第58話 妹にチクるぞ

 広々とした部屋だった。

 そもそもが何畳あるのかもよく分からない程のリビングだというのに、それに加えて吹き抜けが圧倒的な開放感を与えている。統一感のあるインテリアは高級感を演出し、ガラス越しに見える庭にはプールまで付いていた。そんな極一部を見ただけでも、この家が豪邸だということは容易に想像が出来るだろう。


 そんな豪邸のリビングで、一人の男がソファに寝転んで本を読んでいた。短く刈り込まれた金髪と、まるで鷹のような鋭い瞳。額の端、目尻の少し上には鋭利な何かで切りつけたような傷痕があり、それも相まってか如何にも気質かたぎではないと言わんばかりの強面である。

 まるで丸太かと見紛う程に太く盛り上がった両腕の筋肉は、彼がしっかりと鍛え込んでいることの証だ。そのおかげで、彼の着ているシャツは張り裂けんばかりにぱつぱつとしていた。


 そんな読書に勤しむ筋肉質な男の元へ、別の男が顔を見せた。切れ長の瞳に細い眼鏡が怜悧れいりな印象を与える、俗に言うインテリヤクザのような男だった。多少キツい印象を与えるものの、顔立ちは整っており、女性人気が随分と高そうに見える男であった。手にはタブレットを携え、ゆっくりと落ち着き払った歩調で、読書中の筋肉男が寝転んでいるその対面にあたるソファへと腰を下ろす。


「なぁ、ウィリアム。何も言わずにコレを見てくれ」


 眼鏡の男がそう言って、テーブルの上にタブレットをそっと差し出した。ご丁寧にスタンドを使い、見やすいよう角度も調整して立てられている。しかし声をかけられた筋肉質な男は、本から視線を動かすことはなかった。とはいえ声が聞こえていないわけではないらしく、わざとらしいため息を一つ吐いてから返事をした。


「レナード、俺が今何をしているように見える?」


「読書だな」


「いよいよ目が見えなくなったのかと思ったぜ。安心したよ」


 そう言って筋肉質な男───ウィリアムは再び読書の世界へと戻ってゆく。彼はその筋肉質な外見とは裏腹に、読書と料理が趣味のインドア派であった。

 恐らくはいつものやり取りなのだろう。そんな少々嫌味ったらしい言い方をしたウィリアムに対し、レナードと呼ばれた眼鏡の男は、しかし気を悪くした風には見えなかった。


「読書なんていつだって出来るだろう?」


「バカを言うな。いつでも出来ると思っているものこそ、いざ出来なくなった時に最も後悔するんだよ。お前はもっと日常のありがたみを噛みしめるべきだ。今読んでいるこの本は、今しか読めないかもしれないんだよ」


「屁理屈に付き合うつもりはない。いいからコレを見ろ」


 レナードはそう言うと、仰向けに寝転んでいるウィリアムの手から本を奪う。読書が好きな人間がそのようなことをされれば、激昂してもおかしくないような暴挙である。しかしこれもまたお決まりのパターンなのだろう。ウィリアムは眉を顰めはしたものの、それほど気分を害した様子でもなく、ただ面倒臭そうにため息を吐くだけであった。


「あ、オイ……はぁ……わかった、わかったよ。見ればいいんだろ……で、何を見ろって?」


「ここ数日、日本のごく一部で話題になっている探索者の動画だよ。切り抜きだけどな」


「……オイ、そんな物のためにわざわざ俺から趣味の時間を奪ったのか?冗談だろ?本返せ」


「ほら、始まったぞ」


「……チッ」


 レナードへ向けて舌打ちを一つくれたウィリアムが、渋々といった様子でタブレットへと視線を移動させた。相変わらずソファに横になったままで、立てた右腕を頭の支えにしている。そのやる気の無さといったら凄まじく、休日に家で映画を見ているときのほうが余程画面に集中していることだろう。

 まるで興味が無さそうに、ただぼけっと画面を見つめるウィリアム。元々が強面であるが故か、鋭い眼光と腑抜けた姿勢、そして盛り上がった筋肉も相まって非常にシュールな光景だった。


