第92話 ベヒモス(変わり果てた姿

 場所は変わって伊豆ダンジョン第一階層。

 見渡す限りに広がる砂浜と、太陽などあるはずもないのに、どこからか照りつける謎の光。以前に訪れた時と何も変わらぬ、そんな伊豆ダンジョンの光景に、視聴者達はどこか懐かしさすら感じていた。


「さて、それでは張り切って参りますわよー」


 アーデルハイトはいつものジャージ姿ではなく、既にアンキレーを装備していた。つい先程食堂にて行った事前説明の通り、今回のダンジョン攻略は自重無しである。魔法の存在も公にし、隠すことなどもはや何も無い。故に、場合によってはクリスも戦闘に参加する。今日一日で伊豆ダンジョンをクリアするという宣言までしたのだ。大口を叩いておいて『出来ませんでした』ではあまりにも格好がつかない。


 みぎわの『魔力振伝播ソナー』によって判明した伊豆ダンジョンの最深部は45階層。今までの最高記録である20階層と比べれば、実に倍程も潜らなければならないことになる。その上、ダンジョンの難易度を度外視したとしても、現在こちらの世界では35階層までしか確認されていないのだ。つまり、これから異世界方面軍が行うのは、世界初のダンジョンクリアと到達階層世界新記録の同時達成である。魔法の件も含め、視聴者達のボルテージが上がり続けているのも当然だ。


 とはいえ、正直に言えばアーデルハイトはヌルいとすら考えていた。

 あちらの世界には、50階層を超えるダンジョンなどザラにあったからだ。アーデルハイトが単身で攻略してみせたダンジョンですら、最終階層は85階層であった。トラップの数も多い上、低階層の時点で既に強力な魔物が姿を見せる。本職の冒険者ではなかったという理由もあるが、如何にアーデルハイトといえど攻略には数日を要した。それを考えれば、蟹まみれの伊豆ダンジョンなど物の数ではない。


 なお、現在のコメント欄には英語のコメントもちらほらと見られた。どこから噂を聞きつけてきたのか、海外の探索者や視聴者達も視聴しに来ているらしい。確かに、死神討伐や巨獣との戦いではそれほど大きな話題にはならなかったが、やはり見ている者は見ている、ということだろう。魅せる者アトラクティヴが異世界方面軍を知っていたように。


 これまでに『ダンジョンをクリアする』と言い放った者など、それこそ世界中に居た。その全てがただの意気込み、或いは口だけの大言壮語であり、実際にそれが達成されることはなかった。だが、アーデルハイトがこれまでに見せてきた珍道中を考えれば、『彼女ならば』という期待を抱かずには居られない。彼らは期待しているのだ。もう何十年も停滞し続けているダンジョン攻略に、新たな変化が起こる事を。


『開幕から正式装備の団長は新鮮だな』

『前回はテンション上げて砂浜走り回ってたよね』

『ゲーミング木魚による上級者向けオープニング懐かしい』

『ミギーの魔法で蟹探そうぜ』

『あれって魔物の位置も分かるんか?』

『魔力消費?みたいなのは大丈夫なんやろか』

『そもそもあのマップが正しいかどうかもまだ分からん』


「魔物の位置も分かるようですわ。ただ、仰るように魔力消費が問題ですの。『ぽくぽく』はともかく、『ちーん』は常時展開が出来ませんわ。ミギーの魔力が増えれば、いずれは可能になるかもしれませんけど……なので、今回は主に索敵と、要所での道案内に使用することになりますわね」


『はしたないからちーんとか言うのやめなさい!』

『ちーんたすかる』

『そもそもぽくぽくとちーんの違いがわかんねーからw』

『ぽくぽくがソナーで、ちーんがマッピングか?』

『まぁ不意遭遇してもアデ公とクリスなら問題ないやろうしな』

『ダンジョン探索にオペレーターいるの地味にヤバない?』

『派手にヤバい定期』

『マジでチートだと思うんですが』

『チート令嬢とチートメイドにチートオペレーターが付いたらしい』

『バグです』


 こうしてアーデルハイトが視聴者達の質問に答えている間、クリスはその場にしゃがみこんで、何やら別の作業を行っていた。ちなみに、ダンジョンに入ったばかりで戦闘中でもないため、現在は自動追尾カメラによる撮影である。


「お嬢様、準備出来ました」


 そう言って作業を終えたクリスが立ち上がる。彼女の傍らには、ふすふすと鼻息を荒くしている肉が居た。ここ最近は犬猫のような扱いを受けていた肉だが、元々は陸の王とも呼ばれた強力な魔物である。久しぶりの戦いということもあってか、どうやらやる気も十分。そんな肉は現在、胴体を一周するようにぐるりと紐を巻かれ、小さなカメラが取り付けられていた。


「皆さん!今回はお肉ちゃんのデビュー戦でもありますわ!というわけで、お肉ちゃん視点も楽しめるようにカメラを装着しましたわ。ジョッキーカメラですわ!こちらの映像は後日単発動画として投稿しますので、是非御覧くださいまし!」


『草』

『かわいいw』

『ジョッキーカメラは草なんよ』

『失われた野生が戻ってきた』

『いや確かに興味はあるけどもw』

『お肉ちゃんも戦うんですか!?』

『まぁもともと魔物だしな』

『ベヒモス(変わり果てた姿』


 肉の準備も終えたことで、いよいよダンジョンを進み始める一行。張り切る肉を先頭に、砂浜で構成されたフロアを順調に進んでゆく。前回伊豆を訪れた時と同様、魔物の姿は殆ど見られなかった。否、殆どではなく皆無であった。それはつまり、何も起こらないということだ。本日中に最深部まで到達しなければならない以上、順調なのは良いことだ。だが、撮れ高に取り憑かれているアーデルハイトは大層不満な様子である。どうやらそれは肉も同じらしく、魔物を探して右へ左へ、自由に走り回っている。


