第93話 ど、読経?

 探索者協会伊豆支部の職員通用口の扉が開き、一人の女性が顔を見せた。


「みんなお疲れさまー。遅くなってごめんね、今日もよろしくー」


 間延びした声を職員達にかけつつ、そのままロッカールームへと消えてゆく。数分後に姿を見せた時、彼女は協会の制服に身を包んでいた。女性としては平均的な身長に、豊かといって差し支えのない胸部装甲。それなりにいい歳ではあるが、パッと見では分からないほどの童顔。くりくりとした丸い瞳が可愛らしい印象を与え、ちらちらと見え隠れする八重歯がチャームポイント。恐らくは急いで出勤してきたのだろう。髪の毛がところどころで跳ねているのはご愛嬌、といったところだろうか。


 他の職員達に遅れるようにして出勤してきたのは、伊豆の支部長である国広燈くにひろあかりであった。彼女は寝坊した訳でもなく、重役出勤というわけでもない。単純に、朝から隣の支部で打ち合わせがあった故の遅刻であった。そもそも支部長クラスともなれば、勤務時間などはあってないようなものだ。必要とあればたとえ休みの日でも出勤するし、支部長しか対応出来ないような問題が発生すれば、既に帰宅していてもとんぼ返りだ。


 忙しい分の給料は相応に貰っているが、忙しすぎてお金の使い道がないのが、近頃の彼女にとっての悩みであった。まだまだ若いと言ってもいい彼女は、ただただ溜まってゆく一方の貯金を眺め、本当にこれでいいのか等と思い始めていた。


 とはいえ、あかりはこの仕事を好きでやっている。元々は探索者になりたかった彼女だが、絶望的なまでに探索者のセンスがなかった。戦闘はもちろんのこと、緊張してサポートも満足にこなせない始末だ。無論、戦闘のサポートが簡単というわけではないが、それでも魔物と切った張ったをするよりは、心情的に幾分マシではある。だがダンジョンという危険極まりない空間は、元来臆病な彼女には少々過酷だった。緊張と焦りで、冷静な判断が出来なかったのだ。


 そうして探索者を早々に諦めたあかりは、協会職員への道を選んだ。探索者としては上手く出来なかったが、それでもダンジョンに携わる仕事がしたかった。それに、昔から世話になっていた学生時代の先輩も、その頃には探索者を引退し協会職員の道へ進んでいた。良く見知った先輩と同じ仕事であれば、困った時に泣きつくことが出来るから、などという考えもあった。


 若干曖昧な動機で始めた協会の仕事であったが、しかし結果から言えば、協会職員は彼女に向いていた。そもそも知識量だけならば、彼女はそこらの探索者よりもずっと豊富だったのだ。ダンジョンの圧に負け、緊張と焦りで適切な判断が出来なかった探索者時代とは異なり、協会内でのサポート業務では彼女の知識が大いに役立った。

 そんな活躍が認められたのか、あれよあれよというまに昇進を果たし、気がつけばこうして、支部長などというポジションに収まっていた。


 酷く忙しいところだけは不満だったが、しかし辞めるつもりはなかった。仕事自体にはやりがいを感じているし、楽しいとすら思っていた。だからこそ、今もこうして激務をこなしているのだ。

 先日など、あの殆ど完璧超人とも言える先輩二人が、自分と同じ様に苦労しているという話を聞いた。他人の不幸は蜜の味、などというわけではないが、憧れの二人に親近感を覚えたりもした。そうしてあかりは、自分ももっと頑張らなければと気持ちを新たにしたのだ。


 故に、ロッカールームから出てきた彼女の足取りは軽かった。朝から他支部へ出張していた疲れなどまるで見せずに、先んじて仕事に取り掛かっていた部下たちへと労いの言葉をかけてゆく。


