渋谷D編

第60話 そうどす!!

「もうちょいで着くッスよー」


 ハンドルを握るみぎわが、後部座席のアーデルハイトへと声をかける。折角広い部屋に引っ越したというのに、彼女達の乗るいつもの軽バンには荷物が積みっぱなしであった。それどころか、何に使うのかも分からないようなアイテムが少しずつ増えているような気配すらあった。

 まるで夏休み期間の市民プールのような、人一人がギリギリ乗れる程度のスペースに押し込まれたアーデルハイトが、ようやくかと言わんばかりにため息を一つ吐き出した。


「やっと開放されますわ……」


「流石にそろそろ整理した方がいいですよね」


 つい先程までナビアプリとにらめっこをしていたクリスも、後ろの惨状に辟易とした様子であった。彼女達が普段移動に使っているこの車は、元々みぎわの所有車である。恐らくは元々このような状態で乗り回していたのだろう。異世界方面軍として初めて京都ダンジョンに行ったその時から、車内は既にこの状態であった。それ以来迂闊に手を出すことも出来ず、ずるずるとここまで来てしまっていたのだ。そうして現在は彼女の部屋と同じ様に、増えすぎた荷物で溢れ返るカオスな空間と化している。


「あ、駄目ッスよ!!まだ使えるかも知れないヤツが沢山あるんスから!明日!明日片付けておくッス!」


 などと、部屋が片付けられない人間の常套句で、一先ずこの場を凌ごうとするみぎわ。十中八九、彼女は片付けなどしないだろう。車内の後ろ半分を専有している荷物は、殆どがゴミか、或いはほぼほぼ使用しない物ばかりなのだが。


「騎士団の副官が似たような感じでしたわね……あいたっ」


 そう言って呆れるアーデルハイトの頭へと、ゲーミング仕様ではない本物の木魚が崩れ落ちてくる。別に仏教徒でもないくせに、みぎわは一体何故これほど大量の木魚を所持しているのだろうか。アーデルハイトは落ちてきた木魚を膝の上に乗せ、ぽくぽくと手慰みに叩きながら窓の外を眺めた。


 普段はあまり来ることのない、賑やかな雑踏。窓から流れ込んでくるのは初夏の爽やかな風。しかしアーデルハイトにとっては、些か空気が汚れているように感じられた。

 彼女が元いた帝国は、それほど自然が豊かというわけではない。国境近くの僻地ならばいざ知らず、帝都ともなれば森や山は少ないからだ。しかしそれでも、こちらの世界と比べれば随分と空気が澄んでいた。一度だけ立ち寄ったことのあるエルフの領域などとは、もはや比べることすら烏滸おこがましいと言えるだろう。


 とはいえ、それは初めてこちらの世界にやってきたあの時から、ずっと思っていたことだった。今となってはすっかり慣れていたし、今更それに文句を言うようなことはない。それに、空気が汚れた代償なのか、そこにさえ目を瞑れば地球は地球で随分と暮らしやすかった。それこそ帝都とは比べ物にもならない程に便利な生活を、貴族でもなんでもない一般市民達が送っている。これはあちらの世界では考えられない、アーデルハイトにとっては驚愕すべき事だった。


 無論、帝国が民を蔑ろにしているという意味ではない。こちらの世界は、生活水準の平均が恐ろしく高いという話だ。こちらの世界にやってきて以来、アーデルハイトが『これが帝国にもあれば』等と思った事は一度や二度では無い。何故自分がこの世界にやって来たのか、その意味も理由も分からない今、考えたところで意味のない話ではあるのだが。


 窓枠に頬杖をつき、何処か遠い目で町並みを見つめるアーデルハイト。そんな彼女をバックミラー越しに見たみぎわが狼狽え始める。


「え、ちょ、呆れすぎじゃないッスか!?めっちゃ遠い目してるんスけど!?」


「いえ、アレは何か別のことを考えていますね」


「そ、そうなんスか?失望されたかと思ったッス……よかったー!」


「いえ、片付けはちゃんとしましょうね」


「あっ、ッスゥ……」


 安堵した矢先、しっかりとクリスから釘を刺され肩を落とすみぎわ。そんな彼女達が現在向かっているのは、ある者との待ち合わせ場所であった。



 * * *



 時を遡ること数週間前。

 アーデルハイトが初めての雑談配信を終えた、その直後あたりのことだった。恐らくはくるるの一件のせいもあったのだろう。異世界方面軍の公式アカウントの元へは、いくつかのDMが届いていた。その殆どは『砂猫』メンバーからの礼や、彼女達のファンからの感謝のメッセージ、そして単純な応援等だった。

