第255話 とある新人探索者の話②

 協会主催の講習会を受講するにあたって、私が渋谷を選んだ理由。それはもちろん、今回の講師が私の推しだったから。『勇仲』の大和さんは当然として、やっぱり今はだんちょがアツい。私以外にも、だんちょ目当てで講習を受けに来ている人は多い。周りからの人気度でいったら、丁度大和さんと半々くらいかな?


 ちなみに『だんちょ』っていうのは我らが団長、アーデルハイトさんの愛称のひとつだ。『アデ公』とか『アーさん』だとか、ファンからはいろいろな呼ばれ方をしている彼女だけど、わたしは断然『だんちょ』派だ。だって一番可愛いし。


 そんなだんちょは壇上に上がるなり、どこぞの軍曹よろしく私達を罵った。いや、罵ったとは言えない程度の、なんとも可愛らしい言い回しだったけど。普段はサメと極道の映画ばかり見てるって配信では言ってたけど、どうやらついに名作映画にまで手をだしたみたい。すぐに影響されるあたりが大変キュートだ。


 そうして私達がゴブリンの腰布と化してから、昼休憩を挟んで一時間後。受講者達は近くにある協会所有の修練場へと集められていた。なんでも、『探索技術に関しては既に聞かされただろうから、自分は実践的なことをする』だそうだ。


 正直に言えば、この展開は薄々予想していた。だんちょの探索歴が浅いのは本人が言っていたことだし、ファンの間でもすっかり常識になっている。そんな彼女が、探索についてあれこれ説明している姿は想像出来なかったから。京都でも颯爽と転移罠に引っかかってたしね。


 けど、彼女の魅力はそういった小手先の技術じゃない。だんちょの事を知っている人は、彼女の実技指導を期待してここに来ている。もちろん私もそう。こんな一日だけの講義で何かが変わるとも思えないけど、それでも、強くなるコツみたいなのは教えてもらえるんじゃないか。そんな考えだ。単純に、一度でいいから生デルハイトを拝みたかったっていうのもあるんだけど。


 昼休憩に入る前、私達は『汚れてもいい格好で修練場に集合』とだけ伝えられた。これから何をする予定なのかも、私達は聞かされていない。参加は自由だとも言っていたけれど、見たところ受講者のほぼ全員が参加している。流石だんちょ、人望がデカい。そうして着替えを済ませ整列する私達の前で、だんちょはこう言った。


「ジャージを着ている方が居ませんわよ!?」


 そりゃそうだ。

 探索者登録は年に数度、決まった日時に試験を受けるといったものじゃない。つまり受講者達の殆どは、既に探索者として活動を始めているということ。それぞれが探索者用の装備を購入しているし、『汚れてもいい格好』として今も着用している。もちろん中にはこれから活動を始める人もいるだろうけど、その人達だって前もって装備の準備はしている。だから、この場にジャージ姿で立っているのはだんちょ一人だ。あちこちがバインバインのぱっつぱつで、大変たすかります。


「さて、ゴブリンの───なんでしたっけ……? あっ、そうそう。ゴブリンのお排泄物の皆様。これより実技指導を始めますわよ!」


 いつの間にか、私達は腰布から格下げされていた。


「あなた方のような剣を握ったこともないヒヨコちゃんに、今から剣技の基礎を教えるなんてナンセンスですわ。時間も足りませんし。ですので、今日は別のことを行いますわよ」


 おっと、残念だ。

 そりゃあ、トップクラスの探索者達やだんちょ程じゃないにしても、剣を握ったことくらいはあるんだけどなぁ。そんな風に考えていたら、まるで考えを見透かしたかのようにだんちょが言葉を続けた。


「ああ、『剣くらいとっくに使ってる』みたいなのは要りませんわ。剣を持っただけで剣士を名乗れるのなら、そこらのお子様だって剣士になってしまいますわよ?」


 ぐうの音も出ない程の正論だった。

 既に探索者としての活動を始めているといっても、所詮私達はまだ素人。低級の魔物を倒すことにすら苦戦する、ピヨピヨ可愛いヒヨコちゃんだ。だんちょでなくても『剣士と名乗るのは早い』なんて言われるかもしれない。


「あなた方が見習い騎士程度には剣を使えたのなら、他にやりようもあったのですけれど……というわけで、今から行うのは漫画で───わたくしが考えた騎士団式の訓練法ですわ!!」


 今絶対『漫画で見た』って言おうとしたよね。


「といっても、あなた方が特別何かをする必要はありませんわ。これからわたくしが、ほんの少しだけあなた方を脅かして差し上げますわ。あなた方はそれに数秒間耐えるだけ。とっても簡単ですわね」


 あっ、これ漫画で見たことあるやつだ。

 周りを見渡してみれば、他の人たちもそう思ったみたいだった。『強者の殺気に耐えることで、メンタル面が鍛えられる』的な、擦られすぎて手垢まみれのアレだ。確かに漫画やアニメではよく見る特訓法だけど、アレって本当に効果あるのかな。いくらだんちょの言うことでも、ちょっと疑わずにはいられない。


「ヒヨコの排泄物以下であるあなた方が魔物と戦うということは、想像しているよりもずっと難しいことですわ。或いは、もう実感された方もいらっしゃるかもしれませんわね」


 そう、これは私も経験した。だんちょの言う通りだった。探索者になる前は『ゴブリンくらい私でも楽勝』だなんて思ってた。けど、実際にはそうじゃなかった。魔物から殺意や敵意を向けられるということは、想像していたよりもずっと怖いことだった。


 ゴブリンと言えば、魔物の中でも最下級と言われている有名な相手だ。大きさは人間の子供くらいで、粗雑な武器を携行していることが多い。ダンジョンに潜ったことがない人には、是非想像して見て欲しい。殺意をむき出しにした子供が、武器を持ってこちらに向かってくる姿を。或いは、中型犬が牙を見せながら飛びかかってくる姿でもいい。普通に滅茶苦茶怖くない?


