第301話 いいから前を見て下さい

 アーデルハイトとオルガンがリズムゲーをしていた頃。

 クリスがカメラを向ける先で、くるる茉日まひるの二人が砂浜を逃げ回っていた。なお、現在はカメラが二台同時に稼働している関係上、クリスの撮影しているこちら側がメインとして配信されている。アーデルハイト側の映像はみぎわの操作により、隅の方でワイプ表示となっていた。


「ちょいちょーい! なんかこっち来てるんだけどー!?」


「な、擦り付けられた!!」


 最初に姿を見せた巨大なサメ。当初はアーデルハイトを追いかけていたそれは、いつの間にかくるる達へと狙いを変えていた。『弱い者から確実に減らす』などという考えがあるのかどうかは分からないが、アーデルハイトの方へはまるで見向きもしない。


:仕方ない。修行の成果を見せてやろうじゃないか

:あぁ……ここは二人に任せよう

:大丈夫、信じてるから

:勝手なこと言ってて草

:この二人、こういう敵との相性はどうなんだろうか

:地中に潜るタイプの魔物はそこそこいるし?

:クリスもおるし、多少はね?

:ワイプの方で変なゲーム始まってて草

:隙を見せたらすぐ情報過多だもん


 砂塵を巻き上げながら、砂浜を凄まじい速度で泳ぐ──泳ぐという表現が正しいのかは不明だが──鮫型魔物。視聴者達の言う通り、こうした地形に潜航するタイプの魔物は、これまでにもそれなりの数が発見されている。


 例えば水中。

 アーデルハイトは知らないことだが、実は伊豆ダンジョンにもサメ型の魔物は存在する。それこそ、アーデルハイト達が舐め腐っている例の低層砂浜エリアでさえ、海辺の方へ足を伸ばせば、魚類系の魔物が肉眼で確認出来たりする。

 他にも、地中を移動するワーム型の魔物が存在する。京都では有名な『女王蟻ミストレス』、そしてその配下である兵隊蟻達も、広義的にはこれに分類される。それほど頻繁に遭遇するわけではないが、長く探索者を続けていれば戦ったことくらいはある、といった程度のものだ。


 つまりくるるも、そして茉日まひるも。両者ともに、こうした魔物との戦闘経験はあるということ。当然ながら、砂浜を泳ぐ鮫を見るのは初めてのことではあったが────そこはそれ、対処の基本は特に変わらない。すなわち『出てきたところを殴れ』である。


 一般的な探索者パーティであれば、敵が地中なり水中から出てきたところを前衛が抑え、残りのメンバーでボコボコにするといった戦法が取られる。単純なゴリ押しに近いが効率は良く、故に不測の事態が起こりにくい。強いて問題点を挙げるとすれば、前衛の力量によって作戦の成否がほぼほぼ決まるということだろうか。人間よりもスペック面で優れている魔物を、真っ向から押し留めなければならないのだ。前衛への負担を考えれば、さもありなんといったところか。


 そんな正攻法だが、しかし今は使えない。

 くるる茉日まひるは回避型の遊撃要員であり、真正面から魔物と戦うタイプではない。或いはくるるなら、高レベル探索者としてのスペックだけで、多少は耐えられるかも知れないが────今回の相手は、そこらの一般通過魔物とはわけが違う。十中八九、ダンジョンギミック絡みの魔物なのだ。階層主か、或いはそれに準じる強さがあるだろう。


 くるる達が砂浜を逃げながら、そんな風に考えていた時だった。お目付け役のクリスから、なかなかに鬼畜な指示が飛び出した。


「というわけでお二方、実践編です。この数日で学んだことを活かし、アレを倒してみて下さい」


 無茶振りもいいところである。

 専らパーティ単位での戦闘を得意としており、個人としての戦闘力はそれほど高くない二人だ。月姫かぐやや大和の様に、単独として強いわけではない。そんな彼女達二人だけで、あの20メートルはあろうかという鮫を倒せというのだ。これが鬼畜でなくてなんだというのか。


「いやまぁ、なんかそんな気はしてたけど!!」


「実はアーデルハイトさんより、クリスさんの方がスパルタなのでは……?」


:俺は分かってたよ。クリスはSだってね

:そのケは前から見え隠れしてた

:アデ公への態度がたまに従者とは思えない時あるからな

:だがそこがいい

:何がとは言わんが罵倒されながらカウントダウンされたい

:通報した

:そんなことより二人だけでイケるんか……?


「危なくなったら助けますので」


 好き放題言い始めた視聴者たちと、じっとりとした目を見せるクリス。もちろん彼女は『今の二人ならば可能』と判断して課題を出した。この二日間で、クリスは二人に短剣での戦い方をみっちりと仕込んだからだ。それは日々の鍛錬が物を言う技術面ではなく、意識次第ですぐにでも変えられる立ち回りの話だ。


「っしゃー! やってやらー!」


くるるちゃん、ゴー!」


 保険がかかったことに安心したのか、二人は意を決して敵へと向かう。普通に走れば砂に足を取られて仕方がない、お世辞にも戦いやすいとは言えない戦場。ホームが伊豆ダンジョンであれば、砂地にも慣れていることだろう。しかし彼女たちの主戦場は京都ダンジョンであり、こういった足場での戦闘経験は少ない。それでもくるる茉日まひるは、砂地をものともせずに駆け抜けてゆく。


「短剣の心得そのいち!」


「常に側面か後方から!」


 砂地から覗く背びれへと、回り込むよう接近する二人。狙いが分散されることにより、どちらかが背後を取れるようにと。これは普段、彼女たちがパーティ内で行っている動きの復習だ。違うところがあるとすれば、敵の注意を誰が引くのか決まっていない点だろうか。


