第273話 いえ、私はそのままで構いません

 上品だが華美ではない、まさに丁度いいバランスで配置された調度品。床は座敷で、畳の良い香りが落ち着いた雰囲気を演出していた。莉々愛りりあの知り合いが経営しているという、都内の高級居酒屋『雪華』。現在貸し切りとなっているその店では、『Elven Skin』発表会の成功を祝った打ち上げが行われていた。


「それでは、イベントの成功を祝して────乾杯!」


「かんぱーい!」


 クロエの音頭に合わせ、各々がグラスを掲げる。貸し切りかつ知り合いの店とはいえ、いつぞやの旅館とは訳が違う。未成年のアーデルハイトと月姫かぐやは流石にジュースであった。見た目でいえば、みぎわやクロエも未成年に見えるのだが。


 参加者は異世界方面の三人とクロエ。実は二日目も裏方として協力してくれていた莉々愛りりあ。そしてそこに月姫かぐやを加えた計六人である。あとは傍らで訳のわからない怪しい生き物が一体、一心不乱に食事をしている。ちなみに月姫かぐやがここに居る理由は単純だ。今回もパーティーメンバーである合歓ねむの手伝いで、イベントに参加していたというだけの話である。合歓ねむのサークルは二日目の参加であったため、初日には居なかったというわけだ。


 実は月姫かぐやも手伝いの合間を縫って『Elven Skin』発表会場に来ていたらしく、テスターとして名乗りを上げようとしようとしていたらしい。しかし自身とアーデルハイト達が親しいという事は既に周知の事実であり、八百長を疑われるかもしれないという理由で自重したのだとか。余談だが、当初はこの場に大和も誘う予定であった。しかし『お呼ばれする程のことはしていないし、面子的にちょっと肩身が狭い』という理由で彼は参加を辞退していた。意外とシャイな男である。


「色々ハプニングもありましたけど反応は上々。大いに注目されましたし、今回の先行発表会は大成功といってもいいでしょう。発売が楽しみですね」


 酒の場ということもあってか、クロエはいつになく上機嫌だった。彼女の言うハプニングとはもちろんノーブルジョークのことだが、意外にもアレがよかった。肉が鎧を粉砕し、一般の探索者達が萎縮してくれたお陰で、潜んでいた大和を釣り上げる事が出来たのだから。知名度が群を抜いて高い彼だが、月姫かぐやと違って異世界方面軍との繋がりが薄い。故に出来レースを疑われる心配もなく、テスターとしてはまさにうってつけの存在であった。


「お肉ちゃんが活躍してくれて私も嬉しいです! 日頃から一緒に特訓していた甲斐がありましたね!」


「え、あのいつも食らってるタックルのことッスか? アレって特訓だったんスか……?」


「もちろんです! 遊んでいたわけじゃないんですよ」


 まるで自分の手柄のように喜ぶ月姫かぐや戦友ともとでも言うべき肉の活躍が、彼女には嬉しかったらしい。しかしそれを聞いたみぎわは、なんとも微妙な顔をしていた。頻繁に遊びに来る月姫かぐやと肉の戦い。あれはどう見ても特訓ではなく、もっと別の何かだろうと。一心不乱に肉を貪る肉を撫でようと、月姫かぐやが手を伸ばす。そしていつものように噛まれていた。


「デモンストレーションで商品を粉々にぶっ壊すなんて、普通はあり得ない話だけど……ま、結果オーライってヤツね。実際、ネット上でも既に結構話題になってるわ」


 意味わかんないけど、とでもいいたげな顔をしている莉々愛りりあ。しかし結果として、ノーブルジョークが回り回って販促に繋がったのは事実だ。ほとんど『やらかし』と変わらないような行いが、いつの間にかいい方へと転がっている。流石は異世界人のやること、といったところだろうか。常人には理解出来ない謎の力が、異世界人にはあるのかもしれない。


 そんなやらかし異世界人はといえば、何やら真面目な顔で料理を見つめていた。


「大変ですわクリス。この月見つくね? とやらの卵を割るのが楽しくって、つい貴女の分も勝手に割ってしまいましたわ。これはわたくしが全て食べるべきですわよね? ええ、それがいいですわ。上位者たるもの、失態の責任は取らねばなりませんもの。というわけで、貴女は追加分を注文するといいですわ。ではいただきま───」


「いえ、別に私はそのままで構いませんが」


「───無理をせずとも、わたくしは大丈夫ですわ。というわけで貴女は追加分を注文するように」


「いえ、私はそのままで構いません」


「……」


 表情を変えること無く、アーデルハイトから料理を没収するクリス。没収しながらも手元のタブレットを手早く操作し、追加分の月見つくねを注文する。アーデルハイトの小賢しい戦略など、クリスにはまるっとお見通しであった。連れ去られて行ったつくねを寂しそうに見つめつつ、自分の分のつくねを口に運ぶアーデルハイト。もっちりとした重厚な歯ごたえと、口に中いっぱいに広がる甘辛いタレと鶏肉の旨味。そこに卵黄のまろやかさが加わることで、それはもう大変に美味であった。


「たいへん美味しいですわー!」


 少なくとも、帝国では食べたことのない味だった。こちらの世界に来てから、もうそれなりに経つアーデルハイト。しかし先日の焼き肉もそうであったが、まだまだ驚くことばかりである。今日の振り返りなどそっちのけ、ひたすら現代の料理に舌鼓をうつアーデルハイト。その姿は大変微笑ましく、クリスのみならず、他の者達からも次々と餌付けされていた。扱い的にはほとんど肉と大差がない。


 ともあれ、彼女達にとって今年最後となるイベントは、こうして無事成功に終わった。この先の展望もうっすらとだが見えている。配信業も順調で、資金集めも安定しつつある。残す課題は封印石の収拾と、現代探索者達の実力の底上げといったところか。とはいえ、見どころのありそうな探索者達とは既に顔見知りの関係だ。彼女たちを鍛え上げ、そして彼女たちの協力を得られれば、封印石の問題に関してはどうにかなるだろう。


 異世界方面軍が活動を開始してからわずか一年足らず。文句のない一年であったといえるだろう。家では怪しい兵器が生産されており、その扱いでまた一悶着あったりするのだが、それは今の彼女たちには知る由もないことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る