第195話 高貴注入棒
茨城支部に来る者は、その殆どが広大な屋外修練場目当てだ。故に
現在は『
そんな様子をベンチから眺めていたアーデルハイトとクリスは、先程のやり取りを振り返っていた。
「よろしかったのですか? 私はてっきり、今回も『お断りしますわ』かと思っていたのですが」
「まるでわたくしが、いつもいつもお断りをしているような口ぶりですわね……あの条件でも良いというのなら、別に構いませんわ」
「確かに、随分とこちらに都合の良い条件でしたが……」
回復薬の流通を持ちかけてきた
1つ目の条件。回復薬を卸すのは月に一本まで。
これは当然、市場への影響を考えての事だ。ゆくゆくは回復薬を一般にまで広めたい、という
それに加えて、材料の問題や製作ペースの問題もある。百本程度であれば、クリスとオルガンの二人がかりならばそう苦でもないだろう。だが数千、数万もの供給となれば現実的に不可能だ。
2つ目の条件。仕入先については口外しない。
これに関しては敢えて言うまでもなく、
3つ目の条件。獅子堂
これには、2つ目の条件と重なる部分がある。獅子堂という巨大組織へと正式に売りつければ、どう足掻いても何かしらの記録に残る。出どころをバラしたくないのだから、それではあべこべだろう。
その代わり、売りつけた回復薬の用途は
他にもいくつかの細かい条件は設定したが、大きなものでいえばこの3つだ。業務提携というよりも、単純な個人間での継続取引契約に近い。
「こちらの世界にやって来て早数ヶ月。わたくしたちも、初期に比べれば随分と名が知られるようになりましたわ。公爵家の後ろ盾もない今、こんな片手間で大きな後ろ盾が得られると考えれば、まずまずなのではなくて?」
「棚からぼたもちならぬ、庭先に聖剣レベルの成果だとは思いますが……何かあった時の後ろ盾としては強力ですが、その分しがらみも否応なく増えます」
「今のわたくし達は、言ってしまえばただの密入国者ですわ。これだけ知名度が上がった今、ただの密入国者のままでは居られませんわよ。こちらの世界で生きていく上で、これは必要なしがらみですわ」
「まぁ考えようによっては、貴族の庇護下に入った平民、或いは店子のようなものでしょうかね」
「そこまで遜ったりはしませんわよ。ただの利害の一致ですわ」
生まれた頃より、悪鬼羅刹の蔓延る貴族界に身を置いていたアーデルハイトだ。剣を振るうだけではどうにもならない、そんな状況があることも理解している。それはこちらの世界でも同じことだ。こちらの世界に来てからというもの、随分と思うままに振る舞っている様子ではあるが。
例えば探索者協会との間でトラブルが起きた時。例えば、国内外からの好ましくない接触があった時。そういった異世界パワーだけでは如何ともしがたい状況に陥った時、この契約はきっと役に立つ。何かとやらかし気味な異世界方面軍にとって、世界にその名を轟かせる獅子堂の後ろ盾は、獅子堂
あちらの世界ではなんてことのない回復薬で、それらが得られるのであれば。アーデルハイトが
この場には似つかわしくない、少々真面目な相談をしているその横で。集中を乱した
腹が膨らんだせいだろうか。その隣には、鼻から提灯を出したり引っ込めたりしている肉と毒島さんの姿もある。
「そういえばお肉の検査の件、すっかり忘れていましたわね……」
「まだ一度も行ってないですよね。花ヶ崎支部長も何も言ってこないですし」
「……何か言ってくるまでは、とりあえず無視しておきますわ」
「面倒くさいですしね」
ふとそんな約束をしていたことを思い出し、どこか遠い目をする二人。午前のハードなメニューとは異なり、随分とのんびりした空気の流れる午後となっていた。なお、当然のことながら
* * *
「よかったの? あんな条件呑んじゃって」
やたらと大きくて長い高級車の中で、
「良いも何もないわよ。これは私の悲願よ? どんな条件だって呑むわ」
「私達の、だよ。さっきはああ言ったけど、
二人の顔には、
「そもそも、これは私達にとっての最優先事項よ。上級ともなれば、如何に私達といえど手に入れることすら難しい。そんな回復薬の現物、それも最上級のものが定期的に手に入るのよ。これに勝る成果はないわ。どんな条件だって、悪条件にはならないわ」
「ふふ、確かにそうだ」
今この手にある回復薬の代わりに、アーデルハイト達が何を求めたのか。
「挨拶代わりのつもりかしらね? 売値よりも買値の方が下がるのは当たり前だけど、それにしたって安すぎるもの」
はっきりと言ってしまえば、この回復薬の値段は
「仲良くしていけるといいね」
「勿論よ。折角見つけた夢への手がかりだもの。絶対に切られるワケにはいかないわ」
思っていた形とは少々異なったものの、しかし何も問題はない。こうして異世界方面軍と、回復薬に狂った双子の邂逅は、確かに『お互いに良いことばかり』で終わったのだった。
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