第70話 卑怯ですわよ糞豚がッ!

 ───何だれは。


 この世に生を受けて幾星霜。

 数え切れぬほどのごみを踏み潰してきた。偶然迷い込んだ哀れな塵も、我が前に立ち塞がった愚かな塵も、弁えることすら知らぬ尾籠びろうな塵も、皆等しく塵だった。軽く撫でれば総てが壊れ、そっと触れれば総てが崩れ、そうして我は在り続けた。


 食らう訳でもなく、遊ぶ訳でもない。衝動ではなく、使命でもない。そこに理由など在りはせず、意味すら在らず。ただそう在るのが我が生だと、我は生まれながらに識っていた。

 故に壊し、そして崩した。生命だろうと世界だろうと、分け隔てることなく総てを飲み込み、ただ只管ひたすらに在り続けた。無聊ぶりょうかこつ、虚無の生。それが我が生だった。こうして見知らぬ地に在ろうとも、それが変わることはなかった。


 永き我が生の中、例外が二つ。

 一つは魔の一族。如何なる手段を用いたのかは理解らぬが、我が力の前に膝を折ることなく、命尽きるその時まで我に牙を向いた者が居た。とてくても同じことではあったが、しかしあれほど不壊にできた塵には覚えがなく、今もこうして我が記憶の奥底に在り続けていた。


 一つは定命の者。掃いて捨てるほど溢れるあれらに区別などつきはしない。故に『それ』もまた、ただすり潰して終わりだと、そう考えていた。何の障害にもなりはしない、そこらの有象無象と変わらぬ塵だと。

 だが、認めねばなるまい。『それ』は我が踏み潰してきたどれよりも強かったと。矮小わいしょうの身でありながら、魔の者とは異なる怪しげなすべを用い、賢しくも我が力に耐えて見せたのだ。我が終ぞ壊すことが叶わなかったモノなど、後にも先にも『それ』だけであった。


 しかしそれも所詮は過去。

 夢寐むびにも灯らぬ他愛なき記憶。こうして想起することもなかった筈の、忘却した筈の追懐ついかい


 ───ならば、此れは何だ。


 つい先程壊した有象無象の塵共と同じ。『此れ』もそうだと思っていた。僅かなりとも研がれた牙を持っているようではあったが、しかしそれだけだ。事実、一度はその牙を折ってやった筈だった。我が身体に傷を負わせたことは驚愕であったが、それも程なく癒える程度の傷に過ぎない。故に、あとは軽く撫でれば終いだった。我にとってはただの繰り返しであり、もはや何を感じることもない。その筈だった。


 眼前に立つ塵が俄に煌めいたかと思えば、今こうして目の前に在るのは澎湃ほうはいたる力の奔流。ともすれば我と同格、或いは───

 その時ふと、我が脳裏を何かが通った。

 それはいつぞやの、我が壊し損ねた唯一の存在。


 ───そうか、此れは。


 我があの時零した、過去からの残響か。




 * * *




 真紅が舞い、黄金が奔る。白銀が虚空を踊り、斬り裂かれた空気が悲鳴を上げる。


「───ふッ!!」


 アーデルハイトが腕を振るえば、僅かにすら遅れることなく刃が閃く。横薙ぎに一閃。そのまま全身を使い、円を描くようにぐるりと振り回し、振り返りざまにもう一閃。振り抜いたつるぎは地面を穿ち、切先から突き刺さる。軽々しく振るっているように傍からは見えるが、しかしその重量はやはり相当なものなのだろう。その証拠に、大剣ローエングランツが突き立った地面は大きく罅割れていた。


「はあッ!!」


 裂帛の気合と共に、アーデルハイトが地面を力いっぱい踏みしめる。力ずくで剣を引き抜き、勢いをそのままに、まるで背負投げのような大上段からの振り下ろし。再度地面へと叩きつけられる純白の刃は、罅割れどころではない大きな亀裂を作ってみせた。振るわれた剣閃は都合三度。くるくると上空を舞う双角と、血を吹き出しながら地面へ落ちる鼻が、その成果であった。


