第238話 疾風

 ウーヴェが驚愕に染まった瞳で、拳の先を見つめる。刃の向こう側が薄っすらと透けて見える、まるで硝子板のような剣身を。圧し折るつもりで振るった拳はしっかりと受け止められ、壊れるような様子は全く見られない。それは彼の知る失墜の剣エクリプスとは異なる、全く別の神器かのようであった。


「驚いている場合ではありませんわよー!」


 そんな言葉と共に振るわれた刃は、先程までよりも明らかに速い。『反転』の言葉通り、恐らくは能力強化バフに類する能力を持っているのだろう。元より速かったアーデルハイトの剣速が向上するとは、なんとも巫山戯た能力だ。

 とはいえ、ウーヴェもまた身体能力に優れた六聖だ。創聖や聖炎のような遠距離タイプであればともかく、拳聖ならば対応出来ないほどではない。無論十分に厳しいが、彼とてまだ全力という訳ではないのだから。


 しかし回天の剣ルナ・エクリプスにはもう一つ厄介な点が存在する。それがこの透き通った刃だ。単純に視認しづらく、間合いが測りにくいのだ。武器を持った相手と戦う際、最も注意を払うべき事は何か。そんなことは駆け出しの冒険者ですら理解していることだ。


「チッ、面倒な……!」


 凄まじい速度で繰り出される連撃を、ウーヴェはどうにか凌ぎ続ける。特に回避し、時には刃を蹴り上げて。面倒と言いながらも初見でそこまでの事をやってのけるあたり、やはり彼の実力は並外れている。だがそれも完璧とは程遠い。僅かに間合いを見誤った刃が彼の頬を撫で、その軌跡に朱を刻む。『金剛不壊』は四肢に対してのみ機能する技術であり、それ以外の部位に対しては効果がないのだ。


 そうしてウーヴェが防戦に徹している隙に、もう片方の聖剣・ローエングリーフの修復までもが終わってしまう。右手のローエングリーフ、左手の回天の剣ルナ・エクリプス。然しものウーヴェと謂えど、二振りの神器による波状攻撃は凌ぎきれない。そんなバカバカしくなるような状況の中で、しかしウーヴェは笑みを深くする。


(そうでなくてはな!)


 ウーヴェが回避する先へと、まるで先回りするかのように絡みつく双刃。そうして徐々に傷を増やしていくウーヴェは、しかしそれでも前に踏み込んで見せた。速度が互角か、或いは不利である以上、後退したところで状況は好転しない。それに気づいているからこそ、活路を見出すならば『前』なのだ。


「そう来ると思っていましたわ!」 


 降り注ぐ剣の嵐をどうにか潜り抜けるウーヴェ。だがアーデルハイトはそこまで読み切っていた。アーデルハイトはウーヴェの頭がイカれていることを十分に知っている。であればこそ、普通なら後退するであろう状況でも前に出てくる筈だ、と。得物が剣である以上、間合いを詰められる事が最も面倒なのだ。そうした『戦いの急所』とでも言うべき点を、このイカれ脳筋は熟知している筈だ、と。


 想定通りの動きを見せたウーヴェへと、準備していた一撃をアーデルハイトが御見舞する。すっかり修復が完了したローエングリーフによる、周到で高貴極まりない一閃。タイミングもこれ以上ないほどに完璧だった。倒しきれるとまではいかずとも、傷を負わせるには十分過ぎる攻撃だ。美しい軌跡を描いたそれが、ウーヴェの脇腹へと迫る。


「なッ───!?」


 瞬間、今度はアーデルハイトの顔が驚愕に染まる。あろうことかウーヴェは防御も回避も行わず、聖剣の刃が脇腹へと食い込んだその瞬間に、そのまま拳を繰り出したのだ。


「"疾風はやて"ッ!」


 溜めも何もない即発の攻撃だ。殆ど苦し紛れの一撃だと、アーデルハイトはそう思った。威力などたかが知れているだろう、故に食らったところで問題ない、と。このまま剣を振り切って決着を狙う方が良い、と。しかしそう考えたその刹那、アーデルハイトは背中に悪寒が疾走るのを感じた。そうして咄嗟に、左手で保持していた回天の剣ルナ・エクリプスを盾にする。


(この威力は一体なんですの!? っ……受け流すしかありませんわ!) 


 アーデルハイトの腕に伝わってきたのは、凡そ苦し紛れの一撃とは思えないような、尋常ならざる衝撃だった。バランスを崩し、ウーヴェの脇腹を掻っ捌くことも叶わなかった。想定外の強烈な一撃を受け流すため、アーデルハイトは自ら地を蹴って後方へ。しかしそれでも逃がしきれなかった衝撃が、彼女の身体を遥か先へと吹き飛ばしてしまう。


 それでも空中で体勢を整え、両足で轍を残しながらアーデルハイトが着地する。その顔は険しく、正体不明の一撃を訝しんでいる様子であった。回天の剣ルナ・エクリプスを握っていた左手は痛みを訴えており、それが先の一撃の威力を物語っていた。


 対するウーヴェはといえば、やはりこちらも浅くない傷を負っていた。傷をかばうこともなくただ突っ立っているだけの彼だが、しかし脇腹からは多くの血を流している。


「……また怪しげな技を使いましたわね。ですけど、代償はそれなりに大きかったようですわね?」


「ふん、この程度傷のうちに入らん。それに、貴様の方こそ腕を痛めたように見えるが?」


「あら、これくらいが丁度いいハンデではなくって?」


「抜かせ」


 軽口を交わす二人だが、そんな表面上の態度とは裏腹に、両者ともそれなりにダメージを負っている。アーデルハイトの片腕は言わずもがな、武器を使用する剣士としてはかなりの痛手だ。もしもこれがダンジョン攻略中であったなら、回復役を使用するか、或いは撤退も視野にいれることだろう。


 ウーヴェの脇腹も同様だ。致命傷とまではいかないが、今後の動きには確実に影響が出る。痛みはいくらでも無視出来るだろうがウーヴェだが、しかし身体のダメージは気合だけではどうにもならない。あともう少し深ければ動けなくなっていたかも知れない、そんなレベルの傷であった。


 これまでは互いにノーダメージ、技術と力の応酬といった様相を呈していた。しかしこうして両者ともにダメージを負ったことで、この戦いには制限時間が設けられた。今すぐにとは言わずとも、決着はそう遠くはないのかもしれない。


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