第59話 だから違ぇって!!(幕間)

 しっかりと舗装された道路、過ぎゆく町並み。

 ハンドルを握るみぎわと、助手席にはクリスの姿。彼女達が乗っているのは、いつものバンとは違う車だった。とあるメーカーが何十年も前に発売し、様々なマイナーチェンジを繰り返し、そうして長きに渡って愛されている軽トラ『パイゼット』。そのカタカタと小刻みに揺れる荷台の上で、アーデルハイトは頬を膨らませていた。


「ぶぅぶぅ」


 荷台の上といえど下品に胡座をかいたりはせず、背筋を伸ばして正座を維持している。舗装されているとはいっても、道路には小さな段差など無数に存在する。そんな段差に乗り上げる度、荷台の軋む音と共に正座状態のアーデルハイトが小さく跳ねる。常人であればこのような場所で正座など、とても耐えられないだろう。しかしアーデルハイトに備わるのは、異世界にて研ぎ澄まされた圧倒的な身体能力。現在はそれを全力で無駄遣いしていた。


「なんか後ろから鳴き声がするッス」


「ひとしきりはしゃいで、飽きた今は『例の件』を思い出してまた怒っているみたいですね」


「気持ちは理解るけど、まぁ今回は仕方ないッスよ」


『例の件』とはつまり、記念配信後の異世界方面軍を襲った悲劇の事である。ファン達の間で『アーデルハイト黒パンツ事件』などと呼ばれているそれは、これから勢いに乗ろうとしていた異世界方面軍にとって、まさに痛恨の極みとなった。


 それは、誰もがカメラに映る死神に釘付けとなっていた中での、ほんの一瞬の出来事だった。魔女と水精ルサールカとのコラボ配信中、アーデルハイトのパンツと尻がアップになった瞬間があったのだ。

 死神の見た目といえば誰もがすぐに想像出来る、黒い襤褸を被ったいかにもな姿をしている。そして当時のアーデルハイトは黒地のレースショーツを着用していた。ここまで言えば誰にだって簡単に想像がつくだろう。襤褸を纏った死神がカメラの前を横切ったのだと、誰もがそう思い気にしていなかった。しかし実際にはアーデルハイトの尻だった、というわけである。


 アーカイブを見直していた団員がそれに気づき、そうして騎士団内で徐々に広まり始めた。しかし、恐らくは善意の団員であろう者からの通報が為され、運営によってアーカイブは削除された。そうして被害は最小限に留まったものの、期待していたほど登録者数は伸びなかった。これが『アーデルハイト黒パンツ事件』の概要である。

 ちなみにこの事件はファンたちの間で半ば伝説のような扱いになっており、団員達は数日経った今でもこのネタをこすり倒してゲラゲラと笑っている。


「わたくしのお尻の何処がいけませんの!?誰に見られても恥ずかしくない、立派なお尻だと自負していますのに!!」


 頬を膨らませ、荷台の上でぶうぶうと文句を垂れるアーデルハイト。初めて乗った軽トラの荷台に、馬とはまた違った風を感じて大はしゃぎしていた彼女だったが、暫く乗っていたことでどうやら飽きてしまったらしい。そうしてじっとしている内に、事件のことを思い出してしまったのだろう。彼女は微妙にズレた不満を零していた。


「どちらかといえば、立派なのが仇となった形ですね」


「まぁ10万人は越えたんだしいいじゃないッスか。そうそう都合よくはいかねーもんッスよ。それよりちゃんと荷物見てくれてます?」


 乗車スペースと荷台の間、そこにある薄い壁越しに会話をする三人。そう、彼女達は何もアーデルハイトを出荷しようとしているわけではない。軽トラの荷台にはいくつもの荷物が積まれており、荷台に乗りたいと言い出したアーデルハイトがそれを見張っている形だった。


