第14話 濡れてますから

 初配信を終えた後。

 汀の運転する車で帰路につくこと数時間、クリスの部屋へと帰った時にはとうの昔に日付が変わっていた。

 その後は自分の家に戻る汀を見送り、クリスが寝ぼけ眼のアーデルハイトを風呂へと放り込む。しかし、椅子に座ったまま全く動き出さないアーデルハイト。そんな彼女の姿を見たクリスが、仕方がないといわんばかりに、しかしどこか嬉しそうに、甲斐甲斐しく髪から身体、足の先へと隅々まで洗う。


 あちらの世界に居た頃、アーデルハイトがこのような姿を見せることは、幼い頃を除いて殆ど無かった。特に、二代目剣聖となってからは毎日が緊張の連続であったし、ダンジョン攻略や勇者の随伴等、その後も常に戦い続けてきた彼女だ。気を張り続け、ゆっくり眠ることなど無かったであろう。

 そんな彼女が久々に見せる、警戒を解いて油断しきった姿。それを見たクリスは、近頃忘れがちであった事を思い出す。あちらの世界が如何にシビアで、こちらの世界が如何に平和かを。


 すっかり電源の落ちてしまったアーデルハイトを椅子に座らせ、髪を乾かし、丁寧に梳いてゆく。風呂に入ったことで縦ロールでは無くなったアーデルハイトの髪は、まるで絹のようだった。手触りも、輝きも、その全てが昔と変わらぬ美しさを保っている。

 否、少しだけ傷んでいるだろうか。幼少の頃からクリスが手入れをしていた黄金の絹糸は、クリスが居なくなってから一年の間、恐らく自分で手入れをしていたのだろう。きっと見様見真似で、四苦八苦しながら。


 そんな手入れの微妙な粗を見つける度、クリスの胸中には様々な思いが去来する。クリスがアーデルハイトに先んじてこちらの世界に来て以来、アーデルハイトの事を忘れた事など一瞬たりとも無かった。通訳の仕事をしている時も、汀と同人活動をしている時も。


 今はすっかり塞がった、胸にぽっかりと開いていた大きな穴。それを思えば、これからの不安や苦難など、まるで気にならなかった。

 そんな些細なことよりも、何の因果か、今こうして再び、共に過ごすことが出来ていることの喜びが、何事にも変え難かった。


「終わりましたよ、お嬢様」


「んぃ・・・」


「はいはい。お布団で寝て下さいね」


「ん・・・」


 クリスに促され、のろのろと歩き始めたアーデルハイト。ほとんど開いていない瞳でベッドまでたどり着き、そのまま倒れ込むように布団にうつ伏せで転がる。そんなアーデルハイトをクリスが転がし、仰向けにしてから布団をかける。

 長い睫毛に整った柳眉。メイクもしておらず、眠気に身を任せて無意識であるというのに、その美しさにはまるで陰りがなかった。

 そんなアーデルハイトの寝顔をクリスが見つめていると、アーデルハイトが苦しそうに歯ぎしりをした。


「んぎ・・・・・・殺す・・・んぐぅ」


「はいはい、いつか殺しましょうねぇ」


 どうやら夢にまで見ているらしい。

 クリスは部屋の電気を落とし、自らもベッドの下に敷いた布団へと潜り込んだ。




 * * *




 時刻は昼過ぎ。

 アーデルハイトが目覚めた時には、既に汀がやって来ていた。クリスが用意した朝食───と言うには遅すぎるが───を摂っている間も、汀は何やら機材をいじくり回していた。そんな汀へと、アーデルハイトがぽりぽりとウインナーを齧りながら、なんとなく話しかけていた。


