第194話 貴女の研究は無駄ではない

「……なんですって? ううん、聞き間違いよね? ちょっとそこの納豆ロリ!! もう一度言ってみなさい!!」


 無論、先のオルガンの言葉は莉々愛りりあの耳にしっかりと届いていた。だがその内容はあまりにも荒唐無稽で、とても信じられるようなものではなかった。


 こと回復薬ポーションについてのことならば、莉々愛りりあは誰よりも詳しいと自負している。そんな莉々愛りりあでさえ、回復薬の量産に成功したなどという話は聞いたことがない。国内のみならず、世界中どこの国でも、だ。故に、これは念の為。そう、『念の為、一応聞き直しておこう』といった程度のものだった。


「……納豆はいいぞ」


「そうね、茨城といえば納豆───そんなこと言ってなかったわよ!! そんなの聞き間違えるわけないでしょ!?」


 莉々愛りりあが見事なノリツッコミを見せつける。既に取り巻きは散っているが、それでも周囲に聞こえかねない声量であった。しかし一方のオルガンはどこ吹く風。彼女は様々なトッピングを施したオリジナルブレンドの納豆を、ねろねろと白米に投入しているところであった。


「ちょっと莉々愛りりあ、落ち着いてよ。声大きいよ」


「落ち着いてなんていられないわよ!! 他でもないこの私の前で、よくもまぁそんな嘘を吐いたものだわ!」


 莉瑠りるの制止もお構いなしだ。回復薬に対して、並々ならぬ執着があるのだろう。回復薬の量産を成し遂げるのは、自分以外にあり得ない。莉々愛りりあはそう信じて疑わない。誰よりも回復薬を求めている莉々愛りりあだからこそ、誰よりも調べ上げているからこそ、オルガンの言葉が嘘であると断言出来る。


「いい? 回復薬というのはね、その成分から製造法まで、現時点では殆ど何も分かっていないのよ。サンプルの数も少ないし、実験するだけで一苦労なの」


「ほーん」


「莫大な資金と、最新の設備と、そして気が遠くなる程の時間と試行錯誤。それら全てを費やして、それでも尚届かない神の御業。それが回復薬よ。回復薬の量産化っていうのはね、そんな軽々しく口にしていいものじゃないのよ!」


「ほい」


 何やら高説を垂れ始めた莉々愛りりあの眼前に、一本の小瓶が置かれた。アーデルハイト達が止めるよりも早く、だ。それを見た莉々愛りりあの目つきが、ほんの一瞬で鋭く変化した。大きさは丁度、缶コーヒーと同じ程度。この時点で既に、ダンジョンから発見される回復薬とは見た目が異なる。アーデルハイトが以前に発見した回復薬は、もう少し大きかった。


 それに加え、色が違う。

 これまでに発見された回復薬は全部で三種類。その色と効果によって等級が分けられており、上から紫、赤、緑となっている。このうち、アーデルハイトが発見したのは赤色の中級回復薬だ。上級回復薬と呼ばれる紫色の回復薬は、世界でもまだ数える程しか確認されておらず、その金額は億を軽く超える程。莉々愛りりあも一本だけ所持しているが、替えが効かないために未だ未使用である。


 だがオルガンが取り出した小瓶には、澄んだ青色の液体が入っていた。莉々愛りりあの知識にある回復薬の、そのどれとも合致しない未知の色。そんな初めて目にする怪しい液体だというのに、しかし不思議と莉々愛りりあには、それが回復薬であると何故か理解出来てしまった。


「……なによ、これ……青い、回復薬……?」


「うむり」


「嘘よ、あり得ない。そんなの聞いたことないわ」


「世界はひろい」


「……試すわよ? 嘘だったら怒るわよ?」


「よかろ」


 錬金術師の端くれ───実際には端くれどころか、彼女こそが頂点なのだが───であるオルガンとしても、嘘つき呼ばわりされては黙っていられないらしい。あれよあれよという間に、何故だか回復薬のテストが始まってしまう。オルガンを除いた異世界方面軍の三人は、すっかり頭を抱えてしまっていた。こうなってしまっては、もはや『やっぱり嘘でした』では終わらない。


 信じられないが、しかし何故だか理解してしまっている。必死に回復薬を追い求めてきたおかげか、はたまた何か別の理由があるのか。そんな不思議な感覚の中、莉々愛りりあがおずおずと小瓶に手を伸ばす。僅かに震える右手に力を込めて、ガラスで出来た蓋をそっと開ける。


 そうして次の瞬間、莉々愛りりあが腰元からナイフを取り出し、そのまま自らの手のひらを切りつけた。当然ながらすぐに出血が始まり、吹き出した血液がどばどばとテーブルの上を汚してゆく。何の躊躇もない、いっそ狂気じみた行為であった。


「なんと……」


「え、やば……正気ッスか?」


「えぇ……? ちょっと月姫かぐや。あの子、控えめに言ってイカれてますわよ?」


 そんなイカレた行為を目の当たりにした異世界方面軍の面々は、三人ともがすっかりドン引きであった。回復薬があるからといって、自傷行為に走るような頭のおかしい人間は、あちらの世界にもそうは居ない。


「リリアちゃんは回復薬の事となると、こんな感じで暴走しちゃうんですよね。まぁこう見えて上位の探索者なんで、多分大丈夫ですよ」


 慣れた光景なのだろうか。莉々愛りりあと既知の仲である月姫かぐやは、特に心配することもなくそう言った。アーデルハイトが言っているのは、傷のことではなく精神面の話なのだが───。


