第62話 虚無と終焉の導き手

 時刻は9時を少し回ったところである。

 探索者協会の扉を潜り、ダンジョンへと足を踏み入れた探索者達が最初にたどり着く小さな広場。そこに、一人の少女がゆっくりとした歩みで現れた。


「オイ、アレってもしかして……」


「え、月姫かぐや姫だよね?うっそ!今日配信するって予告なかったけど!?」


「リアルで見たのまだ二回目だけど、相変わらずの美少女っぷりだよなぁ」


「これで眼帯さえ無かったらな……」


「ふん、素人が……アレがいいんだろうがカス」


「雑魚が……無い方が清楚感が増して良いだろうがゴミ」


「あ?」


「お?」


 最初にその存在に気づいたのは一体誰だっただろうか。その少女が姿を見せた時、周囲の探索者達が俄にどよめいた。


 眉唾ものの話ではあるが、武芸を修めた達人であれば、気配だけで強者を見分けることが出来るという。それは強者が纏う雰囲気、所謂オーラのようなものを感じるのか、それとも細かな所作や身体の動きで見抜くことが出来るのか。よく耳にするそんな話が嘘か真かは分からないが、どちらにせよ、今彼等が感じているのはそういった類のものとはまた違っていた。


 その少女は酷く異質であった。

 射干玉ぬばたまのように艷やかで長い黒髪と、そして凛と佇む姿だけを見れば、成程、大和撫子と言えなくもないだろう。


 一際目立つのは、少女の整った顔を四分の一程も覆い隠す眼帯だった。革製の眼帯には細かな装飾が施され、それがファッション用であることが一目で分かる。両手には眼帯と同じく、レザーの指抜きグローブを。腰には見た目からしてやかましいベルトと、真っ黒な鞘に収まった日本刀。リボンのような、刀にはまるで似つかわしくない布を紐状に結び、帯執おびとり佩緒はきおに使用している。


「今日は一人なのかな?ダメ元で声かけてみる?」


「いや、つーか一人であの格好してんのか……?」


「誰かを待ってるんじゃない?なんかさっきから時間気にしてるっぽいし」


「まぁ、ここダンジョン入って直ぐのところだしな」


「誰か知らんが、アレと一緒に探索を……?罰ゲームだろ……」


「初デートで彼氏が全身迷彩柄の服で来るくらいキツい」


 周囲の探索者達がひそひそと噂する中、当の月姫かぐやはそんな有象無象のことなどはまるで気にする素振りも見せず、ただ時計をしきりに確認していた。

 そうして40分程が経過した頃。

 一向に動く気配の無い月姫かぐやと、それを飽きもせずに見守り続ける探索者達。この広場は待ち合わせやパーティー募集に使われることが多いが、しかし普段であれば、今くらいの時間にもなれば殆どの探索者達はさっさと先に進んでいるものだ。こうして未だに多くの人が残っているのは、偏に月姫かぐやの人気の表れといえるだろう。


 そんな折り、月姫かぐやが何かに気づいたように顔を上げる。ようやく待ち人が来たのだろう、少女はぱっと明るい笑顔を咲かせ、小走りで入り口の方へと走り去ってゆく。


「お、ついに相手が来たか?チャラ男だったらボコるわ」


「気が合うじゃねぇか。でも女だったら間に挟まるわ」


「は?」


「あ?」


 一部で剣呑な空気を醸し出しつつ、衆人が見守る中姿を表したのは二人の女だった。一人はダンジョンには似つかわしくないメイド服姿。否、昨今はダンジョン以外であっても見ることは少なくなった。しかし、そんな場違いな服装がよく似合う、まるで夜の帳のように深い青髪をした女だった。肩には大きめのスポーツバッグを掛けており、場所と服装も相まってか酷く怪しく見えてしまう。


 もう一人は、ジャージ姿の女だった。

 特に目を引いたのは、過ぎる程に整ったその容姿。まるで太陽のように輝く黄金の髪を、毛先の方でくるくると巻いている。上下ジャージという微妙な服装すらも気にならないほどに、彼女には華があった。どこか影のあるお淑やか系美少女の月姫かぐやと比べれば、その女は正に大輪の花のようで。そして極めつけはその圧倒的な胸部装甲。ただの一瞬で全てを魅了する、奇跡のような女であった。


 当然ながら、周囲の探索者達はどよめいた。


「はい好き」


「わぁ……」


「オイ、なんかヤバいのが出てきたぞ……」


「どうした、挟まってこいよカス」


「……俺みたいなカスにも矜持がある。アレには挟まれん」


 そんな彼等の様子などはやはり気にもしない様子で、月姫かぐやが二人の女の方へと声をかける。


我が師マイマスター!!」


 月姫かぐやの言葉で周囲は更にどよめくが、当人達にとってこの反応は想定の範囲内でしかなかった。今回の撮影をこの『渋谷ダンジョン』で行うと決めた時から、人目につく覚悟は決めていたのだ。