 そんなDMの中に、一通の怪文書が紛れ込んでいた。一応目は通したものの、全く意味を理解出来なかったクリスが『悪戯いたずら』だろうと思い削除したそれ。


 ───世界に堕ちた魂が二つに分かたれてから、一体どれ程の夜想曲ノクターンを奏でただろうか?


 なにしろ、冒頭からして既にこの有様である。クリスが悪戯だと判断するのも無理はないだろう。その後も何度か同じような怪文書が届いていたが、それ以降は全て読まずに削除していた。


 しかしつい先日、クリスが連絡先を交換したとある知り合いからメッセージが届いた。聞けばその『悪戯』は、どうやら知り合いの身内が送ったものだったらしいのだ。知り合い曰く、『ちゃんとした文章で送り直させるから、読むだけ読んでやって欲しい。その後どうするかの判断は、メリット等の諸々を考えた上で嬢ちゃん達が決めてくれ。間違っても、情けなんかで話を受けたりしないで欲しい』とのことである。


 コネで話を繋ぐということをしたくないのだろう。メッセージ内に関係性は明記されていなかったが、恐らくは親子であろうと思われる。要するに、コネで話を持っていったりすると教育に悪い、といったところだろうか。


 余談だが、コネとは『Connection』の略である。つまりは『縁故』のことであり、コネ採用とは縁故採用のことだ。経営者や役員など、組織内で影響力を持つ人間が身内を贔屓して組織へと引き入れる、といったイメージが強く、否定的な意見が多い。しかし異世界方面軍と『知り合い』の関係性は、一度ダンジョン探索を共にしただけの、言うなればただの顔見知りである。当然ながら『知り合い』にはそのような決定権は無く、選択したのはあくまでも異世界方面軍の三人である。つまり今回の件は『推薦』と呼ぶのが正しいだろう。


 そうして数日後、送られてきたDMの冒頭がこれである。


 ───初めまして。


 シンプル過ぎである。一体何をどうすれば、たった五文字の挨拶があれほど難解な文章になるのだろうか。無駄なものを削ぎ落とした結果がこれなのだとすれば、先のDMなどは九割九分が無駄だったということになる。最初からこの内容であればクリスもしっかりと読んでいたことだろう。

 あとに続く言葉も軒並み平凡であった。むしろ過剰なまでに丁寧な文で、読めば読むほど初手の残念具合が浮き彫りとなっていくようだった。そのメッセージとは、要約すればつまり『自分もダンジョン配信をしているので、コラボ配信がしたい』ということであった。


 コラボ配信とは単純な話題性もそうであるが、新たな客層を招き入れることにも繋がる企画だ。普段は推しの配信しか視聴しない者や、これまで全く興味を持っていなかった者等にも存在を知ってもらえる。つまり基本的にはメリットしか無いものである。


 しかし、異世界方面軍はつい先日にコラボ配信を行ったばかりなのだ。あまり頻繁にコラボ配信を行えば特別感が薄れてしまう。また、単独での企画が好きな視聴者達などからすればそう面白いものでもない。故に暫くの間はコラボ配信を控える予定だった異世界方面軍だが、諸々の理由があってその考えを改めたのだ。無論頻繁に行うつもりはないが、しかし今回は受けても良いと思えたのだ。


 一つ目の理由は、送り主が思いの外この界隈では名の知られた人物だったこと。その影響力を考えれば、簡単に断ってしまうには少し勿体ない。話題性という面では抜群だったし、調べた限りでは探索者としての実力も十分だった。こと実力に関してだけ言うなら、魔女と水精ルサールカと同等以上かも知れないという声もいくつか見られた。