 ちらと莉瑠りるの方を見てみれば、彼も月姫かぐやと同様の態度であった。驚きこそしているものの、しかしそれは莉々愛りりあの行為に対するものではない。彼の視線もまた、オルガン製の回復薬に釘付けとなっていた。


 そんなドン引き方面軍の様子になど一瞥もくれず、莉々愛りりあが傷口に回復薬を振りかける。痛みなどまるで感じていないかのように、真剣そのものな眼差しで。すると傷口が、あっという間に傷口が塞がってゆく。魔力が消滅する際の、幻想的な煌めきと共に。


「っ……嘘でしょ? 本当に……? しかもこの治癒速度……」


「驚いたな……莉々愛りりあ、何か違和感は?」


「……無い。完全に治ってるわ。間違いなく回復薬よ。それも多分、上級以上の……」


 愕然とする双子の様子に興味もないのか、或いは、当然の帰結故に語る事が何もないのか。頬をリスのように膨らませながら、オルガンはもりもりと米を口に運んでいた。否、よくよく見てみれば、心なしか満足そうにしている気がしないでもない。


「むぐむぐ……どう?」


「……見たことがない色、形、そして凄まじい治癒能力───私は、回復薬に関する事で嘘は言わない。認めるわ。これは私が知らない、世界中のどこでも報告がない新種の回復薬よ」


「そ」


「……本当に、あなたが作ったの?」


「そう」


 莉々愛りりあの問いにも、オルガンは必要最低限の言葉しか返さない。莉々愛りりあ達の驚きも、こちらの世界に於ける回復薬の扱いも、全てが一様にどうだっていい。彼女にとって回復薬の生成など、片手間で出来る雑事でしかないのだから。


「簡単に言ってくれるわね……それじゃあ、私のこれまでの研究は何だったのよ。全部無駄だったってこと?」


莉々愛りりあ……」


 先程までの高飛車な態度はどこへやら。莉々愛りりあはすっかりと消沈してしまっていた。自らの命題と定め、必死に走ってきた道なのだ。突如として現れた納豆お化けに先を越されたとあっては、彼女が落ち込むのも無理ない事だろう。


 そんな心中を察してか、弟である莉瑠りるも上手く言葉を紡げない。そんな莉々愛りりあに対し慰めの言葉をかけたのは、意外にもオルガンであった。


「それは違う」


「……なによ、慰めなんて要らないわよ」


「わたしの作り方は、この世界の人間には恐らく不可能。わたしと、クリスにしか出来ない。だから、貴女の研究は無駄ではない。この世界で回復薬を広めるというのなら、貴女の力はきっと必要になる筈。知らんけど」


 オルガンによる回復薬生成法。つまりそれは、錬金魔法による異世界技術に他ならない。魔法が普及しておらず、また、そんな未来も訪れないであろうこの世界では、同じ方法で回復薬を作ることなど誰にも出来ない。故に、莉々愛りりあの語る『世界中への回復薬供給』を果たす為には、別の方法を確立する必要があるのだ。


 オルガンの言葉は慰めなどではない。ただ、事実を事実として語ったに過ぎない。だがそれでも、莉々愛りりあが気を持ち直すのには十分なであった。


「ふん───何よそれ、怪し過ぎ。一体どんな方法で作ったのやら」


「説明しても意味がない」


「別に、私だって教えてもらえるとは思ってないわ。ただの嫌味よ」


「そうではなく」


 オルガンが言葉足らずな所為もあってか、どうやら莉々愛りりあは勘違いをしているらしい。オルガンは製造法を秘匿している訳ではなく、教えても意味がないと言っているのだ。彼女程の品質になるかはともかく、回復薬の製造法などあちらの世界では広く普及している程度のものでしかない。魔法さえ使えるのであれば、教えるのも吝かではないのだ。とはいえ、それはあくまでも製造法に限った話だ。錬金魔法の習得からとなれば、流石にそこまで面倒を見る気にはなれなかった。


「別にいいわよ! 先を越されたのは、正直悔しいけど……今に見てなさい! きっとすぐに、獅子堂製の回復薬を作って見せるわ!」


 そんなオルガンの考えなど知る由もない莉々愛りりあは、しかし持ち前の明るさ───喧しさとも言うが───で復活を果たした。良くも悪くも素直な性格は、彼女の美点と言えるだろう。


 そうして漸く、突如発生した淫ピ襲来イベントは一応の終わりを見た。異世界方面軍の面々がそう思い、安堵の息を吐き出した時であった。未だに撤収していなかった莉々愛りりあが、テーブルの上に勢いよく手をつき、そして身を乗り出してこう言った。


「それはそれとして───ねぇ、私と回復薬の販売をする気はない!? 製造に成功したっていっても、どうせ販売ルートとか無いんでしょ? そっちは納品するだけ。多少の手数料はもらうけど、あとは全部こっちでやってあげる」


 莉々愛りりあが興奮した様子で、かつ早口で矢継ぎ早に捲し立てる。莉々愛りりあの提案。それはある種、業務提携の打診であった。


「あなた達にはお金が入る。私は回復薬の供給という夢に一歩近づく。お互いに良いことばかりだと思うんだけど、どお?」


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