 普段は前衛が魔物の注意を引き、遊撃である彼女たちが相手を削る。だが今回はくるる茉日まひる、どちらに敵が向かってくるかが分からない。相手の出方を見て動きを変える。クリス曰く『戦況をよく見て、臨機応変に対応しましょう』との事である。


 短剣は刃渡りが短く、リーチに乏しい。かつ、どちらかと言えば対人戦向けの武器だ。巨大な魔物が相手では、どうしても決め手に欠ける。では、何故短剣など使うのか。答えは簡単、取り回しが良く扱いやすいから。そして何より、状況に合わせた柔軟な動きが出来るからだ。それは遊撃要員にとって、最も大事な要素である。


「ふッ────はぁッ!」


 砂上に突き出された大口をくるるが紙一重で回避し、すれ違いざまに斬りつける。傷自体は負わせる事が出来たが、効果的なダメージとは言い難い。しかしこれでいい。敵を一撃で倒すなどという考えは、この数日間で綺麗さっぱり捨て去った。


:おぉ、いい動きや

:キレいいね!

:最初から無理にダメージ与えようとしてないんだな

:次の行動に余力を残した、ギリギリの攻撃ですね

:ほほぅ……悪くないではないか

:誰なんだよテメーらはw

:騎士団員は好プレーを見ると何故か偉そうになる

:アデ公とかクリスの戦いで目が肥えてんのかなw


 僅かとはいえど傷を負った鮫型魔物が、くるるの方へと向かって再度突進する。どうやら狙いを定めたらしく、くるるの『タゲ取り』はひとまず成功したといえるだろう。


「うぉわー! こっち来たァー! 短剣の心得そのに!」


「味方が攻撃しやすい位置へと誘導するべし! 任せて!」


 短剣は威力が低い。致命傷を与えられるだけの技術があれば別だが、そうでないのなら無理はせず、攻撃は火力役に任せてしまえ。これはクリスから聞かされた『対魔物』用の戦い方である。これが単独での『暗殺』であれば話はまた変わってくるのだが。


 砂中から飛び出し、くるるへと躍りかかる敵。それを追う茉日まひる。速度は流石に茉日まひるの方が上だった。敵の注意は完全にくるるへと向いており、あっさりと背後を取ることに成功する。茉日まひるの目の前には、大きくて無防備なサメの背中。


「ッ……短剣の心得そのさん! ダメージを取る時は刺突!」


 刃渡りの短い短剣では、斬りつけても効果が薄い。故にもし致命傷を与えたければ、斬るのではなく刺せ、と教えられていた。その教えに従い、茉日まひるが無防備な背中へと刺突を見舞う。


 結論から言えば、これは間違いだった。

 茉日まひるがサメ型魔物へと攻撃するのはこれが初めてだ。つまり茉日まひるは、状態で、勝負を決めにかかったということ。


 これは『焦り』だ。

 攻撃チャンスの少ない魔物が見せた、大きな隙。少々出来すぎな展開だとは、茉日まひる自身も思っていた。だがそれでも、目の前に転がってきた好機に釣られてしまった。普段から入念な下調べを行ってダンジョンへ潜るが故に、未知の相手との戦闘経験が不足していた。これはある意味、『安全第一』が基本とされる、現代探索者の弱点なのかもしれない。


 茉日まひるの放った刺突は、硬質な金属音に阻まれた。


「なっ!?」


「うそッ!?」


 それは囮役のくるるから見ても、完璧な一撃だった。しかし結果はこのとおり、強固な鱗によって弾かれてしまう。致命傷を確信していたくるるが、その油断からバランスを崩す。無数の牙を剥き出し、勢いよく飛びかかる魔物。これがダンジョンの恐ろしさだ。順調に事が運んでいるかと思えば、たったひとつのミスで全てが終わる。


「ヤバっ……!」


くるるちゃんゴメン! 避け────」


 と、そこで二人の視界に割って入る影があった。長い尻尾を靡かせて、まるで弾丸のように飛来する小さな球体。空中を泳ぐ魔物の横っ腹へと、キマイラ状態の肉が突き刺さっていた。


「常に気を抜くな、と教えた筈ですが」


 先ほど回収した肉を、どうやらクリスが後方から投擲したらしい。

 別段怒るでもなく、落胆するでもない。そんなクリスの平坦な声色が、一周回って逆に怖かった。実際にクリスは怒ってなどいないのだが、やらかしたばかりの茉日まひるには叱責のように聞こえたらしい。


「す、ずびばぜん!」


「戦闘中ですよ。いいから前を見て下さい」


「は、はいぃ!」


 反省は後でしろとでも言わんばかりに、魔物へ向かって『ちょいちょい』と指を差すクリス。成程確かに、視聴者たちの言う通りだった。そのクールな表情と相まってか、クリスのSっぷりが際立っていた。


:やっぱドSじゃね?

:おみ足で顔を踏まれたい

:いや、ちゃんと助けてくれたし優しい

:助ける(肉ナゲー

:俺も決まったと思ったんだけどなー

:未知の相手と戦う際は慎重に(byクリス

:ゆめ油断なされぬよう(byクリス

:それ、ワイプでリズムゲーやってる人達に言ってもらっていいですか?

:あっちは舐めプしてお釣りが来る人達だから……


 そんな視聴者たちのコメントを知ってか知らずか、くるるたちの実戦指導はその後も暫く続いた。そうして数十分の戦闘の後、二人はどうにか鮫型魔物の討伐に成功する。危ない場面もいくつかはあったが、しかし総合的にはそれほど悪くない内容だった。そうしてくるる茉日まひるが息を切らし、疲労から砂浜に座り込んだ頃。遠くの海岸沿いには、何十匹ものサメの死体が並べられていたという。

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