 これまでは人目を避けるためという理由で、不人気ダンジョンばかりを撮影場所に選んでいた彼女達。しかし今回はいくつかの理由から、国内人気No.1といっても過言ではないここにやって来ている。


「あら、早いですわね?約束の時間まで、あと10分ほどありますわよ?」


「いえ、私もつい先程着いたばかりです!」


「そうですの?」


「はい!少し早いですが、早速行きましょう!」


 後から現れた二人の女、アーデルハイトとクリスを先導するように駆け出す月姫かぐや。足取りは軽く、その姿は誰がどう見ても浮かれている。これは非常に珍しい光景だった。特に『†漆黒†』での月姫かぐやを知っているものからすれば、目の前の少女は本当にあの月姫かぐやなのか、と疑いたくなるほどだった。


「張り切りすぎは良くありませんわよー」


 遠足に来た子供へ注意を促す引率のように、アーデルハイトがゆっくりと歩きながら声をかける。


「ああ……視線がぁ……」


 ついに表に出てきた───出されたともいう───とはいえ、これまではカメラ越しでしか出演していなかったクリスは、未だ視線になれていないのだろう。そんな普段通りのアーデルハイトの少し後ろでは、どこか居心地が悪そうな彼女がおずおずと着いてきていた。

 その容姿のおかげでやたらと目立つアーデルハイトだ。当然ながら、従者として付き添うクリスにも余った視線が飛んでくる。理解はしていたし、想定もしていた。だがしかし、それとこれとは話が別である。胃がキリキリと悲鳴を上げているのを感じつつ、クリスは渋々といった様子でバッグから追尾カメラを取り出すのであった。




 * * *




「ようこそ異世界へ!!」


『きた!』

『来たあああああ!!』

『おは異世界』

『待ってたぜ!!』

『一週間も待たせやがってよぉ!!』

『クリスもおるやんけ!!』

『初見』

『珍しく夜じゃない!』

『予告ミスかと思ったぜ』

『初カキコ…ども…』

『それ古過ぎィ!』


「初めての方は初めまして、ゆっくりしていって下さいな。そうでない方は……まぁいつもどおり行きますわよ!!」


 毎度変わる挨拶はさておき、こうして配信は始まった。普段は夕~夜に行うことが多い異世界方面軍の配信だが、本日は10時半スタートである。休日ということもあってか、現在の視聴者数は一万人近い。

 昨今の人気コンテンツであり、海外からも注目されている日本のダンジョン配信だ。そういった国外からの視聴者も含めれば、同接数が1万を超えることなどザラにある。そんなダンジョン配信というジャンルに於いて、この数字はそれほど大きいものではない。むしろ人気配信チャンネルとしては平均的とも言えるだろう。


 とはいえ、今回はゲスト目当ての視聴者も多く居るであろうことを考えれば、一概に人気配信チャンネルの仲間入りを果たした、などとは言えないかもしれない。


「さて、本日はあの『渋谷ダンジョン』に来ておりますわよ!理由は時間があれば語りますわ」


『不人気ダンジョン専門じゃなかったのか……』

『確か人目に付くのを嫌ったとかじゃなかったっけ?』

『配信者にあるまじき理由で草』

『まぁ確かにアデ公は目立つわな』

『今はもうクリスもおるしなぁ』

『ついに俺たちの団長が渋谷デビューを果たした』

『今日は大丈夫だったんだろうか』

『ゲストも悪目立ちする娘やからなぁ……』


「確かに、視線は感じましたわね……っと、それよりも。みなさんもうご存知のようですけど、本日はゲストが居りましてよ!本来はパーティ単位でのコラボの予定でしたけど、諸般の事情で一人だけになりましたわ!!」


『諸般の事情(モロバレ』

『諸般の事情(コミュニケーション不全』

『あっこがどっかのパーティと行動してるの見たことねぇしな』

『見てる側からしたら楽しいけど共演者はしんどいやろなw』

『邪気眼勢です。姫が他のパーティと絡むの初めてなので楽しみです』

『毎度毎度引っ張ってくる相手がでっけぇんだわ』

『正直早い段階から絡んでくれないかなと思ってたから嬉しい』

『ええい、もったいぶらずにさっさと出せぃ!!』


 SNS上での告知では、今回はゲストが居るとだけ語られていた。誰がゲストなのか等は特に語られていなかったのだが、しかし既に視聴者達はゲストの正体に気づいている様子であった。というよりも、記念配信の際に行ったアーデルハイトの匂わせの時点でほぼほぼバレていた。

