第165話 かかってきなさい

 勢いよく振り落とされたオルガンが宙を舞う。


「ぬわー」


 彼女とて、このまま地面に落ちたところで問題ない程度の肉体強度は持っている。それを知っているが故に、アーデルハイトもクリスも、くるくると飛んでゆくオルガンには見向きもしない。


 だが他の三人は違う。

 異世界方面軍のファンである彼らは、当然オルガンの紹介も目にしていた。しかし、九階層で合流したばかりの彼らはオルガンの実力をまるで知らないのだ。それに加え、ここまでの道のりで見せた彼女の動きは、控えめに言って鈍臭かった。故に彼らは全力で走る。オルガンの落下地点と思しき場所へと。


「乗れ!!」


「ツバメ!お前が一番速い!!行け!」


「任せて!」


 イチカが組んだ手を踏み台にして、シモンが構えた盾の上に飛び乗るツバメ。それを認めたシモンは、まるで自らを発射台のようにしてツバメを押し出した。同時にツバメが足場にしていた盾を蹴り、全ての力を速度に変えて飛び出した。新人探索者にしては相当高い身体能力を持つ彼らの、見事な連携プレーといえるだろう。


「んぐッ───ぬおりゃぁー!!


 砲弾のように弾かれたツバメは勢いをそのままに、オルガンの元へと一直線に飛翔する。そうして空中でオルガンを抱き留め、草原を滑るように着地してみせた。轍の様に抉れた地面から、ツバメのその速さが見て取れる。そんな救出劇であった。


「大丈夫ですか!?」


「うむり。ぐっじょぶ」


「はぁ……よかった……ん?」


 オルガンを横抱きにしたツバメの腕を、温かい何かが伝う。


「……ふぅ」


「ふぅ……じゃないんですけど!?」


「……うむ」


「うむ……じゃないんですけど!?」


 何やら満足そうに頷くオルガン。『餌』の回収こそ上手くいったものの、ツバメは思わぬ被害を受けることとなってしまった。しかし振りほどく訳にもいかず、彼女はただ甘んじて受け入れる。ツバメはがっくりと肩を落としながら、こちらに近づいてくる野郎共から『これ』をどうやって隠すのか、そればかりを考える羽目になった。




 * * *




 拘束を解除した毒島さんを再び左手に巻き付け、アーデルハイトは無惨な姿となった戦友ぼくとうつかを放り捨てる。


 変異種の鷲獅子グリフォンは、アーデルハイトが想定していたよりもずっと硬かった。彼女は何も、わざと木刀を破壊したわけではない。単純に、通常の鷲獅子グリフォン程度であれば十分に倒しうると考えての攻撃だったのだ。しかし流石は変異種といったところか。思惑は外れ、アーデルハイトは再び戦友を失うことになった。とはいえ、所詮はSAで購入した安物の土産品だ。柄を雑に放り捨てたことからも分かるように、口にしているほど思い入れがあるわけでもなかった。


「致し方ありませんわ!!起きなさい、ローエングリーフ!」


 アーデルハイトがそう呼びかければ、彼女の声に呼応して一瞬の内に聖剣が顕現する。彼女の右手に握られたローエングリーフは、まるで久しぶりの出番を喜ぶかのように妖しく輝いていた。本来であれば、アーデルハイトは鷲獅子グリフォンをこのまま素手でボコボコにするつもりでいた。以前に彼女自身が言っていたことだ。『オーガ程度までであれば、素手でも倒せる』と。


 オーガ鷲獅子グリフォンは魔物としての格がほぼ同格であり、強さの面でもそれほど違いがない。空を飛ぶ分、鷲獅子グリフォンのほうが多少面倒な相手という程度だ。故に、デモンストレーションの意味も込めて素手で倒そうかと考えていた。だが先の一撃でダメージを受けていないところを見るに、眼の前の鷲獅子グリフォンは、如何にアーデルハイトと謂えども素手では手に余ると思われた。彼女は剣聖であり、拳聖ではない。徒手空拳でも十分に戦えるが、得意という訳でもないのだ。だからこそ、アーデルハイトは迷わず聖剣を手に取った。


「今度こそ、お死にあそばせッ!!」


 アーデルハイトによるローエングリーフの一閃。

 鷲獅子グリフォンの体勢を崩したのは『縛鎖の毒島スネーク・バインド』によるものであり、木刀での一撃は何の痛痒も与えられていない。このまま手をこまねいてただ見ているだけでは、早々に上空へと離脱されてしまうことだろう。


