第175話 俺自身の意志だ!

 軽井沢ダンジョン15階層。

 息を潜め、少しでも体力の回復を図る『†漆黒†』のメンバー達。そんな中で、沈黙を破るようにルシファーが呟いた。


「……何の音だ?」


「これは……戦闘音?」


 小さな、ほんの僅かな音だった。

 探索者の優れた聴力がなければ聞こえなかったであろう、微かに耳へと届いた音。それは剣戟の音と、そして人と魔物の声だった。少なくとも、合歓ねむの耳にはそう聞こえた。


「……多分、上の階に取り残されていたパーティが降りてきた」


「チッ……待ちきれなくなったか……まぁ無理もない、か」


 そんな月姫かぐやの予想に対し、忌々しげに言葉を吐き捨てるルシファー。

 16階層で待機していたパーティが、痺れを切らして降りてきたらしい。そもそも『†漆黒†』は救助部隊であり、謂わば後発組に過ぎない。そんな『†漆黒†』よりも先にダンジョンに潜っていた彼等のダンジョン滞在時間は相当なものになる。それも長期探索の用意もなく、だ。


 ダンジョン内は常に危険と隣合わせであり、肉体・精神ともに疲弊しやすい。そんな中にあって、如何に探索者といえど彼等は現代人だ。用意もなくダンジョン内に長時間の滞在を強いられれば、冷静ではいられないだろう。もしもこれが、ダンジョン外でも魔物が闊歩している異世界の冒険者であれば、或いは慣れたものだったのかもしれない。


 通信機器を通じて協会から齎される断片的な現在の情報。それのみを頼りに、魔物のひしめくダンジョン内でイレギュラーの解除を待つ。それがどれだけ難しいことか。彼等がこうして15階層に降りてきてしまったことを責められるものなど、一部を除いて居ないだろう。


「どうする?」


 メンバーにそう問いかける合歓ねむ。意図するところは言わずもがな、残りの三人にもすぐに分かった。つまりは助けに行くか、それとも見捨てるのか、だ。悪意ある人災によって『†漆黒†』も満身創痍であり、万全には程遠い。それらを承知の上で、彼等を助けるのか。合歓ねむはそう問うているのだ。


 しかし、合歓ねむはどういった返事が返ってくるのかなど既に分かっていた。分かっていて聞いたのだ。これは決起のための言葉。ただの確認作業。


「ハッ、決まってる」


「うん、私達はそのために来たんだから」


 重い体を奮い立たせるルシファー。静かに長刀を握りしめる月姫かぐや。そんな二人の姿を認めつつ、そうして最後に合歓ねむが蔵人の方へと顔を向ける。


「黙れ!与えられるだけの理由はもういらない!ここに来たのは俺自身の意志だ!」


「は?」


「意味分かんねぇよ。オラ立て、行くぞ」


 こんな時でもロールプレイを忘れない蔵人であったが、しかし呆れた様子のルシファーによって無惨にも引きずられてゆく。一見すればふざけたロールプレイ集団にしか見えない『†漆黒†』であるが、彼等にもトップ探索者の一員としての矜持がある。ここで命を惜しみ救助対象を見捨てる選択肢など、元より存在しなかった。




 * * *




月姫かぐや!!後ろをお願い!!」


「任せて!」


 月姫かぐやが戦場を舞う。蔵人が大剣を振るって前線を維持し、ルシファーが隙を埋めるように駆け回る。そして後方からは合歓ねむの指示が飛ぶ。疲労困憊、満身創痍の『†漆黒†』ではあったが、しかし存外奮戦していた。

 先ほどまで体力温存の為に息を潜めていたというのも大きいが、それとは別に、上階から降りてきてしまった探索者達の協力もまた大きかった。彼等も疲弊はしているものの、怪我は殆ど負っていない。実力はともかく、コンディションでいえば『†漆黒†』よりも余程整っていた。


 だが、それでもジリ貧だった。


「すまねぇ!!」


 限られた情報と、底をついた物資。彼等が降りてきた事は仕方がない。だが結果として、満身創痍の『†漆黒†』を戦場に引きずり出してしまった。眼の前の魔物を斬り伏せながら、そう謝罪を口にするのは髭面の探索者だった。


