第61話 私に剣を教えてください

 一先ずは席に付き、アーデルハイト達はいくつかの注文を済ませた。

 今回の顔合わせはファミリーレストランで行われるということもあり、一行はまだ昼食を採っていなかったのだ。本来こういった打ち合わせの際は、あまり本気で食事をするものではないのだが、しかしそこはそれ、所詮はただの顔合わせを兼ねた打ち合わせである。そう畏まった場でもない為、月姫かぐやもまた特に何も言わなかった。というよりも、彼女はそれどころではなかった。


「ふすーっ!ふすーっ!」


「鼻息荒っ」


「顔立ちが整っているだけに余計怖いですね」


 彼女がアーデルハイトを見つめる眼差しは尋常ではなかった。恐らくはカラーコンタクトを入れているのであろう、懸珠けんしゅの瞳は碧く輝き、じっとアーデルハイトを捉え続けている。みぎわとクリスのツッコミも届いていない様子で、興奮からなのか、それとも緊張からなのか。まるで餌を前にした野生動物のように鼻を鳴らしていた。

 一方、月姫かぐやからの強烈な熱を一身に浴びているアーデルハイトはまるでどこ吹く風。動揺することもなく、ただ静かに紅茶を飲んでいる。その姿は気品に溢れ、流石は貴族令嬢とでも言うべき優雅さであった。この瞬間を切り取って絵にしたならば、人物画としてはそれは大層な値がつくことだろう。ここがただのファミリーレストランであるということさえ除けばの話だが。


「何を興奮しているのか知りませんけれど、少し落ち着きなさいな」


 そんなアーデルハイトの言葉に、ふすふすと鼻をならしていた月姫かぐやが、はっとした様子で我に返った。どうやら無意識でのことだったらしく、慌てて体裁を取り繕う。備え付けの紙ナプキンで口元を拭い、ほんの数秒で真顔へと戻る月姫かぐや。先程までの荒々しい鼻息を考えれば、その変わり様は実に見事なものである。しかし彼女の本質は既に三人に見られてしまっているため、今更冷静になったところで後の祭りではあるのだが。


「っ……!すみません、取り乱しました」


「取り乱しすぎッス。あわや逮捕の一歩手前ッス」


 初めてアーデルハイトと出会ったの時のことを忘れたわけではあるまいに、自分のことを棚に上げたみぎわ月姫かぐやを追撃する。

 折角この場に漕ぎ着けたというのに、このままではイジられ倒して終わってしまうと考えた月姫かぐや。彼女はこれ以上傷が深くなる前に、強引に話の流れを変えることにした。


「ぅ……その、とにかくですね。今回は話を聞いて下さって本当にありがとうございます。改めまして自己紹介を。私は探索者パーティ『†漆黒†』のリーダーをしています、白鞘しらさや月姫かぐやです」


「あれ?」


「……おや?」


 そんな月姫かぐやの自己紹介に、クリスとみぎわには気になった点が二つあった。ちなみにこの時のアーデルハイトは、綺麗なキューブ状に成形された砂糖に夢中であった。


「姓は『東海林』ではないのですか?ああ、答え難ければ構いませんよ」


 二人が気になった点、その一つ目。

 彼女は自らを『白鞘』と名乗った。探索者としての活動名だとも考えられるが、しかしクリスが事前に調べた『漆黒』の情報によれば、彼女の活動名はただ『月姫かぐや』とだけ記載されていた筈である。よもや例の中年と親子関係だという予想が違っていたのだろうか。或いは、何かやむを得ない理由があって、別の姓を名乗っているのかも知れない。そういった複雑な事情があるのなら、あまり深く突っ込んで聞くのは憚られる。


「ああ、白鞘は母方の旧姓です。こっちのほうが響きがカッコいいので、名乗る時は基本的に白鞘と名乗っているんです」


 しかし、月姫かぐやの解答は酷く単純なものであった。いろいろと込み入った事情を想像したクリスとみぎわであったが、しかしそれが杞憂に過ぎなかったことが判明する。ただ『格好いいから』という理由だけで名字を偽るあたり、流石は例の怪文書を送ってきた少女といったところだろうか。


「ウチにはあんまりその感覚はよくわかんねッスけど……そういうもんなんスか?」


「そういうものなんです。皆さんは気軽に、下の名前で読んで頂ければと思います」


 そう言って胸に手を当て、なにやら格好をつける月姫かぐや。恐らくは名前を読んで欲しいのだろう。チラチラと流し目をアーデルハイトへと送り、しかし彼女がメニュー表の写真に夢中になっている姿を見てがっくりと肩を落とす。


