第166話 と、まぁこんな感じですわね

 アーデルハイトの挑発を受け、鷲獅子グリフォンが上空より迫り来る。


 鳥類の中で最速と言われているものは、地球上に2種類存在する。水平飛行時と降下時の速度による違いだが、今回の場合は比較対象として後者が適切だろう。そして急降下時に最速と言われているのが、かの有名な隼である。その最高速度は時速390kmにも達し、まさに『目にも止まらぬ速さ』といった表現が相応しい。


 通常の動物である隼ですら、急降下時にはそれほどの速度が出るのだ。空の王とも呼ばれる鷲獅子グリフォンが自由に空を飛んだ時、それ以下の速度である筈がなかった。


 殆ど真下に向かって、鷲獅子グリフォンがその身を空へと放り投げる。飛ぶというよりもむしろ落下に近いそれは、ほんの瞬きをする程の間に鷲獅子グリフォンの巨体を地上へと運ぶ。甲高い風切り音と共に訪れたその一撃は、鋭く研ぎ澄まされた刃にも似ていた。相対するのが並の探索者であれば、気付いた時には既に絶命しているかもしれない。そう思わせるほどの圧倒的な速度であった。


 だが───。


「ん……遅いですわ」


 身体をほんの僅かにだけズラし、最小限の動きで攻撃を躱すアーデルハイト。この程度では、剣聖たる彼女の眼からは逃れられない。当然だ。自身の剣閃も、拳聖の拳も、これとは比較にならない程速い。近接戦闘は『眼』が命なのだ。この程度が避けられなくて、一体どうして剣聖を名乗れるだろうか。

 至近を通り過ぎてゆく暴風に黄金の髪を靡かせながら、再度上空へと翔け上がってゆく鷲獅子グリフォンをアーデルハイトが一瞥する。その瞳には、そこらの探索者であれば浮かべるであろう焦りも、恐怖も、迷いも、その一切が感じられなかった。


 上空を旋回し、再度攻撃の機を伺う鷲獅子グリフォン。どうやらこのまま退くつもりはないらしく、また、攻撃を避けられた所為か先程よりも剣呑な気配を感じさせる。そんな敵を呑気に眺めながら、アーデルハイトはこう語った。


鷲獅子グリフォンは執着心の強い魔物と言われておりますわ。一度手にした得物オルガンを奪われた以上、アレはどこまでも追いかけてくるでしょう。これから辿る自らの運命も知らずに、哀れな事ですわ」


 アーデルハイトは鷲獅子グリフォンを必要以上には警戒していなかった。それどころか、どこか馬鹿にしているような態度ですらあった。先程見せられた近接戦での素早さには少々驚いたものの、しかしそれだけだ。彼女の身を脅かすには、あの程度では到底足りない。狩るのはアーデルハイトで、狩られるのは鷲獅子グリフォン。その構図に変化はなく、この事実はこの先どこまでいっても揺るがない。


 故に、アーデルハイトは鷲獅子グリフォンを蔑視する。力量の差も知らず、分からず、弁えず。この期に及んでまだ、自分が狩る方だと勘違いしている。そうしてただ本能に従い向かってくる様は、哀れ以外の何物でもない、と。


『速過ぎィ!!』

『こっわ……』

『遅かったかぁ……遅かったかぁ?』

『なんで事も無げに避けられるんですかねぇ……』

『あのデカさでほとんど見えなかったんですが』

『俺だったら今ので死んでる』

『実物初めてみたけど鷲獅子グリフォンヤバすぎない?』

『自由に飛べるとこんな事してくるんですか……?』

『閉所以外での討伐報告が無いわけだわ』

『うぉぉぉ団長最強!』

『さすアデ!』


 カメラ越しでも伝わる速さの暴威に、然しもの視聴者達も俄に恐怖を覚える程だった。だが今アーデルハイトが戦っているのは変異種であり、通常種の鷲獅子グリフォンはもっと遅い筈なのだ。そんなことも忘れさせるほどに、アーデルハイトの変わらぬ様子は彼らに絶大な安心感を与えていた。


「空を飛ばれるということは、わたくしたち人間にとって頭を抑えられる事と同義ですわ。飛ばれた時点で不利。その認識は間違ってはおりませんわ。銃……でしたっけ?アレが効果的でない以上、魔法の無いこちらの世界の人間では対処が難しいかもしれませんわね」