「……ん?日本の配信者って言ってたよな?どう見ても日本人じゃないよな?」


「日本の配信者なのは間違いない」


「……何か含みのある言い方だな。ダンジョン目当てで滞在中の奴らか?」


「いいや違う」


「……?俺は日本の配信にそれほど詳しくはないが、それでも有名配信者くらいは知っているぞ?それにしても見覚えが無い。つーか死ぬほど美人だな。スタイルも最高だし、英語も癖がまるで無いし、発音もいい」


「ああ」


「オイなんだよ。折角見てるんだからちゃんと説明しろよ。あのイカれたお前の妹だって、もう少しまともな説明をするぞ」


「見終わった後で纏めて質問しろ」


「……チッ」


 取り敢えずは黙って動画を見ろ、ということなのだろう。どうやら問いにはまともに答える気のなさそうなレナードへと再び舌打ちをし、やはり面倒そうにしつつもウィリアムが再び画面へと意識を戻す。そんなウィリアムの体勢は、動画が始まって数分後から次第に変化を見せていった。初めはただ何となく視界に収めているだけだった彼だが、気づけば起き上がり、椅子に座り、ついには膝の上で指を組みながら食い入るように画面を見つめるようになっていた。

 そうして数分後、動画の再生が終わると同時にウィリアムは天井を見上げ、深くゆっくりと息を吐いた。目頭を押さえ、まるで今目にしたものは見間違いだとでも言わんばかりに揉みほぐしている。


「……良く出来たフェイクじゃないのか?」


「残念ながら元はライブ配信だ。これがリアルタイム編集によるものなら担当は天才だな。企業がこぞってスカウトするだろう」


「……なら、仮にマジだとして……あー、何から聞けばいいんだコレは?まだ理解が追いついていないんだが」


「だろうな。俺もそうだった」


 そう言って肩を竦めて見せるレナード。

 彼がこの動画を見たのは数時間ほど前のことだ。協会本部に所属しているフランス人の知り合いから連絡を受け、送られてきた動画を言われるがままに視聴した。当初は何かしら調査の依頼かと思っていたのだが、そんな考えは数分後には綺麗さっぱり、どこか遠くへと飛んでいってしまっていた。それから暫く放心し、考えを整理し、考察し、他の切り抜き動画を探した。当然ながら配信チャンネルも見に行ったし、その勢いでチャンネル登録とサブスク登録もした。その後、いくつもの問いを協会所属の知り合いに投げかけた。


 そうして今、この衝撃を共有するために、クランハウスに唯一残っていたパーティーメンバーのウィリアムの元へやって来たのだ。


「これは日本のトップ探索者の一つである魔女と水精ルサールカと、そして極々最近配信を始めた新人探索者、二組による共同探索の様子らしい。金髪縦ロールのどう見ても日本人じゃない彼女が新人だ」


「リザードマンと眼球のトレードでもしたのか?これが新人探索者だと?そんな話を誰が信じるんだ。お前の妹がオーガとのハーフだったと言われた方がしっくりくるぞ」


「言いすぎだ。レベッカにチクるぞ」


「新人の戦いどころか、あれが人間に出来る動きか?俺ですらあそこまでの動きは出来ないぞ?それにどういう理屈なのかは知らんが、死神を倒していたぞ?……倒してたよな?俺の知る限り、そんな報告は世界中の何処でも聞いたことがない。はっきり言ってこれは偉業だぞ」


「そうだ。だから見せた」


 徐々に頭の整理が出来てきたのか、ウィリアムはレナードへと矢継ぎ早に問いかける。口調こそ平静は保っているものの、その表情からは驚愕と、未だ信じられないとでも言いたげな疑念の色が窺える。

 配信こそ行ってはいないものの、米国一の探索者として世界中にその名を轟かせている彼等だ。当然ながら死神とは何度も遭遇したことがあるし、戦闘を試みたこともある。だが、その度に苦い思いをさせられている。探索者にとって最悪の敵とも言われている死神は、彼等にとっても憎き相手であった。