 現在彼女達が生活している部屋は、引っ越したばかりで荷物が少ない。そこで、ポーションの売却で得た資金の残りを使い、必要なものを買い揃えようということになったのだ。そうして様々な店を周り、生活や配信に必要なあれやこれやを買った帰りというわけである。あまりにも大きな家具等は配送を依頼したが、それだけではどうしても時間がかかってしまう。それに購入したものは数も多く、送料だって馬鹿にならない。故に軽トラをレンタルし、持ち帰れるものは自分たちの手で持ち帰っているのだ。


 すっかり機嫌を損ねたアーデルハイトだったが、しかし軽トラがマンションに到着する頃にはすっかりいつもの様子に戻っていた。購入した荷物の量を考えれば、部屋と軽トラを何度も往復しなければならないところであったが、そこは流石の異世界出身者である。アーデルハイトとクリスという圧倒的なフィジカルエリート二人を要する異世界方面軍は、たった一度の往復ですべての荷物を部屋まで運び込むことに成功していた。運送業か引越し業でも始めれば、そこそこいい稼ぎになりそうである。


 そうして各自の部屋へと荷物を運び込み、残った配信用の道具は配信部屋へと放り込む。今はまだ蟹のぬいぐるみが一匹鎮座しているだけだったが、そんな配信部屋に少しずつアイテムが増えてゆく。壁には死神の大鎌を飾り付け、魔女と水精ルサールカのメンバー達と撮影した記念写真などが飾られる。徐々に怪しげな内装へと変わってゆく配信部屋であったが、その中央には一際怪しい機材が鎮座していた。


 円形の台座に支柱、そしてその支柱の先には、まるで人の頭を模したかのような何かが取り付けられている。理解る者にはひと目で分かる特徴的な形状、安いものでも10万円近く、高ければ100万円を優に超える高価な機材。その正体は所謂バイノーラルマイクであった。


『Binaural』とは、つまりは両耳のことである。

 要するに人間の耳を再現したマイクと言えば分かりやすいだろうか。前後左右、高さ、奥行き、距離、方向、音量差、反射。そういった人の耳に入ってくる細かな音情報を再現し、録音できるのがバイノーラルマイクである。


 現在主流となっている用途といえば、やはりASMRだろうか。異世界方面軍がこれを購入したのもそのためである。当初は単発動画用として通常マイクを使用した歌等を収録する予定であったのだが、視聴者達からのASMR作品を希望する声が予想以上に多かったのだ。

 ただの雑談や歌などであれば通常のマイクでも事足りるが、ASMRや朗読といったジャンルの音声作品を作るとなると、バイノーラルマイクはどうしても必要になってしまう。そこで、どうせ買うなら高くて良いものを買おう、という話になり、こうして購入してきたというわけだ。


「なんというか……夜中に見ると不気味そうですわね」


「帝国の錬金塔にあったオブジェに似ていますね。あっちのは夜中勝手に動き出しましたけど」


「え、何スかそれ。怖すぎるんスけど……まぁともかく、まずは試してみましょうよ。ウチもこれは初めて触るんで、実は結構楽しみなんスよね」


 そう言ったみぎわが、説明書を読みながら手早く設定を済ませる。ものの数分もしない内に録音準備が完了したそれは、値段のせいもあってか妙な威圧感を放っていた。


「そもそも、ASMR?というのは一体何ですの?」


「私もそれほど詳しくないんですよね。最近良く耳にするなぁとは思っていましたが」


 異世界出身の二人にはどうやら馴染みがないらしい。アーデルハイトは当然のことながら、こちらの世界に来てから一年と少しといったクリスも同様だった。とはいえそれも仕方のないことで、ASMRが流行りだしたのはここ数年でのことだ。言葉こそ徐々に浸透してきてはいるものの、大多数の一般人からすれば未だに怪しい存在の域を出ていない。


「一口にASMRといっても色々な種類があるんス。二人にも分かりやすいよう、ざっくり説明すると───なんかよく分からんけど心地よく聞こえる音、みたいな認識で大丈夫ッス」


