第5話 正拳

 十畳ワンルームの部屋で、アーデルハイト異世界方面軍(仮)の三人が目標を定めてから、一週間が経った。


 この一週間、三人は配信のための準備を全力で進めていた。

 アーデルハイトはひたすら知識と情報を叩き込んだ。クリスの私物である書籍や雑誌、果ては彼女の作った薄い本までも読み漁った。


 彼女の定位置となったテーブルの窓側には、何十、何百といった冊子が積み上げられている。汀から『覚えておいたほうがいい』と手渡されたそれらは、汀お手製の『頻出ネットスラングまとめ』である。ちなみに、クリスと汀が制作した薄い本はバリバリの男性向けであった。


 聡明なアーデルハイトは、今ひとつ理解の出来ないネットスラング達に小首を傾げながらも、精一杯それらを詰め込んだ。そのおかげか、単語の意味だけならば大抵のものは理解るようになっていた。そうしたスラングが生まれた背景までは知らない彼女が、それらを正しく使えるかどうかは全くの別問題ではあったが。


 それと同時に、図書館にも足繁く通った。

 もとより日中は暇なアーデルハイトだ。日課である鍛錬くらいしかすることがない彼女は、この世界の事を少しでも多く学ぼうとしたのだ。家を出る度に、わざわざクリスから認識阻害魔法をかけられるのは面倒であったが、その甲斐あってか、ある程度の一般常識程度であれば既に習得済みである。


 認識阻害魔法とは読んで字のごとく、対象を強く意識しない限り、上手く認識が出来なくなる魔法だ。多くの人で溢れる町中で、視界の端に映る人物の顔など誰も覚えていない様に。森の中で唯一本の樹を注視することなどない様に。

 燦爛たるアーデルハイトの容姿を隠すにはまさにうってつけの魔法で、一週間前の買い出しの際にも勿論使用した。

 ちなみに、買い出しにて数着の衣服と下着を購入したアーデルハイトだったが、動きやすさが気に入ったのか、部屋の中では基本的にジャージを着ている。


 一方クリスは当座の資金を稼ぐ為、これまで通り通訳の仕事をこなしていた。その合間に、SNSアカウントの作成や配信ページの準備を行い、着々と準備を進めている。当初は初配信に向けての台本を作ろうかとも考えていたのだが、会議の結果、台本は無しとなった。


 汀曰く、配信者には大別して二つのパターンがあるそうだ。

 一つは、綿密に計画を練り、台本から演出までを事前に用意しておく計算型。

 そしてもう一つが、大まかなテーマを決めたらあとはアドリブで好き放題やる天才型。どちらも一長一短であり、どちらが良い悪いという話ではない。しかしアーデルハイトは絶対に後者だ、と彼女は熱弁を振るっていた。


『企画とか環境だけ用意して、あとは好きにやってもらったほうがお嬢はハネるッス。そもそもダンジョンは基本何が起こるかわかんないッスから、そっちのほうが相性もいいッス』というのが汀の弁である。

 この話を聞いたクリスも、汀に賛同した。なんでもそつなく熟して見せるアーデルハイトだが、基本的には自由人だ。由緒正しい公爵家の娘として生まれたというのに、幼い頃から剣を握って野山を駆け回っていた時点で、間違いなく変人である。


 そして汀は、数日前に届いた配信機材の設定と調整、テストを行っていた。

 その手際は見事なもので、機材が届いた翌日には全てのテストを終えてしまった。彼女が初めて触るという、ダンジョン配信専用の追尾型カメラの設定までもを簡単に済ませてしまうあたり、彼女のメカニックとしての手腕は確かなものだった。


 なお、いきなり配信を始めても流石に誰も見に来ないだろう、ということで、配信ページには既に一つだけ動画が投稿されている。

 本配信前に自己紹介や告知の枠を作るのは、ダンジョン配信ではあまり一般的ではない。どちらかと言えばVバーチャル方面に多い手法だ。


 しかしアーデルハイト達はどこかに所属しているわけでもない、全くのぺーぺー個人勢である。如何にアーデルハイトの容姿が優れていようと、一切の知名度も無い彼女達だ。広報活動も無しというのは流石に分が悪いと思われた。それ故の措置である。


 そんな理由から配信に先んじて投稿された、告知兼自己紹介のような位置づけである筈のそれは、しかしあまりにも異質なものであった。

 動画のタイトルは『配信準備中』。その内容は、アーデルハイトが部屋の隅で黙々と正拳突きをしているだけ、というものだった。


 アーデルハイトは毎日、剣の素振りを己に課している。その回数は日によってまちまちではあるが、最低でも一時間は行うようにしていた。これはあちらの世界に居た頃から腕が鈍らぬようにと、毎日必ず行っていたことである。

 しかし、クリスの部屋はワンルームにしては広めではあるものの、やはり剣の素振りなど行うスペースは無い。ならばと付近の公園で行おうにも、アーデルハイトは認識阻害無しではそう簡単に外出も出来ない。仕事の都合もあるクリスが、常に一緒に居られるわけでもない。


