第114話 共に最高のジャージを

 クロエに案内された地下のアトリエは、これまでに二人が見たこともないような世界だった。足元には大量のデザイン画が散らばり、棚からは色とりどりの生地がはみ出している。部屋の中央に設置された長い机には、ミシン等の各種機材が置かれていた。周囲には制作中と思しき服がトルソーに着せられ、立体裁断ドレーピングの名残だろうか、その足元には大量の布の切れ端が山になっている。

 つまり有り体にいえば、クソほど散らかっていたということだ。


 アトリエには、一人の男の姿があった。

 どことなくクロエと似た雰囲気を持つ、細身の優男だった。


「ようこそ、僕のアトリエへ!!」


 やたらと高いテンションで声を張り上げた男は、にこにこと笑顔をを浮かべながらアーデルハイト達の元へと歩み寄り、そうして自己紹介をした。


「僕は橘一颯いぶき。ここでデザイナーをしているよ。いやぁ、良く来てくれたね!!僕は今日という日を本当に楽しみにしていたんだよ!映像越しでもヤバいと思ったけど、実物はもっとヤバいねぇ!そこらの服じゃあ素材が良すぎて負けてしまうよ」


「えー、いきなりすみません……私の兄です。頭の様子が少しおかしいですが……こんなでも一応、界隈ではちゃんと名の知れた人だったりするんですよ」


 どこかわざとらしいような口調でそう言う一颯いぶきの言葉を、クロエがじっとりとした瞳を向けながら補足する。普通の者ならば引きかねないようなテンションの高さだが、しかしアーデルハイトは特になんの反応も見せなかった。

 言い方は悪いが、デザイナーに限らずクリエイティブな職種の者は変わり者が多い。独創性が重要な職業だからかもしれないが、彼らは皆、自分の世界を持っている者ばかりだ。そして、それはあちらの世界でも同じこと。むしろ、変人という意味ではあちらの世界のほうが多かったかもしれない。


 アーデルハイトとみぎわが簡単に挨拶をしたところで、一颯いぶきがおもむろに紙袋を取り出した。アーデルハイトが中を覗いてみると、そこには上等そうな生地で作られたジャージが入っていた。


「クロエから話は聞いてるかな?というわけで、はいこれ。早速着てみてよ!!今着てくれているサンプルとは違って、ある程度サイズは合うはずだよ。採寸と細かい調整は後にしよう。おっと、安心してよ。僕じゃなくてクロエが全部やるから。僕はあんまり、制作が得意じゃないんだよね」


 聞いていない事までを矢継ぎ早に捲し立てる一颯いぶき。クロエの言う通り、たしかに少々エキセントリックな性格の持ち主であった。


「兄はデザイン以外がからっきしなんです。おかげで、パタンナーの私がいつも苦労させられているんですよ……もう少し作る側のことも考えて欲しいです」


 パタンナーとは、デザイナーが描いたデザインを型紙パターンにおこす者のことだ。独創的な発想で生み出された、殆どただのイメージに過ぎないデザイン画を元に、それを技術によって実際の服へと変える者。『どうやってこんな物を作るんだ』と言いたくなるようなデザインも、デザイナーの意向を汲みつつ再現しなければならない。当然ながら相当な知識と技術が必要であり、服を作る上でなくてはならない存在だ。その割に、専ら注目を浴びるのはデザイナーになりがちだ。良く言えば影の功労者、悪く言えば不遇。それがパタンナーである。

 橘兄妹は兄がデザインを担当し、妹がパタンナーを担当している。これまでの短いやりとりからでも、クロエが日頃から苦労をしているのが簡単に想像出来るというものである。閑話休題。


 とはいえ、そんな橘兄妹の事情などアーデルハイト達には関係がない。紙袋を渡されたときから既に、アーデルハイトは話をほとんど聞いていなかった。


「新品のジャージですわ!!試着室はどこですの!?」


「あ、ご案内しますね」


 早速試着したいとそわそわしているアーデルハイトとは対象的に、先程のクロエの言葉を聞き逃していたみぎわは、どんよりとその表情を曇らせていた。


「……何でウチの分があるんスか?」


「おや?クリス嬢から聞いてないのかい?撮影用のジャージと、あとはお土産に、僕が独断と偏見でデザインした三人分の衣装を用意してあるよ」


「聞いてねーッスけど!!騙された!!」


 どうやら事前のやりとりで、クリスには情報が伝えられていたらしい。恐らくは敢えて伏せていたのだろう。その上で自分は協会の方へ向かったのだから、なんと卑劣なことだろうか。