 酷く乱暴なみぎわの説明に、異世界出身の二人はそろって小首を傾げていた。そんな二人に対し、少し言葉が足りなかったかとみぎわが説明を補足する。


「例えば川のせせらぎとか、チョロチョロ言う音あるじゃないッスか」


「お小水ですの?」


「違……いや、あながち間違ってもないかもしれないッスけど。ほら、雨の音とか、焚き火の燃える音とか。風の音とか、何かを咀嚼する音とか。どんな音が好みかは個人差があるんスけど、聞いているとリラックスできる音が人それぞれあるんスよ」


「あ、なんとなく分かりますわ。それならわたくしは剣撃の音が好きですわ。金属同士がぶつかり合う、あの澄んだ高音とリズム。達人同士が剣を交えると、それはもう、まるで名曲を聞いたかのような気持ちになりますの」


「それなら、私は魔力が集まっている時の音が好きですね。目に見えない何かが手の中で膨張しているような、今にも溢れて破裂しそうな。あの得も言われぬ緊張感が堪らないですね」


「……まぁ、そんな感じのやつッス」


 どことなく剣呑で、妙に物騒な例えを挙げたアーデルハイトとクリス。そんな二人に少し引きつつ、しかしツッコんでいては話が進まない為、みぎわは無視してそのまま話を進めた。

 アーデルハイトはもちろんのこと、クリスもまた声が良い。視聴者達からの人気も高く、特にアーデルハイトの音声作品は予てより希望の声が多かった。記念配信の際に披露した歌もそうだが、それとは違った少し静かなものを聞きたい、と。

 そこでみぎわは単発動画のネタとして、試しに小説の朗読でもさせてみようかと考えていたのだ。それと同時、適当にマイク周辺を舐め回させていたほうが、よほど直接的な収益に繋がるだろう、とも思っていたが。


「そういうのが最近流行ってるんスよ。というわけで、お嬢とクリスにはそれを録音してもらうッス」


「え、トイレには先程行ったばかりですわよ?」


「私も流石にそれは……お断りします」


「だから違ぇって!!」


 話を聞いているのかいないのか、わざとなのかそれとも天然なのか。クリスは心底嫌そうな顔でみぎわとじっとりと見つめ、アーデルハイトに至っては一体何処から取り出したのか、椅子に座って煎餅をかじり出す始末であった。

 そんなアーデルハイトの姿を見たみぎわは、丁度いいと言わんばかりにマイクをアーデルハイトの眼前へと移動させた。


「ちょっとお嬢、試しにマイクの真ん中で煎餅齧ってみて下さいよ。こういうのも案外需要があったりするんスよ?」


「少し恥ずかしいですけど、まぁ構いませんわ……では失礼して」


 ぱりっ、という小気味の良い音。その後、アーデルハイトの口内からポリポリと、煎餅の割れる控えめな音が聞こえてきた。そうして試験的に録音された音声を、みぎわが手元のヘッドホンへと出力する。そのままヘッドホンを自らの頭に乗せ、なんとも言えない表情をした後でアーデルハイトの頭の上へと移動させた。そうして自らが煎餅を咀嚼する音を聞かされたアーデルハイトは眉を顰め、苦い顔をしてクリスへとヘッドホンを回した。


「……本当にこれが良いんですの……?」


「私は好きですよ、お嬢様の咀嚼音。なんというか、やっぱり上品で可愛らしい感じがします」


「ん……いやまぁ、実際需要はあると思うッスよ……多分。これがASMRの難しいトコなんスよね……個人差が大きすぎるというか。人によって合う合わないが激しいというか」


 アーデルハイトとみぎわには不評であったが、しかしクリスにはそこそこ好評であった。このことからも分かるように、数あるASMRジャンルの中でも咀嚼音は非常に取り扱いが難しい。少なくとも試しでやるには選択を誤ったかもしれないと、みぎわは少し後悔していた。その後みぎわは一度自室に戻り、今度は自前のライトノベルを持ってきて二人に読ませてみることにした。


 こうしていくつかの試行錯誤を経て、数日後には異世界方面軍チャンネルに2つのASMR動画が投稿され話題になるのだが、それはまた別の話である。


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