第6話 初配信

 ダンジョンと呼ばれるものが出現したのは、もう何十年も前のことになる。

 当時、それはもう世界中が大騒ぎとなったそれは、今では人々の生活の一部となっていた。ダンジョンから産出する資源は、人々に富を齎した。


 ダンジョンから齎された恵みによって、富と名声を手に入れたものも居れば、その恩恵に与ることが出来ず朽ちていった者もいる。運良くトップへと駆け上がることの出来た探索者もいれば、探索中に命を落としたものも大勢居る。

 内部で起こることは全てが自己責任。生きるも死ぬも、成功するも失敗するも、全てが本人次第。今ではダンジョン探索のその本質は、ギャンブルに近いとさえ言われている。


 なぜその様な危険な場所へ誰でも入ることが出来るのか。人口の減少の一助となりかねないそれを、何故国が認めているのか。

 畢竟ひっきょう幾許いくばくかの国民が自らの責任の上で死んだところで、さして問題はないのだ。人道的な見地を無視すれば、彼等の齎すダンジョン資源によるメリットは、数人、数十人の犠牲など容易く上回る。


 そもそもダンジョンで死ぬ人間はそれほど多くなく、年間に100人も居ない。誰も自ら進んで死にたくはないし、危険が迫れば逃走を選ぶ。そうしたリスク管理が出来ずに、利益だけを追い求めて引き下がれなかった馬鹿な者達だけが命を落とす。怪我をする者こそ後を絶たないが、それを加味した上でも、総じてメリットの方が大きいのだ。


 そうして現在、ダンジョン大国と呼ばれるほどになった日本。

 日本国内に存在するダンジョンは15箇所。広大な国土を持つアメリカでも8箇所しか存在しないということを考えれば、小さな島国に過ぎないこの国がダンジョン大国と呼ばれる理由も納得出来ることだろう。ちなみに、非常に面倒な手続きを済ませることで自国外のダンジョンでも探索を行うことが出来る。それ故、日本にも少数ではあるが外国人探索者は居る。


 そんな日本に存在する15のダンジョンのうち、比較的人気の無いダンジョン。

 近畿地方は京都、その山奥に存在するダンジョンに、アーデルハイト達三人はやって来ていた。何故このような遠方の、探索者もあまりいないダンジョンへやって来たのかと言えば、単純にやり易いからである。

 東京にもダンジョンは三つあるが、そのどれもが多くの探索者で賑わっている。探索初心者であるアーデルハイト達がその様な場所で初配信を行おうものなら、要らぬトラブルや熟練探索者達の邪魔になりかねない。

 無論、本来ならば人気のダンジョンに挑んだほうが注目度は高いのだろう。しかし前述の理由に加え、アーデルハイトの『邪魔ですわ』という一言によって、今回はこうした運びとなったのだ。


 汀の所有する車に機材を詰め込み、朝からたっぷり七時間以上かけ、適度に休憩を挟みつつのんびり旅行気分で。京都に到着した頃にはすっかり夕方近くになっていたが、元気の有り余ったアーデルハイトは見たことのない景色や店等にはしゃぎまわり、結局そのまま三人仲良く観光する始末であった。

 そうして夜になる前にダンジョンへと向かい、到着したのがつい先程。現在は汀が大急ぎで機材のチェックを行っている最中である。


 配信開始の準備とSNSでの告知を行っているクリスと同様、今回この二人は裏方だ。無論送られてくる映像には目を通しているし、マイク等で逐次連絡は取るものの、二人が直接ダンジョンに足を踏み入れることはない。要するに地上で留守番である。ダンジョンの入口には探索者協会の建物が設置されており、休憩所や食堂、売店にシャワーなどが完備されている。これらは探索者であれば無料で利用することが出来るため、拠点としてはまさにうってつけと言えるだろう。

 非常に高額ではあるものの、ポーションや武器防具等も取り揃えられており、新米の探索者等はここで最低限の準備を整えてからダンジョンへ向かうのがお決まりとなっている。


 人気がないとはいえ、それでも数十人の探索者達が建物内に滞在しており、中にはアーデルハイト達と同じように配信機材を準備している者もちらほら見受けられた。

 配信機材と言っても、一昔前のテレビカメラのような大きなものではない。掌サイズの球体で、撮影者の背後を浮遊して追尾する近代技術の塊である。値段はピンキリだが、安いものでもお値段なんと150万円。これのお陰でクリスと汀の貯金はすっかりそこをついていた。当座の生活資金程度は残してあるものの、登録者数が伸びず収益化も通らないなどということになれば、彼女達の未来は真っ暗である。


