第237話 高貴シュートですわ

「では、今度はこちらから参りますわ!」


 一度目の交錯の後、僅かに開いた距離をアーデルハイトが瞬時に埋める。先程ウーヴェが見せた神速の踏み込みにも匹敵、否、凌駕する程の速度で以て。『見せてやろう』と言われて、ただ待っているだけのアーデルハイトではなかった。


 何も戦闘歩法は拳聖だけの専売特許ではない。同じく近接戦闘を得意とする剣聖も、状況に合わせた無数の歩法を持っている。これまでの配信で見せたものも、月姫かぐやに伝授したのも、そのうちの一つに過ぎないのだ。


 ウーヴェの用いるそれらと違う点。それは動きの繊細さだろう。惚れ惚れするほどの重心と体重の移動、細かな跳躍、随所での脱力、そして一瞬の加速。果ては握った剣の重さすらも利用して。緩急のついたその動きは、どちらかといえば力任せ、身体能力に物を言わせたウーヴェの歩法とは正反対のものだ。


 現に同レベルのスピードを見せているというのに、アーデルハイトの足元には砂が舞っていない。一体何をどうすればそうなるのか、まるで砂浜を滑るかのような動きで、自らの得意な間合いへと潜り込んでしまう。


「それは既に知っている」


 一瞬で眼の前に現れたアーデルハイトに対し、ウーヴェは感情を乱すことなく冷静に対処する。剣で斬りつけられた時、常人ならば後退するのが普通だろう。無手であれば尚更だ。しかしウーヴェは前に出る。下方から迫る高速の切り上げをじっと見据え、素早く左足を蹴り出す。リカッソと呼ばれる剣身の根元部分を横合いから踏みつけ、砂浜へと叩きつける。


 以前にレベッカとの戦いでも見せた『アレ』だ。彼の持つ特殊な瞳を以てすれば、たとえ剣聖の振るう一撃であっても不可能ではない。


『一度戦ったことがある』という経験は、同格の相手との戦いに於いて非常に大きな

 意味を持つ。ただの一撃で戦いを終わらせられる実力を互いに持っているのだ。未知の技によってあっさりと決着がつく、ということも十分に起こり得る。だからこそ、一度見た技を通すわけにはいかない。敗北とは、たった一度の小さなミスからやってくるものなのだから。


 その衝撃に、凄まじい勢いで砂浜が爆ぜる。巻き上げられた大量の砂で視界が遮られる。だがそんなこと、両者にとっては関係がない。この距離まで近づいた相手を、この程度の視界不良で見失うなどあり得ない。


 ───あり得ない、筈だった。


 正面下方にいた筈のアーデルハイトの姿は、いつの間にかそこには無かった。


「何!?」


 瞬間、ウーヴェは右上方から迫る殺意を捉えた。彼が押さえつけていた聖剣はその場に置き去りとなり、その持ち主だけが頭上から現れる。


「高貴シュートですわッ!」


 そんな怪しげな技名と共に、ウーヴェの右側頭部へと靭やかな脚が襲いかかる。剣聖とは、剣を振るしか能がないそこらの剣士とはモノが違う。状況に応じ、剣を手放すことも厭わない。剣を封じたからといって、それで安心出来るような相手ではないのだ。その蹴撃は付け焼き刃のお粗末な一撃ではない。お得意の緻密な体重移動によって、全ての力を脚へと込めた一撃。それは直撃すればウーヴェでさえも倒し得るであろう鋭さを持っていた。


 拳聖顔負けの見事な足癖の悪さを見せたアーデルハイト。剣聖という先入観を逆手に取った、意識外からの奇襲といえるだろう。


「舐めるな!」


 裂帛の気合と共に、ウーヴェが右腕に力を込める。剣を捨てての体術には確かに驚かされたが、しかしその程度で倒せると思われるのは心外極まる。防御に差し出した右腕へ、みしり、という音と衝撃が伝わる。『これが剣士の放つ蹴りか』などと文句の一つも言いたくなるような、馬鹿げた威力の攻撃だった。だが、ウーヴェの防御を貫くには至らなかった。


 若干バランスを崩したウーヴェではあったが、そこは流石の拳聖だ。すぐさま空いた左手でアーデルハイトの足首を引っ掴もうとして───アーデルハイトは既にその場から離脱を果たしていた。恐らくは、この攻撃で決めきるつもりなど最初ハナから無く、離脱を前提にした攻撃だったのだろう。所謂ヒット・アンド・アウェイだ。通れば儲けもの、といった程度の攻撃。


 蹴りの反動を利用し、数メートル後方へと飛び退るアーデルハイト。その右手には再び聖剣が握られていた。どうやらいつの間にか回収していたらしい。なんとも抜け目のないことである。


「わたくしの高貴ステップ&シュートを見切るとは……流石は拳聖というべきですわね」


「元からあった技のように言うな。どう見ても即興だろうが」


 そも、アーデルハイトの剣を上から踏みつけるなど不可能なのだ。そんなあり得ない状況を想定した技など、どう考えても存在するはずがない。つまり先の一連の流れは、アーデルハイトのアドリブということになる。それを然も元からあった必殺技のように言い張るのだから、図太いというべきかなんというべきか。