「彼女は『異世界方面軍』というチャンネルで、つい一ヶ月ほど前から活動を開始したそうだ。登録者数は漸く10万に届いた程度。まぁ、よく言っても中級配信者といったところだ。一ヶ月という期間を考えれば凄まじい勢いではあるがな」


「『異世界方面軍』だと?じゃあ何か?彼女は異世界からやって来たとでもいうのか?」


「少なくとも、そう自称している」


「ハハハ!!確かに最近流行りの異世界人ならあの動きも───なんだって?」


「彼女は自称、異世界出身だそうだ」


「……」


 あまりにも突飛なレナードの言葉に、ウィリアムは沈黙してしまう。確かに、ダンジョンという酷くファンタジーじみた怪しい場所が存在し、そして世界中で受け入れられている今、異世界人などというものが現れても不思議ではないのかも知れない。


 こと戦闘に於いて誰よりも自信を持っている彼は、自分より上が居るとすれば同じパーティーメンバーのレベッカだけだろうと思っていた。それでも互角か、或いはほんの少し譲る程度だろうとも。

 しかし、今画面の中で繰り広げられていた戦いはウィリアムの常識を遥かに凌駕していた。ほんの一瞬だったが、自分よりも一回り程も年下であろう少女に対して、『勝てないかもしれない』という考えが頭を過ぎったのも確かである。そんな少女の正体が近頃創作で流行りの異世界人であると言われれば───腑には落ちないが───辛うじて認められなくもない。


 とはいえ、とはいえだ。だからといって、真偽も分からぬうちからはいそうですかと受け入れられるほど軽い話ではなかった。


「見ていて気づかなかったか?彼女の口の動きと、聞こえてくる言葉が明らかに一致しない。そもそもコレは日本での配信で、日本人のリスナーと普通に意思疎通している。ちなみにこの動画を教えてくれたフランス人知り合いには、彼女の言葉はフランス語に聞こえていたらしい」


「……どういうことだ?聞く人間によって言語が変わっているということか?」


「恐らく、聞く人間にとって最も馴染みのある言語になっているのだろう。仕組みは分からんが、異世界出身というのはあながち冗談ではないのかもしれんぞ」


「マジかよ……いよいよファンタジーじみてきたな……」


「ちなみに元剣聖で、元公爵家のご令嬢だそうだ」


「ちょっと待て、情報量が多過ぎるぞ。何の話だ」


「彼女の『設定』だ。ちなみに俺も先程チャンネル登録をした」


「知るか!!」


 眼の前に居る普段ならば頼れるリーダーも、どうやら余りの衝撃に頭がおかしくなっているらしい。死神討伐などという光景を見せられれば、如何にレナードと言えどもありなんといったところか。


「……ん?」


 そこでウィリアムはふと違和感に気づいた。

 如何に新人配信者といえど、死神討伐が事実であればもっと話題になっている筈だ。おまけに異世界出身ときたものだ。その真偽はともかくとしても、話題性という面で言えば抜群だろう。少なくともネットニュースにくらいはなっていなければおかしいというものだ。言語云々に関しては、複数の国に知り合いでも居なければ判明しづらいかも知れないが、それを抜きにしても些か妙である。


「……何故これほどぶっ飛んだ新人が、未だに話題になってないんだ?少なくとも登録者数はもっと増えても良いはずだろう?」


「この切り抜きの元動画が現在削除されている所為だろう。4日ほどしか見られなかったらしくてな。おまけに共同探索相手の方は、カメラの故障で映像が途中から残っていないらしい」


「ん?」


「広がり始めたところで不運に見舞われた、ということだ。ネットに散らばっている無許可の切り抜きを探すことすら困難で、お前に見せたコレだって、俺の知り合いが運良く見つけて保存したものらしいからな」


 そう言って再び肩を竦めるレナード。

 異世界方面軍には現在、公式の切り抜き師というものが存在しない。当初は自由な切り抜きを許可していた異世界方面軍だったが、サブスク登録が解禁された初回の雑談枠以降は、収益上の理由や悪質な切り抜きを防止するために許可制となっていた。切り抜きの許可申請自体はいくつか届いていたものの、しかしその対応にまで手が回っておらず、未だ不在というわけである。ダンジョンへ潜る度に大騒ぎをしている割に、切り抜き動画が少ないのにはこういった背景があった。