 そんな協会の建物内で、何故汀が大急ぎで準備を進めているのかと言えば。

 その原因はアーデルハイトだ。未だジャージ姿の彼女ではあるものの、その容姿のせいで既に目立っている。まるで黄金の獅子を思わせる輝く髪は、いつもどおりにくるくると巻かれ、機嫌の良さそうなアーデルハイトの肩とともに揺れている。

 彼女は現在、食堂で注文した熱い緑茶をちびちびと飲んでいる。コーヒーでも麦茶でもなく、ただの食堂に何故その様なものが置いてあるのかはまるで理解らないが、ともかく彼女はいたく気に入った様子だった。


 まるで緊張した様子もなく、幸せそうにお茶を飲むアーデルハイトは周囲の目を非常に惹いている。男性探索者などは、彼女の余りの眩しさに迂闊に声をかけることさえ出来ずに居たが、同性である女性探索者は比較的声をかけやすかったのだろう。そんなアーデルハイトの下に、恐らくは同年代であろう一人の女性探索者が近づいてきた。


「こんばんはー。お姉さんめっちゃ綺麗だね。もしかしてこれから探索だったりする?」


「あら?ごきげんよう。ええ、これから初めての配信ですわ!」


「あ、やっぱりそうなんだ!実は私も配信やってるんだ。ホラ」


 そう言って彼女が見せてきたのは掌サイズの配信用カメラ。

 アーデルハイト達が使用しているものよりも上等な、最新モデルであった。値段も当然数段高くなり、それを使っているというだけで彼女の配信にはそれなりに人気があることが窺える。


「あら、ではわたくしにとっては先輩ですわね」


「あはは、そうだね!わかんない事とかあったら遠慮なく聞いてよ。先輩が優しく教えて上げる!」


「それは有り難いですわね、是非お願いしたいですわ」


「でしょ?任せてよ!あ、そだ。良かったら配信ページとかSNS教えてよ!ファン第一号ってことで」


「それならそちらのクリスに聞くといいですわ。あと、ファン第一号は既に埋まっておりますの」


 アーデルハイトはそう言って、対面に座るクリスへと水を向ける。忙しなくノートパソコンのキーボードを叩く手を止めたクリスは、手元にあったタブレットへと持ち替え、SNSのアカウントを表示する。


「こちらです。SNSの方に配信ページへのリンクがありますので、そちらからお願いします」


「ありがとー。ていうかお姉さんも綺麗だね・・・」


「ありがとうございます」


「わ、出来るお姉さんって感じ・・・くそー、ファン第一号になれなかったのが悔やまれる・・・ちなみにどんな人?それだけ綺麗だし、やっぱ男?イケメン?」


 よほど最初のファンになれなかったのが悔しいのだろうか。それともただの冗談か。人懐っこい笑みを浮かべながら、興味津々といった様子で問いかける彼女に、アーデルハイトはありのままを答えた。


「タクシー運転手のしがないオッサンですわ」


「オッサン・・・ぶふっ、あははは!その顔でオッサンとか言われるとめっちゃ面白いんだけど!言わなそうなのに!オッサンて!あははは!」


 その後、ひとしきり笑った彼女と会話をしていたところで汀から声がかかる。どうやら機材の調整が終わり、全ての準備が整ったようである。


「では、わたくしはそろそろ行きますわ」


「あ、うん!頑張ってね!私も今日はもう終わりだし、ここで配信見てるよ!」


「あら、ではわたくしの活躍をとくとご覧あれ、ですわ」


 そう格好をつけたアーデルハイトがダンジョンへと向かった数分後、カメラを忘れた彼女が慌てて戻ってきた。クリスからカメラを受け取り、恥ずかしそうに再度ダンジョンへと向かうアーデルハイトの姿は、まさしく初心者ルーキーのそれであった。




 * * *




 協会の奥に設置された重厚な扉を抜けた先、ダンジョンの第一層。

 配信画面に映るのは、ジャージ姿でぼうっと突っ立っているだけのアーデルハイト。背伸びをしたり、口に手をあて小さく欠伸をしてみたり。かと思えば、たまに思い出したかのように髪をくるくると指で弄ってみたり。そんな謎の時間が、かれこれ3分程続いていた。