「いちいち謝んなよオッサン!!前見てろ!!」


 そんな年上の探索者に対して、ルシファーがそう言い捨てた。言葉は悪いが、つまりは『気にするな』ということなのだろう。傷が痛むのか、大量の汗を流しながら獅子奮迅の活躍を見せるルシファー。そうして彼は戦況を見渡し、臍を噛む。


 月姫かぐやの殲滅力と、蔵人の耐久力。合流したベテラン探索者達数名。それだけの力を結集してなお、状況は悪くなる一方であった。指示を出している合歓ねむにもその事が分かっているのだろう。見れば彼女もまた、徐々に表情が強張り始めていた。


 魔物一体あたりの強さはそれほど大したこともない。成長著しい月姫かぐやをみれば、瞬く間に数体を屠っている程だ。だが、数が減らない。とにかく数が多かった。

 彼等がこの階層に到着した時点で、既に敵の数は馬鹿げたことになっていた。だが現在は、魔物が何処からともなく魔物を呼び、結果あの時よりも明らかに数を増している。とてもではないが殲滅しきれる数ではなかった。


合歓ねむ!!このままじゃヤベェぞ!!」


「分かってる!!分かってるけど!!」


 打つ手が無かった。

 それはここに居る誰もが理解していることだった。合流した探索者達など、既に心が折れかけている。折れた心は隙を生み、生まれた隙が負傷へと変わる。そんなどうしようもない状況の中で、月姫かぐやはひとり覚悟を決めた。


「……私が道を作る!!」


 月姫かぐやは知る由もないことだが、奇しくもそれは、彼女の師が行ったものと同じ行為であった。


「!?」


「馬鹿!無茶言わないで!!」


 先頭を走って敵陣を切り拓く。そう言えば聞こえは良いが、とてつもなく危険な行為だ。当然ながら敵の気を引くことになり、攻撃は集中するだろう。仮に上手くいったとしても、確実に無傷では済まない。


「他に手がない!時間もない!!無茶でもやるしかない!!」


「でもっ!」


 戸惑う合歓ねむを無視し、月姫かぐやが静かに大太刀を構える。瞳には闘志と覚悟を湛えて。そうして彼女が意を決し、駆け出そうとしたその時だった。


「行くよ───」


「待て!!何か来る!!」


 月姫かぐやの背後から、ルシファーが叫ぶ声が聞こえた。彼は目を細め、何やら上空を見つめていた。駆け出そうとしていた月姫かぐやがたたらを踏み、どうにか踏みとどまる。


「今度は何!?」


「分からねぇ!新手の魔物か!?」


「くッ……次から次へと───」


 そうして月姫かぐやが歯を食いしばり、ルシファーの見つめている先へと視線を送る。ダンジョン内という地下深くにあって、『空』のような何かが広がる不思議な空間。成程確かに、小さな『何か』が空を飛んでいた。


 その場にいる全員が、新手の魔物かと気を引き締めた。或いは、いよいよかと絶望の表情を浮かべた。そんな中、月姫かぐやにだけはその『何か』の正体が分かった。小型犬程の大きさに、丸々とした身体。短い手足と、全身を覆う毛皮。すなわち───。


「あっ」


 飛来した『何か』が、まるで月姫かぐや達と魔物の群れを分断するかのように着弾する。『何か』はそのまま地面をころころと転がり、数回転した後に漸く停止した。それと同時、不思議と魔物達の勢いが止まっていた。まるで飛んできた『何か』を恐れ、避けるかのように。


 生まれたのは一瞬の空白。

 飛んできた『何か』───肉がきょろきょろと周囲を見回し、数秒の後に月姫かぐやをその小さな瞳に留める。直後、月姫かぐやを馬鹿にするかのように、肉が『ぷすり』と鼻を鳴らした。まるで『なんと情けない』とでも言いたげに。


「あ、今すごい馬鹿にされた気がする」

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