 そうして八方塞がりに陥ったアーデルハイトが、剣の素振りに代わって始めたのがこの正拳突きであった。部屋のスペースを使うこと無く出来る、戦闘に即した運動、ということらしい。

 そんなアーデルハイトが始めた日課を、カメラのテストがてらに汀が盗撮したものが、そのまままるっと公開されているのだ。


 まるで実戦のように鋭い眼差しで正面を見つめ、ジャージ姿で一心不乱に正拳突きを行うアーデルハイト。

 撮影されているなどとは思っていないアーデルハイトは一言も発さず、時折マイクに入った電車の音や救急車のサイレンが小さく遠く響き渡るのみ。ただただ本気で行われる正拳突きの所為で、それはもうあちこちが大暴れ。汗で額に張り付いた、輝く黄金の髪もまた得も言われぬ余韻がある。一時間ごとにアーデルハイトが水分を補給して、また正拳突きを再開する。それがたっぷり四時間である。

 それは、自己紹介と呼ぶにはあまりにもシュールな光景だった。


 そんな怪しすぎる謎の動画が公開されたのが昨日。にも関わらず、既に100人程の登録者が存在していた。収益化を目指すのならば、当然これだけでは足りない。ダンジョン配信のトップ層が数百万という登録者を抱えている事を考えれば、比べ物にもならない。しかし、本格的な配信も始めていない全くの無名個人勢としては、この数字は悪くない。むしろ良い方だとさえ言える。


 コメント欄を見ても、概ね好意的なものばかりだ。


『シュール過ぎて草』

『デッッッッッッ!!』

『情報量が少なすぎて草ァ』

『金髪ジャージ縦ロール空手すき』

『エッッッッッッッッ』

『ダンジョン関係ねぇw』

『あまりにも美人過ぎて一発で惚れたんだけど内容が謎過ぎる』

『動画時間みて鼻水出た』

『シークしたらマジでずっとやってて何か笑顔になった』


 などなど。

 汀の『意味不明な動画のほうが話題になりそうじゃないッスか?』という一言と、クリスの『お嬢様の素晴らしさが一目で伝わるものがいいです』という、二つの意見を雑に取り入れた結果としては、ただの盗撮動画にしては悪くない反応、のような気がしないでもない。所詮は素人の企画・構成ということも加味すれば、まずまず成功と言ってもいいだろう。


 そんなこんなで過ぎていったこの一週間。紆余曲折もあり、うんうんと三人で頭を捻ってきたのは、偏に明日の初配信のためである。現状出来ることは、自分達なりに全てやったつもりだ。ここから先は、アーデルハイトと運次第だ。


 初配信を明日に控えた夜、三人は明日の成功を願って部屋でささやかな壮行会を行っていた。


「そういえば、お嬢って滅茶苦茶強いんスよね?」


「随分唐突ですわね」


「何を今更。お嬢様より強い人間など、全盛期の先代剣聖くらいのものですよ」


「いやぁ、ウチお嬢が戦ってるとこ、見たことないッスからね。実際のところどうなんッスか?」


 酒を飲みつつ、仲良く鍋を突付いている時だった。ふと思い出したかのように、汀がアーデルハイトへ問いかけた。ちなみにあちらの世界では既に成人している、ということでアーデルハイトも酒をちびちびと飲んでいる。彼女のお気に入りは日本酒らしい。


「そうですわね・・・この一週間で視聴した配信には、私に倒せない魔物は映っていませんでしたわ」


「え、マジッスか?『勇者と愉快な仲間たち』の配信も見てたッスよね?アレにもッスか?」


 汀の言う『勇者と愉快な仲間たち』とは、現在の『ビッチ』内に於いて、登録者数と再生数で一位の座に輝いている配信チームのことである。20代~30代の探索者四人で構成されたパーティで、実力的にも国内で一二を争うと評判の、トップ配信チームの一つであった。最高到達階層の記録こそ彼等のものではないが、この界隈では知らぬものなど居ない超有名探索者達である。


「アレにも、ですわ。彼等が戦っていた魔物の中で最も位の高かったのはグリフォンでしたけど、あの程度であればわたくし一人でも問題ありませんわ」


「マジッスか・・・え、グリフォンって滅茶苦茶強いんじゃないんスか?そんなに詳しくはないッスけど、A級探索者四人のパーティでギリギリ戦える程度、って聞いたことあるッスよ?実際『ゆうなか』のメンバーも苦戦して撤退してたッス」


「彼等の戦いは素人のそれですわね。そもそも、グリフォンの厄介な点は飛行能力ですわ。ダンジョンに現れたところで、高度に制限がある時点で脅威足り得ませんわね。というよりも、ダンジョン内に出てくることの方が驚きですわ。あちらでは主に平原でしか遭遇しませんわよ?」


「そ、そうなんッスね・・・」


「お嬢様はあんなただデカいだけの鳥とは比べ物にならないほど、滅茶苦茶強いんです」


 汀の素朴な疑問に、事もなげに答えるアーデルハイト。そして何故か威張るクリス。そう言われればそういうものなのか、と汀は納得したが、これは汀がゲーム配信界隈の人間であるが故の誤解である。