「ミギーは先程から一体何をしていますの?」


「・・・え、それもしかしてウチの事ッスか?」


「他に誰が居ますの?」


「なんか右手が喋りだしそうでめっちゃ嫌なんスけど。何で急にそんな呼び方に?」


「わたくしがアーデルハイト。クリスがクリス。そこで貴女だけ汀だと、呼び方の統一感に欠けますわ」


「そこは別に統一感いらねーんス・・・お嬢がそう呼びたいなら、別に良いんスけど」


「ではそれで。で、汀は結局何をしていますの?」


「呼べよ!!!!」


 汀が触っていたヘッドセットを放り投げた。

 先週初めて出会ったアーデルハイトと汀は、ここ一週間ですっかり打ち解けていた。そうして初配信を共に乗り越え、今ではこうして軽い冗談も言い合える仲である。ちなみに、普段ならばそんな二人の様子をニコニコと眺めているクリスは、現在買い出しに出かけており不在である。


「今日の配信の準備ッスよ。流石に連日京都までは行けないッスから」


「あら?今日も配信を行いますの?」


「初配信が予想以上に上手くいったからといって、油断しちゃ駄目ッス。今の勢いに乗るためにも、出来るだけ配信頻度は多くしたいんスよ。ま、今日は雑談枠ッスね」


「・・・ああ、思い出しましたわ。確か汀ノートにも書いてありましたわね」


 アーデルハイトが思い起こしたのは、初配信に向けての準備期間中に、汀から渡された大量のテキストだ。アーデルハイトが『汀ノート』と呼ぶそれには、配信を行う上での心構えから、覚えるべきネットスラング、テンプレ、配信中の注意事項などなど、様々な内容が記されていた。


 その項目の一つ、初配信後の計画について。

 そこには、初配信後は頻繁に、出来れば毎日何かしらの配信を行い、ファンを獲得していく事が重要であるといった旨が記載されていた。


「さっき凛と今後について相談したんスよ。昨日の配信では、お嬢の実力やキャラがある程度視聴者に認知された筈ッスよ。そこで今日は視聴者からの質問に答えたり、改めて自己紹介をしたり、あとは今後の配信予告等をしてもらうつもりッス。それが所謂雑談枠ッス。エロ売りだけじゃ絶対に伸び悩むッスからね、お嬢を知ってもらう必要があるッス」


「なんというか、頼もしいですわね・・・わたくし戦うのは得意ですけれど、そういった策略系は疎いんですの。軍を動かす方の策略は得意なんですけど・・・ミギーとクリスが居てよかったですわ」


「ウチは戦えない分、裏方で貢献するのが───呼んでるし!!」


 汀が部屋撮り用のカメラを放り投げた。そんな彼女を無視しつつ、アーデルハイトが食器をキッチンへと運び水に漬ける。

 そうしてアーデルハイトが自分の分と汀の分、二人分の緑茶を淹れてリビングへと戻ってくる。余談だが、アーデルハイトはこの緑茶が非常に気に入っていた。ここ数日、こうした隙間時間には煎餅を齧りながら緑茶を飲んでいることが多い。本人曰く、『この渋みと香りが上品で、透き通った色も素晴らしいですわ』とのこと。ちなみに近所のスーパーで買った、200グラム入り500円の安物である。


「どもッス。あ、そうそう、昨日の配信アーカイブ見直してたときに気づいたんスけど」


「何ですの?」


「コメント見てると、凛の人気が結構あるんスよね。いや、恥ずかしながらウチもそこそこあるっぽいんスけど・・・」


「二人とも美人ですもの。当然ですわ」


「お嬢に美人とか言われてもアレなんスけど・・・まぁそれはいいとして。これを利用しない手は無いッスよね?」


「・・・ああ、そういうことですの」


 汀が全てを語らずとも、アーデルハイトには彼女が何を言いたいのかが理解出来ていた。要するに、クリスを演者として出演させよう、ということだろう。アーデルハイトとしては全く問題が無い。それどころか大賛成といってもいいだろう。彼女自慢の従者であるクリスは、何でも卒なく熟す上に器量も良い。そんな彼女に人気が出るのは当然だと考えているし、なにより誇らしくもある。

 とはいえ、昨晩に茉日まひるから聞いた話がアーデルハイトには気がかりだった。


「ですけど、演者以外はあまり映らないものだと聞きましたわよ?」


「ああ、まぁ基本的にはそうッスけど、別に駄目なわけじゃないッスからね。逆に今回のウチらみたいに、たまたま映った時に人気が出たスタッフを、ちょくちょく出す配信者も普通に居るッスよ」


