第235話 地底人ですわ!(アデ視点

 遡ること30分前。

 深夜ということもあり、伊豆までの道のりは随分と空いていた。そうして少し早めに到着してしまったアーデルハイトは、一足先にダンジョン内でウーヴェを待つことにした。久しぶりの真剣勝負は彼女にとっても楽しみであり、今回こそはウーヴェとの再戦はちゃんと受けるつもりでいる。その点については疑義を挟む余地がない。


 が、それはそれ。これはこれだ。だだっ広い砂浜で数十分も待つとなれば、暇になるのも仕方がないことだろう。


「ん……ただ待つだけというのも退屈ですわね……そうですわ!」


 そうして暇を持て余したアーデルハイトは、おもむろに砂浜を掘り始めた。まるで除雪車のようにズバズバと、両手を使って凄まじい速度で穴を掘ってゆく。みるみる内に彼女の姿は見えなくなり、掘った穴の隣には大きな大きな山が出来上がっていた。


「あ、ちょっと楽しくなってきましたわ。まだまだ掘りますわよー!」


 アーデルハイトの勢いは留まることを知らず、ほんの五分も過ぎた頃には見事な大穴が完成していた。剣聖たる彼女が自らの身体能力を駆使して掘った穴だ、そんじょそこらの穴とはワケが違う。


「ダンジョンの階層面にぶつかってしまいましたわ……まぁ所詮は暇つぶしですし、このくらいで許して差し上げますわ!」


 具体的な深さは不明だが、少なくとも穴の底が見えない程度には深い。アーデルハイトはすぐ傍の波打ち際で軽く手を濯ぎ、ひと仕事終えたと言わんばかりに爽やかな笑顔を見せた。


「クリス、魔力障壁を張ってくださいまし」


「……まぁいいですけど。どのくらいの強度にします?」


「いちばんペラいので頼みますわ」


 若干の呆れ顔を見せつつも、クリスが極薄の結界を穴の上に張る。魔力障壁は防御魔法の一種だが、込める魔力の量によってその強度を自由に変えられる。今回クリスが張ったのは最も薄い、ゴブリンの攻撃すら防げないほどの弱々しい障壁であった。そうして張られた障壁の上へ、掘り返して作った山から砂をまぶしてゆく。手を洗ったばかりな所為か、手すら使わず、げしげしと足蹴にする形で。


 残った砂山はアーデルハイトの斬撃によって均され、証拠隠滅もバッチリである。こうして、一見すれば周囲の砂浜と何も違いがわからないほどの、やっつけにしては酷く巧妙な落とし穴が完成した。


「あとは立ち位置ですわね。あちらから来るはずですから……このあたりですの?」


「また無駄に手の込んだ悪戯を……もう少し右です」


「ここですわね! では、場ミリ代わりの貝殻をセットですわ!」


 クリス協力の元、入念に立ち位置のチェックを行うアーデルハイト。策が成る瞬間を想像しているのか、彼女は既にニヤつきが抑えられない様子であった。




 * * *




 そうして待つこと更に数十分。いよいよ標的がこの砂浜に姿を現した。ウーヴェの服装はいつもファミレスで着用している制服ではなく、恐らくは店長の東雲に買い与えられたのであろう私服だった。馬子にも衣装と言いたいところではあるが、そもそもウーヴェの素材自体は悪くない。ここは彼に似合うコーデを考えた東雲を褒めるべきだろう。


「ふん、今回は逃げなかったか」


「ちょっと! 聞き捨てなりませんわよ! 一体いつ、誰が逃げまして!?」


「……前回だ。俺とあの女を戦わせている内に逃げただろう」


「あれは逃げたのではなく、帰っただけですわ」


「……同じだ」


 準備運動のつもりか、首や拳を鳴らしながらゆっくりと現れたウーヴェ。しつこく追い回すようなことはしないが、しかしリベンジの機会はずっと待っていた彼だ。言葉の上ではぶっきらぼうでありつつも、やはり口角は上がっている。開始位置、つまりはアーデルハイトの元へと向かってくるウーヴェだが、アーデルハイトはといえば最早それどころではない。


