第307話 やたまのおちん

 クリスとみぎわの声が聞こえた時には、既に巨大な尾が目の前に迫っていた。アーデルハイトが後方をちらと確認すれば、ぼけっと突っ立っているだけのオルガンと、顔を驚愕に染めたくるる達の姿。となれば、まさか回避するわけにもいかない。


 大剣を地面に突き立て、薙ぎ払われた尾を正面から受け止めるアーデルハイト。凄まじい衝撃音と爆風が周囲一帯へと襲いかかる。


「やたまのおちん────なんですって!? また下ネタですの、ミギー!?」


【言ってねーよ!! っていうかまたって何スか!?】


 冗談なのか本気なのかは分からないが、そうイヤホンへと返事をするアーデルハイト。地面に大剣の轍を作りながらも、しっかりと攻撃を受け止めてみせた。見た目のインパクトとは裏腹に、どうやらそこそこ余裕があるらしい。


「ぬわーっ」


 くるくると回転しながら飛んでゆくオルガンと、それを捕まえようとして敢え無く一緒に飛ばされる毒島さん。そんな一人と一匹を無視し、アーデルハイトが再び後方を確認する。これも訓練の賜物だろうか、くるる茉日まひるは既に体勢を整えていた。中々に優秀なことである。


 とはいえこのレベルの敵が相手となれば、今の二人では力不足だ。陽動や撹乱が無駄とまでは言わないが─────巨大な魔物と戦う時に必要となるのは、何を差し置いてもまず火力である。下手に動き回られるよりも、後方支援に徹して貰った方が都合がいいだろう。もしここに月姫かぐやが居たのなら、火力としての一翼を担えたのだが。


「お二人共、あのおバカの回収をお願いしますわ!」


「りょーかい!」


「任せて!」


 アーデルハイトが指示を飛ばせば、くるる達がそれに応じる。流石は経験豊富な探索者達というべきか、自分たちの役割が理解出来ている。こういった部分は、『探索者』の方が『冒険者』よりも明らかに優れている点といえるだろう。これがあちらの世界の脳筋冒険者どもであれば、確実にこうはならない。無駄にイキり散らした挙げ句に突撃、あっという間に全滅である。『戦場での判断は迅速に』というクリスの教えもあるのだろうが────何よりも安全を優先する、現代探索者の長所だ。


 駆け出した二人を見送りつつ、アーデルハイトがローエングランツを突き刺し、楔の代わりとして尾を地面へと縫い付ける。大きさ的にかなりギリギリではあったが、どうにか動きは制限出来そうだ。こちら側には、守らなければならない者が三人もいるのだ。これほどの巨体で動き回られようものならば、如何にアーデルハイトといえどもやりづらい。


 無垢の庭園イノセンスを使えば、とも考えたアーデルハイト。だが無垢の庭園イノセンスの能力を使用すれば、アーデルハイトが動けなくなってしまう。有象無象が相手ならばいざ知らず、この相手には例の『高貴燦然高貴・オブ・ヴァーミリオン』も通用しないだろう。この場の最大火力であるアーデルハイトが防御役を担ってしまえば、敵を倒せる者が居なくなってしまう。中ボスでも連れてきていれば話は簡単だったのだが─────


 そこでふと、アーデルハイトはあることを思いつく。

 そう、今いるここは広大な花畑だ。周囲への影響を考える必要はない。味方を巻き込む心配もない上に、的が非常に大きい。つまり、以前無垢の庭園イノセンスを披露した時には使えなかった手が、今回は使えるということ。ここ最近はソロプレイでダンジョンに潜っていたためか、すっかり忘れてしまっていたのだ。


「クリス!!」


 多くを語る必要などない。

 クリスの名前を呼びながらも、しかしそちらを一瞥することもなく、素早い身のこなしで敵から距離を取るアーデルハイト。頭部がふたつほど彼女に襲いかかるが、捉えることなど出来はしない。


 どうやらこの八岐大蛇とやら、頭部ひとつひとつの能力がそれほど高くはない。その強靭な巨体と再生能力、そして八つの頭部と尾による波状攻撃。それがこの敵の『ウリ』なのだろう。またぞろ、八つの首から火でも吹くに違いない。


 多頭といえば、あちらの世界にも『ヒュドラ』と呼ばれる少々キモめの魔物がいた。どことなく竜種のようなフォルムをもつ八岐大蛇とは違い、ヒュドラは本当に、ただ首が幾つも集まった蛇のような見た目をしている。そんなヒュドラの倒し方といえば、首を一度に全て落とす方法が有名だった。八岐大蛇に対しても効果的かどうかは不明だが、外見上の共通点が多い以上は、そう的外れな討伐方でもなさそうに見える。