 咆哮を撒き散らしながら堪らず後退した巨獣を前に、アーデルハイトが不敵に笑う。


「あら?不細工な長鼻が落ちて、随分と男前になりましたわね」


 挑発的な言葉ではあるが、しかしアーデルハイトにもそれほど余裕があるわけではなかった。彼女の魔力は今なお燃え続けているのだから。ローエングリーフの真の姿、謂わば第二形態とも呼べる大剣状態。これはいつまでも維持出来るものではないのだ。


 ローエングリーフの基本特性は、魔力を焼き尽くし滅する『聖炎』を生み出すというもの。しかし実はそれとは別にもう一つ、あちらの世界でもほんの数人しか知らない、別の特性を持っていた。それこそが魔力を燃やして食らい、ローエングリーフ自身へと吸収する能力だった。

 そうしてローエングリーフは姿を変え、吸収した魔力の量と質により形状や強度、斬れ味といった『聖剣』としての力を増してゆく。その上昇量には事実上の限界が無く、魔力を与えれば与えただけ強くなる。つまりローエングリーフは、潜在能力ポテンシャルだけでいえば、勇者の持つ『最強』と名高い聖剣にも勝るとも劣らない、ある意味イカレた聖剣であった。


 とはいえ、それはあくまでも理論上の話である。この状態を維持するためには魔力を与え続ける必要があり、その性能故か酷く燃費が悪いのだ。現在のアーデルハイトが維持することが出来、かつ剣聖として振るうことの出来る限界が、現在の大剣状態ローエングランツというわけだ。魔力操作には自信のあるアーデルハイトだが、魔力保有量自体はそれほど多くはない。与える魔力の『量』というよりは、どちらかといえば『質』の方で維持しているのが現状である。


「わたくし、獲物で遊ぶ趣味はありませんの。あまり時間もありませんし、早々に終わらせますわよ」


 言葉通り、巨獣が体勢を整えるのを待つつもりなど彼女には毛頭なかった。刃を地に向け、脇に構えてアーデルハイトがダンジョンを駆ける。凄まじい重量を持つローエングランツを握っているというのに、アーデルハイトの速度は先程までとまるで変わらなかった。むしろ速度が上がっているような、そんな気配すら感じられる程だ。


 ローエングランツが巨獣の強靭な肉体を切り裂くに足るのは、先の攻撃で既に実証済みだ。であれば、あとは断つのみ。師を以てしても為し得なかった巨獣討伐、それに高揚していないといえば嘘になる。しかし、だからといって彼女は慢心しているわけではなく、油断しているわけでもない。彼女はただ事実のみを見つめ、ただ己の為すべきことを為す。人に仇為す魔を斬り裂く。それが『剣聖』としての責務なのだから。


 その時、巨獣の眼が妖しく光った。

 直後、アーデルハイトを襲ったのは極大の咆哮。先程放った咆哮とは比べ物にもならない程の、物理的な衝撃を伴う大咆哮。離れて見ていたクリスと月姫かぐやでさえも、耳を塞いでその場に蹲り、その圧力故か巨獣から目を離してしまうほどであった。


「ぐッ……この……ッ!!」


 然しものアーデルハイトもこれには顔を顰めた。耳を塞ぐなどという愚行は犯さずとも、脳髄まで響くその衝撃に身体がふらつく。駆ける速度は低下し、僅かながらも身体を硬直させてしまう。そんな、アーデルハイトが初めて見せた隙らしい隙。それを見逃してくれるほど、巨獣は甘い魔物ではなかった。

