第156話 それを壊すなんてとんでもない

「ふぅー……笑いましたわー……」


「覚えてろ」


 ジャージの上からお腹を擦り、目には涙を浮かべているアーデルハイト。自らが受けた辱めをオルガンへと継承し、すっかりご満悦の様子である。散々笑い倒した彼女であったが、しかし今尚思い出し笑いに苛まれているようで、度々咽るように鼻から息を吹き出していた。


「……んふッ……皆様、あとで切り抜きをお願い致しますわ」


『合点承知』

『任務了解』

『流れるような鬼畜の所業』

『お労しや、オルガンたそ』

『暫くこのネタ擦り倒すつもりで草』

『めっちゃ可愛くて見てる側からすれば最高に良かった』

『てかこれさ、アデ公も墓穴掘ったんじゃないの?』

『どうやら笑いすぎてその危険性に気づいていないらしい』

『擦っていいのは擦られる覚悟のある奴だけだ』


 こうして配信の後、団員達の手によって切り抜かれた2つの動画がアップロードされる。それを見たアーデルハイトは顔を真っ赤にしながら悶絶する羽目になるのだが、それはまた別の話である。


 それはさておき。

 撮影を行っているクリスに代わって、アーデルハイトとオルガンがそこら中に散らばる魔石を回収してゆく。鉄鼠の魔石は粗雑で質の悪いものだが、それでも、こちらの世界に於いては貴重な魔力源となりうる。故に、出来る限りは回収しておくべきだった。


「ところでこの彫像、どうしますの?」


「会心の出来」


 魔石の回収後、アーデルハイトは眼の前に聳える巨大な彫像を見上げていた。怪しげなポーズで佇むオルガン像は無駄に精巧に作られており、本体の小動物めいた外見も相まってか、ダンジョンという危険な場所にあって酷く場違いなものだった。ともすればここが危険地帯であるということを忘れてしまいそうな、景観も雰囲気もぶち壊しの巨大建造物。こんなものをダンジョン内に放置してもよいものか、アーデルハイトには判断が出来なかった。


「一応、ダンジョン探索中に彫像を作ってはならないという決まりはありませんが……」


 当たり前といえば当たり前だが、そんなことは探索者協会の規約にも載ってはいない。だがそれは許可されているという訳ではない。禁止されていないからといって、許されている事とイコールではないのだ。


「まぁ、撤去しておくのが無難かとは思います」


 怒られるかもしれないし、怒られないかもしれない。

 となれば、そんな怪しい物は残さないに限る。クリスの進言にアーデルハイトもまた頷き、そうして木刀を抜いたその時だった。


『あいや待たれぃ!!』

『それを壊すなんてとんでもない!』

『禁止されてないんだからいいんじゃない?』

『ぜひそのままにしてほしい』

『ここを我々の聖地とする』

『エクスカリパイプまでは巡礼出来ないから残して欲しい』

『異世界方面軍の聖地、巡礼難度高すぎるんよ』

『ここまだ四階層でしょ?俺でも行けそうだから残して下さい』


 コメント欄には『そのまま残して欲しい』というコメントが大量に投下されていた。現在、異世界方面軍のファン達から聖地と呼ばれている場所は2つある。


 一つは京都ダンジョンの25階層入口だ。

 言わずもがな、アーデルハイトが死神リーパーを討伐した場所である。そこに伝説の聖剣宜しく突き立っているのが、かの有名なエクスカリパイプである。そのみすぼらしい外見とは裏腹に、何人ものベテラン探索者達が挑み、そして抜くことが叶わなかったそれは、今ではすっかり観光地扱いとなっていた。


 だがそもそも、そこまでたどり着ける探索者は一握りしかいない。ベテラン達ですらやっとの思いでたどり着けるような深い階層に位置するのだから、駆け出しや中級程度の探索者では目にすることすら難しい。つまりこの場所は、異世界方面軍の聖地とされていながらも巡礼することがほぼほぼ不可能なのだ。


 2つ目の聖地はもっとひどい。

 何しろ伊豆ダンジョンの最深部だ。そんな最深部の台座に刻まれたアーデルハイトの名前───この時点では更に2人分が追加されているのだが、視聴者達は知る由もなかった───は、殆ど不可侵のような状態になっている。

