですよ!それに、師匠の強さは異常ですし、なんかいろいろ私達の知らないことも知ってますしおすし」
素直な性格がそうさせるのか、意外にも
異世界方面軍のファンだから、というだけではないだろう。
『俺も信じてるよ』
『別にどっちでもいいけど、ならマジだと思ったほうが楽しいよね』
『明らかに実力が別次元なんだよな』
『強すぎィ!』
『美人すぎィ!』
『乳デカすぎィ!』
『ヘイ尻!もっと揺れてどうぞ』
視聴者達も、皆が皆信じているというわけではないだろうが、それでも概ね
「成程……っと、わたくしの強さがどうなのか、でしたわね」
「お嬢様は二代目剣聖ですから、当然あちらの世界でも最上位でしたよ。むしろ最強です」
アーデルハイトのすこし斜め後ろを歩いていたクリスが、誇らしげに胸を張ってそう告げる。クリスにとってのアーデルハイトとは、主であり、妹であり、そして誇りであった。それこそ、主であるアーデルハイトに先んじて質問に答えてしまう程度には、彼女にとって自慢の存在である。
『最強なのに聖女に負けて……?』
上機嫌で語るクリスの視界に、ひとつのコメントが目に入った。
「あ゛ぁ゛?」
『ヒッ!!』
『怖っ!!』
『あーあー怒らせた』
『オイオイオイ死んだわアイツ』
『低音たすかる』
『スタッフぅー!!切り抜き頼むよぉー!』
『た、たいへんもうしわけございませんでした』
『美人って怒っても綺麗だよね』
視聴者達のコメントで自らの失態に気づいたのか、低音ボイスで凄んだほんの一秒後には、すっかりいつも通りのクリスへと戻っていた。なお、突如豹変したクリスに一番ビビっていたのは隣を歩いていた
「……こほん。失礼しました」
「うぉぉ……でもたすかる……」
そんな従者の様子に苦笑しつつ、アーデルハイトが再度話を戻した。
「そうですわね……まず、あちらの世界には『六聖』と呼ばれる者がおりましたわ。『六聖』とは、所属する国や勢力に関わらず、人類で最も強いと言われた六人の総称ですの」
「これは補足ですが、武力のみではなく、知力や魔力、
クリスの補足に頷き、アーデルハイトが指を折り数え始める。
「『拳聖』ウーヴェ。『聖炎』シーリア。『聖王』アスタリエル。『創聖』オルガン。『聖女』ルミナリア。そして『剣聖』のわたくし」
最後に小指だけを立て、何かを思い出すかのようにそっと目を伏せるアーデルハイト。こちらの世界に来て以来、アーデルハイトは元いた世界の事をそれほど話していなかった。しばしば触れることはあっても、具体的な人名を出したのはこれが初めてかも知れない。そうして挙げた名前は全て顔見知りなのか、それともただ知識としてしっているだけなのか。アーデルハイトの複雑な表情からはどちらとも判断出来ない。
「話の途中ですみません。なんだか猛烈にワクワクしてきたんですけど、それって配信で話しても大丈夫な話なんですか?」
アーデルハイトが挙げた如何にもな称号の数々に、特殊な病を患っている
「別に構いませんわ。ただの創作話だとでも思って聞いて────」
ふと、そこでアーデルハイトが言葉を区切った。
一瞬だけ眉を顰め、その後に周囲を見回すアーデルハイト。見れば、隣に居るクリスの表情もまた、険しい顔へと変わっていた。
「……?どうかしました?」
二人の様子が変わった理由が、
不思議そうな表情を浮かべる
「クリス、感じまして?」
「自信はありませんが……お嬢様も何かを感じたというのなら、恐らくは」
「わたくしは自信がありますわ。ここは何階層だったかしら?」
「18階層ですね」
「では恐らく次か、その次の階層からですわ」
アーデルハイトとクリス、僅かな言葉のみで交わされる二人の会話。
一体彼女達が何を話しているのか、傍から聞いているだけの
「え、なんですか?何かあったんですか?」
『なんや?』
『なんやなんや?』
『話いいところだったのに……』
『貴重な異世界成分が!!』
『アデ公の貴重なマジ顔シーン』
『ヒュー、嫌な予感がしやがるぜ』
『おっと、撮れ高の予感か?』
『アデ公の撮れ高レーダーにビンビン来てやがるッ!!』
異世界方面軍ではすっかりおなじみとなった光景だった。危険なダンジョン内だというのに、緊張感の欠片もなく茶化すかのようにざわめくコメント欄。今はこうして巫山戯ているものの、どうせ彼らはすぐに掌を返して心配し始めるのだ。異世界方面軍の配信に於いて、そこまでの展開が既にテンプレとなりつつある。
そんな彼らに向かって、アーデルハイトが告げる。
「一体どういうことかは分かりませんけれど────」
ダンジョンの奥へ奥へと、まるでどこまでも続いているかのように伸びる仄暗い通路。アーデルハイトは鋭い目つきで、じっとその先を睨んでいた。
「この先から、
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