 ちなみに、アーデルハイト曰くの『高貴ステップ』とやらには『流光』という名前が付いている。先代の剣聖が編み出した歩法であり、歴とした技術である。もちろん『高貴シュート』とやらには名前などなく、ただの気品溢れるキックだ。アーデルハイトの母親が見ていれば、とても淑女とは言えない娘の蛮行に頭を抱えて嘆いていたことだろう。閑話休題。


 時間にすればほんの数秒、息も吐かせぬ攻撃の数々。互いに有効打と呼べるようなものはなく、強いて言えば、曲がりなりにも一撃を入れたアーデルハイトに分があるだろうか。


「まぁ……意表は突かれたがな。以前は剣を手放さなかった」


「そういう貴方こそ、以前は回避に徹していたと記憶しておりますわよ?」


 以前のアーデルハイトは剣に固執し、拳を受け止めるのが精一杯だった。以前のウーヴェは剣閃を凌ぎきれず、回避するので精一杯だった。戦いが始まって、僅か数度の攻防。たったそれだけで、互いに相手の成長を見て取っていた。


「貴方も強くなったようですけど、今のところはわたくしの一歩リードですわね! 何しろ、先に一撃入れたのはわたくしですしおすし!」


「……それはどうかな」


「いやですわ、負け惜しみはみっともなくってよ───あら?」


 ここぞとばかりに煽ろうとしたアーデルハイトだったが、しかしそこで異変に気づく。右手に握ったローエングリーフの感触が、今までと違う。何本も神器を所有しているアーデルハイトだが、特殊な状況を除けば、使用するのはローエングリーフであることが多い。故に、僅かな異変もすぐに分かる。


 訝しんで聖剣を見てみれば、そこには斜めに罅の入った剣身が。折れてはいない。歪んでいるわけでもない。しかし確実に、その耐久度は限界を迎えていた。


「……先程の踏みつけですわね?」


「そうだ。これが俺の身につけた剣聖対策、名付けて『金剛不壊』だ。練り上げた闘気で四肢を覆い、神器をも超える耐久力を得た」


「あーあー! ついに出ましたわー! 胡散臭いワードランキング堂々の第1位、『闘気』ですってよー! 闘気が許されるのは漫画の中だけでしてよー!」


「漫……? よく分からんが、最早俺に生半可な攻撃は通用せんぞ」


 ぶぅぶぅと文句を垂れるアーデルハイトだが、胡散臭さでいえば『魔力』も大概である。ともあれ、実際にローエングリーフは破壊されている。『闘気』なる怪しい技術がどれほどのものかは知らないが、ウーヴェの言葉が事実であれば厄介な事この上ない。以前戦った際にも神器を折られはしたが、ここまで容易にはいかなかったのだから。


「まぁいいでしょう! 細かい理屈はさておき、わたくしの剣が破壊されたことは事実。貴方の希望どおり、ここからはわたくしも出し惜しみ無しで行きますわよ」


「望むところだ」


 遂にというべきか、漸くというべきか。愛剣を破壊されたことで、アーデルハイトの瞳にも火が付いた。ウーヴェも油断なく構えを取る。その瞬間、空気が一変する。離れて撮影しているクリスはもちろんのこと、地上で観戦している者たちにも、戦いのステージがひとつ上がったことが伝わっていた。


 聖剣へと魔力を供給し、罅の修復を行うアーデルハイト。だが、やはり瞬時に元通りとはいかない。そしてそんな時間を与えてくれるほど、拳聖は甘くない。アーデルハイトとてそんなことは百も承知だ。故に、彼女は左手に新たな神器を召喚する。


失墜の剣エクリプス!」


「それも既に見ているッ! 物理的な強度に乏しい剣など───」


 使用するのを普段は嫌っている失墜の剣エクリプス。その特徴は能力低下デバフにある。効果は強力無比だが、しかし自壊するのが前提の能力である為強度が低い。故に、剣としての役割は殆ど果たせない。以前の戦闘時にも使われた記憶があったウーヴェは、咄嗟の判断で前へ出る。失墜の剣エクリプスの特性をしっかりと把握していた彼は、その発動を阻止しようとしたのだ。


 しかし、アーデルハイトは続けてこう宣言した。


「反転なさい! 回天の剣ルナ・エクリプス!」


「───何ッ!?」


 自壊するより前に打ち崩さんとして突き出されたウーヴェの拳は、まるで硝子のように透き通る未知の神器にて阻まれていた。どう見ても薄く脆いように見えるそれは、しかし壊れる様子など微塵も感じられない。


 見るからに邪悪な、これぞ魔剣といった形状をしていた失墜の剣エクリプス。しかし今や一転し、回天の剣ルナ・エクリプスなる美しい剣へと姿を変えていた。


「さぁ、躾けの続きでしてよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る