第236話 その必要は感じませんわ
口火を切ったのはウーヴェの方だった。ゆっくりと踏み出しただけに見えるその一歩は、相手が『動いた』と認識した頃には既に最高速へ到達している。それはまさしく神速の一歩。後方へと巻き上げられた大量の砂が、その爆発的な加速を物語っていた。
戦闘に於いて、地形が与える影響は言うまでもなく大きい。一般的な探索者はもちろんのこと、実力の平均値が高いあちらの世界の冒険者達でさえ、砂地ではどうしても動きが鈍るものだ。速度が出ず、踏ん張ることが出来ない為に力も出ない。果ては体力までも余計に奪われる始末。地形の影響を和らげる魔法もあるにはあるが、常時展開など出来るはずもない。
故に、冒険者達は砂地を避ける。故に、魔物達は砂地に適応し進化する。要するに砂浜とは、凡そ戦闘に適した地形ではないのだ。
しかしウーヴェは紛れもなく逸脱者。そんな常識の延長線上から外れた男。彼は水面さえ疾走って見せるのだ。フィールドが砂浜だからといって、ウーヴェの速度が変わることはない。六聖、拳聖、世界の頂点。そう呼ばれる男にとって、この程度の環境など障害たり得ない。
30メートルはあった筈の距離が、瞬きの間にゼロへと変わる。高ランクの冒険者が『
常識も平均も、すべてを初手から蹴り飛ばして見せたウーヴェ。彼は埒外の速度で接敵し、それをそのまま攻撃へと転じて拳を突き出す。
「"
特殊な事など何もない、ただ高速で接近し拳を叩き込む。言葉にすれば酷く単純な攻撃だった。しかし効果は言うに及ばず、単純だからこそ対処が難しい。そもそも反応することが困難で、それでいて敵の防御を貫く破壊力。並の魔物が相手なら、ただの一撃だけで叩き潰せる決定力を持っていた。
だがしかし。
相対するはそこらの冒険者でも魔物でもない。同じく六聖、世界の頂点。若くして道を極め、先代をして『自分よりも強い』と言わしめた最強の剣聖。彼女にとってはこの程度、回避も迎撃も思うがままだ。
「ヌルいですわ! ふんッ!」
静かに、そして流れるようにローエングリーフを差し入れる。暴風を纏って突き出されたウーヴェの拳、その軌道上へと。
拳と剣が触れた瞬間、とてもそうとは思えないような音が鳴り響く。金属同士がぶつかりあったかのような、甲高く耳に残る摩擦音。ギリギリと嫌な音を立てつつ、拳と聖剣の双方が軌道上から弾き出される。聖剣とぶつかりあっても無事だったウーヴェの拳を褒めるべきか、圧倒的な力の奔流を見事逸らして見せたアーデルハイトの剣捌きを褒めるべきか。
「チッ、流石に決まらんか」
「ふんっ、相変わらずの馬鹿力ですわね」
殆どゼロ距離で行われた攻防だ。どちらかと言えばウーヴェの得意とする距離だろう。互いに近距離系の戦闘職ではあるが、ここまで肉薄すれば流石に格闘家のほうが有利だ。だが、間合いを潰して懐まで飛び込んでもなお、アーデルハイトの手は封じることが出来ない。ありとあらゆる体勢から、状況から、無理なく自然に剣を差し込んでくる。あまつさえ先に繰り出していたウーヴェの拳撃に、後手で追いついて見せたのだ。
「先に攻撃したはずだが……相変わらず馬鹿げた速度だ」
「この程度、優雅なあくびが出てしまいそうですわ」
単純な力ではウーヴェに軍配が上がるが、速度と技術ではアーデルハイトが上手。初めて戦った頃から随分と時間が経っているが、しかし二人のパワーバランスは今なお互角であるらしい。とはいえ、これは所詮ただの小手調べ。両者ともに全力とは程遠い、ちょっとした挨拶程度のやり取りだ。この先激化してゆくであろう戦いの結果は、まだ誰にも予想出来ない。
「続けて行くぞ。何本あるのかは知らんが、聖剣の出し惜しみはやめておけ」
それは彼の覚悟の表れのような、自信に満ち溢れた台詞であった。
かつての戦いでは、アーデルハイトに二本の神器を使わせるところまで迫ったウーヴェ。逆に言えば二本までしか使わせる事ができなかった。しかし当然、今回はそんな程度で終わるつもりはない。当時よりも更に強くなったという自負が彼にはある。何本の神器を使われようと、ウーヴェは今度こそ勝つつもりでいる。全ての聖剣魔剣を引き出し、打ち破り、そうして初めて剣聖に勝ったと言えるのだ。
対してアーデルハイトはといえば。前回勝利しているという精神的余裕からか、まだまだ余裕たっぷりといった様子である。いつものように勝者の特権、煽りをくれてやることも忘れない。
「あら、今のところその必要は感じませんわ。 頑張って全ての剣が見られるといいですわね?」
「減らん口だ」
苛立つというよりも、むしろ『そうでなくては』とでも言いたげなウーヴェ。先程までよりも一層好戦的な笑みを浮かべ、確かめるように拳を握る。
「ならば見せてやろう。貴様に勝つために編み出した新たな技を」
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