「そうですか……では月姫かぐやさん。本題に入りましょうか」


「はい……よろしくお願いします……」


 そうしてクリスに促されるまま、月姫かぐやは姿勢を正した。

 ちなみに、みぎわとクリスの二人が気になったもう一つの事。それは率直にいってどうでもいい、聞かずとも何の問題もないことであった。むしろやぶ蛇になるかも知れないと、二人は相談することもなく『気になった点』についての言及を避けていた。


(喋ると結構普通なんスね……)


(会話が成り立たない程の痛々しい人物を想像していましたが……)


 つまりはそういうことである。件の怪文書と『漆黒』の配信を見たおかげで、二人は今回の打ち合わせが難航するだろうと予想していたのだ。しかし蓋を開けてみれば、最初こそ異常なまでの興奮を見せていたものの、それ以降の月姫かぐやは存外まともであった。強いて言えば装いが若干痛々しいが、それさえも普通に外で見かけるレベルに収まっているといえるだろう。

 これが素なのか、或いは抑えているのか分からないが、下手につついて病を発症されれば堪ったものではない。故に、みぎわとクリスは目線だけで意志を共有し、その点には触れないことにしたのだ。


「さて、今回は『漆黒』としてではなく、月姫かぐやさん個人とのコラボ配信ということでいいんですよね?」


「はい!」


「何故パーティとしてではなく個人としてなのか、一応その理由を聞いてもいいですか?」


 一般的な配信であれば、グループに所属する個人が別の配信者とコラボすることは、実はそれほど珍しいことではない。ゲストのような扱いで出演することもあれば、グループを代表して出演することもある。

 しかし彼女達はダンジョン配信者だ。ダンジョン探索を生業としている以上、探索者達は基本的にパーティ単位での配信が常であり、それはコラボ配信であっても同じことだ。今回は『教導』配信ということもあってそれほど問題ではないのだが、しかし珍しいケースであることには変わりがない。


「私達のパーティは、実は他の探索者達と一緒に配信したことが一度もないんですよ。これまで一度も、です。理由は単純で、コミュニケーション能力に難があるからです」


「ッスよねー……」


「まぁ、そうですね……」


 二人が意図して触れないようにしていた話題に、月姫かぐや自らが踏み込んできた。ここで『月姫かぐやさんは普通に話せているように見えますが?』などと聞いても良いものか、今の二人には判断がつかなかった。おかげで随分と歯切れの悪い相槌となってしまった。


「あぁ、言いたいことは何となく分かります。これでも、私はメンバーの中ではマシな方なんですよ。こうして、発症して良い時と悪い時の区別が付く程度には。まぁその……例のDMの話を持ち出されるとアレなんですけども」


「あ、自覚はあったんスね」


「あの時はその、テンションが上限突破していたといいますか……最強の推しを見つけた喜びで、つい……その節はご迷惑をおかけしました」


「いえ、過ぎたことですし、私も読まずに捨てていましたからね。最初からまともな文章であれば、話はもっとスムーズだったのですが……それはもういいでしょう」


「ぅ……重ね重ね申し訳ないです」


 殆ど自滅する形で傷を抉られた月姫かぐやが、肩を縮こまらせながら小さくなってゆく。どうやらしっかり反省しているらしく、また平時であればしっかりと分別のある少女であるらしい。ここまでの言葉遣いも丁寧であったし、年齢を考えれば随分と大人びているとすら言えるだろう。DMの件等、時折見せる痛々しい部分も愛嬌と言えなくもない。


合歓ねむは単純に口下手だし、ルイスは私でも何を言ってるのか分からない時があるくらいです。蔵人くらうどに至っては『◯◯の中でじっとしていてくれ……』としか喋りませんし。こんな状態で他のパーティーと探索なんて、考えただけでも地獄ですよ」


「確かに、我々が見た『漆黒』のアーカイブでは盛り上がっていましたけど、他のパーティーと共同となると……」


「お通夜みたいな空気一直線ッスね。アイテムを回収しながらボソっと『鞄の中でじっとしていてくれ……』とか言ってたのはまぁまぁ笑ったッスけど」


「そもそもうちは閉鎖的というか、他人と関わらない方がカッコいいと思っているメンバーしか居ないんですよ。斯く言う私もそうだったんですけど───」


 月姫かぐやが言葉の途中で、何かを思い出すかのように瞳を閉じる。すっと伸びたまなじりが美しかった。白鞘月姫かぐやという少女は、黙っていれば美人の典型だろう。メンバーの合歓ねむも、魔女と水精ルサールカ紫月しずくと似た可愛らしいタイプのロリっ子である。ルイスと蔵人もまた、ビジュアル系の美男子である。比較的探索者歴が浅い彼女達が、新進気鋭の配信者として注目を浴びているのには、そんな見た目と言動のギャップが受けているという理由もあるのだろう。