 実力が全てと言われるダンジョン配信だが、やはり若者は応援したくなるものだ。活動開始から一年と少し、平均年齢も20歳以下。それでいて実力は十分なのだから、漆黒の人気の高さも頷けるというものである。ましてやそれが美少女ともなれば尚更である。


「なんだかもうバレているようですし、さっと紹介してしまいますわ」


 すこしつまらなさそうに口を尖らせたアーデルハイトが。そう言ってゲストを呼び込んだ。直後、どういう訳か配信画面が暗転し、ダンジョン内部はもちろんのこと、先程まで映っていたアーデルハイトとクリスもまた見えなくなってしまう。

 騎士団員達が機材の不調を疑う一方で、それは漆黒側のファン達にとっては、すっかりお馴染みとなっている光景だった。そうして数秒後、ささやくような声が視聴者達の耳に届いた。


「Welcome to Underground……」


『!?』

『!?』

『は?』

『ダッッッッッッッッサ!!!』

『あいたたたたたたたぁー!!』

『まるで古いコピペみてぇなセリフだなぁ……』

『嘘みたいだろ?これカメラ手で覆ってるんだぜ』

『なんでも良いからとりあえず暗くしたいんだよな』

『親の顔より見た暗闇』


 映像が戻ったとき、そこには何やら怪しげなポーズをとっている月姫かぐやと、胡乱げな瞳でそれを見つめるアーデルハイトとクリスの姿があった。


「ようこそ暗闇の世界へ、哀れな子羊達。私は月姫かぐや、死のない女。今宵貴方達を深淵へと導く、虚無と終焉の導き手。名前を覚える必要はないわ……会うのはこれが最後でしょうから」


『開幕からもう何言ってるかわかんねぇんだわ……』

『なんだろう、背中がぞわぞわする』

『声とつらは良いのがムカつくw』

『これが通常運転です』

『ゲストの自覚があるのか、むしろいつもより控えめなくらい』

『もしかして今日の配信めっちゃしんどいんじゃないか?』

『団長はコレを操縦出来るのか……?』

『できらぁ!!』


 常から訓練されている漆黒ファン達はともかく、騎士団員達は困惑を隠しきれずに居た。とはいえ、漆黒とはダンジョン配信界隈を盛り上げる有名配信チームの一つだ。そんなチームの情報を、歴戦の視聴者たる騎士団員達が何も知らない訳はなかった。普段は漆黒の配信を視ていない団員達ですら、噂程度には聞いたことがあったのだ。曰く、『漆黒の配信はノリと勢いだけで見ろ』『深く考えてはいけない』と。


「というわけで、今回のゲストは『漆黒』の月姫かぐやさんですわ。今回は彼女たっての希望で、彼女に剣の教導を行う予定ですの。でも実はわたくし、もう既に面倒臭いんですの」


「ちなみに私もです」


「ええっ!?」


『辛辣で草』

『ひでぇw』

『あまりの辛辣な言葉に月姫かぐやも素が出とるやんけ』

『実はうちのアーちゃんこういうとこあるから』

『いやクリスもだったわ』

『自分のペースには巻き込む癖に他人のペースには呑まれない女』

『こんなんでも実力はむちゃくちゃ高いからなぁこの娘』

『でも月姫かぐや側からの希望なんやね』

『果たして異世界神拳継承者となれるのか』


 ともあれ、こうして月姫かぐやの紹介を終えたアーデルハイト。本日の配信内容はいつものダンジョン探索とは異なり、あくまでも『教導』だ。である以上、『うちの月姫かぐやに教導とは、一体何様なのか』等と、アーデルハイトのことあまり知らない漆黒側のファン達からは、恐らくは何かしらのケチが付くのではとクリス達は予想していた。しかし意外にも、そのようなコメントは見られなかった。


 これは、今回の件が月姫かぐやの発案によるものだというのが大きかった。当の月姫かぐや本人が発案し、教えを乞うているのだ。本人がそうしたいと言っているのだから、当然といえば当然のことだが、周りが文句をいうようなことではない。そういったことがしっかりと理解出来る程度には、漆黒のファン達は皆大人であった。


「とにかく、ここには魔物もいませんし、ささっと進みますわよー」


 そう言って歩き始めるアーデルハイトと、それに続くクリス。


「ああっ!ちょ、待って下さいよぉ!」


 そんな二人の後を追うように、少し遅れて月姫かぐやが小走りで駆けてゆく。どこかコミカルなそのやり取りは、危険なダンジョンにはおよそ似つかわしくないものである。それはいつも通りと言えばいつも通りの、異世界方面軍の配信ではすでにお馴染みとなった、まるで緊張感のないスタートであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る