 そう考えて放たれたアーデルハイトの横薙ぎは、しかし空を切った。全力の一撃だったとは言わないが、それでも手を抜いた訳では無い。にも関わらず、鷲獅子グリフォンはその巨体に見合わぬ器用な動きで、迫りくるローエングリーフの刃を回避して見せたのだ。


 ぬるり、という表現が最も相応しいだろうか。それは傍から見れば酷く気持ちの悪い動きだった。骨格を無視したかのような無理のある動きで、鷲獅子グリフォンが刀身の下へとその巨体を滑り込ませる。巨大な漆黒の翼はしっかりと畳み込まれ、後退するどころか一歩を踏み込み、アーデルハイトの懐へと潜りこんできたのだ。


「───なんですって!?」


 鷲獅子グリフォンの鋭い眼光がアーデルハイトを捕らえ、その巨体が屈み込んだ状態から一気に爆発する。下方からの強襲に、アーデルハイトは思わず上体を大きく仰け反らせた。


「このッ!」


 だが、そんな想定外の反撃だったとはいえ、アーデルハイトがただ攻撃を回避するだけで終わることはない。仰け反った姿勢から後方の地面へと手をつき、下から襲い来る鷲獅子グリフォンの更に下方から勢いよく蹴り上げる。これには流石の変異種も反応出来なかったらしく、サマーソルトキックに近い蹴りは見事に鷲獅子グリフォンの顎部を捕らえていた。


 この一瞬の攻防を理解出来ているものがどれだけいるだろうか。鷲獅子グリフォンの強さは、幾分か上方修正したアーデルハイトの予想よりも更に上だったらしい。


『ファッ!?』

『何が起きたんですか!?』

『恐ろしく速い蹴り上げ、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね』

『よく分からんけど凄いレベルの攻防だというのは分かる』

『わかんないことがわかる』

『団長の攻撃を躱しただと……?』

『変異種っていってもこんなに強いもんか?』

『不謹慎かもしれんが暴れる乳にしか目がいかない』

『ジャージのままで大丈夫なんかこれ』

『なんや今の動き』

『危なっ!!』


 早すぎる展開に視聴者のコメントが追いつかない。そんな困惑する視聴者達を他所に、戦いは次の局面へと入ってゆく。頭部を強かに蹴り上げられた鷲獅子グリフォンだったが、ダメージは碌に与えられていない。そればかりか、蹴り上げられた勢いを利用して、まるで後方宙返りをするように飛翔する鷲獅子グリフォン。地上に引きずり下ろしていた状況は一転し、どうやらここからが鷲獅子グリフォンの本領らしかった。


「……鷲獅子グリフォンにしては、随分といい動きをしますわね。実に結構、そうでなくては面白くありませんわ!」


 空を得た鷲獅子グリフォンは、討伐難度が跳ね上がる。まして、今回の鷲獅子グリフォンは明らかに普通ではなかった。凡そダンジョンの十階層に居て良いようなレベルではない。もしこの場にアーデルハイトが居なければ、異世界方面軍が居合わせなければ、『惑いの精レーシィ』の三人はあっという間に餌となっていた事だろう。今回の相手は変異種の中でも、かなり上位の個体であった。


 そんな魔物が相手でも、当然ながらアーデルハイトの戦意が落ちるようなことはない。むしろ下見のつもりで来た退屈な探索が、撮れ高たっぷりのショーに化けたとでもいうかのような、そんな大胆不敵な笑みを浮かべていた。


「ここからが本番というわけですわね。いいでしょう!ではこれから皆様に、簡単な鷲獅子グリフォンの倒し方をお教え致しますわ!!これさえ押さえれば、明日から貴方も鷲獅子グリフォンキラーですわよ!!」


 上空で戦闘態勢に入る鷲獅子グリフォンを放置し、カメラに向かってそう宣言するアーデルハイト。先程の凄まじい攻防は露と消え、配信内には怪しげな空気が漂い始める。


『あっ』

『嫌な予感がする』

『この台詞、聞いたことがあるぞ……?』

『お前ら久々の異世界殺法だ、目が離せねぇぞ』

『絶対簡単じゃないやつだコレ』

『これまでの異世界殺法がもう既に簡単じゃなかったんよ』

『簡単なゴブリンの倒し方すら実行不可なんだよなぁ』

『ついにリアルタイムで異世界殺法が見られるのか』

『全ての視聴者に疑われてて草』


 アーデルハイトの『簡単討伐シリーズ』は、過去の行いの所為かすっかり信用を失っていた。だがアーデルハイトはそんなことなど気にした風もなく、ローエングリーフをくるりと回して鷲獅子グリフォンへと突きつける。


「───さぁ、かかってきなさい!」

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