第248話 断章・白 参

 コツ、コツ、と机を叩く音。

 細く美しい指先は一定のリズムを刻み、その苛立ちを表していた。


「なかなか思うようにいきませんねぇ……」


 脚を組み替えれば、その聖衣の隙間からは艶かしい肌が見える。聖女と呼ぶには些か刺激の強い格好であったが、しかしよく似合っている。そう思えてしまうほど、今の彼女には怪しい雰囲気が纏わりついていた。


「あの犬畜生、生意気に私の邪魔を……それにあの女も」


 憎き獣人の王。目障りな魔女。

 バレていないとでも思っているのか、それともバレていると分かった上で妨害しているのか。最も邪魔な剣聖を早々に排除したというのに、何一つ思い通りにならない。何よりもあの勇者が役に立たなかった。それどころか足を引っ張る始末である。今こうして聖女が身動きを封じられているのは、半分があの勇者の所為なのだから。


「おまけに、あちらへ送った3人分の力すら得られない」


 そう、一番の誤算はそこだった。

 何しろ六聖が三人分。本来であれば今頃は、犬と魔女如きどうとでもなっていた筈なのだ。それこそ力ずくで排除することも出来た筈なのに。だが現実はどうだ、ただの一人分すら得られていない。


「死んでいないのはもう間違いないでしょう。どうやらあちらの世界とやらは、聞いていた以上に安全なようです。過酷な世界というのは一体なんだったのやら」


 或いは過酷の意味合いが異なるのか。所詮は聞いただけの話であるが故に、聖女にはその判断がつかない。しかし、それならそれでいいと思っていた。思惑とは少々異なるが、結果として障害足り得る者達を三人も排除出来たのは確かだ。極論自分が力を得ずとも、周りから比肩する者が居なくなれば同じこと。


「かと思えば、先日はほんの少しだけ力が流れてくるのを感じた。これは一体どういうことなんですかねぇ……?」


 事此処に至り、最早聖女でさえも状況が分からなくなっていた。送った三人が死んでいないであろうことは確実だ。故に聖女は不審に思いつつも、すっぱりと計画を修正した。だが今になって剣聖アーデルハイト拳聖ウーヴェの分が少しだけ、ほんの少しだけ送られてきたのだ。こうなるともう意味が分からない。剣聖をあちらの世界に送った時から分からないことだらけではあったが、今はそれ以上だ。聞いていた話と食い違う事態ばかりが起きている。そしてそんな誤算は日を追うごとに、次から次へと増えている。それを証明するかのように、部屋の外からノックの音が転がり込んできた。


「ルミナリア様」


 ほら、まただ。

 そう言いたげなうんざりとした表情で、聖女が扉の向こうへと声を投げる。


「……どうしました?」


「結界の件でございます。調べたところ、二箇所に綻びが見られました」


 この声は───誰だったか。なんとかいう枢機卿の声だっただろうか。名前は覚えていないが、とにかく毎度嬉しくない報せを持ってくる男。聖女にとってはその程度の認識であった。


「場所は皇国と───」


「一度綻びが生じれば、こちら側からの干渉は不可能。場所なんてどうでもいいんですよ。わかりました、もう結構です」


「……はっ」


 男の声を遮って聖女が告げる。表面上は平静を装っていたが、しかしその声色は明らかに不機嫌で。それを察してか、或いは言葉をそのまま受け取ったのか、男はそれ以上何も言うことなく去ってゆく。


「はぁ……」


 珍しい、本当に珍しいことだが───聖女は溜め息を吐き出しながら机の上へと突っ伏した。こうも予定が狂えば、如何に彼女と謂えども頭を抱えたくなるというもの。


「どうしたものでしょうねぇ……次の神託はまだ随分先だというのに」


 首だけを動かし、突っ伏したままで窓の外を眺める。


「あぁ、女神様。どうか私に詳しい説明を───」


 そんな彼女の問いかけには、当然の様に誰も答えてはくれなかった。




       * * * 




「あ゛ぁ゛ーーーーっ! なんて事をしてくれましたのー!?」


 大声を上げながら、アーデルハイトがリビングで肉を追い回していた。嬉しそうに駆け回る肉の尻には毒島さんがくっついており、肉が走る度にびたんびたんと床で弾んでいる。


「お嬢様、一体何事ですか。ご近所の迷惑になりますから、静かにして下さい」


「クリス! お肉が───お肉がアレを壊してしまいましたわ!」


「アレとは一体……あっ」


 何事かと様子を見に来たクリスも、肉を一瞥した後それに気づく。ちょこまかと逃げ回る肉の口には『封印石』の欠片が咥えられていた。一体いつの間に侵入したのやら、オルガンの部屋に保管されていた筈の『封印石』は粉々になり、見るも無惨な姿へと変わっていた。


「これは……困りましたね」


「あちらの世界の手がかりがー!」


 お仕置きだといわんばかりに肉を追い回すアーデルハイトと、元気よく走り回る肉と毒島さん。なんとも微笑ましい光景であった。


「なにごと」


 そんなぎゃあぎゃあと喚くアーデルハイトの声を聞きつけたのか、オルガンが廊下側からのっそりと姿を見せた。どうやら徹夜をしていたらしく、目の下には薄めのクマが出来ている。


「あ、オルガン様……実はですね───」


 そうしてクリスが事態を説明したところ、意外にもオルガンはけろりとした顔を見せる。大事な研究材料を壊されたのだ、如何にものぐさエルフといえど、怒り出してもおかしくはない筈なのに。そんなオルガンの表情を見たクリスは、一体どういうことかと怪訝そうな表情を浮かべる。


「なるほ」


「おや? 意外と動じませんね……大丈夫なのですか?」


 意外そうに問い掛けるクリスへと、オルガンはぽりぽりと腹を掻きながらこう答えた。


「研究はもう済んでる。壊すのが正解だったから、別によい」


 その言葉を聞いたクリスは『だったら先に言っておいて欲しかった』などと思いもしたが───言わずに飲み込むことにした。この変人、もとい変エルフは、そんな当たり前の事を言ったところで聞かないだろうから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る