『初見』

『ジャージで草』

『初見』

『虚無空手から来ました』

『もう可愛い』

『エロ空手から』

『デッッッッッッッ』

『これもう始まってるの気づいてない?』

『突っ立ってるだけなのに溢れる気品』


 既に数十人の視聴者が、思い思いのコメントを飛ばしている。にも関わらず、アーデルハイトは一言も発さず、ただ配信が始まるのを待っていた。彼女が何故、既に配信が始まっていることに気づいていないのか。それは単にクリスと汀からの合図が無いからである。


 配信の開始は地上で待つ二人が行う事になっており、アーデルハイトもそう説明を受けていた。故に、事前に練習したとおりにカメラを起動して、二人からの合図を待っているのが現在のこの状況だ。


 では何故二人は合図を出さないのか。

 それはもちろん、単に素のアーデルハイトが退屈そうにしている姿が面白いから、というだけの理由である。アーデルハイトはただ立っているだけでも十分過ぎるほどに絵になる。無論、ある程度の人数が集まってから始めたいという意図もあるにはあったが、結局のところは唯のいたずらである。


 とはいえ、何時までもそうしているわけにもいかない。

 三人の未来が懸かった大事な初配信である。クリスと汀と共に、アーデルハイトの微笑ましい姿を見ていた女性配信者───くるるという名前らしい────からの助言もあって、いい加減に進めることにした。


【あーあー。テステス。こちら汀。お嬢、聞こえる?】


 耳に装着したイヤホンから聞こえた声に、アーデルハイトが一瞬びくりと肩を震わせる。ついでに乳も揺れた。


「びっ・・・くりしましたわ。こちらアーデルハイト、よく聞こえますわ」


【おけおけ。実はちょっと前から配信始まってるんだよね】


 汀のその一言で、聡明なアーデルハイトは全てを察した。

 つまりは先程までのぼけっと突っ立っていた自分の姿が、既に全世界へ向けて配信されていたということに。


「・・・やってくれましたわね」


 恨みがましい眼をカメラへと向けるアーデルハイトとは裏腹に、遂に言葉を発したアーデルハイトの姿を見た視聴者達は大喜びである。今の時点でこの配信を視聴している者は、男女問わずその大半がアーデルハイトの容姿に惹かれてやって来ている。事前に投稿した謎の正拳突き動画も含め、アーデルハイトは一言も発していないのだから当然といえば当然なのだが。


『しゃべったァァァァァ!』

『エッッッッッッ』

『あーあー、声も百点満点ですよこれ。控えめに言って好き』

『ですわ系お嬢様ですわあああああああ』

『揺れた』

『揺れました』


【お嬢、とりあえず自己紹介して、どうぞ】


 そんな汀の指示は、自分達の悪戯を深掘りされる前に、アーデルハイトを急かして先に進ませようという魂胆である。見え見えの魂胆ではあるが、配信が既に始まっている所為でアーデルハイトもそれ以上は文句を言えなかった。


「皆さんごきげんよう。わたくしはアーデルハイト・シュルツェ・フォン・エスターライヒ。つい先日異世界からやってきました、グラシア帝国の貴族エスターライヒ公爵家の長女ですわ。好きなものはお煎餅と緑茶。嫌いなものは勇者と聖女ですの。以後宜しくお願い致しますわ」


 彼女の自己紹介は、全てが嘘偽りのないものであった。

 これはクリスと汀、両名からの提案だ。下手にこちらの世界に合わせて嘘をつくよりも、ありのままでいった方が『設定』として不自然にならないのではないか、という考えからである。事実、そんな二人の予想は見事に的中していた。