 近いうちに着手しようと思いつつ、後回しにしていたツケが回ってきたということである。これは誰が悪いというわけではなく、単純に人手が足りてない所為で起きた悲劇だ。強いて言うならばクリスの業務過多である。これからといったところで異世界方面軍を襲った、まさに悲劇といえるだろう。


「そもそも何故元動画を削除したんだ?どう考えたってチャンネルにとってはチャンスだろう?」


「削除したのではなく、削除された、が正しい。ちょうど10万人突破の記念配信直後だったらしくてな……彼女達もSNSでお気持ちを表明していたよ」


「削除されたって、ToVitchビッチにか?この偉業を?運営はバカなのか?これがどれほどの事件か理解らんわけじゃないだろう?削除の理由は?」


 憤慨した様子でレナードへと食って掛かるウィリアム。彼の態度は当然だった。ダンジョン探索全盛期とも言える昨今、世界中の探索者達を苦しめている死神の討伐は正しく大事件である。これまで倒すことが出来ないと言われていた存在を倒した、その偉業は残されて然るべきなのだ。動画内では『真似は恐らく出来ない』と言っていた彼女だが、しかし何かしらのきっかけにはなるかもしれなかったのだから。


「……センシティブな内容が含まれる為、だそうだ」


「……は?」


「例の美少女のケツが、ほんの一瞬とはいえドアップで映っていたらしい。それなりに際どいドレスアーマー姿だっただろう?後からアーカイブを見返し、それに気づいた視聴者が大喜びしだした辺りで運営に見つかったらしい。或いは通報があったのかも知れんが……ともかくアカウント停止は免れたものの、動画は削除されたそうだ」


「……」


 ウィリアムは頭を抱えた。

 ダンジョン探索は激しい動きを伴うのが普通だ。故に、基本的には見逃してもらえる場合が多い。しかし、死神との戦闘時はクリスカメラではなく自動追尾カメラであった。通常、自動追尾カメラは演者と一定の距離を保つように設定されている。しかしアーデルハイトの激しい動きについてこられず、彼女のケツがドアップで映ってしまったのだ。

 ほんの一瞬とは言え、映像として残っている以上は一時停止機能が存在する。こうなればあとは言わずもがなである。


「詰めが甘いというか、なんというか……」


「あの尻は非常に勿体なかったな。俺ももう少し早く知っていれば録画していたものを」


「……結構ムッツリだよなお前。妹にチクるぞ」


「ふん、オーガにチクられたところで何の問題もない」


「お前も言ってるじゃねぇか」


 怜悧な表情をまるで変えず、無表情のままで淡々と語るレナード。ウィリアムの脅しチクりもどこ吹く風といった様子で、眼鏡の位置を直しながらそっと目を閉じている。


「まぁとにかく、注目しておくに越したことはないだろう。というか俺は日本に行って直接会いたいとすら思っている。どうだ?読書よりも有意義だっただろう?」


「それは間違いない、教えてくれたことは素直に感謝している……が、お前そんなタイプだったか?」


「俺は至って普通だ。もしも普段と違うように見えるのならば、それだけ彼女が魅力的だということだろう」


 平静な口調でそう言った、自分達のリーダーであるレナードの姿を胡乱げに見つめるウィリアム。それなりに長い付き合いではあるが、このようなレナードを見るのは初めてだった。

 レベッカが戻ってくるまでに調子を戻してくれればいいが、などと考えながら、ウィリアムは先程の映像を思い返す。見たことのない動きだった。信じられない身体能力だった。もしも自分が彼女と戦うのならば、どうすれば勝てるだろうか。彼の頭の中では既に模擬戦が始まっている。平時は読書が趣味とは言え、ウィリアムは基本的には脳筋だった。


 こうして本人たちの預かり知らないところで、異世界方面軍の認知度が二人分だけ上昇していた。怪我の功名というべきか、それは不運に見舞われた異世界方面軍にとって追い風となるかも知れない、大きな大きな二人分であった。

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