第69話 燃え上がる栄光
アーデルハイトの持つ聖剣・ローエングリーフは、それほど位の高い聖剣ではない。仮に
ローエングリーフの特徴は、魔力を燃やし尽くすというその特殊能力にある。その代償なのか、ローエングリーフは剣としての性能は特別高いわけではない。
逆に言えば、聖剣魔剣の中でも稀有なその力は、ただそれだけでローエングリーフをAランクの聖剣たらしめている。剣としての性能が高くないということは、誰が使用しても力を発揮出来る類の聖剣ではないということ。凡人が使えばまさに宝の持ち腐れであり、剣の頂点に立つアーデルハイトだからこそ、ローエングリーフの欠点を補える。
「折られたのは初めてですわね……わたくしもまだまだですわ」
しかし、そんなアーデルハイトを以てしても、ローエングリーフでは
つまりこの結果はアーデルハイトが失敗したか、或いは巨獣の力が規格外だったか、そのどちらかによるものだろう。
そんな都合など知ったことかと言わんばかりに、巨獣がアーデルハイトへ向けて突進する。その巨体に見合わぬスピードにダンジョンが激しく揺れ動き、天井からも石片が崩れ落ちる。前足に与えたダメージは大きい筈だが、それをまるで感じさせないほどの速度。アーデルハイトが立ち位置を調整していたおかげで、巨獣の向かう先がフロアの入り口や出口の方向ではなかったのが救いだった。クリス単体であれば辛うじて回避も出来るだろうが、
アーデルハイトがこれまでの攻撃をいなすことが出来ていたのは、巨獣がまるで全力ではなかったからだ。巨獣はただ足を止めたまま、まるで虫でも払うかのように腕を振るっていただけに過ぎない。それでさえ腕にダメージを負い、聖剣までへし折られてしまう程なのだ。巨獣の圧倒的な力が窺い知れるというものである。
そんな埒外の力を持つ巨獣が、あれほどの質量で以て、これほどの速度で迫ってきているとなれば、然しものアーデルハイトでも正面から受け止めるなどということは出来ない。
「せっかちですわねッ!!」
舌打ちの一つでもしたくなる気分を、『下品だから』という理由でぐっと飲み込むアーデルハイト。こちらの武器を一つ奪ったのだから、少しくらいは余韻に浸ってもいいだろうに。そんな馬鹿げた考えを頭の隅へと追いやり、右足に力を込めて側方へ跳躍する。如何に巨体であろうとも、突進など所詮はただの直線的な移動でしかない。アーデルハイトの脚力を以てすれば、瞬時に範囲外へ逃れることなど容易だった。
直後、巨獣がダンジョンの壁へと勢いよく衝突した。形容し難いほどの轟音がフロア内に鳴り響き、ダンジョンそのものが派手に揺れ動く。アーデルハイトは知る由もないことだが、その振動はこの20階層のみならず他の階層にまで届いていた。巨獣の極々単純な攻撃は、しかしそれほど圧倒的な破壊力を有していた。
巨獣の受けるダメージもまた大きい筈だった。少なくとも角の一本くらいは圧し折れていてもおかしくない、そんな衝撃だった。だが、当然ながらそう都合よく事が運ぶ筈もない。今の攻撃で自滅するような阿呆ならば、長きに渡って陸の王などと呼ばれ、人々から畏怖されることもないだろう。
折れたローエングリーフを地面に突き立て、跳躍の勢いを殺したアーデルハイトが巨獣を見やる。ダンジョン内の壁に大穴を空けた巨獣が、彼女の方へゆっくりと振り返っているところであった。
「……成程。いくら最高位の魔物といえど、所詮は獣だと思っていましたわ……でも、人を馬鹿にする程度には賢いみたいですわね?」
ローエングリーフを折られたことで、アーデルハイトの心の何処かに、巨獣を憎らしく思う気持ちが芽生えたからなのか。巨獣の表情は憎たらしい笑みを浮かべているかのようであった。恐らくは、否、間違いなく彼女の気の所為だろうが、少なくともアーデルハイトの瞳にはそう映っていた。
「確かに、認めざるを得ませんわね。想像していたよりもずっと面倒な相手だと。別に侮っていたわけではありませんけど……師が勝ちきれなかったというのも頷けますわ」
言葉など通じるはずもないが、それでもアーデルハイトは巨獣へ話しかけるかのように感想を述べる。それは素直な称賛だった。
アーデルハイトの師であり初代剣聖は、どちらかと言えば技巧派の剣士であった。攻めるよりも受けることに特化し、相手の力を利用して戦うのが得意だった。それだけ聞けば巨獣との相性は良さそうにも聞こえるが、しかし相手の力を利用するのにも限度がある。ここまで圧倒的な暴力ともなれば、如何に剣聖と謂えど受けきることは難しいだろう。先程アーデルハイトが受け損なったのと同じ様に。
「……とはいえ気に入りませんわね。何を笑っていますの?ローエングリーフを折ったくらいで、もう勝ったつもりでいますの?」