 一行は預かり知らぬことだが、これには理由があった。先頭を走り回っている肉の所為だ。


 巨獣ベヒモス。彼は人だろうと魔物だろうと、果ては村や街であろうとも。その全てを破壊し尽くし、世界中から恐れられた存在だ。小さく情けない、そんな変わり果てた姿となった今も、彼の放つ存在感はどうやら健在らしかった。要するに、肉の存在を恐れて魔物が出てこないのだ。

 アーデルハイトやクリスも当然強者ではあるが、彼女たちは気配や殺意を無駄に垂れ流して歩くような真似はしない。だが肉は違う。他者のことなど気にも留めずに生きてきた元巨獣は、わざわざ気配を抑えるような事をしないのだ。


 ともあれ、何事もなく順調に、配信としては半分事故気味に進んでゆくダンジョン攻略。そうして五階層まで進み、視聴者達もそろそろ何か変化が欲しいと、そう思い始めた時だった。


【あー、あー。こちら地上班ッス】


 アーデルハイトの耳元に、みぎわの声が届いた。


「あら、ミギーですの?道順はまだ大丈夫ですわよ?一体どうしまして?」


【お嬢から見て右前方、大きな岩があると思うんスけど】


「んー……えぇ、確かにありますわね」


【そこの裏側に、魔物の反応ッス】


「……!!ナイスですわミギー!」


 クリア目的とはいえ、道中がこれでは流石にマズいと思ったのか。それは敵の所在を知らせるみぎわからの通信であった。当然ながらアーデルハイトも気配には敏感ではあるが、彼女は戦闘が本職であって斥候系の探索者ではない。そしてここ伊豆ダンジョンの低階層に出現する魔物はカルキノスの幼体、つまりは蟹のみである。

 オークやオーガのような人型ならいざ知らず、蟹のように気配が希薄な魔物が、ただじっと身を潜めているのを発見するのは流石に難しい。そんなアーデルハイトにとって、みぎわの連絡は非常にありがたいものだった。みぎわのサポート能力、その高さがさっそく活きたというわけだ。


『お?なんやなんや?』

『撮れ高の香りがする!!』

『ミギーオペレートか?』

『魔物見つけたっぽいな』

『いうてもどうせ蟹やぞ』

『地上から索敵して連絡出来るのバグってんよ』

『前回みたいに捕まえて爆破しようぜ!!』

『思えばアレも魔法だったんかな……』

『今更蟹ごときで俺たちが釣られクマー!!』


「お肉ちゃん!!例のアレ、行きますわよ!!」


 アーデルハイトの声を聞き、肉が前方から大急ぎで戻ってくる。短くなった手足のせいかその速度はイマイチであり、以前のようなキレはまるで感じられない。いつぞや月姫かぐやに放った突進のように、短距離であればかなりの速度が出せるのだが。ともあれ、そうしてアーデルハイトの元へと戻ってきた肉が、アーデルハイトの右手にぴょこりと飛び乗る。


「ゴー!!」


 肉をしっかりと右手に保持したアーデルハイトは、まるでボウリングでもするかのように、無駄に華麗なフォームで肉を放り投げた。ゆっくりとした優雅な投球動作とは裏腹に、空中へと解き放たれた肉の速度は尋常ではなかった。いつぞや東海林をぶん投げた時とはレベルが違う。アーデルハイトの化け物じみた身体能力によって投擲された肉は弾丸と化し、空気を切り裂いて大岩へと直撃する。


 それはもはや小さな爆発であった。配信音声が音割れするほどの大きな破砕音。それと共に、前方に鎮座していた大岩が粉々に粉砕される。白砂が舞い上がり、煙となって周囲に立ち込める。爆散した石片に混じり、隠れていた蟹の残骸が辺りへと飛び散っていた。直撃したわけでもないというのに、岩を破壊した衝撃の余波だけでこれだ。遠距離攻撃手段としては申し分ない、否、少々過剰な程の威力であった。


 辺り一面にもうもうと広がる砂煙を、クリスが風魔法にて吹き飛ばす。そこには、一心不乱に蟹の残骸を貪る肉の姿があった。流石は元巨獣というべきか、あれほどの速度で岩に衝突したというのに、ダメージを負った様子など微塵も感じられない。


『えぇ……』

『草 いや草』

『威力ヤバすぎぃ!!』

『前に蟹投げてた時より威力上がってんな??』

『お肉ちゃんピンピンしてて草』

『お肉ちゃんがめっちゃ蟹食ってるww』

『東海林のおっさんも一歩間違えたらこんなことになってたのか』

『アデ公は投擲武器を手に入れた!!』

『例のアレ(連携攻撃』

『腹痛いw』

『一瞬で撮れ高が生まれた』

『これが撮れ高モンスターよ』


 アーデルハイトが行ったこと自体は、以前の伊豆探索でも行った蟹ミサイルと変わらない。前回と異なるのは、砲弾そのものが蟹よりも遥かに強力だというところだろうか。どうやら以前の蟹ミサイルはあれでも手加減して投げていたらしい。より強固な砲弾を手に入れたことによって、蟹ミサイルは肉ミサイルへと進化を遂げていた。


「威力は十分ですわね。実用に足ると言えそうですわ」


「唯一の問題は、これを行う度に肉が肥えるということでしょうか」


 そう呑気に感想を述べるアーデルハイトとクリスを他所に、肉はその胃袋へと、蟹の殻まで全てを収めていた。

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