 動きを封じ、範囲魔法で一気に首を落とせれば。

 アーデルハイトが考えた討伐方とは、要するにそういうことだ。特に面白みもないセオリー通りの戦い方ではあるが、それ故に効果はありそうな。


 アーデルハイトが腕を伸ばす。虚空から光が生まれ、それをそっと握りしめる。あっという間に顕現を果たした無垢の庭園イノセンスは、己が本分を全うするために光り輝く。僅かな時間とはいえ、しかしこれはアーデルハイトの明確な隙である。本来であれば攻撃が向かってきそうなものであるが────どうやら肉が纏わりついているらしく、それどころではないらしい。


「グッドですわー!」


 嬉々とした様子で、やたらと輝きを放つアーデルハイト。八岐大蛇も漸くそれに気づき、その頭部のうちのひとつから『炎の息吹ブレス』を放つ。炎の息吹ブレスといえば竜種ドラゴンお決まりの攻撃方法であるが、しかしこれは想定済み。無垢の庭園イノセンスの障壁は、物理・被物理に関係なくその一切を通さない。


「高貴展開!」


 アーデルハイトが無垢の庭園イノセンスを地面に突き刺せば、その地点を境界として、大きな大きな光の壁が出現する。以前の様な多数の障壁ではなく、たった一枚の強固な壁であった。迫りくる炎の波が光の障壁とぶつかり、しかし貫くことは叶わずに堰き止められる。


 一方のクリスはといえば、アーデルハイトに名前を呼ばれた時から既に、魔法の詠唱を始めていた。


「────糸を紡いで七年ななとせ過ごす。黄金の亜麻、ヴェールは蜘蛛糸。七年はとうに過ぎ去り、恋心と恐れ、絶望が堰を切る。しかして穢れなきふたつの幸福を、この雷鳴の行方に賭けて」


 魔法とは基本的に、威力と範囲が反比例する。威力を重視すれば範囲が狭まり、範囲を重視すれば威力が落ちる。だが今回、あの巨体全てを焼き尽くす必要はない。今必要とされているのは、八つの首を正確に撃ち貫くこと。故にクリスが選択したのは、速度と命中率、そして威力に比重を置いた魔法であった。


「お嬢様、行きます!」


「ゴーですわー!」


 肉は未だに八岐大蛇と揉めていたが、どのみちアレには魔法など通用しない。諸共攻撃して問題ないあたり、前衛としては最高の生き物である。


遥雷・八重ロア・デトネール


 それは狙った獲物を追い続ける、追尾性を付加した雷魔法だった。本来であれば一発しか出ないハズのそれを、クリスが無理矢理に調整した、謂わばオリジナルの魔法。当然ながら、一撃あたりの威力は下がる。しかし元の威力が凄まじいが故に、八つに分けても十分過ぎる威力を誇っていた。


 まるで本物の雷が至近を奔ったかのような、凄まじい轟音が響き渡る。マイクと視聴者達の鼓膜にダメージを与えつつ、『遥雷・八重ロア・デトネール』が八岐大蛇へと殺到する。外からの攻撃を許さず、中からの攻撃のみを通す。無垢の庭園イノセンスの性能が、如何なく発揮されていた。


 八岐大蛇もまた、回避しようと八つの首を仰け反らせるが────しかし、雷撃はすぐさま軌道を変える。一度放たれた以上、この魔法から逃れることなど出来はしない。あるのは耐えるか耐えられないか、ただそれだけだ。


 もうもうと立ち込める黒煙の中、衝撃で吹き飛ばされた肉が、ころころとアーデルハイトの足元へ転がってくる。本人はけろりとした表情を見せているが、しかし雷が直撃した所為か、全身の毛がもさもさと逆立っていた。


「やりましたわ!?」


 アーデルハイトがぐっとガッツポーズをして見せ、その勢いでを口にする。


「お嬢様……」


「な、なんですの!? 何か悪いことでも言いまして!?」


 そうして黒煙が晴れた時。

 八つある首のうち、ただひとつだけを消失させた八岐大蛇が、変わらずその場に佇んでいた。まるでアーデルハイトの一言がフラグであったことを証明するかのように。

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【カクヨムコン9受賞】剣聖悪役令嬢、異世界から追放される~勇者や聖女より皆様のほうが、わたくしの強さをわかっていますわね!~ しけもく @shikeshike

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