 如何に階層主が出現しなくなったと謂えど、そうでない通常の魔物は今まで通りに出現する。最下層付近ともなればその強さもかなりのもので、むしろ数が多いだけに、下手な階層主よりも厄介な魔物もいる程だ。そういった理由から、やはり初心者や中級探索者程度では手が出せない。そればかりか、ベテラン達ですら未だ誰も辿り着けずにいた。


 その2つ以外にも、渋谷ダンジョンにてアーデルハイトと巨獣ベヒモスが戦った場所もまた聖地と言えなくもない。だがそこには何も残っておらず、やはりそこそこ深めの階層だ。中級探索者であれば辿り着けるだろうが、しかしアーデルハイトの足跡を感じたいファンからすれば、どうにも少し物足りないのだ。


 そんな状態だからこそ、この神戸ダンジョンの四階に建造されたオルガン像は、ファン達にとって希望の地となりうるのだ。巡礼したくとも出来なかった京都や伊豆と異なり、神戸の四階層ならば十分に初心者でも到達できる範疇だ。故に視聴者達は、半ば必死の思いで撤去を拒んでいるのだ。


「……だそうですわよ?」


「うーん……確かに禁止はされていませんが……いいのでしょうか……?」


「よいよい。置いていく」


 クリスは微妙な表情をしていたが、しかしファン達の熱心な懇願とあっては無下にも出来ず、結局オルガン像はそのまま置いてゆくことになった。


『ありがてぇ』

『早速週末に見に行く!!』

『俺も行く!』

『巡礼オフ開催じゃ!』

『ついに俺達も巡礼出来るのか……長かったな』

『他の配信者の聖地も結構あるけど、どこもそれなりに近いもんなぁ』

『異世界方面軍の聖地だけ難易度がおかしいんよ』

『スレとかで巡礼の話題が出る度、俺達シワシワだったもんな……』


 嘆願が無事に受け入れられたことで、視聴者達も胸を撫で下ろす。もしかすると協会から怒られるかもしれないが、その時はその時だ。そして仮にそうなった場合、彼らはきっと徒党を組んで反対するのだろう。それほどまでに、巡礼可能な異世界方面軍の聖地が待ち望まれていたということだ。


 そうして新たな観光スポットを生み出した一行は、その後も順調にダンジョンを進んでいった。所詮はまだまだ低階層であり、出現する魔物も取るに足りない───異世界方面軍にとっては───相手ばかり。普段であればアーデルハイトが撮れ高に取り憑かれる頃であったが、しかしそこは意外にもオルガンが活躍を見せた。


 彼女はこちらの世界の人間が憧れてやまない、正真正銘のエルフである。彼女がそこらを適当にうろつくだけでも、視聴者達にはとっては新鮮な光景なのだ。おまけにマイペースな彼女は、本人の意志に関わらずそこそこの頻度で小さな撮れ高を作り出す。


 石に躓いて転がってみたり、唐突に壁をよじ登ってみたり、かと思えばそのままずり落ちてみたり。果ては壁の穴に嵌って動けなくなってみたりと、ただ見ているだけでも視聴者達を飽きさせない。そこにアーデルハイトのちょっかいやクリスのツッコミが入ることで、単調な探索になると思われた低階層でも十分な撮れ高が出来ていた。特に壁尻状態となったオルガンは大変な人気を博し、まだこちらの世界に来て日が浅いというのに、着実に固定ファンを増やしていた。


 そんな緊張感のないお散歩を続けること暫し。

 あちこち寄り道をしたせいですっかり遅くなってしまったが、一行は漸く五階層へと足を踏み入れる。ある意味、今回の強行偵察はここからが本番といえるだろう。ここまではオーソドックスな洞窟スタイルであった神戸ダンジョンだが、この階層を境にガラリとその表情を変える。伊豆ダンジョンもそうであったように、ここ神戸ダンジョンもまた、階層ごとにその構成が変化するタイプのダンジョンなのだから。


「さて皆様、ここが今回の目的ですわ!」


「ほほぅ」


「成程……話には聞いていましたが、実際に目にすると……なんというか、壮観ですね」


 初めて足を踏み入れる神戸ダンジョンの五階層。思い思いの感想を口にする三人の眼前には、実際の大自然そのものとでもいうべき、大きな大きな草原が広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る