「あら。それでは汀も───」


「とはいえメインで出すのはまだ早いッス。折角なら小出しにして、値打ち付けたほうが再生稼げるッスからね。というわけで、今日の配信中にチラチラ見切れさせたりしようと思ってるんスけど、どうッスか?」


「露骨に無視しましたわね・・・まぁ、良いのではなくて?その辺りの塩梅は二人に任せますわ」


「決まりッスね。とはいえ凛が嫌がったらメンドイんで、こっそりやるッスよ。小道具の受け渡し時とか、カメラの調整とかで自然に映していくッス。名付けてサブリミナルクリス作戦ッス」


「サブリ・・・なんですの?ちょっと格好いいじゃありませんの」


「名前は適当なんで特に意味は無いッス」


 こうして本人の居ない中、怪しげな作戦が決定された。

 サブリミナル効果とは、簡単に言えば無意識や潜在意識への刷り込みである。有名な例で言えば、テレビの画面にほんの一瞬だけ広告を映すことで、テレビを見ている者の記憶へと刷り込みを行う、サブリミナル広告等がある。なお、こういった表現方法は現在禁止されている。


 そしてサブリミナルクリス作戦とは、そのような複雑で狡猾な作戦では当然無い。単にクリスをチラチラと瞬間的に映すことで、視聴者の期待感やもどかしさを煽ろうというだけの、酷く小賢しい作戦であった。


「ま、お嬢はいつも通りのお嬢で受け答えしてくれれば大丈夫ッスよ。クリスが帰ってきたら話を詰めるッスけど、質問もSNSやチャンネルのコメ欄、マシュマロなんかで既に募集してるッス。配信中にこっちで選んでお嬢に回す感じッスかね」


「分かりましたわ。前もって答えを考えておく必要は無いんですわよね?」


「それをすると、お嬢のいいトコが薄まるッスからね。余計なことしなくても、ぶっちゃけ座って適当に受け答えしてるだけで絵面は抜群ッスから」


「ですが、それでは撮れ高が無いのではなくて?」


「すっかり撮れ高に飢えてるッスね・・・雑談枠は撮れ高とか別に考えなくていいッスよ。というか普段も、あればラッキーくらいで丁度いいッス」


「むぅ・・・」


 すっかり撮れ高に取り憑かれたアーデルハイトの、何処か不服そうな態度は無視された。そうして汀が再び機材の調整に戻り、アーデルハイトが煎餅を齧り始めた頃、玄関の方からガサガサと物音が聞こえてきた。玄関のドアを開けて部屋に入ってきたのは、当然クリスであった。


「只今戻りました」


 先程、自らの居ない場所で、怪しげな作戦が練られていたことを露ほども知らない彼女は、ガサガサと買い物袋を漁って何かを取り出した。そうして取り出したものを、アーデルハイトのほうへと差し出す。


「お嬢様。お嬢様が喜びそうな物を買ってきましたよ」


「あら、何ですの?」


「これです!!」


 クリスが突き出した右手の先。そこには一つの菓子が握られていた。アーデルハイトがパッケージの正面、そこに書かれていた文字をまじまじと見つめ、そして目を見開いた。


「濡れ煎餅・・・!?」


「そうです!」


「なんですのそれは!!ただの煎餅ではありませんの!?」


「勿論です!なんといっても濡れてますからね!!はい、どうぞ」


「よくやりましたわクリス!!あ、お茶、お茶が切れましたわ・・・」


「一度に沢山食べるとお腹が痛くなりますからね。今日は半分だけですよ」


「よくってよー!!」


 まるで保護者のように注意喚起を行うクリスと、それに元気よく返事を返し、キッチンへと消えてゆくアーデルハイト。

 機材の調整を進めつつ、そんな二人を横目で見ていた汀がぽつりと呟く。


「・・・これはこれで、人気が出そうな光景ッスねぇ・・・」


 クリスとアーデルハイト、二人があちらの世界に居た頃は考えられなかった、非常に気の抜ける昼下がりであった。

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