 汀は配信そのものには明るいものの、ダンジョン配信というジャンルに関してはそこまで詳しい訳では無い。無論、今回の活動にあたり少しずつ勉強はしているが、知識としてはまだまだ、といった様子である。

 故に彼女は納得したが、実際にはクリスの言う通り、アーデルハイトが強いだけである。


 グリフォンは非常に強力な魔物だ。それはこちらの世界では共通認識となっている。飛行能力もさることながら、金属すら容易く引き裂いてしまう程の鋭い爪を備えた前足。大岩を砕く凄まじい膂力を持った後ろ足。ダンジョン内の壁面にすら穴を穿つ強固な嘴。数多の探索者達を葬ってきた、ダンジョン内でも屈指の危険度を誇る魔物である。

 もしも彼女達の会話を探索者が聞いていれば、『何も知らない新入りが大言壮語を』などと言って鼻で笑っていたことだろう。


「わたくしの知る勇者マヌケですら、グリフォン程度なら一人で倒せますわ。総じて、グリフォンは精々が中の上~上の下、といった強さですわね」


「ちなみにお嬢様は、オーガくらいまでなら素手でも余裕です」


「流石にオーガを素手で倒すのは骨が折れますわよ?」


「えぇ・・・倒せなくは無いんッスね・・・完全にOoverPpoweredじゃないッスか・・・」


 さも当然の様に語って見せるアーデルハイトとクリスの様子に、汀はドン引きしていた。オーガと徒手空拳で戦うなど、正気の沙汰ではない。

 探索者達はダンジョン内で魔物を倒し続けることで、身体能力が上昇することがある。所謂『レベルアップ』などと呼ばれているそれによって探索者は強くなってゆくのだが、しかしそれでも、好戦的かつ凶暴なことで知られるオーガと素手で戦える者など、世界中を探したところで見つからないだろう。


「これは俄然、明日が楽しみッスねぇ」


「折角ですし、最初は素手で戦ってもいいですわよ?確か序盤はゴブリンやスライムしか出ないのでしょう?」


 探索者にとって装備とは非常に重要な要素だ。

 武器一つ、防具一つが生死を分けると考えれば当然のことと言えるだろう。故に彼等は装備に関しては金に糸目をつけない。アーデルハイトの元いた世界とここ地球では、その意識に多少の差はあるのだが。


 当初の予定では、配信中に使用する装備は彼女の持つ『聖鎧せいがい・アンキレー』と『聖剣・ローエングリーフ』をそのまま使用する予定であった。勇者アホの持つ聖剣とは違って魔王の結界を貫く効果は持たないが、十分過ぎるほどに強力な装備である。

 だが確かに、アーデルハイトのような美女が徒手空拳で魔物を次々屠ってゆくというのも、中々に面白いかもしれない。最初から強力な装備を使うよりも、素手から徐々に装備をアップグレードしてゆく姿を見せるほうが共感は得られそうである。


 汀としては非常に悩ましい話であった。どちらのほうが良いかなど、結果が出てみなければ理解らないのだから。


「うーん・・・」


「まぁ、わたくしはどちらでも構いませんわ。なんとなれば、視聴者にどちらが良いか聞けばいいのですわ」


「それも案外悪くないかもしれませんね」


「・・・確かに、安価みたいなものだと考えれば悪くないかもしれないッスね」


 結局その場で答えは出ず、最終的な結論は『当日の流れで適当に』という、なんともどっちつかずなものとなった。

 酒が入っている事も手伝ってか、全体的にふんわりとした方針にまとまった明日の配信予定。アーデルハイトの持ち味を活かす為のその方針が吉と出るか凶と出るか、それは現時点では誰にも理解らなかった。


 その後、取り留めのない雑談に華を咲かせた三人。

 アーデルハイトがクリスと別れてから、あちらの世界でこれまでに起こった出来事や、逆にクリスがこちらの世界に来てからこれまでの話。汀とクリスの出会いや、現在に至るまでの二人の活動等、忙しなく動いていたこの一週間では出来なかったあれやこれやの話。鍋を突付きながら行われたそんな会話は、夜の遅くまで続けられた。


 明日の配信は、夕方から夜にかけて行う予定であった。

 明日は平日だ。探索者はともかく、それを視聴する一般の者達は日中、仕事や学業に勤しんでいることだろう。つまり、彼等が帰宅するであろう時刻からが勝負なのだ。


 配信とは、初回が非常に重要だ。

 最初の一回でどれだけの視聴者を捕まえることが出来るのか。それこそが、有名配信者への道、その最初のハードルであると言えるだろう。

 逆を言えば、初回が上手く行きさえすれば、今後もそれなりの数の視聴者が見込めるはずである。


 絵に描いた餅、或いは、取らぬ狸の皮算用。

 未だどう転ぶか理解らない、そんな泥濘の中を手探りで進む三人であったが、そんな状況がなかなかどうして悪くなかった。


 不安は勿論ある。だがそれ以上に、新たな世界で始める新たな試みに、アーデルハイトは心を踊らせていた。

 酔い潰れて幸せそうに眠るクリスと汀を眺め、アーデルハイトは一人明日を思う。


 願わくば、明日の配信が上手くいきますように。

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