「だ、駄目ですわ……まだ笑っては……こらえなければ……っ、しかし……」


「その笑み……今回も勝てると思っているのか? 貴様があの腹黒せいじょに帯同して遊んでいる間にも、俺は強くなっているぞ」


「くっ……ンフッ……しゅ、淑女たるもの、声を上げて笑うなど……っ」


 必死に笑いをこらえるアーデルハイトだったが、どうやらウーヴェは都合の良いように勘違いしてくれている。この時点でアーデルハイトは勝利を確信していた。ひくひくと口の端を歪めながら、気づかれない様ウーヴェの足取りを目で追う。そして───。


「いいだろう。その余裕、この俺の拳で消し去────」


 ずぼっ。

 なんとも間の抜けた音と共に、ウーヴェは砂を巻き上げながら地中深くへと消えていった。


「ブフッ! くっ……あははははははは! 消え、消えましたわ! 『俺の拳で』……自分が消えてますわ! ぐうっ……クリス……お、お腹痛いですわ……っ」


「ノーコメントです。私に振らないで下さい」


 水を向けられたクリスが、そう言って顔を背ける。彼女の立場からすれば、六聖であるウーヴェを弄ることなど出来はしない。如何にここが別世界であったとしても、六聖に対する敬意は常に持っているのだから。


 しかし、だ。

 彼女もまた鼻を僅かに膨らませ、必死に笑いをこらえている様子であった。たとえ尊敬する相手と謂えど、耐えられないものは耐えられないのだ。もしこれがあちらの世界であったなら、周囲の目を気にして気合で耐えていたことだろう。


 アーデルハイトもクリスも、この程度でどうにかなる相手だとは微塵も思っていない。なにしろアーデルハイト自身が、この程度の穴に落ちたところでどうとも思わないからだ。これはただの戯れ、余興の悪ノリである。


 アーデルハイトが砂浜に崩折れ、身体を痙攣させながら笑い続けること暫し。漸く笑いは治まってきたところで、悪戯にしては少々深すぎる落とし穴からウーヴェが顔を覗かせた。特に機嫌が悪くなっているということもなく、その顔にはいつものむっつりとした表情を貼り付けている。


「……なんだこれは」


「ち、地底人ですわ!!」


「ただの人間だが」


「もう、ノリが悪いですわね! ちょっとした『高貴冗談ノーブルジョーク』じゃありませんの」


「阿呆、冗談にしては穴が深すぎる。俺でなければ死んでいたぞ」


 悪びれもせずそう言い放ったアーデルハイトもアーデルハイトだが、しかしウーヴェの反応も微妙にズレている。リアクションなど皆無で、ツッコミどころも微妙におかしい。ドッキリを仕掛ける相手としては、これ以上ないほどに不適切な人選であった。


「あー……しこたま笑わせて頂きましたわ……随分とはしたない姿を見せてしまいましたが、おかげでいい具合に気分が盛り上がって来ましたわね」


「それは重畳だ。負けたあとに『乗り気ではなかった』などと言われてはたまらんからな」


「あら、負けるのは貴方ですわ。前回も、そして今回も」


「抜かせ」


先程までのふざけたアーデルハイトの態度が、まるで嘘だったかのように一瞬で鳴りを潜める。戦場に於いても、そして日常に於いても。戦いに身を置く者ならば、気持ちの切り替えは一瞬で出来なければならない。それは今この瞬間も同様だ。対峙しているこの男は、いつまでもゲラゲラと笑っていられるほど容易い相手ではないのだから。


「そろそろ行くぞ、構えろ」


言葉少なにウーヴェが告げる。有明でスライムと戦った時には見せなかった、彼が本気で戦う際の構えで。それを認めたアーデルハイトもまた、ローエングリーフを抜いてゆったりと構える。やはり、今までの配信では見せたことのない美しい構えで。


「どこからでもかかってきなさいな。躾のなっていない狂犬に、どちらが上か教えて差し上げますわ」


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