 咆哮が止み、霞む視界の中でアーデルハイトが前を見る。既に巨獣は、アーデルハイトの目と鼻の先まで迫っていた。


「ッ!!卑怯ですわよ糞豚がッ!!」


 彼女にとっては珍しい、極々シンプルな悪口が口をついて出る。彼女がこれほど口汚く相手を罵ったのは、こちらの世界に来た直後、警官に対して『ブチのめしますわよ』などと口走った時以来ではないだろうか。その後にも視聴者に対して言っていたような気もするが、いずれにせよアーデルハイト本人はそのような些末事などすっかりと忘れている。


 ともあれ、悪態をついたところで巨獣の動きは止まりはしない。既に回避が出来るようなタイミングではなく、巨獣は既に最高速に達している。身体で受ければミンチ待ったなしであろうこの突進を、どうにか凌ぐ必要があった。

 先程のようにローエングランツで受けるのは不可能だ。あの時は剣へと魔力を与えるのに集中していた為、その場を動けずに仕方なく受けた。しかし体勢自体は万全であったのだ。


 だが今はどうだ。咆哮と、巨獣の超重量で引き起こされる振動によって体勢を崩され、挙げ句身体へのダメージも軽くはない。こんな状態では踏ん張りが効かず、仮に受けたとしてもそのまま押し潰されてしまうだろう。

 本来であれば、こうなる前に必殺の一撃で決着をつけるつもりであった。それをたった一度の咆哮で台無しにされてしまったのだ。圧倒的な能力スペックに物を言わせた、知性の欠片も感じないただのゴリ押しで。

 巨獣にしか許されない、酷く乱暴なちゃぶ台返しだ。アーデルハイトでなくとも、悪態の一つも吐きたくなるというものだろう。


 そんな状況の中、アーデルハイトの選んだ迎撃方法は相手の力を利用する、所謂カウンターであった。力が込められないのならば、相手の力を借りればいい。剣が振り抜け無いのなら、相手に合わせて動かせばいい。

 奇しくもそれは、先代剣聖である師の得意とした戦法であった。先代とアーデルハイトに違う所があるとすれば、それは人間としては無法とも言えるほどの、アーデルハイトの持つ高い身体能力だった。


 大剣の切先を前方の地面へと突き刺し、巨獣を迎え撃つ。猛然と襲いかかる巨獣がローエングランツに振れると同時、突き立てた刃を瞬時に寝かせ、巨獣と水平になるようにそっと動かす。半身の構えで脇にズレ、徐々に刃へと力を込めてゆく。


 ここからが、彼女にしか出来ない力技だった。如何に受け流したと謂えど、その力の全てを吸収出来る訳では無い。彼女でなければ、残った突進エネルギーの余剰分だけで、腕ごと突進に飲み込まれてしまっていただろう。

 巨獣の勢いを利用しつつ、全力と言うには程遠いが、それでも今出せる全力を腕に込め、美しい顔からは想像も出来ないその膂力を上乗せする。


 つまりは巨獣の顔面に剣を添え、正面からズレるように脇へと抜ける。あとはそのまま力いっぱい敵の側面を掻っ捌く。簡単に言ってしまえば、それだけのことだった。

 しかし、水平に構えられたローエングランツの刃は驚くほどあっさりと、巨獣の頭部、その側面へと深く潜り込んでいた。あとはただローエングランツへとありったけの魔力を与え、大剣を精一杯振り抜くだけであった。


 それは先代剣聖が最も得意とした『幽光ゆうこう』、そこにアーデルハイトが思いつきでアレンジを加えた剣技。


「必殺っ!!ノーブル……スラーッシュ!!」


 巨獣の強靭な肉体が上下二つに割断される。半分力技だったその一閃は、しかしそれを感じさせない程に美しい軌跡を描いていた。

 アーデルハイトの戦い、その一部始終を観戦していたクリスと月姫かぐや、そして視聴者達は全員が同じ感想を抱いていた。すなわち───


『それもう高貴スラッシュじゃん』


そんな冷静なツッコミが、湧き上がるコメント欄の中で一際目立っていた。

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