巨獣は別に笑ってなどいないのだが、しかしアーデルハイトの中では、阿呆のような顔でげへげへと笑っているように見えているらしい。完全な八つ当たりである。
「聖剣は……というよりも、契約武具は魔力を注げば修復しますわ。魔力を好むローエングリーフは特にそう。それでもわたくしがまだこの子を直さないのには、ちゃんと理由がありましてよ?それに、仮にそうでなくても、わたくしの契約している聖剣が一振りだけだなんて、一度も言った覚えはありませんわよ?」
そう言って折れたローエングリーフをゆっくりと鞘に戻すアーデルハイト。
「ですがやられっぱなしでは、当然この子も満足出来ませんわ。ですので───」
鞘を握る手に魔力の光が灯る。彼女がこちらの世界にやってきて以来、初めてまともに見せる魔力の行使。それは煌々と輝く純白の光。そして彼女の髪と同じ、獅子の
「
螺旋を描く二つの光が、まるで愛しい我が子を撫でるかのようにローエングリーフを優しく包み込む。そうして静かに剣の全てへと行き渡った光が、突如として眩い光を放つ。先程までは穏やかだった魔力が、アーデルハイトの手の中で激しく燃え上がった。それは死神が『聖炎』によって焼き尽くされたあのときと、酷くよく似た光景だった。
「ぐッ……!!」
アーデルハイトの手からローエングリーフへと流れ込む魔力が、次から次へと燃え上がる。燃焼速度は徐々に上昇し、果てはアーデルハイトの右腕を飲み込んで。純白の炎が魔力を焼けば焼くほど、ローエングリーフが激しく鼓動する。
アーデルハイトはそれほど魔力保有量が多い方ではない。あちらの世界で言えば中の上といったところだ。クリスが上の下であることを考えれば、魔法があまり得意ではないというのも頷けるだろう。
彼女の戦闘は馬鹿げた身体能力と圧倒的な技術によるものだ。魔力を消費したところで大した問題は無いが、それでも魔力保有量の少ない彼女にとってこの行為は中々に堪えるものだった。しかしそれでも、アーデルハイトは魔力の供給を止めなかった。全ては
そんなアーデルハイトの元へと、喧しい音を立てながら巨獣が再び突進する。魔物である巨獣に、敵の変身を待つなどという殊勝な心がけなどある筈もない。ともすれば隙だらけとさえ思っているかもしれない。お約束やマナーなど、魔物には関係のない人間の勝手な都合でしかないのだ。
突進距離は先程よりも短いが、しかし圧倒的な筋力を持つ巨獣にとって、それは大した問題ではなかった。0から100へ。巨獣の常識外れの筋力は、ほんの数歩も駆ければすぐにトップスピードへと彼を押し上げる。
その巨体と速度が生み出す圧力は桁外れであった。ダンジョン内に於いても特に広い階層主のフロアにあって、フロア内が酷く狭く視えてしまうほどに。そんな巨獣の放つ圧を真正面から受けるアーデルハイトは、しかし狼狽えることなく、ただゆっくりと前を見据えていた。
巨獣と、それを迎え撃つアーデルハイト。彼我の距離が零になる。
人間など塵芥のようにすり潰して余りある、そんな殺意の塊がアーデルハイトの身体を捉えた───筈だった。
これまでで最も大きな音がフロア内を震わせる。先の突進と異なるのは、それが破砕音というよりもむしろ剣撃の音に近い、金属同士をぶつけ合ったような酷く硬質な音だったこと。少なくとも、人間が潰れる時に鳴る音ではなかった。
巨獣の身体が、アーデルハイトの居た場所から30m程進んだ地点でゆっくりと停止する。なおも巨獣が後ろ足に力を込めるが、しかしそれ以上は、どうしても進むことが出来なかった。
巨獣の額に生えた鋭く長い双角。受け止めるのは純白の刃。巨獣の突進を正面から受け止めてなお健在。欠けず、曲がらず、通さず。それは刀身が身の丈ほどもある大剣だった。日本刀で言うところの棟から鎬部分が真紅に染まり、鎬地から持ち手に向かって一筋の金色が奔る、片刃の大剣。
30mも引きずられ、踏ん張る足で地面に轍を残し、しかしそれでも無傷で受け止めてみせたアーデルハイトが、目の前の巨獣へと不敵に笑う。
「ふッ……ふふっ……痛ッッッッたいですわァ!!」
どうやら彼女はやせ我慢をしていたらしい。手にした大剣を大きく薙ぎ払い、巨獣の巨体を弾き返す。然しもの巨獣も、一度完全に停止させられてしまってはその一振りに押し負ける。蹈鞴を踏むように数歩後退り、先程とは様子の変わった
左手に大剣を保持し、右手をぷらぷらと振りながら痛みを逃がすアーデルハイト。
「……こほん。それでは気を取り直して」
痛みに喚いたのを誤魔化すように咳払いを一つ。そうして巨獣を見つめ、大剣を右手へと持ち替えて己の肩へと担ぐ。彼女の瞳に映る巨獣は、もう笑っては居なかった。
「───行きますわよ、
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