 そうして数秒後、開かれた瞳はアーデルハイトを捉えていた。


「そんなのどうでもよくなるくらいに、ファンになってしまいました」


 月姫かぐやは探索者でありながら、いち視聴者でもあった。配信業の傍ら、他の探索者の配信を片っ端から視聴していたのだ。それは新人として、先達から様々な技術を盗むためであり、参考にするための勉強でもあった。探索技術はもちろんのこと、メンバー同士の連携や戦略、魔物への対策もそうだ。そうして熱心に学びつつも、しかし月姫かぐやは退屈していた。


 こと個人の戦闘技術に於いて、既存の如何なる探索者達もまるで参考にならなかったのだ。探索者であった両親の血なのだろうか、それともただ彼女の才が優れていたからなのか。理由は分からないが、ともかく月姫かぐやには才能があった。幼い頃には両親から戦闘の手ほどきも受けたことがあるが、しかし特別何かを感じることはなかった。父親が手本と称して剣を振る、その姿を見たところで、彼女にとっては『剣をそう動かせば、そうなるのは当たり前だろう』といった感想しか出てこなかった。


 故に彼女は、これまで誰にか教えを乞うたことがない。彼女は中二病患者らしく日本刀を使用するが、それだって誰かに師事したことはない。見様見真似、或いは本で読んだ、その程度の知識しかなかった。あとはただ自らの感覚に従い振るうだけ。体捌きや足運びなどはてんでバラバラ、剣技は我流の粗削り。しかしそんな状態であっても、彼女の戦闘能力は高かった。

 まさに天賦の才としかいいようのない、あまりに純粋な能力の塊。それが白鞘月姫かぐやという少女だった。戦闘力に於いてのみならば、トップ配信者をも上回る。そういわれるだけの能力が、彼女には確かに備わっていた。


 そんな彼女が初めて目にした、何をしたのかすら理解らないほどの圧倒的な剣技。否、それは剣技と呼べるものなのかすら理解らなかった。彼女の目に映ったのは、ただ枝を一振りしただけで、頑強と名高いゴーレムを両断してみせた女の姿。まるで散歩でもするかのように呑気で、しかし突如として流麗な舞いへと変わるその歩み。何をどうすればそうなるのか、月姫かぐやの頭では何一つ理解が出来なかった。


 故に焦がれた。魅了された。モノクロの景色が一瞬で色づいていくような、そんな感覚だった。それからの彼女の行動は早かった。怪文書を何通も送り付け、偶然とはいえ推しと行動を共にした父のことを知り、そして嫉妬し、恥ずかしくも、しかし藁にもすがる思いで手を伸ばした。全ては今日この時のために。


「今回私がコラボを依頼したのは、漆黒とは何の関係もないことです。登録者だとか、ランキングだとか、そんなことはどうでもよくて。ただ貴女に一目お会いしたくて、そして教えを乞いたくて。そのためにやって来たんです。だから───」


 怪文書を送り付けてきた者と同一人物だとはとても思えないような、そんな柔らかな笑みを浮かべる月姫かぐや。まるで意中の相手に最期の告白でもするかのような、或いは何かを成し遂げたかのような。それは純粋で澄み切った、美しい表情であった。


「───私に剣を教えて下さい」


 およそファミリーレストランの一角で醸し出すような雰囲気ではなかった。そういって真っ直ぐにアーデルハイトを見つめ、じっと返事を待つ月姫かぐや。そんな視線に、それを向けられている当人が気づいていないはずもないだろう。アーデルハイトはそっとメニュー表をテーブルの上へ置き、月姫かぐやの瞳を見つめ返してこう言った。


「ええ、悩ましいですけど……わたくしはこの『季節のクリームブリュレ~パイを添えて~』にいたしますわ……え?なんですの?」


 聞いていなかったらしい。

『デザートは何にするか』などと聞かれたとでも思ったのか、まるで見当違いな返事を頂戴した月姫かぐやは、瞳にいっぱいの涙を浮かべて小刻みに震えていた。

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