 みぎわは心の中でクリスへと恨み言を撒き散らし、しかし、クロエに案内されてのろのろと試着室へ向かう。嫌がりつつも、折角用意してくれたのだからと断りきれない。なんだかんだで人のいいみぎわであった。




 * * *




 試着と採寸、その他諸々を終えたアーデルハイト達は、一階の店舗へと戻ってきていた。アーデルハイトはチャックボーンしたサンプルジャージの代わりに、また別の黒ジャージをクロエから貰っていた。つまり壊れたジャージと、案件用の専用ジャージ、そして今着ているジャージの、計三着のジャージを今日一日で貰っていることになる。


 おまけに、クリスとみぎわの分のジャージが一着ずつと、お土産の衣装も一着ずつある。『Luminousルミナス』で販売している服、それもオーダーメイドのものが上下三着ともなれば、それだけで簡単に100万円は越えてしまう。これが案件の報酬とはまた別のプレゼントだというのだから、橘兄妹は随分と太っ腹であった。或いは、期待の裏返しともいえるのかもしれないが。


「それじゃあ宣伝動画のほうは頼んだよ!!あぁ、内容については全く心配してないよ。うちのジャージを着て、適当にそこらの魔物を蹴散らして、最後に店の宣伝をしてくれればそれでオッケーさ。普通の探索者なら無茶だろうけど、君達なら楽勝だろ?」


「わたくしにかかれば、チョイのチョイでしてよ!!」


 アーデルハイトは貰ったジャージの出来に満足したのか、一颯いぶきの言葉にもまるで動じる様子がない。それどころか、来たときよりもやる気に満ち溢れているような気すらする。


 実際のところ、この依頼をこなせるのは異世界方面軍しかいないだろう。宣伝用に貰ったジャージは、デザインや生地こそ拘って作られているものの、探索者用の防具ではない。所詮は普通の生地で作られた、ただの高級ジャージに過ぎない。当然ながら防御力など皆無であるし、ゴブリンに殴られただけで簡単に破れてしまうだろう。


 つまりは『裸でダンジョンにいって、魔物を倒して宣伝してこい』といっているようなものだ。そんな依頼は誰も受けないし、誰にも達成出来ない。もちろんそれは、彼女達以外には、だが。


 そんなやる気に満ちたアーデルハイトと、グロッキー状態のみぎわの元へ、クロエがお茶を用意して戻ってきた。衣装の受け取りと最終打ち合わせを終えた今、後は帰るだけだと思っていた二人は少し怪訝そうな顔をした。


「ところでアーデルハイトさん。実は折り入ってご相談があるのですが……あ、今回の依頼とは関係なくて、全く別のお話なんですけど」


「あら?なんですの?」


「私達が異世界方面軍さんのファンなのはお伝えした通りなんですけど……皆さんの配信を見ていて、ちょっと思うところがありまして」


 ゆっくりとお茶を口に含みつつ、真面目な顔でそう語るクロエ。ちなみに一颯いぶきは、アーデルハイトをみて創作意欲が湧いたのだろうか。その隣で一心不乱にデザイン画を描いている。


「私も少し調べたんですけど、探索者の方達は魔物の素材を使って防具を作るんですよね?でもそれは外側だけで、防具の下に着用している服はごく普通の衣服だと聞きました」


「……そうなんですの?」


 一般的な探索者とは大きく離れたところを爆進しているアーデルハイトには、探索者にとっての『普通』がいまいちよく分からない。あちらの世界の冒険者達はどうだっただろうか。上半身裸の筋肉ゴリラ系戦士が大勢居たような気もするが、騎士団員などは皆、鎧の下にチェインメイルを着用していた気がする。そんなふうに考えていたアーデルハイトへと、みぎわが助け舟を出した。


「まぁ、そうッスね。魔物の素材は貴重なんで、基本的には剣や槍なんかの武器か、盾や胸当てみたいな防具にしちゃうみたいッスね」


 現代に於ける探索者達は、大抵の者がそうだった。

 階層を進めば進むほど、要求される装備の質は上がってゆく。だからといって毎回全ての装備を更新していては、資金も素材も足りなくなってしまう。故に彼らは、急所を守るための部分的な防具を用意するのだ。魔物素材で作った全身鎧で身を固めれば安心なのだろうが、それでは動きづらく、コストも洒落にならないからだ。


 その都合上、インナーに関してはごく普通の衣類ばかりである。防御力など皆無であり、防具を抜かれればすべての衝撃をその身で受けることになる。月姫かぐやのように形から入る変人系は、かっこいいからというだけの理由で盾や鎧ではなく外套を作ったりもしているが、結局はそれもアウターでしかない。