 そこであかりは、何やら物陰から食堂の様子を窺っている四条饗しじょうきょうの姿を見つけた。基本的には受付業務を担当している饗は、燈にとって頼りになる部下の一人である。そんな頼りになる部下がコソコソと、一体何をしているのだろうか?仕事に真面目な彼のことだ、まさかサボっているというわけでもないだろう。そう考え、燈は饗へと声をかけることにした。


「なにしてんのー?」


「うぉぁ!!……あぁ、支部長でしたか。お疲れ様です」


「お疲れお疲れー。んで、何見てたの?」


「……アレですね」


「んー……?」


 饗が小さく指差す先へと視線を向ければ、食堂の一角には数人の探索者の姿があった。その中にはなんとなく見覚えのある顔もあったが、しかしそれよりも、あかりには気になる部分があった。それは彼らの座るテーブルの上に並べられた、七色に妖しく光る木魚と、無駄に高級そうなおりんである。


「……ど、読経?」


「……いえ、そういうわけでは」


「っていうか、あれ東海林さんじゃないの?隣に居るのは……え、『漆黒』の白鞘さん?嘘、なんで彼女がココに!?」


 そこで漸く、見覚えのあった顔の正体にあかりが気づく。東海林左しょうじたすくは、あかりが伊豆に配属される前からここで活動しており、協会とも懇意にしている。彼は、ここ伊豆では知らぬ者の居ないベテラン探索者だ。

 そしてその隣に居るのは、探索者でありトップ配信者チームでもある『漆黒』のメンバー、白鞘しらさや月姫かぐやあかりの記憶が確かならば、彼女が伊豆ダンジョンを訪れたことなど、今までなかった筈である。


 不人気ダンジョンとして名高い伊豆には、有名な探索者が来ることなど無いといってもいい。確かに、ここ最近は伊豆を訪れる探索者も増えてきてはいる。だが、彼女ほどの大物がやってくるなどとは、あかりはまるで予想だにしていなかった。


「もしかして『漆黒』が来てるの?ってことは、ウチもいよいよ本格的に人気ダンジョンに!?あぁー!!でも人手不足だから素直に喜べないー!!」


「いえ、『漆黒』は来ていません。あの二人は手伝いで来ているみたいです」


「……え?手伝い?何の?」


「配信補助だそうです。真ん中で木魚を叩いている、彼女のサポートだそうですよ」


 饗の話によれば、どうやら東海林と月姫かぐやはダンジョン探索の為に来ている訳ではないらしい。ならば一体何をしに、と問うてみれば。食堂に居座っている三人の中で、唯一見覚えのなかった女性の手伝いだというではないか。

 月姫かぐやは当然のことながら、東海林もまた、一部ではそれなりに名の知られた探索者だ。そんな二人を、探索ではなく配信のチェックに使うなど。

 あかりの脳裏には、酷く嫌な予感が浮かんでいた。


「……やっぱり見覚えはない……ないと思うんだけど……彼女、有名なの?」


「そうですね、近頃は何かと話題です。彼女自身は、配信に顔を出したのは今回が初めてですが」


「……どういうこと?」


 不人気ダンジョンとはいえ、これでもあかりは支部長だ。ダンジョン界隈の情報は常に仕入れているつもりだし、配信だって有名所はチェックしている。だが、どうにもあかりの記憶の中には、あそこで木魚を叩いている女性の顔が見当たらなかった。


 脳内では警鐘がけたたましく鳴り響いていた。これ以上は聞いてはいけないような気がする。聞かないほうが、いい気がする。それでもあかりは支部長として、聞かないわけにはいかなかった。


「彼女は異世界方面軍の一人です」


「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァー!!」


 あかりは汚い奇声を上げながらその場に倒れ、震える手で内ポケットへと手を伸ばす。そうしてのろのろとした手付きで画面を操作し、チャットアプリを開いた。そこに表示されていたグループ名は『異世界被害者友の会』。彼女は最後の力を振り絞り、ただ一言『オワタ』とだけ送信し、そうして夢の世界へと旅立っていった。

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