【お嬢様、コメントの表示をONにしてください】


 クリスからの指示に、はっとした様子で耳元のイヤホンを何度か叩くアーデルハイト。するとすぐに、視界の端にずらりとコメントが並び始める。


『設定把握』

『貴族って言われるとしっくりくるな』

『解釈一致』

『嫌いなもの草』

『好きなものも草』


「あ、あら?これがコメントですの?コレ大丈夫ですの?ちゃんと出来てますの?」


 見慣れぬ技術に慌て、あわあわと挙動不審になるアーデルハイトの姿は配信者としてはあまり宜しくはない。しかし持ち前の容姿のおかげか、そんな様子も概ね好評であった。


【大丈夫です。初配信なので、とりあえず何か質問を受けつけて、それから探索に行きましょう】


「あ、わかりましたわ。ええっと・・・皆さん、初配信なので探索に行く前に質問を受け付けろという指示が出ましたわ!」


『裏側全部ゲロってて草』

『指示を守れてえらい』

『スリーサイズ』

『初々しくて大変よろしい』

『なんでジャージなのw』


「あ、やりましたわー!服装の話が出ましたわよ。これに関しては絶対に出るだろうと予想していましたわ!いい質問ですわね!」


 事前に汀から『際どいコメントや答えたくないコメントは拾わなくていいッス』と言われていたアーデルハイトは、事前に答えを準備していた質問が来たことに喜びを見せた。その様子は大変馬鹿っぽく、ほっこりとするものだった。


「わたくし、このジャージというものがとても気に入っておりますの。見た目はまぁ・・・アレですけど、伸び縮みして動きやすいですし」


『ジャージいいよね。自分も家ではジャージだわ』

『何処とは言わんけど伸縮性の限界を感じる』

『防具とか無くて大丈夫なん?』

『そういや武器も防具も持ってないな。まさか素手か?』

『ハッ・・・空手は布石?』


「実はこれ、わたくしのメイドの持ち物ですの。確かに胸はキツいですわね・・・っと、話が脱線していますわ。何故ジャージなのかでしたわね。ついでに装備の話も出ているみたいですし、丁度いいですわ」


 そういったアーデルハイトが胸元へと手を当て『顕現』と呟く。すると、アーデルハイトの体が眩い光に包まれ、次の瞬間には見事な装飾のドレスアーマー姿へと変化していた。鎧だけでなく、その手には細身の赤い長剣が握られている。

 なおここはダンジョンの入口で、人気がないとはいえチラホラと探索者の姿も見られる場所だ。突如輝き出したアーデルハイトは当然のように目立っていた。


「これはわたくしの本来の装備、『聖鎧せいがい・アンキレー』と『聖剣・ローエングリーフ』ですわ。あちらの世界の、まぁ簡単に言えば神器ですわね」


『ファッ!?』

『え、すげぇのは理解るけどどういう仕組み?』

『金髪縦ロール巨乳ですわ変身お嬢様。うーん、100点!』

『いやマジでどういうことだよw』

『朗報、マジモンの異世界お嬢様だった』

『一目で解るチート装備』


「大変素晴らしいリアクションですわ。とまぁ一応装備はあるんですけど、最初から強い装備で探索しても皆さん楽しめないんじゃないか、と思いましたの。ジャージなのはその所為ですわ」


 アーデルハイトはすぐに装備を解除し、詳細は濁して適当に話を進める。これも事前の打ち合わせ通りだ。

 配信とは直接対面して視聴者と会話しているわけではなく、拾うコメントも配信者次第だ。故に、誤魔化しながら都合のいいコメントだけを拾えば余計な詮索もないだろう、というのがクリスの考えであった。


『装備があるなら着けるべき』

『気にせんでええんやで』

『どっちもええな』

『ジャージ!』

『鎧!』


「賛否はあるでしょうけど、とりあえずはジャージのままで行こうと思いますわ」


『大丈夫なん?』

『危なくない?』


 結局、ジャージ姿のままで探索に向かおうとするアーデルハイト。そんな彼女を心配するコメントが幾つも視界に流れる。当然と言えば当然だ。ダンジョンとは低層でも十分に危険な場所である。ダンジョンを見縊った初心者が大怪我をして逃げ帰るなど日常茶飯事で、軽い気持ちで配信を始めた者達がカメラの前で血を流すことなど、そう珍しいことではない。

 彼等はまだ、アーデルハイトがそんな初心者と同じ輩なのではないかと思っていたのだ。


「あら、ありがとうございます。ですが心配ご無用」


 彼等は知らない。配信に映るこの女が、元いた世界で『剣聖』と呼ばれていたことを。剣などなくとも、そこらの魔物等に遅れを取るようなことはないことを。


「それを今から、ご覧にいれますわ」


 そういってダンジョンの奥へとゆっくり歩みを進めるアーデルハイト。

 こうして、ジャージ女のソロダンジョン配信が幕を開けた。

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