 ゴブリンとの戦いは、つまりそういうものだった。まだレベルアップを経験していない新人探索者は、そこらの一般人と何も変わらない。そんな新人である私達にとっては、最下級の魔物ですら脅威でしかなかった。明確な殺意を向けられるということが、あんなにも怖いことだったなんて。初めてダンジョンに潜った時の私は、想像もしていなかった。


 異世界に転移した地球人が、チートを駆使していきなり魔物を倒すなんて話はよく聞くけれど。あんなこと、とてもじゃないけど真似出来なかった。命がけの戦いを経験したことのない人間は、殺意を向けられるだけで足が竦む。能力の問題じゃなく、単純に精神の問題。


「明確な敵意を向けられたとき、行動出来る者などそうそう居ませんわ。戦いとは無縁の生活を送ってきたのなら尚更。恐怖に縛られ、体がまるで動かない。それが普通ですわ」


 つまりだんちょが言いたいのは───


「ですからわたくしがあなた方に、本当の恐怖というものを教えて差し上げますわ。ドラゴンに噛まれたことのある者は、そこらのトカゲを恐れませんわ。そういう感じの効果があると思いますわ!」


 そう自信満々に説明するだんちょ。

 途中までは『なるほどなー』と納得しかけていたけど、語尾で一気に不安になってきたなぁ。漫画で見たっていってたしなぁ。でも少し考えてみれば確かに、僅かな時間で剣技を教えてもらうよりは、ずっと即効性があるような気がしてきた。なによりも、あの『剣聖アーデルハイト』がそう言っている。私だってもう探索者だ。少しでも強くなれるのなら、その可能性には縋りたい。


「というわけで排泄物の皆様、各々好きな体勢で構えるように。準備はよろしくて?  ではいきますわよー!」


 だんちょはそういうと、ジャージの中から背中越しに、スルスルと木刀を取り出した。どうやら早速始まるらしい。心の準備もなにもあったものじゃなかった。突如始まった怪しい特訓に、周りのみんなも動揺している。それでもなんとか全員が身構えたところで、はやってきた。


「ふッ!」


 だんちょが木刀を構える。

 刹那、私の全身をよくわからない何かが駆け巡る。まるで全身の毛穴が開いたかのような、例えようのない怖気。分からない。何もわからない。ただ膝はがくがくと震え、腕からは力が抜けてゆく。ふわふわとした、全身が弛緩するような感覚。口の中からは、ガチガチといった謎の物音が聞こえてくる。視界はぼやけ、霞み、木刀を構えただんちょの姿がどろりと溶ける。そうしてめのまえと、あたまのなかがどうじにまっしろになって───。




      * * *




 アーデルハイトの眼の前で、受講者達が膝から崩れ落ちる。まるで銃で撃たれたかのように、膝下から順に力を喪って。控えめに言って異様な光景だった。


「ん……まぁ、そうですわよね。一人くらいは耐えきれるかも、なんて少しは思ったりしたのですけど」


「あ、お嬢様。よく見て下さい、一人だけ立ってる方が居ますよ」


「あら! やりますわね! 見どころがありましてよ!」


 そう言ってクリスが指差す先。そこには死屍累々と化した新人たちの中、腕を組んで仁王立ちする東雲大和の姿があった。


「……どうして彼があそこにいますの?」


「どうやらこっそり混ざっていたようですね」


 両手にぐっと力を込め、食い込む程に爪を立て。膝は僅かに笑っているが、しかし大和はしっかりと立っていた。意識もちゃんとそこにある。


「い、いやぁ……これはちょっと新人にはキツいかなぁ……いやまぁ、僕くらいになるともちろん余裕なんだけどね?」


 口の端をひくひくとさせながらも、強がれる程度には元気らしい。彼にとっても初めてであろう、圧倒的強者から浴びせられる殺意。しかし流石というべきか、トップ探索者の名は伊達ではなかった。


「ともあれ、これで大抵の魔物には立ち向かえるのではなくて? 少なくとも、ゴブリンやコボルトのような低級の魔物を恐れることは、もう無いはずですわ」


「うん、まぁ、それは間違いないだろうね……僕が保証する。グリフォンの100倍怖かったよ」


 爽やかでありながらも歪んだ笑みを浮かべつつ、大和がアーデルハイトたちの下へと歩み寄る。実技演習と呼べるかどうかは疑問が残るが、しかし効果自体は間違いないだろう。経験豊富な大和から見ても、そう思えた。


「問題はこの惨状をどうするかだね……」


「無論、わたくしが責任を持って医務室まで運びますわ」


「……手伝うよ。ただちょっと、ちょっとだけ待って欲しいかな……」


 楽屋では敬語で話していた大和だったが、先の衝撃のせいか、いつの間にか口調が素に戻っていた。ともあれ、こうしてアーデルハイトの実技演習は無事(?)に終了した。


余談だが、この日の講習を受けた者達は、その後の探索活動に於いて大半がレベルアップを果たしたという。その活動継続率は過去最高であった。レベルアップを迎えることなく引退する者も多い中、アーデルハイトの行った実技演習は結果を出したといっていいだろう。

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