 徐々に上がってきたとはいえ、まだまだ知名度の低い異世界方面軍。しかしその割に戦闘力だけはずば抜けている。そういったバランスの悪さも相まって、実はコラボ相手を探すのが存外難しいのだ。故に、今回の様な知名度も実力もある相手からの誘いというのは、異世界方面軍にとってもまたとないチャンスなのである。


 二つ目の理由は言わずもがな、例の中年からの『推薦』があったこと。実力の無い人間を身内贔屓で紹介してきたのならば当然断っていただろうが、そうではなかった。むしろ、異世界方面軍にとってもメリットが大きい話を持ってきてくれたと言えるだろう。

 ある意味では、相手の身元や実力を彼が担保していると言ってもいい。都合が悪ければ断っても構わないと言っているあたり、随分とアーデルハイト達の都合を考えてくれている様子である。それほどポーションの一件で恩を感じてくれているのだろう。


 そして三つ目の理由。これが今回のコラボに踏み切った、最も大きな要因である。単純に、過去の配信を見たアーデルハイトが興味を持ったのだ。曰く、『こちらの世界で見た探索者の中で一番筋が良い』とのこと。


 これらの理由から、異世界方面軍は今回の話を受けることに決めたというわけだ。

 そうして何度かDMのやり取りを行い、本日が初顔合わせの日だった。先方の拠点はアーデルハイト達の家から意外と近い場所であった。しかし、怪文書の件や配信内での怪しげな言動などの所為もあって、あちらのクランハウスを尋ねるのは微妙に気が進まなかった。同じ理由で、自分たちの家に招くのも躊躇われる。その結果、妥協案として選ばれたのが、どこか近場の店に集合するというクリスの案であった。


 そしてその集合場所というのが、今しがた三人が到着したファミレス『ロイヤルバスト』である。ファミリーレストランの中では高級志向であり、値段も他店と比べれば若干高めである。ちなみに店を選んだのはアーデルハイトである。『高貴な感じがして大変気分が良いですわ』などという単純な理由であった。何か親近感でも感じたのだろうか。


 店内に入り、クリスが受付で名前を告げた所、どうやらあちらは先に到着していたようで、既に席についているらしい。むしろ店員の話によれば一時間ほど前から席についており、食事を注文することもなくアイスコーヒーだけで粘り倒しているらしい。アーデルハイトのファンであると言っていた相手のことだ、もしかするとアーデルハイト達が到着するのを待ってくれていたのかもしれない。だとすれば中々に律儀なことである。とはいえ、約束の時間まではまだ15分ほどある筈なのだが。


 店員に促されるまま、店内の奥まった場所にある席へと向かう。そうして向かう先、コーヒーを飲みながら読書に勤しむ一人の少女の姿が見えた。姿勢が無駄に良く、背筋をぴんと伸ばして足を組んでいる。照明の光を浴びた顔は雪肌、髪は鴉の濡羽色。そんな美しい髪を頭の後ろで纏め、所謂ポニーテールにしている。

 読書姿がよく似合うその少女は、控えめに言っても美少女であった。先日知り合った中年のDNAなど些かも感じられないほどに。強いて言うならば、至るところに散りばめられた十字架や羽等の装飾、もう初夏だというのにファーの着いたジャケットを羽織っているあたりに若干の痛々しさを感じる。彼女こそ、誰がどう見ても待ち合わせの相手であろう。


 そんな彼女はすっかり読書に集中しているのか、席の真横に来るまでアーデルハイト達に気づかなかった。仕方がないとばかりに、一応の確認も込めてクリスが声をかける。


「えっと、あなたが月姫かぐやさんですか?」


 そんなクリスの問いかけに、少女はハッとした表情で顔を上げた。そうしてクリス、みぎわと順に目を合わせ、最後にアーデルハイトの姿を認めた瞬間、会えたことがよほど嬉しかったのか、ぱっと明るい笑みを浮かべた。


「は、ははは、はい!!そうどす!!」


 そして盛大に噛んだ。

 コテコテの京言葉を言い放った月姫かぐやは、恥ずかしさのあまり顔を真赤に染め、まるで今にも泣き出しそうな顔をしていた。憧れのアイドルと出会ったオタクの心境とは、案外こういう感じなのかも知れない。

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