 だが、もしも質の良い魔物素材で作られたインナーがあれば、きっと需要はあるはずなのだ。


「ですよね。そこで我々『Luminousルミナス』は、探索者用のインナーを作ろうかと考えているんです」


「……成程。話が見えてきたッス」


「はい。魔物素材で作る装備は、基本的にオーダーメイドですよね。だから探索者の方々は、直接的な戦力としてわかりやすい武器や防具を優先してしまいがちです。一応協会でもチェインメイル的なものを販売していると聞きましたが、死ぬほどダサいらしいじゃないですか」


「ダサ……まぁ確かに、ウチも一度見たッスけど、ダサいし高いしで売れ残ってましたね」


 そう、魔物素材で作られたインナーも無いわけではない。だが協会に持ち込まれる希少な素材は、その殆どが武器か防具、或いは装飾品の類へと加工されてしまう。これは世界中、どこの協会でもそうだった。

 探索者とはより強く、より深い階層を目指すものである。故に強力なアイテムや素材は、分かりやすく戦力強化につながる場所にしか投入されない。そうして残ったゴミで作られるインナーなど、性能は最低限以下でありながら、見た目も最悪なゴミインナーにしかならない。そんなものを好んで着用するものなど、この世界には居なかった。


「だからこそ、私達は見た目と性能に拘った最高のインナーを作りたいんです。加工には伝手がありますし、挑戦する価値はあると思っています」


 ぐっと拳を握りしめ、力強くそう語るクロエ。


「話は理解出来るッスけど……いや、でもやっぱ問題は解決してないッスよね?協会にゴミしか置いてないのは、まともな魔物の素材が残ってない所為で───ああ、つまりそういう話ッスね?」


 最初こそクロエの言葉を疑問視していたみぎわであったが、途中で何かに気づいた。みぎわは思い出したのだ。自分たちがこれまでに手に入れた魔物素材の殆どを、使いもせずに協会へ売り払っていたことを。そしてその殆どが、一般的には希少だと言われている素材であることを。


 アーデルハイト達は自前の優れた装備を持っており、更新の必要がない。つまり手に入れた素材は、ほぼ全てが換金されてしまう。そして協会へと素材が渡った後、武器や防具へと変えられてしまう。


「そうです。つまり私達は、異世界方面軍さんにダンジョンで得た素材を融通して頂きたいんです。もちろん全てとは言いません。協会に売る物の中から、質の良いものをいくつか回して頂ければそれで構いません。もちろん適正価格で。もしこの話を受けて頂けるのでしたら、代わりに───」


「代わりに?」


「これから先、我々が異世界方面軍さんの衣装全般を全て無償で提供致します」


 その言葉を聞いたみぎわは、瞬時に頭の中で算盤を弾いた。

Luminousルミナス』の衣装は高額だ。安い物でも数万~十数万、オーダーメイドともなれば軽く数十万、下手をすれば百万を超えてくる。つまり、下手な魔物の素材よりも高額だということだ。そんなブランドがチャンネルの衣装を提供してくれるというのは、非常に魅力的な話だった。


 交換条件として提示された魔物の素材も、無償提供ではなく適正価格での買い取り。これといった使い道がなく、協会に売り払っていた異世界方面軍としては、ただ売る先が変わるだけ。実質的にはこれまでとなにも変わらない。要するに、数十万の魔物素材が数十万の衣装に変わるだけのことだ。


 異世界方面軍が衣装を使用することで、宣伝効果を期待しているというのもあるだろう。だがそれは、異世界方面軍にとってなんのデメリットにもならない。つまり彼女達の立場からすれば、宣伝の手伝いをするだけで、新進気鋭のハイブランド衣装を提供してもらえるということだ。厳密には異なるかも知れないが、ある意味ではスポンサー契約に近いだろうか。


(……悪い話じゃないッス。ちょっとこっちに都合が良すぎる気もするッスけど……ビジュアルお化けのお嬢が着ることで得られる宣伝効果を考えれば、十分ペイ出来ると判断したってことッスかね……?)


 ともあれ、一度持ち帰ってクリスとも相談をするべきだろう。

 そんな風に考えを巡らせていたみぎわの隣で、したり顔のアーデルハイトがうんうんと頷く。すっかりジャージに目がくらんだアーデルハイトには、断るという選択肢はなかった。みぎわが気づいた時には既に、彼女はクロエと握手を交わしていた。


「よくってよ!!共に最高のジャージを作りましょう!!」


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