 魔法があれば、鷲獅子グリフォンが上空へ逃げたとしても攻撃することは可能だ。だが遠距離攻撃手段に乏しいこちらの世界では、成程確かに、飛行型の魔物は厄介に違いない。


「ですがご安心くださいまし。わたくしがこれから見せる方法は、魔法や銃といった遠距離攻撃に頼る必要がありませんわ。誰にでも可能な、ごく単純な方法で討伐してご覧にいれましょう。コレを見ている皆さんも、きっと目から……ウホホ?ですわ」


『草』

『無理してこっちのことわざ使おうとすんなw』

『くそwいい加減にしろ!!』

『この状況で笑わせんな』

『エテ公』

『エテ公かわヨ』

『目からウホホは流石に草』

『真面目な顔して解説してるかと思ったらすぐコレ』

『もう台無しです……』

『あと団長が簡単って言った時、ほんとに簡単だった試しないから!!』

『目から鱗が落ちる、な?』


 そんな馬鹿げたやり取りも、異世界方面軍にとってはいつものことだ。拾った木の棒でゴーレムを両断してみせたあの時から、アーデルハイトの言葉はとうに信用を失っている。


「そ、そうとも言いますわね。えぇ、勿論知っておりましたわよ。わざとですわ……っと、次の攻撃が来ますわよ!!」


 少々強引な誤魔化しではあったが、鷲獅子グリフォンの攻撃態勢が整っているのもまた事実。アーデルハイトは気を取り直し、今度はしっかりとローエングリーフの柄を握りしめる。もはや彼女の手足といっても過言ではないそれは、まるで得物を求めるように光を反射し輝いていた。


 そうして行われた二度目の急降下は、先のものよりも速度が数段上昇していた。あまりの速さ故か、耳障りな風切り音はすっかり置き去りになっている。視聴者のコメントなど追いつく筈もない。ほんの数瞬の間には、アーデルハイトの目と鼻の先にまで鋭い嘴が迫っていた。


「お別れでしてよー!!」


 しかし標的となったアーデルハイトはといえば、いつもと変わらぬ表情でローエングリーフを振るっていた。驚きなどあるはずもない。降下速度が上がっているからといって、彼女の眼から逃れられた訳ではないのだ。そうして上段から振り下ろされた聖剣による一撃は、まるで吸い込まれるように、殆ど残像と化した鷲獅子グリフォンへと向かう。


 嘴と聖剣が交差したその刹那、周囲には凡そ剣撃によるものとは思えないような爆音が鳴り響いていた。その様子は、もはや大型トラック同士による交通事故以上である。爆心地に居たアーデルハイトと鷲獅子グリフォンの姿を、もうもうと舞い上がる砂煙が覆い隠してしまう。無論、実際に爆発が起こった訳では無い。ただそれと見紛う程の、凄まじい衝撃だった。


 草原に吹く風によって砂煙が長い尾を引き、ゆっくりと晴れてゆく。

 そこには剣を振り下ろした姿のままで静止しているアーデルハイトの姿と、地面に叩きつけられ、そのまま引きずられて倒れ伏す鷲獅子グリフォンの姿があった。アーデルハイトの足元には長さ数メートル程もある轍が出来上がっており、その衝突の威力を物語っていた。


 ゆっくりとローエングリーフを持ち上げ、流れるような優美な所作で鞘に収めるアーデルハイト。その身には傷の一つもない。ただ巻き上げられた砂埃によって、ジャージが少々汚れてしまっただけであった。


「……と、まぁこんな感じですわね。簡単でしょう?」


 そう言ってカメラに微笑むアーデルハイト。誰もが目を奪われるような美しい笑顔であったが、しかし見ている側からすればそれどころではなかった。アーデルハイトの言う『簡単な方法』とはつまり、『上空に居て攻撃が届かないのなら、下りてきた時にぶちのめせ』というものであった。確かに彼女の言葉通り、『簡単』で『単純』な方法と言えるだろう。一つ問題があるとすれば、『誰にでも可能』という部分が大嘘であったことくらいだろうか。そんなアーデルハイトの一言を受け、次いでコメント欄に投稿された視聴者達の反応は、当然ながら全て同じ内容であった。


 つまりは───。


『出来るわけないだろ!!いい加減にしろ!!』

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